身をやつして市井や遠地を訪れたりした逸話を語ってみましょう。
地方巡検を本当にやった君主はいたのか?
市井の愛人との忍び会い、から陰謀渦巻く密議まで
幅広く語ってみませんか。
ニュース
漢の成帝(武帝を真似たらしい。お忍びの際の偽名は「張公子」)
『千一夜物語』でお馴染み、ハールーン・アル・ラシード。
『水滸伝』でお忍びをやっていた北宋の徽宗。
『増鏡』や謡曲『鉢の木』で有名、北条時頼。
夫と外を出歩いていた、マリア・テレジア。
嫌煙家で、街で喫煙者を見つけては首を斬らせたというムラト4世。
我が国には、乞食法師と思って適当に扱っていたら、実は元関白だったとか、
西行だったとか、元僧都だったという話が数多くありますが、僧体が移動に
便利であり、進入御免といった存在であったためです。
しかし、当たり前ですが史実よりも創作の世界を辿った方が良さそうで。
森鴎外の小説で、羅城門かどこかで関白師真がお忍びをしてる話があったような・・・
アッバース大帝だったか?
ガズニのマフムードだったか?
お忍びで街を歩いていたら盗賊団と出会って云々という逸話があったような・・・
で、翌朝盗賊団を王宮に捕まえてきて裁こうとしたら
盗賊の一人の頓知で釈放という笑い話なオチだったか
「お前さんは国獲りの大泥棒だろうが」とでも言われたのですか?
早雲庵宗瑞の逸話ですが。
>>15
夜中にアッバース大帝がお忍びで街を歩いていたら
変な男たちの三人連れに出会って意気投合。
彼らは実は盗賊団で、これから王の宝物庫を荒らしにいくという。
面白くなったアッバース大帝も着いていって、道々お互い自己紹介をする。
盗賊1「自分は動物の言葉が分かる」
盗賊2「自分はどんな鍵でも開けられる」
盗賊3「自分は一度見た顔は決して忘れない」
大帝「自分は実は絶大な権力を持っていて、
髯をちょっと捻るだけでどんな大罪人でも許すことができる」
途中で犬が吼えたのを聞いて盗賊1がいわく
「犬が言っている。『大金持ちはお前たちの中にいるのに、今宵お前たちは何処に行くのか』」
やがて庫に着くと盗賊2が鍵をこじ開けて四人で荒らしまわる。
翌朝大帝は王宮で兵士を呼びつけて昨夜の盗賊たちの人相を詳細に語って
「ひっ捕らえてまいれ!」と命令。
そこで三人の盗賊が捕まえられてきて、盗賊たちは顔を上げられずにがたがた震えている。
ところがそこで盗賊3がふと大帝の顔を見上げて驚いていわく
「俺たちは三人とも特技を披露した。今度はあんたが髯を捻ってくれ」
これには大帝も苦笑して彼らを許すしかなかったという話。
斬りあいになり、殺してしまったとか。自分が外出禁止を命じていたのに。
膝を怪我している時だったので、足音で近所の婆様に気づかれたけど
木造の首をはねて、替りにしたそうです。
文句はメリメ氏宛てにお願いします。
を訊いたところ、前者がイサベラで、後者が自分だったという逸話も。
(旅行・戦争が多かったため)
スペインで散歩中に老人に会って話が弾んだので
「今までで1番良い王様は誰だと思うかね?」
「そりゃあ、言うまでもなくイサベル女王様でさ」
「それでは、最悪の王様は誰だね?」
「大きな声では言えないが、今の王様だね。奥様も子どももほったらかしで
外国をほっつきあるき、戦争ざんまいだ。金という金をスペインから
持ち出してわしらは迷惑だ。スペインの王様だけで満足してくれればいいのに」
とか言う伝説。
日本史ネタになりますが、北条幻庵(早雲三男)の逸話を。
ある日徳斎と言う町人と囲碁を打っていた時、幻庵が妙手を打ったところ、
徳斎が盤面に向かい、
「打ったか、小僧は何処の小僧だ(この石は何処に繋がる石だろうか)」
と、呟くと、茶目っ気を出した幻庵は、
「誰の小僧と申しますが、私は北条早雲の倅です」
その言葉に、相手の正体を知らなかった徳斎は肝を冷やして逃げてしまいました。
悪い事をしたと思った幻庵は徳斎を再三呼んだのですが、結局やってこなかったそうです。
工員「よ、王様。俺たちはあんたのファンなんだ。がんばってくれよ。」
王様「そうかい。ありがとうよ。」
ロシアのピョートル大帝のヨーロッパお忍び旅行は面白いよ。
ロシア皇帝のヨーロッパ使節に部下として参加。
使節の長にうやうやしく礼節を尽くして本人は自由に各都市を歩き回ったり
ヨーロッパの工場などに工員として雇ってもらいハンマーなどを振り回して働いた。
(本人は力自慢で身体を動かして働いたり技術を学ぶのが好きだったらしい。)
彼がお忍びで部下として使節の中にいるのは暫くして知られ公然の秘密になったため、
各国の接待役の人達はどう扱ってよいのか困ったらしい。
アンリ・トロワイヤ (著)
ヴィクトリア王女を超える人はいねえぞ
見合いが嫌で家出してパブに行った。
行ったパブには見合いの話しがあったので英国に来た大公の次男が飲んでいた。
二人は「見合いなんて最低!」と意気投合した。両者とも相手を惚れた。
両者共、見合いをすっぽかす訳にはいかず別れて、片方は家へ、片方はホテルに
帰った。
ヴィクトリア王女は今日の見合い相手よりも先日パブで出会った大公の次男が
気になっていた。大公の次男も今日の見合い相手よりも先日パブであった美少
女が気になっていた。
そして二人はウィンザー城で再会した…ヴィクトリア王女の見合い相手が大公
の次男だったからである。見合い結婚の予定が恋愛結婚になった稀有な事例…
ヒッチハイクをしていた青年が、車に乗せてもらい、王室の悪口を言って
いた。その車が王宮に着いたら、運転していた男(フレデリック9世)は
「君の話はなかなか面白かったよ」と笑顔で言ったという。
うまく思い出せない。
>玄宗の「祖父は天子、父も天子、我も天子」の話が
これは玄宗が天子として微行したという話ではありません。
「松窗雜録」や「南部新書」などいろんな説部書に伝えられていて、唐代にはかなり
著名な噂だったようです。
玄宗が三郎公子として潞州別駕の任にあった青年期に、休暇を得て帰京していた折に
行跡を晦まし態度を卑くくして目立たぬように日を送っていました。季節は春の暮に
当たり豪家の子弟が数人寄り合って酒や御馳走を携え、昆明池の景色の優れた場所で
宴を始めようというところへ、戎服して臂に鷹を据え野駆けして前に現れた貴公子。
突然の闖入者に一同は露骨に嫌な顔を向けました。白けかけた座を持ち直そうとして
一人の若者が酒船を持ち口上を唱えます。「宜しく門族官品を以て備ぶさに之を陳ぜん」
一同は誰もが高官の子弟で自身も然るべき官に在り、セレブを自任している連中ですから
「祖父は右散騎常侍にして父は中書侍郎、身は承議郎である」とか「祖父は開府儀同三司
太子太保にして父は尚書右僕射、身は太常丞である」とか、「どうだ恐れ入ったか」という
名乗りを挙げて盃を空けました。そして野駆けの公子の番が回ってくると大声を揚げ
「曽祖は天子、父は相王にして、臨淄郡王こそ某である」と言ったものですから、諸少年は
車服を顧みず慌てて四散してしまいました。玄宗は独り三銀船を巨觥に酌んで飲み干し、
徐むろに馬に乗って立ち去ったということです。
なお相王は睿宗が武后から授けられた封号です。
お忍びで街を歩いていて、とある料理屋に入って食事を注文した。
店の主人は材料が無かったので、とりあえず焦げ飯に、そこらにあった雑多な材料を餡かけにして
差し出したら美味かった、というのが起源だとか。
乾隆帝ってけっこうお忍びの逸話が多いよね。
「百貨店」のネーミングも彼だというし。
あとはやはりハールーン・アッラシードが有名だけど、史実なのかな?
三人姉妹に軟禁されたり、何かと同行していた宰相の首にかけて誓ったり、
情けない印象が。自分の首にかけていないのは、実際に宰相の首を切らせて
いたせいかもしれませんが。
トリオを組んで夜のマディーナト・アッサラームを徘徊するんだね。
全員実在らしいけど。お忍び伝説そのものの信憑性は・・・さて?
>>36
確か三姉妹の話って、こんな感じだったよね。
ジャファル:王様、あんまり余計な事には口出ししない方が良いですよ。
ハールーン:うるさい、ワシは話が聞きたくて聞きたくてたまらんのじゃ。
あんまりガタガタ抜かすと貴様の首をはねるぞ!!
宰相の憂慮した通り、余計なチョッカイを出してしまい、縛られるハールーン
ハールーン:これ大臣、早く助けんか。
ジャファル:これも因果応報にございます。
水戸黄門みたいなノリで笑った覚えがある。
としたビザンツ皇帝レオーン6世。しかし、一人買収
に応じない真面目なヤツがいて怪しい者として捕まっ
てしまい、翌朝まで牢屋に拘留。朝宮殿へ帰った皇帝
はその男を呼び出し、褒美を与えたのだった。
こちらは後世の創作でしょうが、門限を過ぎて大奥に戻ろうとした春日局が
門番に止められ、冬に門外で一晩を過ごし、翌日件の門番に褒美を与えた話
に似ていますね。
スマソ。ビザンツ学者井上浩一先生が別々の著作で紹介していた、微妙に違う
エピソードをごっちゃにしてしまいますた。
①「生き残った帝国ビザンティン」(1990年 講談社現代新書)
クレモナ司教リュートプラントが紹介している逸話として
「ある皇帝が」見張りを次々買収して、宮殿からお忍びで街へ出よう
としたが金がなくなってしまって捕まり、ムチで打たれた上で一晩牢
屋に拘留される。
皇帝「君は皇帝を知っているかね」
牢番「滅相もない。皇帝が行列をするのを見たけど、遠くからで良
くわからなかったよ。でも、人間というより何か奇蹟を見る
ようだったぜ」
②「世界の歴史11 ビザンツとスラヴ」(1998年 中央公論社)
レオーン6世(在位:886-912)は、都コンスタンティノープルの角
辻に立つ歩哨の勤務ぶりを試そうと、ある夜こっそり街へ出て、わざ
と怪しい素振りをした。牢へぶち込まれそうになったが、金を出すと
見逃してくれた。次の辻でも同じようにしたが、やはり金を出したら
見逃してくれた。ところがその次の辻では買収が出来ず皇帝は鞭打た
れて一晩牢屋に留められてしまった。翌朝宮殿へ帰った皇帝は買収に
応じた歩哨を厳罰に処し、自分を牢屋に入れた歩哨に褒美を与えた。
①は②から派生してるエピソードのような気がするのだが。①はイタ
リア人の伝聞だし。
てしまい、翌朝まで牢屋に拘留。朝宮殿へ帰った皇帝
はその男を呼び出し、褒美を与えたのだった。
シルクロード経由で伝わってたりして。
聞いたレオーン6世が「よし、漏れもやってみよう」とか…。
陣中を視察していたところ、「将軍の命令が無いと開けられない」と門も前で
待ちぼうけを食わされ、待たせた兵卒を表彰したという話ですか。
聞いた春日局が「あら、私もやってみようかしら」と・・・。
直接中国からじゃなくて、中国→ビザンツ→西欧→日本かよ!
マムルーク朝のバイバルスもお忍びの逸話が多い。
アラビアンナイトの中にもバイバルスのお忍びの話が出てくるし、
バイバルス物語ってのもある。
もと奴隷だしな
お忍びと言っていいのかどうか、
ジーコ監督が鹿島に入団したての頃、日本ではまだ顔が知られていなかったこともあって、
ブラジルではやりたくともできなかった自転車での散策三昧の毎日だったそうで。