「1688年革命」が今のトレンドだ。
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「1688年革命」でぐぐったら、中国語のサイトが
ビシバシヒットしたけど、「1688年革命」って言ってる
日本語のサイトは見当たらないよ。
本当にトレンドなの?
しかしin Siamとか書いてあるのが一番上だった
the Revolution of 1688 とか
the Revolution of 1688-89 とか
言ったりする傾向は増えてきている。
(the Glorious Revolution が使われなくなったということではないけれど)
たぶん Glorious の露骨にホイッグ史観的な、イングランド中心的な含意を避けようと言う意図だと思うけど。
アメリカ独立戦争で、イギリスは何でああまで孤立したんだろうか。
それまでの植民地を巡る戦争でずっと勝ってきたから、仕返しを食らったのか、
少し前のヨーロッパの戦争(オーストリア継承戦争&七年戦争)で
同盟国を軽く扱ったから、誰も味方してくれなかったのか。
二つばかり理由を考えたんだけど、他にあるかな?
1760~70年代には中東欧諸国は西欧とは切り離されていて、
彼らはポーランド問題やバイエルン王国の王位継承、オスマン帝国との
関係に忙殺されていた。
しかし七年戦争のあとフランスが弱体化してそれほどの脅威ではなくなり、
中東欧の問題に介入する余裕がなかったから、1779年以降、フランスの動きを
警戒する必要があるのはイギリスだけになった。
さらにフランスはハノーファーを攻撃するのをあきらめて、オランダに圧力を
かけるのも断念し、イギリスとは海外でのみ戦い、それによって大陸政策と
切り離し、イギリスの海軍戦略がヨーロッパに向けられるのを防ごうとした。
>>57
フランスの対外戦略の転換もあるんじゃないかな。
狙いをイギリス一国に絞って、ほかの紛争に手を出さず、敵も
なるべく作らないようにした(たとえば、バイエルン危機, 1788)。
フランスは前回の敗北から、いわゆる多数派工作に戦術を転換して
当たったけど、イギリスはその変化に気づいていなかったと。
ていう感じでどうでしょう。
アメリカが独立したとき、イギリスは2億4290万ポンドの戦時債務を抱えていて、
パリ講和会議ではスペインやフランスにいくつかの領土を与えなくてはならず、
小ピットは「イギリスの光栄の太陽はいまや西に没した」といったほどなんだが。
フランス革命でヨーロッパ全体(特にフランス)が勝手に疲弊してくれたおかげじゃない?
全ヨーロッパをボロボロの戦場にしてくれたナポレオンには足を向けて眠れない
それとも3000マイルも離れた、自給自足ができる植民地が相手では、どのみち制圧できなかった?
どこが同盟したかによるけど、
それでも難しいと思う。
Brewerが指摘したように、最大の負担はン万人分の兵糧を腐らせずに大西洋を横断
させ(続け)ることで、借金まみれのUKには重荷だったと思う。
それにテキは地元で食糧・物資を調達できたし。
あと、イングランド人にも「島国根性」みたいなのがあって、
「なんでこんな遠くで命張らなきゃならないのか」ていう士気の低下もあった
らしい。
商業を守るための海軍力をもつことは、
>>73
>フランスは大陸の国で、海軍にばかり気を遣っていられなかった
現在の中国は、明代の「鄭和の南海遠征」を持ち出して、「わが国は海洋国家だ」と主張し、海軍の増強に乗り出しているが、フランスの二の舞にならなければいいけどな。
ナポレオン帝国が崩壊したのは、結局それが他国の犠牲の上に成り立っていたからかな。軍事費は敗戦国や征服地から取り立てた資産や賠償金や税収でまかなわれ、一方、フランス人納税者の戦費の負担は軽くなった。
パックス・ブリタニカの時代のイギリスは自由貿易を主張し、それは確かに強者にとって有利な政策ではあったけれど、自国の市場は完全に開放したので、他国もある程度の利益をあげることができた。
自由貿易は一番競争力が強かった言い出しぺの英国が有利な話
で仏がしたら英国の工業製品に自国の産業乗っ取られる
ってばっちゃが言ってた
どっちが大きかったんだろうか。確かにイギリスに輸出できなくなって
困ったが、その一方、イギリス製品から保護された状態にあった。
(フランスのリヨンやストラスブールは大陸内貿易の中継点として
栄えたし、ドイツのライン川流域やベルギーでは繊維産業が発展し、
シュレジエンでは製鉄業も広がった)
ナポレオン戦争後、障壁がなくなったらイギリス製品がどっと流れ込んで、
これに対抗することができなかった。
それとも大陸封鎖令が無ければ、大陸諸国はもっと早く産業革命に
突入していた?
フランス以外の諸国にとって、ということなら、政治的な意味でのプラスはあったの
ではないかと。大陸封鎖令でフランス帝国が弱まって解体の一因になっただろうか
ら。経済的にも(予測は難しいけど)封鎖令で保護されなかったら、より徹底的にイ
ギリスの独壇場になったと俺は予想する…けど、このあたりはあんまり知らないんで
何とも。
よかったんだろうか。
スペインとかロシアとか、よけいなところに手を出さなければ良かった?
ナポレオンが死んだらやっぱりフランスの覇権は崩壊しただろうな。
モロッコは鎖国してたよ。
トルコはエジプトの事実上の分離と国内の政変に追われていた。
モロッコは知らん。
西インド諸島のプランテーションで生産された砂糖やコーヒーのほうが上回っていた。
この時期のフランスの輸出額を調べてみると、ジョージ王戦争、七年戦争、
アメリカ独立戦争の時期にがくんと落ちている。
つまり、フランスの貿易は植民地の物産に依存していたので、国際政治の動きに
左右されやすかった。
第一次アフガン戦争の過程で1839年からバルチスタン地方が英国の影響下に置かれる。
パキスタン南東部のシンド地方が英国の保護領になったのがその5年前。
ナポレオンに協力しない様に圧力掛けてたと思うけど
ナポレオンがロシア遠征で自滅してくれたからな。
ヒトラーのときもまったく同じパターン。