応仁の乱をまるでNHKの歴史番組のように解説してくれる動画シリーズ「戦国への道」が分かりやすいと評判です。
「応仁の乱」といえば、よくゲームや漫画の題材となる戦国時代を生むきっかけともなった重要な出来事が起こった時代です。
ところがその重要性の反面、高い人気を誇る戦国時代などに比べると影が薄い印象があります。
その理由としては「いろいろな勢力が入り乱れてややこしい」
「最終的に『〇〇が全国を支配する』といったような区切りがない」ことなどが挙げられます。
もっとストレートに言えば、応仁の乱はとても分かりづらく、楽しみづらいのです。
動画では、そんな応仁の乱のややこしさを象徴する「なぜこの人物同士の対立が起こってしまったのか」
「誰と誰が手を組んでいるのか」といったポイントを、テレビ番組風な演出と共に解説しています。
同シリーズは2017年夏からニコニコ動画で不定期に投稿されているもの。
手間暇のかかった映像編集もさることながら、驚かされるのは各エンディングに掲載される膨大な参考資料の数です。
動画の制作者は「一介の歴史好き」だというニコニコユーザーのterakeiさん。
動画冒頭には「色々な本から得た知識をつなぎ合わせているので、内容は正確ではありません」との断り書きがありますが、
動画からは地道な手間や努力の積み重ね、そして日本史への思い入れが感じられます。
「応仁の乱」の解説動画が熱意と工夫満点ですごい 「野生のNHK」「金払わせろ」と好評
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2002/03/news044.html
動画を再生していくと、東軍大将細川勝元に西軍のリーダー山名宗全、しぶとい軍略家畠山義就に天下一の極悪人朝倉孝景(敏景)、
そして図らずも大乱の原因を作ってしまった「東山殿」足利義政など、戦国時代に負けない個性豊かな人物の軌跡をスムーズに楽しめます。
これもまた熱意と工夫のなせる業でしょう。
応仁の乱編は第2集「応仁の乱の衝撃」をもってひとまず終了。
現在は関東を大乱の渦に巻き込んだ「享徳の乱」を解説するシリーズが投稿されています。
この乱は応仁の乱に先駆けて火蓋が切られ、実に30年弱も続いた大乱なのですが、知名度は決して高いとはいえません。
そんな「地味」な乱を投稿者は、不屈のリベンジャー足利成氏や、
江戸城の生みの親である太田道灌といった英雄的人物の活躍を交えつつ、丁寧に解説していきます。
近年では応仁の乱を解説した呉座勇一さんの新書『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』が異例のベストセラーを記録し、
同時代を舞台にしたゆうきまさみさんによる漫画『新九郎、奔る!』が連載されるなど、応仁の乱への注目度も高まってきています。
この動画もまた、応仁の乱を知るためのきっかけとしてネット上の歴史好きの人気を集めているようです。
ニュース
最初の理由から変遷していく様に途中で挫折してしまったけど?
何が何だかわからなくなって投げ出してしまった
動画はわかりやすかったわ。
ちゃんと紐解けば難しい話ではなかったのな。
中央のしょうもない権力闘争ってだけ。
なら見てみようかな
これ見に来た
南北朝もわからん
だから応仁の乱の土台になってるものがまずわからん
ある坊主が貧民の為に商人に「お椀1杯でいいので米を恵んで下さい」と言って了承させてから
超絶巨大なお椀を出して米蔵の米を粗方ふんだくって行くような時代
応仁の乱は一言で言えば南北朝の代理戦争だな
吉野勢は応仁の乱に表立って関与してないと思う
基本的には足利将軍家の跡目争いで、そこに守護大名や成り上がり(戦国大名の走り)がからんでわけわかんなくなる
山名の娘が細川の嫁じゃなかったっけ?もう訳わからん
細川の嫁になったが、子供が出来ないので、嫁の弟を養子にして細川家の跡取りに決定。
しかし、その後子供が出来てしまい、嫁の弟は跡取りをキャンセルされて、実家に戻される
この仕打ちに山名父さんはぶち切れ、戦争に発展
足利義政
伊勢貞親
畠山義銀
コイツらが全部悪い。細川勝元や山名宗全は寧ろ巻き込まれた被害者
きっかけはそいつらでも、乱を大きくしたり複雑にしたり長引かせたりしたのは
ほとんど細川さんじゃね
詳しくは「応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱」で
あれ読んだけど
大和と興福寺が中心の話ばっかで纏まってなかったし
悪い本とは言わないが、あれが何でヒットしたのか分からん
たまには縄文時代劇とかないのかなとは思う
資料ないからでしょ
平安期でも庶民の暮らしの資料はほとんどないし
関東やらめちゃめちゃ
むしろ後北条の治世のが平和まである
関東をおかしくしたのは西のゴタゴタを逃げで
持ち込んで元々関東にはそこまで緻密になかった
街道整備やらなにやらを関東の武装農民にやらせ
踏ん反り返ってたお坊ちゃん幕府の源氏勢。
朝廷なんて存在すら忘れ去られて
天皇死んでも葬式すら上げられない状況になりましたが
>>87
まあそれでもその後、戦国時代になっても征夷大将軍とかの権威性が天皇には残っていくと言うのは、「天皇を守る方が勝者になった」とも言えないか
なんかもう天皇要らないよね、俺が神様、をい何をいってんだ、の戦いは根拠の無いままぐたぐたに成って行って
ここまで考えると解るが、今もこの先で「天皇を尊重する」様な話は言いにくく成ってる様な、そう言う空気の中で、「それでも」とかそう言う
アイツが西軍に付いた?じゃあ俺は東軍に付く!で全国に波及した様なもんだからな
中央の政局が地方の争い大義名分に利用された
第一次大戦と同様
それに将軍家含む他の家のゴタゴタも巻き込んで大名たちがあっちついたりこっちついたり
細川山名が和睦しても病死しても他の大名たちは戦い続け収拾がつかなくなった
最期は元凶で乱の中心人物だった畠山義就が京を出て地元の奈良に戻ったので一応終息
日野富子悪女説はもう完全に否定されてるけど
一般の間ではまだ続いてるだろうなぁ
フェミニスト視点で無理やり正当化しているだけで、
実際は自分のエゴで周囲を引っ掻き回している部分は否定できない
>>120
>日野富子悪女説はもう完全に否定されてるけど
足利義尚を産んじまったところだけはあかんな
女の子産んでればもうちょっとマシになってたかもしれんw
ただ生むだけなら何の問題も無かったよ
しかしやっぱり権力を握る事を許されてしまっている女性、例外無く無理を押し通し始めてしまった
大内は応仁の乱では足利義政の弟・足利義視を擁立する西軍に介入して乱を長引かせてなにも獲るものがなかったが
明応の政変では京兆家の跡継ぎ争いに介入して足利義視の息子・足利義材(義稙)を擁立して
日明貿易の交易権も掌握し漁夫の利をえた
応仁の乱はずっと東軍優位に進んだが、義視の血統の義輝や義昭が将軍の本流になったことから最終的には西軍の勝ち
>>190
義輝や義昭は 義視の血統ではないぞ!
堀越公方の政知の血統だ。
ヨーロッパ史やると、応仁の乱レベルの混乱戦争を日常的にやっててビビる
応仁の乱はまだ国内事情だからまだマシだが、ヨーロッパはそれを平気で国際間でやる
まさに欧州情勢複雑怪奇なりだよ
ドイツオーストリアフランス
あたりに生まれなくてよかった
歴史半端ないw
そういや京は唐の都を模して作ったって言われるけど、あちらも似たような情勢になったの?
ドリフターズでノッブが防御性皆無のアホ都市だって評してたし、あちらの事情もちょっと気になる
守るには強いよ
ただ東塞がれると物資搬入出来ないので
大都市なのも相まって簡単に兵糧攻め可能
だから唐以降の王朝は全て首都にしなかった
>>209
なるほど
あんがと、勉強になった!
>>259
・畠山、斯波の家督争い
・日野家が絡んだ足利将軍家の後継争い(伊勢もからんでるな)
・細川、山名の対立
・東西幕府分裂
・京極、朝倉、六角、一色、土岐、大内等のバトルロイヤル
400字じゃとても無理だな、、
足利義政+日野富子 VS 義視のあたりに細川山名を盛り込むのがせいぜいだろう
北条早雲こと伊勢盛時の成り上がりをゲームにするとこのへんは見えやすい
かもしれない、、とはいえ、そこをモロにやってるゆうきまさみのマンガで
すら混沌としててワケワカメだけど