漏れは無理。
こいつと秀吉と北条早雲は戦国三大偉人。
下克上でのし上がった例は、他にもある。
やはり、トップバッターとして最初にのし上がった早雲と、天下人になった
秀吉がダントツで、道三はその他大勢のひとりだろう。
斉藤道三の場合、織田信長の舅という事で、実力以上の知名度があるだけ
だと思う。
確か、親との二代でなんたらって
油売ってたのは親父の方って話だろ?
確かそんな感じ
親父が美濃の武将となってその子の道三が土岐家を追放したって話だったと思う
今川義元の過小評価されっぷりからみれば、
道三はめぐまれてるほうだ
ちゃんど「どうさん」で「道三」の字が出てくるし
あ、「よしもと」もでるな・・w
義元って過小評価かな?
なにせ、上洛を目指す!って過大評価があるし。
まぁ、信長&家康の引き立て役だけれどさ。
なんだとこの野郎!
国盗り物語で好きになりますた。
名前は確か全部で・・・・
・山崎庄五郎
・長井新九郎
・松波庄九郎
・法蓮房
・西村勘九郎
・斎藤秀龍
・斎藤道三
だったかな?あまり思い出せなくてすいません
>>斎藤道三の名前
峯丸(幼名)
法蓮坊(寺に出される)
松浪庄五郎(商人に転向)
山崎屋庄五郎(他の商人の娘と結婚)
西村勘九郎正利(長井正弘に仕え、その家臣・西村氏の名跡を継ぐ)
長井新九郎規秀(頼芸に取りいって、長井長弘を殺し、名跡を継ぐ)
斎藤右近大夫秀龍(守護代・斎藤利良が病没し、名跡を継ぐ)
斎藤右近大夫利政(改名)
斎藤入道道三(頼芸を追放し、出家)
んで、知ってるとは思うが、
「道三」の名の由来は、「坊主、商人、武士」という三つの職業(道)を経験したかららしい。
>>35
>「道三」の名の由来
漏れが聞いたのは、三回仏門に入ったという説。
一回目>法蓮坊(寺に出される)
二回目>斎藤入道道三(頼芸を追放し、出家)
三回目>死ぬとき
わっちもそっちの方だったような気がします
汚いやり方で国を盗っても、それ以上は無理だな
家臣がついて来ない
自分を取り立ててくれた恩人を暗殺するのはいかんよな
美濃だから駄目だったのかな?
どれくらい非道な事をやってきたのか?検証してみる必要があるな
北条早雲、松永久秀、斎藤道三、宇喜多直家、こんなところかな?
そうだよね
オレも早雲はそんなにひどい事してないじゃん。
って思ってた
下克上のはしりって事で評判が悪かっただけなんだろうね
>早雲(長氏)
茶々丸は関東公方の嫡男、大森氏頼は関東管領の重臣。
その頃の意識からしたら、相当な大悪人だと思われ
>久秀
「三大悪」をなした男。ちなみに三大悪とは信長に「常人では決してできない事を3つやった」と言われた、
・主君(三好長慶、義興)を弑逆し、家政を乗っ取る
・将軍・足利義輝を殺害する
・東大寺大仏殿を焼く(もっとも、久秀の命令でなく、戦中の失火だと思われる)
>道三
・美濃土岐家で、自分を取り立ててくれた長井正弘の子・長弘を殺して、家を乗っ取る。
・頼芸をそそのかして、美濃に内乱を起こさせて、守護位を奪わせる
・その功で、守護代・斎藤家の名跡を継ぐ
・頼芸を追放して、美濃を乗っ取る
・(嫡男を廃嫡しようとする)
>直家
・家を再興した際、俸禄が足りず、他領(同僚の領土含む)で盗賊まがいの行為を行う
・舅の中山備前守を討ち取る。(この時、祖父の仇・島村貫阿弥も成敗)
・撮所元常を岡利勝を使って謀殺し龍ノ口城を奪取
・遠藤又次郎、喜三郎兄弟を使って、侵攻してきた三村家親を暗殺
・娘婿・松田元輝を狙撃して、射殺
・家臣の金光宗高に内応の濡れ衣を着せて殺害、岡山城を直轄とする
・後藤勝基が信心深い事を利用して、坊主を丸め込み、寺で和睦の会見の時、毒殺
みんな、似たり寄ったりの悪司を働いてるねぇ・・・。
その程度の下克上なら織田・長尾(上杉)・毛利・長宗我部・尼子・朝倉・浅井
皆やってることだ
直家って、身内殺しすぎ
暗殺にかけてはすごいな
宗瑞と久秀の弁護をやってみる。
伊勢宗瑞
そもそも宗瑞は今川家臣。今川は将軍家と仲が良かった(と思う)訳で。
茶々丸は将軍義高の兄であるが、義高の母を殺害していることもあり義高との仲が
険悪だったであろうと予測できる。となると今川家に茶々丸討伐の指令が下ったということも
考えられる。それとは別に扇谷上杉から(山内上杉の勢力を削ぐ為)伊豆攻めの依頼が
あったとかいう話も聞いたことがある。
大森に関しては、その後扇谷と交戦状態に入ったんだろうとしか。
松永久秀
いわゆる「三大悪」に関しては、
・三好長慶や義興らの暗殺という話は相当胡散臭い。根拠もないし。
安宅冬康に対する讒言の話も、その後息子の信康達が普通に仕えてることを考えると
辻褄が合わない。
・足利義輝殺害は久秀がやったというより、三好家総出でやったこと。
ていうかこのとき久秀出陣してたっけ?
・東大寺はその通り、失火(三好三人衆軍の中にいたDQNキリシタンが放火した説もあり)。
久秀は実際には結構普通に実直な家宰・武将だったのではないかと勝手に思ってるんだが。
ついでに言うと義輝死後の畿内での戦いは、畿内の覇権争いとかではなく単なる三好家内の
主導権争いだと思う。
ソースとかは聞くな。適当だから。
そういや、久秀は熱心な日蓮宗徒だったらしいぞ。
んで、配下の学僧2人に宣教師と、宗教論争させたら学僧2人がキリスト教の教義に感服してしまったらしいぞ。
一応、義龍、濃姫含めて、5人は確認できる
勘九郎ってのがいたか
喜平次と勘九郎が妙覚寺で出家して生き延びたんだったけか
勘九郎は道三の末っ子、「美濃は三郎に任せる」で有名な遺書もこいつ宛らしい。
道三がまだ土岐頼芸に使えていたころ、銭を紐でぶら下げて頼芸に向かって
道三「この銭の穴を槍で私が突く事が出来たなら殿の愛妾の深芳野様を頂きたい。」
と言った。頼芸はどうせ出来んだろうと思ってやらせてみたら道三は見事やってのけた。
そして道三はめでたく深芳野を貰えたとさ。その腹の子が自分に仇名すとも知らずに。
・・・これみりゃ得意ってわかるだろ。
戦士や、軍師としてはともかく、大名としては失格かも。
そうか?下剋上の達人=大名として一流だと思うが?
美濃衆で偉いのなんて明智稲葉くらいしかいないと思うんだが。
明智は美濃衆扱いでもないし。
森可成、堀秀政
蜂屋頼隆の方が大物
コーエーも書籍もWebも「近年、二代説が~」とか書いてあるのが大杉。
30年前って近年かよ。