道三まつりに24万人
戦国時代の武将斎藤道三にちなんだ「第38回道三まつり」(中日新聞社協賛)が3日、
岐阜市の神田町や若宮町など中心市街地で始まった。
晴天に恵まれた3日は24万人(主催者発表)が繰り出し、
みこしのパレードやフリーマーケット、からくり山車などを楽しんだ。
4日も野菜や陶器の販売、バザーや民謡大会などさまざまなイベントが開かれる。 (山本真嗣)
◆にぎやかにみこしパレード
長良橋通りを中心に行われた「みこしパレード」には子ども会や企業など36基が参加。
市役所と金公園から出発し、「わっしょい」と威勢のいい掛け声で練り歩いた。
結成15周年の女みこし「岐阜心女(しんめ)」は、新調したみこしで登場。
青い法被にピンクの鉢巻き姿で華やかに色を添えた。
代表の安藤美奈子さん=岐阜市木挽町=は「気持ち良く担げた」とにっこり。
市役所は6月の「全国豊かな海づくり大会」のキャラクター「ヤマリン」のみこしを担ぎ、大会をPRした。
最後に全みこしが若宮町の交差点に集結、岐阜青年会議所のメンバーが木やり歌を披露した。
(中略)
◆しめやかに追悼式
斎藤道三の菩提(ぼだい)寺の常在寺(岐阜市梶川町)では、
道三をしのぶ追悼式がしめやかに開かれ、細江茂光市長ら約40人が焼香した。
まつり期間中、国の重要文化財で普段は市歴史博物館に保管してある
道三・義竜親子の肖像画と、道三の肖像画の複製も寺に展示している。
ニュース
・武田信玄
・織田信長
・豊臣秀吉
・伊達政宗
打ち切ったことは絶対に許さない
まあ大物だろう
戦国マジック
1代で1国1城の主になれる人間なんて
そうそうおらんよ。
>>21
北条早雲 伊豆相模
松永久秀 大和
荒木村重 摂津
豊臣秀吉 全国
福島正則 安芸備後
加藤清正 肥後
加藤嘉明 会津
田中吉政 筑後
堀尾吉晴 出雲隠岐
結構いるな
(山内一豊は親父が岩倉織田家重臣なので除外)
半分ほど秀吉のお陰でなれた奴だな
そういえば松永もか…
すごい人だよな ある意味
信貴山城だったっけ?
上杉謙信の親父も、確か守護を殺して自分が国主になったはず。
これも一代の成り上がりじゃないか。
>>70
元から代々の越後守護補佐だろ
重臣の下克上含めるとキリがないぞ
斎藤道三は二代かかってるよ
こんなの崇めてる連中は死ねばいい
名門土岐氏を敬え
焼酎の変では散々だったですねww
身分の低い出の親父を倒すのに、守護大名の血筋を名乗れるのは重要だよ。
事実は分かんない。本当はどうだっかはDNA検査でもしないと分からん。
義龍がものすごい大男だったから自分の子供じゃないと思っちゃったんだろう
資金も人脈もないヤツが国を奪い取ったってすごいじゃねーか
結局は義龍と反道三派が結びつくことになるんだが
早雲は平民の出じゃないし関東で中央の代理戦争やるぐらい人脈があった
松永久秀の経歴。
・信貴山城建造
・主家乗っ取り
・将軍暗殺
・大仏殿放火
・浅井朝倉討伐
・上杉上洛に呼応して謀反
・武田上洛に呼応して謀反
・爆死
見せ場ありすぎだろ。
多聞城建造も
武田も過大評価
最後は金欠で滅んだ
信玄は親父より有力豪族出身の母親に頭が上がらなかった
結局、勝頼の代で有力豪族に裏切られて滅ぶがな
こいつの武勇伝は斎藤家の親子二代に渡ってのエピソードが面白おかしく脚色されたものってホント?
まぁ、こいつに限らず映画ドラマで語られる戦国大名なんてフィクションだらけだけど。
というより最近になって手紙の発見により親子二代説が学界に浮上してきたのであって
国盗物語が書かれたときにはそんな説は無かった
伊達政宗とかホラ話っぽいのが多すぎるからなあ
信長も尾張だけで満足していたかも知れないし
家康がおいしい所を持っていくこともなかったかもしれない
織田信長の義父 →ぎふ→岐阜!!
じゃなかったか たしかお濃の方のお父さん?だったと
ぜんぜん違うだろw
昔から岐阜と呼ばれていた
織田信長が来る前は井ノ口じゃね?
>>111
それは城の名前だろ
信長や沢彦宗恩がつくったわけではなく、それ以前から僧侶の中では岐阜(陽)と呼ばれていた
http://chimei-allguide.com/21/000.html
信長や沢彦はそれを拝借しただけ