雷神と呼ばれた養父・道雪の跡を継いだ男
戦国の鳴り響く雷鳴の如き将軍・立花宗茂を語りましょう。
立花家、高橋家、妻の立花誾千代や九州一帯の諸説など、関係ある話題もおkです。
立花宗茂
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E5%AE%97%E8%8C%82
※2006年の議論です。
◆立花宗茂の輝かしい戦歴◆
石坂の戦い 立花高橋軍5千
対 秋月種実5千(統虎、堀江備前を倒す)
岩戸の戦い 立花道雪 千5百
対 秋月種実3千(威嚇を混ぜた奇襲で撃破)
立花城防衛戦 立花軍5百
対 秋月種実8千(薦野増時らに夜襲させ撃破)
立花城防衛戦2 立花軍 千5百
対 島津忠長5万(粘り勝ち撤退する敵に追撃)
高鳥居城攻略 立花毛利軍千7百
対 星野吉実3百(銃撃をうけるが下がらずに指揮)
平山城救援 立花高橋軍千2百
対 有動兼元3千(有動下総守を自ら討ち取る)
田中城攻略 小早川立花軍1万
対 和仁3兄弟千(和仁軍は2月持ちこたえた)
小田原城攻略 豊臣秀吉
対 北条氏直 (東の本多、西の立花)
漢城付近砦攻略 立花軍 3千
対 朝鮮軍6千(草刈で誘い出し伏兵で撃破)
碧蹄館の戦い 日本軍 4万
対 李如松率いる明軍+朝鮮軍4万?
(前哨戦で自軍のみで明の先陣を破り、本戦では先陣を譲って機を見て参戦)
晋州城攻略 日本軍 12万
対 キムチョンイル 7千、増援4万
(救援に来た4万の軍の先陣7千、2陣1万7千を毛利秀包と共に4千で撃破し援軍を退けた)
般丹の戦い 立花軍 8百
対 高策 2万2千(夜襲+火計を用いて撃破)
蔚山城救援 立花軍 千
対 明軍
(奇襲で5千を撃破した後捕虜を解放してわざと敵に夜襲させ伏兵で1万を撃破)
露梁海戦 島津立花
対 李舜臣(小西軍の救出に成功、舜臣死亡)
大津城攻略 毛利立花1万5千
対 京極高次2千(塹壕を築き早合による銃撃)
柳川開城(唯一の負け) 立花軍 4千
対 鍋島・黒田・加藤
(家康との停戦交渉中に鍋島軍襲撃、小野和泉に八の院で迎撃させる。清正の調停で開城)
大阪の役 徳川家康
対 豊臣秀頼(大野治房軍の秀忠本陣突入を予見)
島原の乱 松平信綱12万
対 天草四郎3万7千(兵糧攻めを支持、夜襲を察知)
>立花城防衛戦2 立花軍 千5百
対 島津忠長5万(粘り勝ち撤退する敵に追撃)
人となり温純寛厚。徳ありて驕らず。功ありて誇らず。人を用ふる己に由る。
善に従ふ流るるが如し。奸臣を遠ざけ、奢侈を禁じ、民に撫するに恩を以てし、士を励ますに、義を以てす。故に士、皆之が用たるを楽しめり。其兵を用ふるや、奇正天性に出づ、故に攻めれば必ず取り、戦へば必ず勝てり
訳
宗茂の人柄は穏やかで広い心で人に謙虚に接し、人徳があって驕ることが無い。
功があっても自慢することが無い。人を使うのも己の意に従い善にしたがうこと、あたかも自然の流れのようである。口先だけの人間を遠ざけ、奢侈を禁じ、民に対しては撫するように恩を与え、士卒を励ますには義をもってした。そのために士卒はみな、宗茂の役に立つことを楽しみにした。その用兵は奇襲といい正攻法といい、いずれも天性の妙を発揮した。ゆえに攻めれば必ず取り、戦えば必ず勝利を得たのである。
大名に復帰できたのは宗茂と丹羽長重だけだったんじゃ
旗本に救済採用された武将はわんさかいたようだが
大友の双璧である、高橋の息子でさらにもう片方の双璧の戸次の婿養子だもんな
まさに期待の新星だっただろうな
まあ皮肉にもそのおかげで孤軍奮闘し戦国史に残る華々しいデビューを飾れたたわけだが。
戸次鎮連は、道雪の死後南郡衆が動揺し島津に内通する者が多く、鎮連もその意図があるとして義統に鎧岳城を攻められ誅伐された。
って実際に裏切ってたのか疑わしいんだよなあ。時期的にも道雪が死んだ直後だし、以前諫言されたのを疎ましく思った義統が、道雪が死んで後ろ盾の無くなった鎮連に難癖つけて謀殺したって方がありそう。(あるいは紹忍あたりの讒言を真に受けたとか)
息子の統常が父の汚名を晴らすために戸次川の戦いで戦死したのも可哀想な話だ。
紹運と宗茂を秀吉の直参として推挙した(逆に秀吉から要請されたとも言われてる)
ためで、岩屋城の戦いの頃には名義的には豊臣の家臣になってたんだったっけか
関ヶ原に加わっていたら、結果わからんが
家康本陣めざしての決死の突撃が行われていただろう。
NHK大河ドラマになるか、ならないかのターニングポイントだけに・・実におしい!
関が原の他の武将がだらしないのが多かったから、余計立花がいたらって思うよ。
戦終わった後、大阪城行って「籠城すべし」と輝元に進言したが断られたそうだ。無念だったろうな。
>>25
考えたことなかったけど大河ドラマ面白いんじゃねーかな。
ギンチヨとか養子に出されたりとかドラマ性ありそうな気がする。
宗茂の能力置いといても普通に戦力にはなるわな
いや、朝鮮で小早川隆景勢と一緒の6番隊で親しくなってたし、あるいは調略で小早川勢に変事が起きたかもな。
>>27
隆景とは懇意だったらしいが、秀秋とは仲良かったのかな?
でも稀代の戦上手だし、真剣に家康の首狙っただろう。もしもはあるかもしれん。
京極の大津城攻めに回されたのは宇喜多と仲悪かったからってホントかな?
秀包の方とは仲がよくて肥後一揆から大津攻めまで一緒に戦ってたけど、秀秋とは蔚山に援軍に行く許可をもらいに行ったとき、「小勢だから負けたとしても支障がないだろう。」って言われったっていう話があったらしいから仲良くはないだろうな。
あと大津攻めにまわされたのは
宗茂だったからじゃなかったかな。
>>31
みたいな話もあるみたい
もともと西軍別働隊になった理由は不勉強でわからないけど
秀包とは義兄弟の仲でずっと一緒に戦ってたし、
そのへんの関係でなにか引き合いでもあったのかな?
かえって今放送できないという皮肉
なるほど。韓国人も怒るわな。
宗茂がだれだったかに貴殿の記録をって求められたとき、
人から聞いた私の評価が私の本当の姿ですからって言って断ったっていう逸話があったよね
たいしたもんだなぁって思ったもんだ
生活窮乏中で家臣が一生懸命に金策してるのにまるで気づかったみたいなエピソードを以前見た事があったような。
海音寺潮五郎の立花宗茂に米を粥にして出されたのに
分からず不快を示したみたいな話はあったな。
無駄遣いして遊んでるのまでは知らんが
日置流弓術の免許皆伝を受けたのがその頃らしいから
遊びまわってたわけではないだろう。
前領主の家臣を一切採用しなかったって聞いてるから
(親友・石田三成を捕らえて筑後を治めた田中吉政を嫌ってか)
潔癖症なのかなとも思う
昔の家臣を呼び戻したりしてたら新たに家臣を採用する余裕がなかっただけじゃない?
微妙に前より所領減ってるし
柳川再封のときは11万石ぐらい
全面復帰と見ていいんじゃないのかな?
三池のほうは弟の家に分配してないか?たしか
直次の家督だからね。分配分は本家に併せて計算してもいいと思うんだよ。
それは違うだろ
弟の家とはいえ独立した藩で柳川藩の支藩ってわけじゃないよ
これを信じると独立藩じゃないか?
風雲録 政治49 戦闘83 教養65 魅力73 野望56
覇王伝 政治57 戦闘92 智謀26 采配94 野望36
天翔記 政才136 戦才190 智才102 魅力89 野望35
将星録 政治62 戦闘95 智謀74
烈風伝 政治60 戦闘83 采配89 智謀69
嵐世記 政治54 采配82 智謀62 野望42
蒼天録 政治54 統率84 知略62 野心42
天下創 政治54 統率83 知略61 教養55
革新新 政治60 統率97 武勇94 知略68
肥後一揆・・・救援を求めれら参戦
小田原攻め・・・軍役は無かったのに参陣(陣見舞い?)
碧蹄館の戦い・・・隆景と共に野戦を主張
蔚山の戦い・・・自ら秀秋の許可を得て救出に赴いたとあるが真偽不明
露梁津海戦・・・皆が帰国しようとする中、すすんで行長の救出に赴く
庄内の乱・・・救援に行こうとするが、島津に固辞される。直次は参加
関ヶ原・・・4000人を率いて参加する。
大阪の役・・・秀忠の相談役として参加
島原の乱・・・老齢ながら参戦
戦があるところに積極的に参加する傾向があるようにみえるけど、
救出戦が多く、私戦をほとんどしないのが特徴か
言いえて妙。
東北の伊達さん忘れてないかい?
伊達さんが好き勝手やれてたのは九州征伐真っ最中の時期だし
もし秀吉の侵攻順が逆であったらどうなってたかは分からない
まあ宗茂が好き勝手したというよりは島津が好き勝手してたんだろうが
おそらく十河か長宗我部の関係者なのだろう>>76
もしくは・・・誰かいたっけ?
微妙にスレ違いスマソ
東北地方の人は関西嫌い
幕末当初は同じサイドだったのが、倒幕側にまわられて、
昨日の友の会津を痛めつけた。なので、西南戦争の時、
斉藤一ら会津関係者が勇躍して、薩摩を攻撃したのでは?
山口に対してはまだなんでしょ
流れ無視してスマンが
立花宗茂は大阪の陣で家康に付いてしまった(勝ち馬にのった)から
漏れ的にはイマイチな武将です
豊臣方で戦って活躍するがあと一歩のところで討死~真田信繁(幸村)のように~だったら完璧なネ申武将だったのに…
あ、宗茂ほどの武将なら家康を討ち取ってかもね
>家康に付いてしまった(勝ち馬にのった)から
勝ち馬にのったと書いてる時点で、君の知識レベルはよくわかる。
君は歴史を語るより、幸村の活躍する戦国ゲームをプレイするのが似合ってるよ。
誰のどこが魅力で好き嫌いがデルのは人それぞれだからねぇ。
前田、福島、藤堂、小早川、立花…とみんな勝ち馬のり組みだけど、それぞれ印象が
まったく印象が違うあたり、戦国武将好きの要因の一つですよ。
オレ的には、関ヶ原負け組みで唯一旧領復帰出来たあたりが宗茂魅力の一つだと
思っている。
回復じゃなくて、旧領復帰したのが立花だけって事。
旧領って書いてありましたね。
失礼しました。
幸村は判官ひいきの日本だから人気がある武将だと思う
かっこいい死にっぷりだとは思うけど生きていてなんぼでしょ
幸村が大阪城にいったのは豊臣方から誘われて、武将としての活躍の場を与えられたから。
彼が、豊臣家に忠節を誓ったのは、豊臣家から20万石以上の大名並みの兵力を任されその
恩に報いるためだ。そのことは彼自身がはっきりと語っている。
彼が九度山にいた頃は、家康についた兄から送金してもらって、生活していた。
また大阪に来ても、家康方の兄とは交流があり、このことからも彼が別にアンチ家康で
なかった事がわかる。それに豊臣方に義があったので大阪方になったというのなら、
不義の家康についた兄とは対立するか、少なくとも手を切らねばならない筈。
つまり、アンチ家康で秀吉恩顧に報いるために活躍したというのは江戸期の講談話。
幸村は九度山で朽ち果てようとしていのだが、大阪の陣という活躍の場が用意された為
死ぬ前に一度死に花をさかせようとして、張り切ったというわけだ。
幸村(信繁)は確かに、優れた武将だし俺も好きだが、立場の違う宗茂と比較する事自体
歴史を知らなすぎだ。
真田は10年以上謝罪してるのに許されなかったから
豊臣についただけだろw
冬の陣で活躍したから許してやるから徳川につけと今更ながら通達されただけ
幸村だけなんとなく不憫だな
高橋紹運の妹は大友吉統の妻
高橋紹運の娘は大友義乗の妻
>>111の関係もあるのかな
>>115
つ http://www.muneshige.com/index.html
明治どころか現在も続いております。
九州じゃ黒田と島津に次いで高位だった。
前田家の使者が得意げに「十万石でいかがでござろう」
宗茂「腰抜けの分際で、よくもさようなことをいうてきたものよ」
って仕官話を断ったの(前田嫌いなこともあって)よくおぼえている。
これって作り話だと思うけど・・・念のため詳しい人いる?
>>119
嫌悪感はあったかもしれないけど
こういう言い方はしない人だった!て思うけどね。
そういや、鍋島家に対してはどう思っていたのかな?
向こうには向こうの立場があるから・・・て恨んではいなかったらしいけど。
いや、想像だけど・・・
それを断って大名に返り咲くってカッッチョいいね
宗茂の同年代って小説家にはたまらないキャラばっかりだよね
立花宗茂、伊達政宗、真田信繁
>>120 それだけに唯一大河にならないのが寂しいねぇ
アンチがよく雑魚しか相手してないって言うが
宗茂の本当の良さは二人の親父をトレースした真っ直ぐな生き方なんだよね
戦国後期で、しかも僻地に生まれてしまったからしょうがないとも思うけど・・・
宗茂の血統の良さはいいよね
偉大な2人の父に劣らない将ってとこがまたそそる
宗茂の特に凄いところ
・父達の宿敵であった小早川隆景の指揮下で戦い信頼される。
・一族の立花統春を死に追いやった加藤清正を助け親友となる。
・旧主である大友家を改易に追いやったともいえる小西行長の窮地
に、他の大名が日本に帰還しようとする中救援に赴く、さらに宿敵
であった島津義弘と共闘する。
・関ヶ原の後も島津と協力して帰国し、友好関係となる。
・関ヶ原で西軍についたにも関わらず、秀忠、家光に外様では特に信頼された。
過去に因縁ある相手との和解能力が異常に高いよなこの人
たしかに戦の強さも魅力なんだがこういうまっすぐな性格が非常に好感がもてるんですよ
嫌味がないんだよね
世間知らずなところもなんかかわいくおもえるよ
誰からも好感持たれたんじゃないか?
武将としてよりそういうところのが尊敬できるよな
でもやっぱり宗茂の爽やかさには惹かれるねー
人生送ってて対比が面白いんだよな。
他の1567年生まれといえば小早川秀包と淀君(69年説もあるが)もか
秀包もさわやか武将だわね
でも本家のあおりをくらって改易になってしまい
気落ちして早世しちゃったけど・・・
その辺、改易中も家臣に貢がせてたw宗茂の豪快さ
を見習っても良かったかも。
戦友同士で、秀包の正室が大友宗麟の娘だから一番関わりが
深かった大名だったんだろうね。
個人的なイメージは
宗茂→武勇
信繁→蛮勇
政宗→知勇
どないだ?
信繁→武略
政宗→謀略
宗茂→爽快
信繁→痛快
政宗→不快(w
奇遇なことに
立花道雪と真田幸隆も1513年生まれの同い年で、
吉弘鑑理と伊達晴宗も同じ1519年生まれなんだよな。
父親世代がちょっとずれてるのが惜しい。
立花家4代目の鑑虎が宮城県の松島を模して松涛園
を造ったのは祖母であるその人のためらしい。
松涛園には、そういういわれがあったのか…知らんかった。
>>141
誾千代のために建てたのは良清寺だったかな
初代住職の応誉は蒲池家の人間でその子孫が
立花家の家老になって蒲池家を再興したそうな。
ちなみに松田聖子の祖先
いいキャラしてるわ宗茂
あと細川忠興もよかったいい喧嘩友達みたいで
あと十時摂津も他家に仕官したんじゃなかったっけ?十時も奥州棚倉時代にいたなぁ...訳がわからん。
十時摂津は宗茂の浪人中に誘われたけど断って最後まで宗茂に付き従ってたよ。
島原の乱にも80代の高齢で参加してたし。
由布雪下は確かに1612年に86歳で亡くなってたはずだけどね。
見つけたときにはびっくりした
正直よくこの人物を書いたなと
大河ドラマで宗茂みたいなー
さすがに宗茂だけでは無理だろうから
立花(大友)、島津、龍造寺あたりあわせて九州三国志的な感じならいいかも
なんとか朝鮮編も2~3話くらい使ってやって欲しい
配役は、なんとなくイケメンであって欲しいという願望もあるから
功名が辻の秀次を演じた成宮寛貴とか
道雪・紹雲・宗茂三大がいいんじゃないか>NHK大河
ってか成宮は秀次がはまり役だった
成宮はイケメンだけど、あの秀次の少し情けない感じが入ってるほうがハマるんかなw
高橋紹運の初陣である門司城攻めで、「この戦が終わったら結婚するんだ」という死亡フラグをたてておいて小早川隆景に散々な敗北を味わいながらもなんとか逃げ帰ると、なんと婚約者が天然痘で醜女になっていた!
それで相手方から婚約破棄の申し出を受けながらも、紹運は一度交わした約を違えず結婚し、二人の間に宗茂が生まれ、さらに多々良浜合戦で小早川隆景にリベンジを果たす。
というエピソードは外せないと思うんだ。
紹運と宗茂を主役でやって、道雪と誾千代を準主役にするのが良いと思うけどな
二階崩れの変、門司城合戦、多々良浜合戦、高橋家を継承、今山の戦い、耳川の戦い、道雪の死、岩屋城、九州征伐、肥後一揆、小田原攻め、碧蹄館の戦い、蔚山城救援、露梁津海戦、関ヶ原(大津城攻め)、改易、誾千代の死、大阪の役、柳川へ返り咲き、島原の乱、と盛りだくさんだ。
それなら道雪・宗茂の2世代記みたいにして
道雪が立花家を引き継いだところから島原の乱までやるとか
私の一生懸命の作品<(_ _)>
立花宗茂
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E5%AE%97%E8%8C%82
高橋紹運
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E7%B4%B9%E9%81%8B
立花道雪
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E9%81%93%E9%9B%AA#.E5.AE.B6.E8.87.A3.E5.9C.98
立花誾千代
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E8%AA%BE%E5%8D%83%E4%BB%A3
なんかさっぱりわからんけど、立花早擊女つーのは面白そうだなw
そもそも、なんで中国語?
名前みたら台湾の方ですか?
台湾のかたがなんでまた宗茂のようなマイナー武将に関心もたれたのか、知りたいな
素晴らしい
柳川古文書館の人やってくれないかな
だな
これの日本語版よみたい
立花宗茂 1567年 - 1643年 享年76歳
由布惟信 1527年 - 1612年 享年85歳
小野鎮幸 1546年 - 1609年 享年63歳
薦野増時 1543年 - 1623年 享年80歳
米多比鎮久 1550年 - 1633年 享年83歳
十時連貞 1556年 - 1644年 享年88歳
安東家忠 1515年 - 1599年 享年84歳
高野大膳 1540年 - 1621年 享年81歳
内田鎮家 1521年 - 1604年 享年83歳
原尻宮内 1541年 - 1622年 享年81歳
戦死者以外の主要な家臣はほとんど80台で
亡くなってるのか
当時としては皆長生きだったんだな。
>>181
毛利元就の家臣もけっこう長生きな人多かった気がするけど、それ以上かもね。
江戸幕府の将軍15人の平均が49~50歳だったような。
将軍職はなんだかんだで激務だから。
将軍様は単なる運動不足の肥満だお
逆に立花の奴らは朝のラジオ体操はかかせないタイプ
ちなみに道雪役は丹波さん合掌で原田がガチになってしまったな
高貴な人ほど授乳の際、鉛を摂取して結果早死に
好評の志木沢版読んだ。
確かに面白いね。千代とのやり取りや、忠興との親交、
清正ら武断派に対する評価など楽しめた。
ただ、八尋版が劣るとは思いたくないな。
二作の差は言ってみれば書き手の世代差だと思う。
ドラマ的な展開が多い志木沢版は現代の若手の読者に受けるのだろう。
八尋のも嫌いじゃないんだな俺
岩屋城での奥さんとの別れはちとうるっときた
けっこう好評らしいから楽しみ
「筑前戦国史」 「筑後戦国史」 「筑前立花城興亡史」 とかとか。
「べ、べつにアンタのことなんかなんとも思ってないんだからぁっ!
あくまでもお父上の言いつけに従っただけなんだからねっ!」
八尋のギン千代だっけ?
むかし宗茂がせっかくプレゼントしてくれたのに
目の前で「こんなのいらんわ」って投げ捨てちゃった反物を、
死期が迫ってから初めて着てみる話。これには萌えたね。
正直、某無双の電波女よりよっぽど萌えるしツンデレしてる。
志木沢版の方が人物が生き生きとしてる
文章が淡々としてるかんじ
八尋のはPHPぽくはなかったと思うが
志木沢も好きだがそれほど差はないと思う
次回作は宗茂を出して、コテコテのツンデレとまでは言わないけど
そういったシーンを見せて欲しいなとは思う
立花氏のネタではないが、弟統増の舅、筑紫広門についての話があった。
29日、佐賀の鳥栖市にある勝尾城(筑紫広門が最後の領主)についてのシンポジウムに行ってきた。
(福岡市天神で開催)
この城の意義は、島津氏に焼払われたにも関わらず、
城跡と周りの遺構が、そのまま残っていることだそうだ。
これは、福井の一乗谷に匹敵する規模だとのこと。
マイナーな城だけど、九州の縦の道と横の道が交わる交通の要所にあり、
興味深いことが今後出てくるかも。
立花、高橋とは戦ったり同盟したりと、因縁のある筑紫広門だが、
島井宗室との結びつきとか、マイナーだけどけっこう面白い人物なんだね。
知らんかった!
今度行こう
>>229
筑紫氏は、その名のまんま筑紫野市の原田を元々根拠地にしていたけど、
原田駅周辺を知っている人なら分かるけど、あそこじゃ守れんね。
だから、鳥栖の西の山間部がまだ「まし」と考えて、筑紫氏が移動したと、個人的には思っている。
シンポジウムは終わったけど、城跡周辺の見学は、鳥栖市がこの秋に行うそうです。
しかし、なぜか「城跡そのものには行きません」とのこと。まだ入れんのだろうか。
まあ詳細は、市のHPに載っているんじゃないでしょうか。
一般公開はしてないがあるらしいよ
父親の鎮種は中井貴一・真田広之か野村万斎・中村橋之助。
雷の化身道雪は武田鉄矢。
島津義弘は渡哲也か松方弘樹でどうですか?
>父親の鎮種は中井貴一・真田広之か野村万斎・中村橋之助。
こう言った後で
>雷の化身道雪は武田鉄矢。
これはない。緒形拳とかがいい。
ただ、福岡弁(柳川と福岡で結構違うけど)を流暢に話せるから武田鉄矢も捨てがたいのはある
武田鉄矢=阿蘇惟種とかどう?名物キャラ枠で。
宗茂と誾千代は大宰府、博多付近で育ってるから分からないけど
いや、俺はいいと思うよ。紹運とは少なくとも親子くらいの差があってほしいね。
道雪と吉弘鑑理は、大物がやってほしいよ。
津川だと曲者色が強すぎない?
例えば「 極端な話 」だが、小倉優子がやったら、ああもう凄まじいだろう。
雷神の子だからって電波を受けるとは限らんだろw
田中麗奈とかどうだろ
ツンデレっぽくはあると思うけどw
おお、筑後地方つながりね。
俺も筑後出身(統増の領地)で、田中麗奈のエピソードは聞いたことがあるけど、
ツンツンの方のキャラは素のようだよ。
松田聖子は誾千代の菩提寺である良清寺の住職だった蒲池応誉の子孫。
応誉の子孫は、代々良清寺の住職を出すと共に、蒲池の名跡を再興し、
立花家の家老格の家となってたらしいな。
オノヨーコも小野和泉の子孫だし、立花家の関係者は芸能人と関わりが深いな。
むしろ豊後と筑前のほうが、つながりが強いんだが…
ちなみに筑後では他に、陣内孝則 黒木瞳 田中健がいるが、元チェッカーズのメンバーも
役者ができるのがいるな。
>>261
田中健は、佐久間信盛を二度もやったので、不運な人のイメージが強くなってしまった。
彼がやるなら、個人的には、立花鑑載、秋月文種などを希望かな。
あと脇役として、秋月種実、筑紫広門の曲者コンビを誰がやるか。
彼らは、秀吉の侵攻時にもそんなに年寄りではなかったから、
老人でなく曲者色が出せる俳優っているかなあ。
それなら、曲者の陶晴賢をやった陣内がいるよ。
あと、あばたメークがちょっとかわいそうだが、母 宋雲は黒木瞳がいい。
田中麗奈の誾千代には俺も賛成
その他、肥前の熊は中尾彬、島津義弘は原田芳雄なんかどうよ?
お前は俺か
中尾熊は前から願っていた。
あの我儘な顔立ちこそ熊に相応しい。
島津義弘には真田広之を
道雪には渡辺謙をそれぞれ推したい。
中尾熊は適任だが、若い頃を避けては通れないだけに悩むなあ。
謙さんこそ紹運ではなかろうか。僧形だし。
原田芳雄、いいねえ。海千山千って感じがするね。
渡辺謙もいいねえ。
ただ、筑紫広門、高橋紹運、秋月種実って、岩屋城決戦時に30代くらいだから、
役者の年の差には瞑って、演じるしかないかな。
あと宗麟を演じるのが、けっこう難しい気がするな。
聡明で狂気を含んでいて、好色でいて信仰に厚いって
複雑なキャラクターですな。
以前、NHKの正月ドラマで大友宗麟があっていたけど、
あの松平健の宗麟は爽やか過ぎた。
宗茂の大河ドラマは俺も観てみたいな~。
だがしかし、現代人の視聴者にとっては大きな問題が・・・。
改名多すぎだろ・・・・・・。
碧蹄館の戦い・・・明軍との戦いで主力的な活躍をした。
蔚山の戦い・・・危機にあった加藤清正を寡兵で救出した。
露梁津の海戦・・・諸将が帰国しようとする中仇敵島津と共に小西行長の救援に赴く。
非常に英雄的なんだがなあ。
侵略戦争を美化しようとしているとか言い出す馬鹿が出そうだよな。
渡海した武将には、あっちで酷いことした者もいるけど、宗茂の場合そんな記録も見当たらないし。
山岡荘八の「伊達政宗」では、政宗が浅野長政親子を救援するシーンなど描かれてあったが、
童門冬ニの「立花宗茂」では、朝鮮の役自体が軽くスルーされていた。
今のチャングムNHKでのドラマ化なら、確実にスルーになるな。
大河の伊達政宗では、無益な戦のために大切な家臣を大勢失い、反秀吉色を強めたといった描き方してたな。もっとも政宗はあっちで華々しい活躍はしてないからあれでよかったんだろうけどねw
見落としてたけど
>>270
>蔚山の戦い・・・危機にあった加藤清正を寡兵で救出した
良質の史料には残念ながらそういう記録は無いよ。
まあ、確かに蔚山の戦いは宗茂厨の俺から見ても講談的だと思うけどね。
しかしあれがないと清正と宗茂の関係に納得できない面が出るんだよなあ。
清正が肥後に来てすぐに加藤家との諍いで一族の立花次郎兵衛が自害に追いやられてるから、加藤家と立花家は仲が悪かった筈なんだよなあ。
にも関わらず、宗茂は関ヶ原後に清正からの降伏勧告をすんなり受け入れて、清正も宗茂に過剰なほど懇意に接してるのが、どうにもわからん。
間に蔚山みたいな関係改善のエピソードがあると合点がいくんだが
大河は講談的なエピソードもけっこう取り入れるから、ドラマとして清正を助けるシーンは欲しいところ
蔚山の救援は"立齋舊聞記""河村哲夫版立花宗茂""志木澤郁版立花宗茂"以上三冊の本に記載する。
1598年5月4日から5日まで、宗茂は1000の兵を率いて、明軍梅柏5萬の兵を突破し、加藤清正を救援する。
この事件は一般人が知っている1597年12月~1598年1月の蔚山の戦いとは違い戦争である。
しかし1598年5月、五奉行と五大老は日本に返し、だからこの宗茂の救援行動は良質の史料はない。
宗茂が最大兵力を指揮したのは、関ヶ原の役でしょ。直次、広門の軍もあわせて指揮してる。
>>280
おお、何気に台湾ファンさんのレスが…
海外にもファンがいるとはうれしいな。
立花宗茂エピソード蔚山の戦い
1、
小早川秀秋に救援に行くことを申し出たら「小勢の立花軍なら失敗しても問題ないからイってよし」と言われる。
明軍を退けた後、清正から「貴殿こそ日本軍第一の勇将、この恩は終生忘れまいぞ」と賞賛されて友誼を結び、関ヶ原後に窮地を救われるきっかけとなる。
ま、確かに出来すぎた話なんだが、一番好きなエピソードなんだよなあ。
宗茂は多くの兵を率いた事って無いのね。
そんでもって
多勢は奇襲で撃破。
敵の奇襲は看破。
初陣から戦でのミスってのも聞いたこと無いな。
自軍のみで行動する時は千人くらいの少数
を率いることが多いように見えるね。
人物業書だと慶長の役での立花軍は
宗茂率いる「御馬廻衆」が824名
立花鎮久・立花成家率いる「一番隊」が477名
小野鎮幸率いる「二番隊」が592名
由布惟次率いる「三番隊」が367名
吉弘統幸・矢島重成率いる「四番隊」が347名
の合計が2607名って出てるね。
戦闘員としてはこれだけかな
あの当時の編成は諸兵科混合部隊。
小荷駄も普通に含まれているし、馬丁や槍持ちなどを戦闘員に数えるかどうかも問題だしな。
これまで出ている希望キャストと俺の妄想でまとめてみた
大河ドラマ「立花宗茂(仮)」キャスト
立花宗茂…須賀健太(少年期)→坂口憲二
立花道雪…緒形拳 高橋紹運…渡辺謙 立花直次…佐藤隆太
立花誾千代…夏帆(少女期)→田中麗奈 矢島八千子…長澤まさみ
由布惟信…高杉亘 小野鎮幸…陣内孝則 薦野増時…松尾貴史
大友宗麟…篠井英介 島津義弘…原田芳雄 秋月種実…原田泰造
筑紫広門…永瀬正敏 龍造寺隆信…六平直政 鍋島直茂…船越英一郎
小早川隆景…武田鉄矢 毛利秀包…伊藤英明
加藤清正…岸谷五朗 黒田孝高…大杉蓮 細川忠興…鶴見辰吾
豊臣秀吉…夏八木勲 石田三成…高嶋政伸
徳川家康…津川雅彦! 徳川秀忠…玉木宏 徳川家光…森山未來
同い年という事でドラマ的に特別ゲスト枠で…
真田信繁…真田広之 伊達政宗…小木茂光
ドラマ的にというか政宗とは結構交流あったんじゃないの
息子の代だと親戚になってるし
かなりいいな。
興味深い提案だ。
しかし、六平さんの扱いを一歩間違えてしまうと、
橋之助太閤記スレと同じく、
祭りになってしまいますからww
「あのおやじ、2回連続で敵に首切られちゃったよ」とか・・・
八千が宮沢りえとかだったら尚いい
>>291のキャスト表も合わせるとかなり見たくなってきた
誾千代との対比で温和そうな人がいいと思ってw
20代半ばくらいの人がいいのかな
じゃあそこで満を持して黒木瞳登場かな
あと天草四郎忘れてた
最後の戦いだから大物がいいんだろうけど
>黒木瞳は宋雲尼で、八千は宮沢りえ
いいなー、これ
とくに宗茂を20代で演じるなら大名復帰で終わるのが一番美しい。
志木沢も八尋もいいとこ取りがいいな、どちらも捨てがたいw
いまさっき、NHKで硫黄島の映画の紹介があっていたが、
渡辺謙、栗林中将キマッていた。
大河のダーク北条時頼も凄まじかったし、演じる幅がすごい。
ちなみに清正は阿部寛か宇梶で
・【正史】劉備伝の全文訳と解説をするで(袁紹と共闘~益州獲得)
・【正史】劉備伝の全文訳と解説をするで(定軍山の戦い~夷陵の戦い)
・太平洋戦争ってワンチャン「日本が勝つ可能性」あったんだよね
・結局太平洋戦争で日本が負けたきっかけってなんだったの?ミッドウェー?ガダルカナル?
・太平洋戦争「赤紙がきたら強制的に日本軍の最前線行き」←これ
・【皆でやろう】信長の野望、グラフィッククイズ!