太閤検地だと日本の総石高は1800万石。
米1石が一人が1年間で食べる量だから、
単純計算すれば1800万人ってことになるけど
みなが米食えたわけじゃないし、検地もあいまいなとこ多いし。
皆で語り合っていきましょう。
ニュース
んなこと言ったら歴史を考証する意義もなくなっちまう。
3>いいこといいますね。
いやいや、重大なことだと思うよ。
ただ、人口については、詳しく調べられ尽くしているのでは
ないのかな?
戦力についてもかなり調査が進んでいるものと思う。
日本と言う国と、当時世界に打って出た各国の人口・戦力も
あわせて考えれば、語り尽くすに足る内容になりうると思うが。
で、戦力って?
40万人~50万人。
鉄砲数は全ヨーロッパより多い。
軍事大国ですが。
当事の平均寿命が50~60で
戦闘適齢期の年齢が18~40くらいとすると、
18~40の人口は300万人
50/300で6人に一人は兵士か~。
それは多いのかな?
多いかも。
旧陸軍参謀本部による。
実際、農閑期に隣国へ攻め込むのと、
海外派兵(藁するのでは、数が変わるはずと思う
>>5 日本と言う国と、当時世界に打って出た各国の人口・戦力も
あわせて考えれば、語り尽くすに足る内容になりうると思うが。
戦国版のほうのとあるスレにレスつけるために調べたのですが、
1590年代のヨーロッパ主要国の総兵力は、
スペイン……20万人 ユトレヒト同盟(オランダ)……2万人
フランス……8万人 イギリス……3万人
人口はイギリスが400万人ぐらいだったと思いますが、正確な数値はわかりません。
>>6
確かに当時の日本の鉄砲の数は多いのですが、ヨーロッパは大砲がけた違いです。
以下も別スレに書いたことですが、
アルマダの海戦(1588年)のときの英西両国の軍備は、
スペイン イギリス
兵力 8050人(水兵) 15292人
約19000人(陸兵)
船 ガレオン艦20隻 ガレオン艦98隻
(内・大型6隻) (内・大型2隻)
武装ガレオン艦補助艦102隻 武装商船99隻
ガレアス艦4隻
ガレー船4隻
大砲 ペリエ砲326門 ペリエ砲 43門
キャノン砲163門 キャノン砲 55門
カルバリン砲635門 カルバリン砲1874門
大砲の射程距離は、ペリエ(短距離)・キャノン(中距離)・カルバリン(長距離)。
結果は長距離砲を多用したイギリスが勝ちました。
1隻あたりの大砲搭載数は船の型により違うので、詳しいことはわからないのですが、
だいたい少ないので5門、多いので40門前後のようです。ただし、搭載数が多いのは
船足が遅いそうです。
アルマダは、嵐に遭っただけと聞いたが。
スレチガイなのでsage
人口の方だけど、
日本の人口は、江戸時代を通じて、約3000万人とされますね。
安土桃山時代はその直前の時代だから、似たりよったりかと。
2000万~2500万程度かな?
中国でも、1660年あたりの人口が1億人を切る程度、と考えられて
いるわけだから、日本の国力はかなり大きなものだったといってよいのでは。
>>1 のように、石高のみでの類推もイイ線いってるよね。
へたすりゃほとんどドンぴしゃだし。
国力を石高で表わしていたというのも、当時としては
かなりセンスのよい考え方だったと思えるね。
軍事力としても、安土桃山時代というの日本は、世界最先端と
考えてよい、とするのが定説かとおもいますが、海軍力、
銃火器、兵士数といったものを、当時の一流国と
比べなければなりませんね。
当時の先進国ってどことどこだろう?
中国は誰も異存はないと思うけど。
西ヨーロッパ、中東、小アジアあたり?
明は6000万以上だから、それほど差は無い。(約三倍)
経済力の観点から見ると、商業の発達や、
世界有数の鉱山国だったのだから、かなり裕福だろう。
当時最強はオスマンなどかな、
西欧全部=オスマンぐらいじゃないかな。
人口および兵士数はいつの時代でもアジア諸国が圧倒的です。
米と麦の差は大きいね。一応ヨーロッパも人口が増加している時期では
ありますが、1千万人前後いそうなのはスペイン・フランスぐらいでしょう。
その分、日本の一人当たりの面積って……とはしみじみ考えてしまいますが。
ただ海軍力と大砲の差は大きい。日本の地形の都合上、大砲の効率があまり良くなく
発展しなかったのでしょうが、海戦では銃撃戦に入る前に大砲で撃沈されてしまいます。
数千メートル飛ぶ大砲もでてきています。
武器の発達は地形条件を諸に受けるからな~
日本の国土条件では、
騎馬隊、大砲、カタパルトなどの大型機械、
これらは、どれも使えない何処で戦争するかによるな。
瀬戸内の海賊の戦闘は、小型のボート(こはや?)で接近し乗り込むか、(かなり速いらしい)
火矢や焙烙で火攻めだから、外洋での海戦には向かないね。
小島の多い瀬戸内なら、勝てるだろうけど。
日本なら日本勝利、
外国なら外国勝利か、なんか詰らんな。
作戦・補給のミスでしょう。人事も問題ありだね。
野戦を白兵戦と表記しました。
だが、均衡が崩れての追撃戦も白兵戦ではないのですか?
それで海戦に負けたとか。
どっちにしろ鉄砲何かでは、日本の船も沈みません。
日本の戦術は、乗り込んで白兵戦か(勿論飛び道具OK)
火攻めだったので、この二つを無効に出来る船の可能性が高いですね。
それに正規の討伐隊は、殆ど負けてないかと。
李舜臣は補給船などを狙って、艦隊戦をしていました。
艦隊戦専用の艦隊からは、逃げていました。(この当りが名将だと思います)
最小の被害で、最大の被害を出した名将ですね。
日本の海軍が一方的に遣られていたと言うのは、言い過ぎですね。
慶長の役の時は、重要な補給線を奪えませんでしたし、
最終的には、李舜臣も討ち取っていますから。
李舜臣って戦後も生き残ってなかったっけ?
別に朝鮮が海軍国っていうイメージは全くないし。
当時の日本は、当時の西欧諸国には劣るにしろ、
多少は東南アジアとかに貿易船を出したりして、航海技術の水準は
そこまで悪くなかったと思うんだが。
>>49
あの当時は子供十人は軽く産んでました。
勿論幼児死亡率も高かったですが、人口は軽く増えます。
高齢者のの人口が少なく、子供の人口比率がかなり高かったでしょうから、
成長期以外大人よりも少ない、カロリーで済みますから、
石高以上に人口が居る可能性のほうが、高いと推測できます。
>>48
日本にも大筒は有りました。
大友氏等が保有していました。
ただ費用対効果を見る限り、小銃の方があの当時は有効でした。
それと日本軍は陸戦では、殆ど負けてません。
優秀な小銃の御蔭です。
オスマン帝国の大砲開発は15世紀半ばに始まるから、日本より100年は進んでいたでしょう。
17世紀末ごろまでは陸戦では無敵で、西欧諸国はまったく歯が立ちませんでした。
日本でもまったく歯が立たなかったでしょう。
制海権は日本側が概ね握っていたのだろう
>>52
そりゃ、そうでしょう。
慶長の役では李舜臣が位階戦功を剥奪されてて、その間
王朝水軍は一時壊滅状態になってたしね。
日本軍が撤退できたりも、ノリヤン海戦で大惨害を
受けながらもかろうじて、小西等が撤退できたに
すぎないんだしね。
李舜臣を倒したのもマグレに近いです(でも、彼も先頭の船のてっぺんで太鼓を叩いてれば狙撃されると思うんだけど)
俺は>>25だがら,
オスマン最強だと思うが、
費用対効果を考えると、あの当時はそれ程有効とは思えないが、
大砲一門作る費用で、何丁鉄砲が作れることやら。
そう言えば、大砲が炸裂式に成ったのは何年なのかな?
(当時の日本や明は、まだ炸裂式では無かった)
私がオスマンを押したのは、軍事力より経済力であり、国力なんだ、
レパントの海戦に破れても、それを回復できる国力はすさまじい。
第二次大戦のアメリカみたいなもんだ。
経済力>軍事力
日本の経済力は、どれほどの物なのか?
>>55
1514年にセリム率いるオスマン軍が、チャルディランの戦いでイスマーイール率いるサファビー朝の不敗の騎馬軍団を破り、三大陸にまたがる大帝国への道を開きました。数万のサファビー軍が騎馬軍団だったのに対し、12万ともいわれるオスマン軍は騎馬隊のほかに小銃隊・砲兵隊からなっていて、集中砲火を浴びせたといいます。長篠の戦いより60年も前のことです。
(小銃・大砲の正確な数は知りませんが)
>経済力・国力
もちろん経済力があって、常備軍を整備できたからこそ最強になれたんでしょうね。
西欧の兵がイェニチェリの太鼓の音を聞いただけで恐怖感を覚えたということですが。
>>57
信長の長篠でやったのは、三段撃ちではなくトーチカ戦術に近い戦術だったもよう。
戦国最大の鉄砲大名(?)は鈴木かな。
一人一丁分は所持し、射撃は鉄砲の方を何人かで弾込めし連続射撃したもよう。
この上記の二つは学説に過ぎないので、間違いの可能性があります。
大砲の費用対効果は分からないが、どちらも十分有効だったと見るべきかな。
どちらの場合も兵数にかなりの差が有るので、断言は出来ないが。
おそらく日本で大砲が受け入れられなかったのは、地勢条件が大きいでしょうね。
日本野山がちな土地では、大砲の運用が出来なかったのでしょう、
それと後は、鉄の使用量だと100倍は掛るのではないかな。
鉄の産出量はかなりあるから問題は無いが。
まだ新兵器に過ぎなかったのを、
どちらの国も大量運用し近隣諸国を圧倒したと見るべきかな。
日本の国力は中々有るようだ。
前出だが鉱山大国だからね。
石見銀山のみで、銀の産出量を最盛期には、全世界の3割も占めていたらしい。
それ以外の鉱山も多くあるので、恐ろしい財力だろう。
もう少し貨幣経済が、近隣諸国で流通していれば、為替相場で破滅させられる。
アヘン戦争みたいだな。
戦国時代末期から関が原にかけての日本は世界最強。
徳川幕府が鎖国をしなければ、今ごろオーストラリアとアメリカ大陸は日本の領土。
秀吉でなく信長だったら、常識的に考えてごく短期間のうちに
朝鮮・明をほろぼしてヨーロッパまで制圧していただろう。
と某有名な歴史学者(大学教授9)が司馬遼太郎との対談で
言ったとゆう話をこの間、本で読みました。