中国のポータルサイト・百度に20日、「日本の明治維新は大成功したのに、中国の戊戌の政変はどうして失敗したのか」とする記事が掲載された。
記事は、150年あまり前に明治維新の運動によって近代日本が誕生し、東アジア地域で初めて近代化に成功し、世界の列強の一角を担うまでに成長したと紹介し、明治維新が成功した理由を3つ挙げて説明している。
まず、日本が国民の間でコンセンサスを取りやすい国であることとし、「和」の文化を持つ日本人は集団意識が強く、西南戦争などのちょっとした争いはあったものの、近代化の流れ自体は影響を受けることなく着実に改革、発展が進んでいったと伝えた。
次に、日本の門戸を開いた米国はそれから10年足らずのうちに南北戦争が勃発し、日本に構っていられなくなったほか、極東の大国ロシアも19世紀後半は戦争が続く状態であり、国際的な情勢が日本に腰を据えて改革する上で有利に働いたとした。
さらに、日本が全面的に近代化を受け入れたことにも言及。黒船来航当初は「尊王攘夷」を掲げていたものの、欧米列強の強さを目の当たりにすると直ちに方針を転換し、明治政府樹立後は多くの人物を欧州への視察に派遣して最先端の知識を学び、国家制度でも欧州の体制に倣ったと論じた。
その上で、同じく19世紀後半に清国で近代化の波を起こしながらも失敗に終わった戊戌の政変について「そもそも日本の明治維新のような条件を備えていなかった」と指摘。腐敗した清朝政権の中で多くの人物が目先の利益ばかりを見ており、先を見据えた目標が立てられる状況になかったほか、国際的な情勢も不利に働き、改革が手遅れとなって欧米列強に蹂躙されたとしている。
記事は最後に、戊戌の政変が当時西太后に実権を握られていた光緒帝が進めようとしたものであることに触れ「結局のところ単なるドタバタ劇だった。実権のない皇帝が進められるはずもなかったのだ」と評した。(編集担当:今関忠馬)
ニュース
目先の利益しか見ないのは清朝政権だからじゃなくて中国人だからだろうが
まぁよく言えば生き馬の目を抜くのに長けた民族とも言える
とにかくたくましいよな
日本人はそういう点でおとなしすぎる
>>175
それは、個人の幸せを追求する上ではいいだろうが、安定した社会を作る上では悪徳になると思うんだがね。
分配するものがない時代なら分からないでもないが、発展の為の発展に意味があるのか?
と、思うよ。
ヤバいと思ったら一丸となるアレってなんなんだろう
多数の人の利害が一致する対天災での協力が多いから
ってのを挙げてみる
まあそれだろうなあ。
支配層から庶民まで容赦なく被害を被るからなあ。
唯一、天災ではあるが冷害に対する対応だけはダメだったか。
いや、藩主によっては対応できたが。
ダメダメだったのは南部藩だけだったのかなあ。
なんやかんや災害が多いからじゃね
例外は津波てんでんこくらいで有事に協力し合わないと死ぬ土地だからなあ日本は
てんでんこだって、「勝手に」じゃなくて「あの人は大丈夫と信じる」から自分の事に注力出来る
ってことで、「相手に気を掛けさせない」という有事協力体制だと思うぞ。
津波てんでんこ自身が他人を思いやる発想だからな
>>29
てんでんこは共倒れを防ぐための策でもあるから
最初に助け合うのが当たり前になっている前提がある。他の国にてんでんこは理解できないと思う。普通でしょ?って誤解する
西太后で思い出したが、映画とかの残虐行為については作り話だったりする。
イギリスのジャーナリストが清国の国政介入を正当化するための世論形成に書いたんだったか
>>9
いい加減
司馬史観から離れてほしいわ
竜馬はただのメッセンジャー・ボーイ
それよく言う奴いるし俺も坂本龍馬は評価されすぎだと思ってるくちだが
通信の技術が乏しい時代にメッセンジャーて結構重要じゃねえの
そこらの馬の骨にゃやらせねえよ?
王朝が倒れることは中国人にとって「いつものこと」に過ぎず、たいして緊張感を持たなかったからだろう。
万世一系を建前にしている日本人が「このままだと国がヤバイ」と感じるときの危機感と同じものは持てないと思われる。
根本原因はこれだよね
支配者と平民が別民族で一体感がない
おれも、てっきり文化大革命・改革開放あたりの話かと思った。
中国共産党が自ら解体しないと国は変わらんぞ
わりとコレじゃないかと
支配階級は同時に被支配者層の保護義務を負う
じゃあ保護できないほどの脅威が外からやってきたら?
って結果じゃないかと
まあ、保護義務をまともにこなそうとした生真面目な連中が改革派中枢にいたのもあるが
下を養分収奪装置くらいにしか考えない支配者層じゃできない芸当よね
オレ的には
武士という高いモラルを持った知識階級がいたことが
維新の原動力だろうな
>>49
当時は西欧化の怒涛が極東の諸国家に押し寄せ
国家は動乱状態にあった
そんな中殆どの国では人々は目先の利に奔ったが
日本では人士それぞれの立場は違っても憂国の情に燃えた
江戸時代における庶民の教育レベルの高さを見落としている。
全くだ。明治政府は自分らを正当化するために江戸時代を過小評価したのだろうが、本当にひどかったなら明治維新はできなかっただろうにね。
日本は天皇というシステムがあったからだろ
一応武士と名前が付けば特権階級なわけだが、義務ばかりが重く禄は少ない。
明治維新後そういう連中が権力を握ったが諸外国と比較しても廉直な官吏になった。
乃木は色々言われたが、息子を二人共戦争で失っている。一人目を失ったあと
二人目は死なないところに配置転換できたろうにやってない。そういう倫理観は武士階級のものだろう。
西欧の騎士と日本の武士の類似性はよく言われることだが、中国の士大夫といい朝鮮の両班といい
騎士や武士に通ずる倫理観はない。
なぜ東亜の諸国の中で日本にのみそういう階級が誕生したかが問題なんだろうな。
>>62 >>68
コレだな。
無血開城クーデター とも言われるが
「朝廷に 政を お還しする」という大義名分を幕府も薩長も町民も 心からは信じてはいないが
そうやって飢饉や疫病 そして外国からの圧力も乗り切ろうという機運が芽生えた。
鎖国期間が長く 幕末には社会が不安定になり、それへのストレスもあったろう。
下級武士が要職に就くと 一種の「階級闘争」みたいになり、フランス革命みたいな階級の破壊が進み 近代化を後押ししたことは間違いない。
政治が末期になり行き詰まると、身分の高い者は火中の栗を拾うことを嫌がり、身分は低くても有能で意欲ある者が登用されるムードにもなったし。
薩長土肥だけでなく、岩倉具視も勝海舟も どちらかというと身分低め。
彼らは 洋服や洋食など新しい物を取り入れることにも躊躇なく貪欲になるし。
中国でいう洋務運動 みたいなもの。
乃木は軍人としてはアレだけど、人間としては立派だからな。
軍人としては立派だけど、人間としてはアレだった東郷平八郎みたいに
老害では無かった。
(´・ω・`)
おいおい 乃木は軍人としても名将だぞ?
占領する意義自体が疑問視されてる二百三高地の件が無能扱いの理由だろうね
二百三高地の占領は乃木の意思ではないぞ?
少なくとも敵将クロパトキンが評価するくらいは有能だな。
ロシア軍港砲撃の喉元みたいな場所じゃなかったかな?
砲撃観測所な
まあそれもそう
少なくとも次の政治体制に移行するだけの下地は用意されてた
皮肉な話だがそれは江戸幕府が用意してたんだけど
清の時代は満州族に漢人、朝鮮人が支配されていた。
日本人とは国家感が全然違う。
コレもデカい。
国内政治を 維新する というより
「漢民族が 異民族から政権を取り戻す」方を優先し、イギリスの協力を得た勢力もあった。
>>1
> さらに、日本が全面的に近代化を受け入れたことにも言及。
明治維新で突然転換したんじゃなくて、それよりもずっと前から、新しい外のものを取り込んできたから。
変わる下地はできていたんだと思うけど。
アヘン戦争の事もイギリスの事も知っていた。
松平定信はオランダ商館にナポレオンに関する情報を提供するよう要求してた
単に科学技術取り入れだけでなく、システムと人材をそっくりそのまま欧米からもってきて、アジアに小さなヨーロッパ(国まるごと租界みたいな感じ)を作った。
海外留学者や御雇い外国人が回してる間は良かったけど、帝大や士官学校出身者が幅を利かせるようになると途端に破綻。
>>113の言っていることはある程度正しい。欧風化政策は鹿鳴館時代と呼ばれ、極端に走った。
一方、反動も大きかった。明治20年代以降は日本が見直されるようになり、日欧の混交が意識されるようになった。
日本の近代化が成功、他のアジア国家が近代化に失敗したのは、1つには極端な欧風化=日本の覚悟だ。
2つ目は、(初等)教育の啓蒙・普及だ。藩校や寺子屋のインフラを使い、近代的国民意識を持った国民を育成したこと。
これは慧眼だ。江戸時代は階層社会だったが、明治になって四民平等を謳い、そのもとで初等教育をあまねく普及させた。
日清戦争時には近代的国民意識を持った若者が国中に充満。立派な近代的国民国家となっていた。