その周辺で起きた海戦を語り合おうぜ
8/ 9 第1次ソロモン海戦
8/24 第2次ソロモン海戦
10/11 サボ島沖海戦
10/26 南太平洋海戦
11/13 第3次ソロモン海戦
11/30 ルンガ沖海戦
1943 (昭和18)
2/1ガダルカナル島撤退(ケ号作戦)
2/7撤退完了
あの時もし大和がいたらとかのifとかもお願いします。
史実については検索したほうが早いし正確
大和が突入のIFについてはいろいろあるが。
「金剛級戦艦でもガダルに突っ込んでそれなりに飛行場砲撃できたんだから大和ならそれ以上の戦果があった」
「大和なら夜戦でも米軍戦艦のレーダー射撃に耐え抜き勝利できた」
の二つがだいたい基本
>>13
ま、連合艦隊の大事なオモチャ(あるいは貧乏人の晴着)を
簡単に使う訳も無く・・・・
燃料も不足だし・・・・・・
金剛級の飛行場砲撃もなんのかんの言って翌朝には復旧してるし・・・・・
比叡みたいに舵損傷でなぶり殺しってリスクも無いわけでもないし・・・・・・
やーっぱ止め止め。大事な艦隊決戦のために取って置こう。
ミッドウェイは機動部隊を誘い出して撃滅するか、ハワイという根拠地へ圧力をかけあわよくば侵攻するためのステップ
空母がミッドウェイで大敗して稼動数がぐっと落ちたから、その代わりの陸上基地を確保できる場所を取り、それで制空権をとって米豪間を分断することにした
もしミッドウェイで勝っていれば直接講和を狙ってハワイ方面に全力を注いだはず
当時は米最新鋭戦艦にガチンコで勝てそうなのは大和だけだから
仮にその気があってもガダルを一日かそこら黙らせるのと引き換えに危険には晒せない罠
>仮にその気があってもガダルを一日かそこら黙らせるのと引き換えに
ガ島砲撃をした日本軍は、まさか「一日しか黙っていない」とは夢にも思って
いなかった。だ か ら 翌15日に日本軍の輸送隊がタファサロングに揚陸を
はじめたのだから。
敗因ではあるが・・
戦略的価値が全くなく占領されてもすぐ取り戻せる島だから、
米艦隊をおびき出すのが目的だろうとか書かれてるけど
ガダルカナルの戦略的価値はどうだったの?
ミッドウェイ敗戦後で米豪遮断絶望的だったあとでは?
>>18
ミッドウェー敗戦後だからこその米豪遮断でしょう。
空母4隻を失ったとは言え、ガ島に基地航空隊を置く。
正規空母はまだ2隻ある。
まだ練度上の優越は残されている。
十分に制空権・制海権を確保し得る。
これに、まだ米軍の本格的反攻は先というような楽観的な観測が重なって…。
広がった戦域の中で、かなり絶望的になってきた海上輸送能力を鑑みるに、
到底、フィジーなり、エスピリッツサントへの侵攻は不可。
ガ島に飛行場建設してって発想になったんでしょうなあ。
MO作戦は米豪遮断ではなく、南方作戦で確保した資源地帯を安全地帯化するため
結局中途半端に終わった上通商破壊作戦に従事した米潜水艦の大暴れでその目論見は頓挫したが・・・
あのときミッドウェイくらいの戦力投入すれば余裕だったでしょうに
米艦隊の撃滅できただろうし。
敵主力艦隊撃滅を第一に考えていた山本以下連合艦隊の意向と
「東南アジアを取り固めて持久体制を整える」という大本営方針の、おおまかにわけた二つがあったことを知らないと
米豪遮断はとりあえず上の両者が一応成功を見たあと本格化したもの
ただし日本側も圧倒的優位だった空母戦力を失ったせいで戦略が硬直化したために・・・
ハワイ占領?西海岸占領?
早期講和という目的はあったが
その実現方法は?
その明確な目標、および、実現方法なきままに開戦したがゆえに、
無条件降伏まで戦うしかなかったわけだよ。
オーストラリア脱落
米艦隊壊滅→日本インドネシア、満州、中国から撤退して講和
>インド脱落→英降伏
ジンギスカン作戦がよっぽど巧く逝けば・・・・な。
そもそも、植民地失ったら降伏ってのも謎だな
>日本インドネシア、満州、中国から撤退して講和
これが出来ればそもそも太平洋戦争は始まってない。
少しの戦力でインドは自由になったと
でもその機を逃せば何十個師団でも不可能だと
アメリカ国民を仲間にしないと勝てません
それを言うなら、帝国海軍が誇る中攻隊の戦果だってかなりアレじゃんか。
ができたという 源田の意見があったかな。そういう意味で攻撃は
最大の防御という精神が彼にはあったと見ることができる。
奴らがやったのは対艦攻撃用の急降下と雷撃ですから。
アメリカの侵攻は何時、どこからになったんだろう?
先にブーゲンビルを日本が整備してたら、いきなりはこないかな・・・
どっちみちソロモンが戦場になることは確実。
日本が堅実にラエ、サラモアから強化していく漸進策をとっていたなら、
モレスビーにテコ入れして、スタンレーを挟んでの航空戦が一番可能性高し。
その後遅かれ早かれどちらかがガ島に目をつけただろう。
米軍反攻カートホイールのうち、一方がダメになる。
そうすれば確実にマーシャル・マリアナ方面に来攻することになり、戦力の集中が容易になる。
加えて南方に配備されていた戦力の大半が不要になる。
また内南洋は日本の懐であり、日本の基地はあっても米軍の基地はない。
戦術・戦略レベルでもこれだけのことがいえる。
政治レベルだとオーストラリア脱落は相応に大きな得点になる。
まさか分捕られるとは思わなかったのかな?
軍令部では米軍の反功は18年からと決めていたのだ。
そしてそれは間違いではなかった。
米軍の「本格」反攻は確かに18年からだったのだ。
所謂「攻勢限界を超えてしまった」ってヤツ?
自滅だね。ラバウルから1000kmも離れて航空支援も限られてるし、
投入できる陸上兵力もなかった。
放棄すべきだった。
>>63 ちょっと考察してみたんだが、第2段階作戦がうまくいってたら
7/半ばから末にかけて、フィジーサモア攻略によって、ガダルカナル島は
前線より後方中継基地的な役割の方に重点が置かれるようになると
思われ・・
しかし、ミッドウェイ作戦で失敗した後も、このような作戦計画を
推し進めた山本提督の姿勢はかなり問題があるな。つか極めて
官僚的というべきか。
>>64
軍令部の判断はフィジーサモア攻略の戦力である空母が4隻と艦載機の損失により、
フィジーサモア攻略のための基地としてガダルに飛行場の建設を目論んだと思うよ。
山本提督に関しては評価しがたいというか、ミステリアスな人だね。
エエカッコしぃな面もあるのかもしれない。
オイラ的には海軍省で軍政をやったほうがよかったように思う。
因みにFS作戦は軍令部主導では?
>>67 FS作戦
あれそうだっけか、黒島亀人が案を練り、山本の後押しもあった
とオモッテタが。
まぁラバウルでさえ、ポートモレスビーからの爆撃圏内だから、
致し方ないと思いますが・・。
>>68
黒島はインド洋のセイロン攻略を立案した(山本は支持)で陸軍が拒否。
で、ミッドウェイ攻略が宇垣案。これは山本の意を汲んだと思われる。
そして軍令部はミッドウェイ攻略に反対して三代中佐がFS作戦を出してきた。
すると山本は辞職をちらつかせて、MI作戦後にFS作戦実施で合意。という経緯だったはずだよ。
海軍はガダルよりポートモレスビーに関心が強かった。ポートモレスビーからの攻撃が強化されていたから。
それでMO作戦が実施され失敗、のちSN作戦で第17軍(南海支隊)がポートモレスビーを攻略することになった。
ところがガダルに米軍が上陸したので、2正面作戦になってしまった。
っと思ってましたが、氷解しました。
しかし山本の発言力はミッドウェイ作戦の後は低下しているように
感じますな。
MI作戦には軍令部はじめほとんどが反対していた(まさか失敗するとは思ってなかったが)からね。
もう軍令部にたいしては山本マジックは効かなくなったが、ヘンダーソンへの艦砲射撃は彼が主導だった。
ただ彼は決戦主義者なのになぜかソロモンでは決戦しようとしなかった・・・
そのへんがミステリアス・・・
南太平洋海戦なんてどうみたって決戦だが。
戦略的意味からは「決戦」、戦闘規模からすれば「局地決戦」とでも言うべきかもしれない。
なるほど、海軍にとっては決戦と言ってもいいね。
オイラが思ったのは折角、米軍艦隊を後退させたのだから、
今度こそ白昼に戦艦による地上砲撃が実施できる可能性があったのでは?と思ったから。
これは陸軍に対する協力なので、海軍としては意識しないかもしれない。
ニューギニアからの米軍侵攻が早くなる?
日本は消耗戦に巻き込まれず、少しはまともな迎撃が可能になる?
日本軍の最前線はブインになるだろう。米軍到来までどれくらい陣地化できるかが鍵だね。
第二師団が無傷で、ラバウルの航空機、トラックの艦艇から支援があれば、
名勝負になると思う。
―全軍ニ激励―
―帝國海軍ノ伝統タル夜戦ニ於イテ必勝ヲ期シ突入セントス
各自冷静沈着克クソノ全力ヲ尽クスベシ―
この時に輸送船団も叩いておけば、少しは変わった…かな?
問題は作戦の骨子が不明であることだね。
一航過のみの攻撃と船団攻撃は矛盾する。
船団に護衛がついていれば、一航過では船団攻撃は無理だ。
上陸した海兵隊1万7000人は海戦での敗北の様子を知って
海岸線に防御陣地構築し始め内陸部への進行できずにいたし。
重砲はなかったし
いつ日本軍が逆上陸してくるのか不安だったようですね。
隊列を整えて離脱する時間を考えれば輸送船団攻撃の道はほとんどなかったのだが。
翌日の空襲が実は心配無用だったなんて知る由もないからね。
翌日の空襲を鑑みずに再集結して米輸送船団を攻撃してた
としてもどの程度の効果が期待できたな。
既にあらかた上陸済みで空の輸送船を沈めるだけではないか?
少なくとも3分の1以上の荷が未揚だった。
加えて30隻以上の輸送船を失えば、この方面の船舶事情は一時的とはいえ逼迫する。
もっとも大事な、上陸直後の補給が滞ることを意味するわけだ。
この段階での1日の遅れは優に1週間の戦局に影を落とす。
おそらく米航空隊の展開は1~2週間遅れ、その間日本の空襲によって完全には補給ができない。
そうだな、川口支隊が万全の体勢で上陸し、海兵隊は戦力の80%発揮、くらいの影響がでると思う。
最終的にはガ島戦の決着が1~2ヶ月遅れるとこまでいくんじゃないか?
ハナっから一航過のみの殴り込み作戦だったようだし
護衛戦力を叩いておけば後はラバウルからの航空攻撃で
何とかなると考えたのかも知れないですね…。
八艦隊の兵力(甲巡1、中巡4、乙巡2、駆1)だと
あれが精一杯だったという事かも知れませんね。
それと覚悟の問題だね。
艦隊の全滅を賭してでも敵船団を撃滅するのかどうか。
マレー上陸の時は小沢提督は艦隊を例え全滅させてでも、
上陸部隊の護衛を保証したので、陸軍に大変感謝された。
小沢提督は海軍の役割をよく理解していたと言えるね。
後詰がまだ到着してない1次ソロモンの段階で第8艦隊が全滅してしまったら、
南方方面に一時的にせよ巨大な戦力の空白が生じてしまうと思いますが?
連合軍は重巡が壊滅してもまだ戦艦も空母もあったわけで。
いや、別に攻撃すべきだったと言っている訳ではなく、
作戦立案時の判断の問題だよ。
一航過と決めてしまったならば船団攻撃などとスケベ根性をださず立ちさるのが良いのか、
作戦に余裕を持たせて、護衛を壊滅させた場合は追撃するのかどうか?
想定に抜けが多いね。もっともミッドウェイでもそうだったが・・・
>>84
確かにそうですね。MI作戦でボロカスにやられた後では
余計に艦艇を喪失する事に過敏になっていたとしても不思議ではないですし、
三川提督(この場合は神主席参謀?)に馬来作戦時の
小沢提督の様な覚悟を求めるのは酷だったかも知れませんね。
この時の八艦隊は各艦のスクリュー整合を行っていない(その暇も無かった?)
寄せ集め部隊だったと聞いたんで、それ等を考えるとよくやったと言えるのかな?
それを考えるとむしろ出撃はしないほうが良かったと思うよ。
わざわざ出撃して船団攻撃はしないとうならね。
米軍がガ島侵攻のために増強した海軍兵力により、戦力バランスが大きく連合軍側に傾いていたのを
一気に五分の状況まで持ち直し、連合艦隊本隊の増援到着までの貴重な時間を稼いだ中継ぎ役と評せるかと。
結果論としてはね。
ただ作戦としては?だね。
目的もなく、とにかく出動したという感じを拭えない。
>>90
そうですねぇ…何となく
「ガ島に出入りやと!?」「なめとったらアカンど!アメ公!!」
「とりあえず今おるモンだけで追い込みかけるど!」
で、殴り込みみたいな感じですしねw
(駄目だ酔いが回ってきた…)
もう少し作戦に気を配っておけばチャンスはあったかもね。
輸送船団には護衛がついているという想定も。
だって100%その通りだし。
細かい打ち合わせなんてする時間なかったのが真相で、さらに兵力も寄せ集めで、
だから作戦案もシンプルな一航過だったの。
シンプルイズベストを地で行かざるを得なかったのね。
そのとうりなんだが早川艦長には説明していないようだし、
うっかり輸送船団の攻撃をうたってしまったのが混乱の原因だと思う。
これはだめ司令官という結論は出てるでしょ。
上の議論見ればアレ以上は望めなかったことがよくわかる。
神ならぬ身、翌日の空襲が心配無用だったなんてわかるわきゃないし、
艦隊保全を図った司令部の判断も戦略的(戦術的には勿論)に妥当なものだ。
輸送船云々は120%後知恵なんだよ。
まあ山本五十六がそれを批判した事実はあるガナー。
目標は輸送船でしょ
空襲が心配ならいかなきゃいいじゃないそもそも、空襲うんぬんが輸送船
たたけなかったいいわけでしょう。
>>98 10日前にできた新設部隊で尚且つ、各方面に出動中だった各艦に指定コースで
合流し、米軍上陸の第一報のあった日の午後にはガ島を目指して進撃を開始。
敵艦隊の編成、陣形も不明(大まかな量はわかっても意味ないのはわかるよな)
のままに、敵の腹の中に踊りこみ、主砲を水平に打ちまくる。
殴りこみ戦術だったわけだが。
しかも第8艦隊は新設部隊でまだ10日しか経っておらず、大づかみの
作戦計画を練る前の話。大西参謀長の述懐でも見事につきるという。
ま、結果的に勝てたからいいもんだが、日本軍当初、過小に見込んでたかもしれんがw
後世の視点であれだけの兵力があったからとか、どれくらい損害がでたからとか
わかってたらそりゃ輸送船団まで攻撃するわな。
それに輸送船はあのあと荷揚げを中止してトンズラしてしまったし。
第3艦隊が南下するだろうし、どうせ第3艦隊が南下したら、
第8艦隊は後方輸送に徹するだろうし、問題ないと考えたのかもね。
そこまでも考えていなかったんじゃないかな。
とにかく出撃ありき、との感じを受ける。
敵輸送船団の撃滅というのは方便程度だったのではないだろうか・・・
そういう風にいうと聞こえはいいが(w
日本軍の行動は判断の基準がはっきりしないことが多いので検証が難しい。
しかも三川提督も黙して語らずだからねぇ。
片道攻撃で艦爆を焦って出撃するなど、
場当たりはいいとしても、刹那に過ぎるような気がする。
艦爆9機ではどうしようもない。冷静さをかいている。
予想外の上陸なので狼狽していたのではないだろうか。
ソロモンに米軍が来ますよと警告してた人が居なかった?
それを信じて迎え撃つ準備を少しでもしていたらなー。日本軍組織では無理っぽいけど付近に空母を置いておくとか・・・
また急がせればガ島の飛行場に多少の飛行機も配備出来たろう。
しかし所詮は全て後知恵・・・・・