元洲本高教諭が自費出版
南あわじ市出身の元洲本高校教諭三宅進さん(85)が、同市志知地区にあった志知城の城主を務めた戦国大名・加藤嘉明(1563~1631)に関する資料をまとめた「ビジュアルヒストリー 加藤嘉明傳(でん)」(A4判190ページ)を自費出版した。
現在は長男家族と栃木県に住む三宅さんは、「会津で40万石余の大名になるまで出世した、嘉明の第一歩が志知城だった。淡路島ゆかりの偉大な先人の足跡を知ってほしい」と話す。
秀吉に仕えた加藤嘉明は、賤ヶ岳の戦いで「賤ヶ岳七本槍」の一人として名を挙げ、四国攻めなどで活躍した。
1586年に淡路志知を与えられ、大名に。朝鮮出兵の武勲で伊予(愛媛県)を得て松山城を築城し、最後は会津(福島県)藩主となった。
三宅さんは洲本高社会科教諭、淡路三原高講師などを務め、1995年発行の「目でみる志知 道ばたの歴史」の編集に携わって以来、嘉明に興味を持って調べてきた。
「果断な行動力で数々の武勲を挙げながら、出しゃばらない控えめな人柄」にほれ込んだ。
志知城は鎌倉時代初期の創建とされ、嘉明の入城後は瀬戸内海に出る「淡路水軍」の基地に。嘉明転封後、海に近い場所に新しい城が築かれ、廃されたという。
本には、志知城や松山城の古い図面や、加藤家の系図、嘉明の画像などをカラー写真で掲載。福島、滋賀、愛媛などゆかりの地で撮影した写真や、図書館で調べた資料も紹介している。
賤ヶ岳七本槍を題材にした人形浄瑠璃の写真もある。
三宅さんは「収録できたのは資料の1割程度だが、これまでの研究の集大成としたい」と話している。
ニュース
なぜか朝鮮では秀吉旗下の大大名になってるけど
五人組
双璧御三家がいいと思うが
5賢帝
六歌仙
七賢
八部衆
九曜
十勇士
五虎大将軍
五人囃子
あれって信玄も含めるんだよなw
信玄が戦国大名じゃなくてただの土豪連合の長である証拠
四天王が5人はおかしい
>>20
だよな
四天王って言ったら普通六人だよな
・最上四天王
氏家守棟
楯岡満茂
志村光安
鮭延秀綱
延沢満延
里見民部
智将・豪傑・異能の才を持つ人物がてんこ盛りなせいで、
梁山泊での役職が「宴会係」な宋清さんに謝れ
朱富「師匠程の武芸者がこんな所で朽ち果てるなんて勿体無い」
李雲「ふむ、わしもこの武芸を世の中の為に役立てたかった。梁山泊へ参ろう」
↓
梁山泊での役職
朱富=事務や酒の醸造
李雲=家屋や庁舎の建造・修築
4人パーティのはずが3人しかそろわずにエンディングまで行けちゃう「星を見る人」というドラクエ風RPGがあってな。
籾井教業が青鬼ってのは何でだろか。
顔色が悪かったんじゃないの
片方が「赤鬼」と呼ばれてたら、
相方が「青鬼」になるのは自然な流れだろ
寧ろ真田十勇士が十勇士パクリ。
尼子十勇士の出版物が世に出て数百年後に世に出たのが真田十勇士。
領土の位置がわるいわ
そうは言うが駿河を取った段階で躍進できなかったのは残念だね。
もっとも三方ヶ原で家康を追いつめ、織田包囲網で織田家自身可也ヤバ
かった、潮時を間違えたね。上手く立ちまわれば滅亡せず30万石クラス
には成れたかもしれない。
AKB48みたいなもんか
赤備えとは、赤い色調に統一した軍団の事であり、
彼らに共通して言えることは、強兵を持って名前が知られ、常に戦場では先鋒を承っていたことである。
赤に統一した軍団を率いていたと言うことは、非常に目立つため恥ずかしい戦いは出来ない。
実力もあって大将の期待を裏切らないと言う信頼が有ってこそ許された名誉の色、備えなのである。
北条家にも「五色備え」と呼ばれる陣立てがあるのを知ってるか?
いいか、覚えとけ。 当家で合戦場で殿の陣立の中核をなすのが「五色備え」だ。
綱成殿の「黄」! 綱高殿の「赤」! 笠原殿の「白」! 富永殿の「青」! 多目殿の「黒」! ・・・全部で、五色だ。
綱成殿の「黄」は朽葉色とも呼ばれていてな。 旗に黒い八幡菩薩の「八幡」の文字を入れ、
「勝った、勝った」と叫びながら敵陣にまっさきに駆け入る様は、見ているこっちが震えんばかりの勇将ぶりよ!
それゆえ綱成殿は「地黄八幡」と呼ばれてるってわけだ。 どうだ、わかったか?
・・・付け加えておくが、合戦場で目立つ色を身にまとうということは、それだけ敵に命を狙われやすいってことだ。
腕に自身がないうちは、おとなしい色をつけておくほうが無難だぜ。
13人もいる利休七哲に謝れ
細川忠興
古田重然
芝山宗綱
瀬田正忠
蒲生氏郷
高山長房
牧村利貞
織田長益
千道安
荒木村重
前田利長
有馬豊氏
金森長近