ただ、マイナーすぎて地元民もここの存在を知らない人が多いらしく、知ってる人に連れていってもらう必要がある。というわけでゲストハウスでカミ遺跡を知ってる運ちゃんを紹介してもらった。
前を歩いているのがドライバーのエジプト。
ピラミッドのあるエジプトだ!と自己紹介していた。
ついでに遺跡の案内もしてくれた。
たしかにここは知らないと無理だなという立地にあった。
未舗装路をゴリゴリ進んでいくので知ってないと無理だ。
ジンバブエは現地語のショナ語で 石の国 という意味らしいけど、その語源になった石でつくられた遺跡だった。エジプトが自分の写真を撮りまくってくれたので、ありがたいことに遺跡のみの写真が全然ない。
ニュース
おそろしいほど地味
自分以外に誰もいない
レンガを積んだ民はいずこへ
ここらへんでけっこうシビアなお金の問題に直面する。
ジンバブエは先述したように経済崩壊でいったんは完全に終わってしまった国で、
廃止された旧ジンバブエドルに代わって現在はアメリカドルが用いられている。
でも、実際はそのアメリカドルの流通量が圧倒的に不足状態に陥っており、現金の入手は非常に困難なのだ。
もちろんその話は事前に知っていたけど、正直なめていた。
過去の2016年や2017年あたりの旅レポを読む限りは、ATMに数時間並ぶ覚悟があるならお金はATMでなんとか降ろせるという話だった。
でも2018年の状況はより深刻で、外国人がお金を降ろせるようなATMは首都のハラレにも第二都市のブラワヨにもほぼありません。
エジプトはかなり親切にしてくれて、自分の経済危機を知るやブラワヨの銀行にかたっぱしから連れていってくれて、窓口はもちろん、支店長にまで直々にかけあってくれたけどやはり無理だった。というか、どう考えても従業員しか入れない空間に侵入していって、そのまま支店長室にドアガチャして突っ込んでいくからすごい。
地元民は数時間並んで窓口で手続きすることによりお金が降ろせるそうだ。そこら中にある行列はぜんぶそれだった。銀行の前はどこもこういう感じ。外国人は並んでも無駄です。
外国人が自分だけなので常にガン見されてて、日本では違和感を感じるくらいになったで
バックパッカーはもれなく全員同じ手段でATMからお金降ろすけど、
ビザやマスターに海外キャッシングの機能をつけておく。
そうしたら、世界どこのATMからでも現地のお金を自分の口座から降ろせるようになる。
というわけでジンバブエの残りの行程をあと200ドル(2万円ちょい)くらいで切り抜けないといけなくなってしまった。
まあなるようにしかならないので、第四の都市のマシンゴへ向かうことにした。
長距離バスでは隣の若者がかなりフレンドリーに話しかけてくれて、ショナ語での会話を英語に翻訳して教えてくれたりした。ブラワヨだからンデベレ語だっのかな?
さすがにショナ語とンデベレ語の区別はつかなかった。
ジンバブエ第四の都市、マシンゴへ着いた。
経済危機がとにかく深刻なので、マシンゴではAirbnbをつかってジンバブエ人のお家に民泊させてもらうことにした。
なぜなら、Airbnbはクレカで支払いができるから貴重なドルを節約できる。
このファミリーはとにかく親切でいろいろ助けてもらった。
翌日は世界遺産のグレートジンバブエ遺跡にいきたかったんだけど、行き方なんかもとても親切に教えてくれた。
公共交通機関はないので、行きは街中でシェアタクシーでも捕まえて、帰りはヒッチハイクしろとのことだった。
部屋はこんな感じ。
蚊帳もあるし、電気とホットシャワーも使えたのでよかった。ただ夜になると断水してしまうのでそこだけマイナスかな。
電気とお湯が使えないことは最初から覚悟してるけど、断水は歯もみがけないからね。
>>161
ごはんいくで
頼む!
民泊中はリビングでこの家族とだいたいずっとしゃべっていた。
ハイパーインフレのときは、スーパーで売られている物の値段が午前と午後で2倍違うこともあったそうだ。レストランでは注文したらすぐにその場でお金を払うのが鉄則。
なぜなら、食べ終わるまでにインフレが進んで料理の値段が値上がりするから。
ちなみに、旧ジンバブエドルの最終レートは、
300000000000000ジンバブエドル=1円
つまり、300兆ジンバブエドルが1円に相当していた。
恐ろしいくらいほかに旅行者がおらず、世界遺産を貸し切るような状態だったけど、
ジンバブエ特有の石づくりの遺跡がたくさん見られた。
帰りは前日にファミリーと相談していたとおり、ヒッチハイクして街まで帰った。
たしかにこれはヒッチハイクしないともうどうにもならない感じだ。
国を代表する世界遺産への交通手段のスタンダードがヒッチハイクなことが気にかかるけど、もうあまり気にならなくなってきていた。
いっしょに晩ごはんを食べながら、ファミリーに朝の詰め込みシェアタクシーの話をしたら爆笑していた。
前日に、ジンバブエの伝統食って何があるの?って質問していたら、この日のごはんでわざわざ出してくれた。
真ん中の白いマッシュポテトみたいなのがジンバブエの伝統食のサザ。
トウモロコシなんかの穀物の粉を水でねって固めたもの。
ほんのり穀物の味がするけどそれ自体だと味がほとんどないので、ソースにつけて食べる。
見た目よりかなりボリュームある感じで、すぐにおなかいっぱいになる。
そういえば、ごはん画像は全然載せてないけど、ジンバブエだとこんな感じです。
このファミリー、自分の経済危機をしるや、Airbnbのクレカ請求に上乗せ請求してその余剰分を現金で自分に渡してくれた。
これで手持ちのドルはそこそこ回復した!本当にありがたかった。
夜になると断水してしまうのがきつかったけど、本当に親切にしてくれたのでAirbnbの評価はマックスにしておいた。
見た目はともかく味はけっこうおいしいで
キャッサバも多いね
野菜が少ないので、フルーツで代わりに補う感じかな
マシンゴでも色々あったけど、また長距離移動していよいよ首都のハラレへ。
なんだかんだでジンバブエもローカルバスでぐるっと大きく一周してしまった。
到着したムバレバスターミナルは、コンパウンドと言われる貧しい人たちが暮らすエリアにある。
コンパウンドは治安的な問題に加えて、たびたびコレラ等の感染症の流行が見られるので、
旅行者がたむろするのはあまりオススメされない場所だ。
2018年もジンバブエでは首都ハラレでコレラの流行が確認されており、主にこのコンパウンドで発生している。
自分もさっさとタクシーを捕まえて宿へ移動した。
首都ということもあり、さすがに久しぶりの高層ビルの乱立にテンションが上がってきた。
ショッピングモールもいい感じ。
いや、実際そんなにお金ってかからないのよ。
世界一周レベルでも100万あればできる。
ピースボートが110万くらいかかるけど、
100あったら自力で全部すきなところへ行きまくった方が
絶対にいいと断言する。
ほーほー夢がありますなφ(..)メモメモ
150万あるとめっちゃゆったりで旅できるよ。
100でも全然いける。
今は世界一周航空券っていう代物もあるけど、
それを使ってもいいし、完全に自力でもいい。
自分は完全に自由に旅したけど、何があっても一生の思い出になるよ。
参考にさせていただきますm(。_。)m
思い出が多い人は良い顔をしている
ローカルなのから外国人が通うところまであるし、
インド料理とかタイ料理とかも個別にあるでー
アフリカの食事に飽きたら
ファストフードでポテトとハンバーガーでも食べとけば大丈夫だ。
ハラレにも数日間の滞在をしたけど、特に観光地みたいなところへは行かなかった。
そもそも近隣にそういった場所が少ないっていうこともあったけど、現金不足問題もあったしね。
ローカルな乗り合いバスに乗りながら、街を適当に散策したりしていた。
こういう時間がけっこう好きだったりする。
散歩しては、カフェに入ってwifi繋いでだらだらしていた。
日本大使館の入ってるビル。
アフリカ大陸は日本車シェアが8割は超えている。
ハラレはとにかく発展していた。
わかめもだけど、保育園とか幼稚園の送迎車がそのままパブリックバスになってるとちょっと笑える。
ハラレもゲストハウスのオーナーが本当にいい人で、まだ滞在したいような気持もあったけど、北上して久々の国境越えをしてザンビアへ戻ることにした。
ザンビアへはもともと空路で南アから入国していたけど、そこから後ろへルートを戻りながらジンバブエを一周して、再びザンビアへ戻ることになる。前回はリビングストンだったけど、今度は首都のルサカだ。
バスは早朝出発だった。
ターミナルは到着時のムバレバスターミナルではなく、ロードポートターミナルとかいう街の中心地にあった。
国境を越える国際線バスが多数出ており、目的地の表示を見るだけでわくわくしてくる。
ザンビア行き、南ア行き、マラウィ行き、他にもいろいろ出ていた。
フォルダをあさったけど、ルサカの写真が全くない。
そういえばカメラまわしてなかったな。
ただ、ここらへんは移動メインで観光地へは行ってないからなあ。
ルサカのゲストハウスは飼っている猫がかわいかった。
この宿、トイレの水は流れないし、電気も不安定、宿併設のバーは夜中もやかましい。
後述の事件もあり、そこそこハードだった。
バスの中までガンガン入ってくるで物売り
バランスすごいからね彼ら
何やら外が騒がしい。時計を見ると早朝4時。
さすがにこの時間から騒ぐのは勘弁してくれと思いつつ、また寝ることにするが一向に静かにならない。しばらくすると、自分の部屋のドアが猛烈にノックされる。全く出たくないので完璧に無視を決め込む。
ガン無視していたが、どうやら警察らしい。
仕方なくドアを開けると、違法入国者の捜索でパスポートチェックと部屋を見せろとのこと。当然だけど、部屋には隠れているような人物はおらず、パスポートにもビザにも問題はなくすぐに返ってくる。
なぜか、金を請求される。
ザンビアは周辺国に比べれば中央政府や役人の腐敗度はまだマシな方だけど、ワイロはアフリカでは当たり前だ。外ではスルーして通り過ぎたり受け流したりすればいいだけだけど、自室内となると結構めんどくさい。なんか室内に3人も入ってきてるし、AKみたいなの担いでるし、何と戦うんだよお前ら…
これまでに培ったバックパッカー経験を駆使して、試合巧者ぷりを見せつけて1円も渡さずに帰ってもらった。にしても、せめて建前でもパスポートなりビザに不備がある設定にしろよ。何もなく金よこせだともうそれただの強盗じゃないか。
ちなみに隣のドミトリーにいたアメリカ人は、この汚職ポリスにブチ切れてFワードを連発して向こうをブチ切れさせていた。宿のオーナー(イギリス人)も今にも殴り合いが始まりそうな勢いで口論していて、この夜はもう寝られなかった。
欧米人は起き立てでも元気なんだなあ。
これ向こうがでていかないと終わらないからほんとめんどくさかった。
翌日に日本大使館にメールしておいた。
ありがとう
どーんと移動して、ナミビアの首都ウィントフックへ。
ここは街並みはすごくきれいなんだけど治安は最悪レベルで、日本人の被害者も極めて多いことで近年有名。夜間だけではなく日中でも危険で、基本的にはドアtoドアの移動を車を用いて徹底するべきだそうだ。
ガレージでの襲撃も多いので、ガレージから店内へ入るまでも注意するべき。
この教会はウィントフックのシンボル。
この街のタチの悪いところは、一見して危険な雰囲気が感じ取れないことだと思う。
ヨハネスブルグは雰囲気がガチガチで、何も知らない人でもここはやめておこうと思わせるオーラがある。
ちなみに、滞在はほんの1週間くらいだったけど、現地で仲良くなった香港人の友達も昼間に普通に襲撃されていた…
2人でショッピングモール沿いの道路を歩いていたところ、5人組に襲われたそうだ。
昼間のショッピングモール沿いで複数人で行動してても襲われるので、この街は本当に警戒した方がいい。ネット検索でもウィントフックの被害報告はすごい。
ドイツの植民地だからドイツ風の街やで
はえ~
>>198
もともとは治安のいい国やったんやけどな。
ここ10年くらいで本当に急速悪化したみたいよ。
ザンビアの日本大使館の人も今一番危ないのがこのウィントフックって言ってたわ。
ナミビアは 何もない という意味だそうで、首都のウィントフックを抜けると本当に不毛の大地がひたすら広がっている。人口密度は平方キロあたりたった2人で、世界でも最も少ない部類に属するそうだ。
砂の未舗装路を数百キロに渡ってランドクルーザーで突き進む。
道中の景色はもうずっと360度こんな感じ。
砂漠地帯も多いので、サボテンとかいろいろ。
海沿いにゴリゴリの砂漠地帯が展開されてるからね
不毛の大地っていう部分では同じだね
ただ、向こうは荒野でこっちは完全な砂漠やな
そんなこんなでナミブ砂漠に到着。
ここで3日間滞在して、このテントに泊まることに。
ナミブ砂漠は本当に感動した。
サンライズとともに、砂に含まれる鉄分が赤く光るのが赤い砂漠と言われる所以らしい。
この色と静寂が生み出す空間は何とも言えないものがあった。
でっかい砂丘も登ってみる。
砂丘は砂の底なし沼みたいなものなので、登るのは本当にしんどい。
下るのは楽しい。
現地で仲良くなった人たちとお互いに写真を撮り合ってるので、
いい写真はいっぱいあるんだけど、人物画が多くあんまりアップできないのがつらいところ。
>>206
夜はミルキーウェイっていうのか天の川っていうのか、
星空が本当に素晴らしいで。
テキーラは南米やけど、現地のビールのウィントフックはすごく有名。
となりのテントの香港人と飲んだけどおいしかった。
もちろん、有名なデッドフレイもいってきた。
900年前に枯れたオアシス、枯れ木と砂丘のコントラストが不思議な感じだ。
そばにあるセスリウムキャニオン。
サンセットはここから見たなあ。
ちなみに、ここでアフリカ旅で唯一の日本人の2人に会った。
ここで会わなかったらもうアフリカでは日本人ゼロで終わっていた。
かなり久しぶりに日本語で会話するのが楽しかったなあ。
さすがにアフリカに単独で来る旅行者っていうのは比較的タフな旅行者が多く、
2人もそれぞれ単独旅行者で、アフリカ縦断中と世界一周中だった。
日本人の旅人は基本的に女の子の方が圧倒的に多く、この2人も女の子だった。
自分が世界一周したのは去年のことだったけど、無事に帰れれば何があっても一生の思い出になること間違いないので、2人とも無事に旅してくれてればと思う。
ナミブ砂漠を終えたあとは、いったんは首都のウィントフックへ戻り、
ここからはアフリカ最初に入国した南アフリカ共和国を再び目指す。
最後の目的地はケープタウンだ。
ウィントフックからケープタウンへのバスは確か所要20時間くらいかかったはず。
ナミビア-南アフリカ ボーダーに着くのがちょうど深夜3時か4時あたりで、
ここで起きて出入国手続きするのはなかなかこたえた。
さすがの南アフリカは大都会だった。
ケープタウンへのメインバスターミナル周辺。
ケープタウンは大西洋に面する海沿い街で、とても美しい街だ。
奥に見える平らな山がシンボルのテーブルマウンテン。
何日か後に山頂までいきます。
欧米人や外国人観光客の数がこれまでには類を見ないほど多い。
もうここはアフリカじゃないなーという感じを受けた。
この日は喜望峰へ向かう。
喜望峰と言えば、アフリカ大陸の最南西端に位置するまさにアフリカのはしっこ。
アフリカを縦断する人たちは、ここを最終到達点のゴールポイントと位置付けることがとても多く、
旅人にとっては非常にロマンあふれる場所だ。
ケープタウンから喜望峰へ向かうドライブコースは自然の絶景が本当に素晴らしく、
このエリア一帯がユネスコにより世界遺産へ指定されている。
あの突き出た先端のところが喜望峰。ようやく見えた。
今いるところはケープポイントという喜望峰の手前の場所だ。
ここからは徒歩で先端の喜望峰まで向かう。
このコースもけっこう楽しい。
最後は何もないところにでるが、ここがまさにアフリカのはしっこ。
海を越えれば次にあるのは南極大陸だ。
アフリカ大陸南部をぐるっと一周して回ってきて、
アフリカのはしっこであるここへ立つことができたのは本当にうれしかった。
文章はたんたんとした感じで書いてるけど、実際かなり興奮した。
ああああああああああああああ!!!
っしゃあああああああああああああああああ!!!
アフリカああああああああ!!!やったあああああああ!!!
くらいのテンションだった。
すぐそばには記念撮影に使われるモニュメントがある。
周辺には野生のダチョウやペンギンがいた。
天候にも恵まれ、最高のアフリカ旅の最後を飾れた。
あとはテーブルマウンテンいっておしまい。
ケープタウンではオーシャンバスケットというチェーンレストランがお気に入りで、
ナミビアのウィントフックでここを見つけてからはよく通っていた。
今でもたまにいきたくなるくらいだ。
ケープタウン夜景。
ロングストリートという治安の悪めの通り。
ケープタウンは海沿いが治安がよくて、内陸側は治安がわるめ。
ここでは3人組のスリにも襲われたが、軽く撃退しといた。
おまけは帰国時にトランジットした香港。
3日くらいのんびりしてから日本へ帰国したんだったかな。
もう何度も来てるので、街をぶらぶらするのみ。
夜。
この吉野屋ほんまうますぎてワロタ。
帰国まで我慢できずに入店してしまったけど
ずっとトウモロコシの粉とか食べてたからめちゃくちゃしみた。
これでおしまい。
ありがとうー
>>221
好奇心とか冒険心とかは女の方がおおむね強い気がする。
あと、すごい景色とかモノを見て感動したいのもそうかなあ。
世界一周中もアフリカ周遊中も日本人バックパッカーは女の子優勢やね。
>>223
全くやで。
25歳あたりの時点でTOEIC300点台とかだった。
高校時代も英語の成績は1つけられたことあるしな。
独学でがんばって今はTOEICは900弱ある。
日常会話はもう困らないね。ビジネスはしんどいかな。
全然英語を話せないときに一人旅して、
外国人とカタコトの英語で触れ合ったのが楽しくて
モチベーション上がったなあ。
英語は結構もうやり切った感があるので、
次はフランス語かスペイン語をやりたいなと思ってる。
スペイン語は南米で、フランス語は中部アフリカと西アフリカでメイン言語になってるから、どっちをとるかっていうのが結構悩ましいところやな。
ヨーロッパとあとリゾート地しかいったことないからな
今回周ってたアフリカ南部は旧英国領が多いからね。
学校での授業は小学校から英語でやってるから全員英語はベラベラやな。
彼らの日常会話はアフリカンス語とかで話してたよ。
アフリカはロマンやね
おもしろかった
私はヨハネスに入る勇気がなかったのでまじ尊敬。
あの頃を思い出したよありがとう!