◆
張用寇江西、用亦相人、飛以書諭之曰:「吾与汝同里、南薫門、鉄路歩之戦、皆汝所悉。今吾在此、欲戦則出、不戦則降。」用得書曰:「果吾父也。」遂降。
張用が江西に侵攻し、用も相州の人だったので、飛は手紙で彼を諭した「私とお前とは同郷で、南薫門、鉄路歩の戦は、すべてお前は知っているはずだ。今私はここにいるから、戦いたければ出陣し、戦わないのなら降伏してくれ。」
用は手紙を受け取ると言った「果たして私の父だ。」ついに降伏した。
ニュース
◆
江、淮平、俊奏飛功第一、加神武右軍副統制、留洪州、弾圧盗賊、授親衛大夫、建州観察使。
江州、淮州が平定されると、俊は飛の功が第一だと上奏し、神武右軍副統制に任じられ、洪州に留められ、盗賊を押さえつけ、親衛大夫、建州観察使を授けられた。
◆
建寇范汝為陥邵武、江西安撫李回檄飛分兵保建昌軍及撫州、飛遣人以「岳」字幟植城門、賊望見、相戒勿犯。賊党姚達、饒青逼建昌、飛遣王万、徐慶討擒之。升神武副軍都統制。
建州の賊の范汝為が邵武を陥落させると、江西安撫使の李回は飛に兵を分けて建昌軍及び撫州を保護するよう檄を飛ばし、飛は人の「岳」の字の幟を城門に植えさせ、賊は望見すると、侵犯しないように戒めあった。
賊の姚達、饒青が建昌に迫ると、飛は王万、徐慶に討たせてこれを捕らえさせた。神武副軍都統制に昇進した。
◆
二年、賊曹成擁衆十余万、由江西歴湖湘、拠道、賀二州。命飛権知潭州、兼権荊湖東路安撫都総管、付金字牌、黄旗招成。成聞飛将至、驚曰:「岳家軍来矣。」即分道而遁。
(紹興)二(1132)年、賊の曹成は十万余りを擁し、江西から湖湘を経て、道、賀二州に拠った。飛を仮の知潭州に任じ、仮の荊湖東路安撫都総管を兼任させ、金字牌、黄旗を渡し成を招安させた。
成は飛が来ていると聞くと、驚いて言った「岳家軍が来た。」そこで別の道に分かれて遁走した。
◆
飛至茶陵、奉詔招之、成不従。飛奏:「比年多命招安、故盗力強則肆暴、力屈則就招、苟不略加勦除、?起之衆未可遽殄。」許之。
飛は茶陵に到着すると、詔を奉じてこれを招安したが、成は従わなかった。飛は上奏した「年々招安が多く命じられ、それゆえ盗賊は努めて凶行に及び、力尽きれば招安されており、もし征伐しないのであれば、蜂起した衆はすぐには滅ぼせないでしょう。」これを許した。
◆
飛入賀州境、得成諜者、縛之帳下。飛出帳調兵食、吏曰:「糧尽矣、奈何?」飛陽曰:「姑反茶陵。」已而顧諜若失意状、頓足而入、陰令逸之。諜帰告成、成大喜、期翌日来追。
飛は賀州の境に入ると、間者を捕らえ、帳下で縛った。飛が帳を出て兵糧を調べると、吏は言った「兵糧が尽きましたが、いかがいたしましょうか?」飛は偽って言った「ひとまず茶陵に戻ろう。」
終わって間者の方を見ると放心していたようなので、頓足して入り、密かに命じてこれを逃亡させた。間者が帰って成に報告すると、成は大いに喜び、翌日に追撃することにした。
◆
飛命士蓐食、潜趨繞嶺、未明、已至太平場、破其砦。成拠険拒飛、飛麾兵掩撃、賊大潰。成走拠北蔵嶺、上梧関、遣将迎戦、飛不陣而鼓、士争奮、奪二隘拠之。
飛は兵士に寝床で食事させ、密かに進ませ嶺を迂回させ、(夜が)明けないうちに、太平場に到着し、その砦を破った。成は険阻な地に依拠して飛を拒んだが、飛の麾下が急襲したので、賊は潰滅した。
成は逃げて北蔵嶺、上梧関に依拠し、将をやって迎撃したが、飛が布陣せず太鼓を叩くと、士は競って奮起し、二つの険隘を奪ってこれに依拠した。
◆
成又自桂嶺置砦至北蔵嶺、連控隘道、親以衆十余万守蓬頭嶺。飛部才八千、一鼓登嶺、破其衆、成奔連州。
成はふたたび桂嶺から北蔵嶺まで砦を置き、隘路を連絡させ、自ら十万余りを率いて蓬頭嶺を守った。飛は八千を指揮し、一発の太鼓で嶺に登り、その衆を破り、成は連州に逃げた。
省略されてるのをそのまま書いた
◆
飛謂張憲等曰:「成党散去、追而殺之、則脅従者可憫、縦之則復聚為盗。今遣若等誅其酋而撫其衆、慎勿妄殺、累主上保民之仁。」
飛は張憲らに言った「成の徒党は散って逃げたが、追ってこれを殺せば、脅されて従った者が不憫で、これを捨て置けばまた集まって盗賊になるだろう。
今おまえたちを遣わしてその首領を誅殺させその衆を慰撫させるが、慎んで妄りに殺してはならず、主上の民を保護しようと思う仁愛のお心に(影響を)及ぼしてはならないぞ。」
◆
於是憲自賀、連、徐慶自邵、道、王貴自?、桂、招降者二万、与飛会連州。
こうして憲が賀、連州で、徐慶が邵、道州で、王貴が?、桂州で、投降させた者は二万にのぼり、飛と連州で会した。
◆
進兵追成、成走宣撫司降。時以盛夏行師瘴地、撫循有方、士無一人死癘者、嶺表平。授武安軍承宣使、屯江州。甫入境、安撫李回檄飛捕劇賊馬友、?通、劉忠、李通、李宗亮、張式、皆平之。
兵を進めて成を追い、成は宣撫司のもとに逃げて投降した。このとき夏の盛りで疫病の地を行軍したが、安撫が適切だったので、兵士は一人として疫病で死んだ者がおらず、嶺の外を平定した。
武安軍承宣使を授けられ、江州に駐屯した。(州)境に入ったばかりのころ、安撫の李回は飛に檄を飛ばして強い賊の馬友、?通、劉忠、李通、李宗亮、張式を捕らえさせ、皆これを平定した。
まじでな
ちなとある皇帝はこれよりすごかったりする
石勒なのか光武帝なのか洪武帝なのか
唐の太宗
攻撃してきた異民族が数騎で現れた太宗の威光にひれ伏して撤退とか
ありえん逸話がある
これは捏造したな(確信)
多分大声でいくら欲しい?後でこっそり送るから帰ってくれ!
って言ったんやろ
>>172
唐太宗は盛られてる分差し引いてもすごいとは言っておこう
在位中に東突厥まで滅ぼしてる
漢でいうなら匈奴を潰滅させたのと一緒なんや
天下統一は高祖の功、貞観の治は文帝の功、
突厥降伏させたのは武帝の功と考えると傑物やろ?
バケモンやんけ…
だてに名君ランキング一位常連ではない
取り返したは間違いや
もともと宋の土地で初めて占領した
意外と北の方も宋だったんか
襄陽取られるレベルやしもっと取られてんのかと思た
金はまっすぐ宋主を捕らえに行ったから縦には伸びても
横には伸びとらんのよ
◆
三年春、召赴行在。江西宣諭劉大中奏:「飛兵有紀律、人恃以安、今赴行在、恐盗復起。」不果行。
(紹興)三(1133)年春、(岳飛を)行在(臨安。首都の開封が劉斉に抑えられているためにこう呼んだ)に召喚しようとした。
江西宣諭使の劉大中が上奏した「飛の兵は規律があり、人は彼を頼みにして安心しておりますので、今行在に赴けば、盗賊がふたたび蜂起する恐れがございます。」実行に移されなかった。
◆
時虔、吉盗連兵寇掠循、梅、広、恵、英、韶、南雄、南安、建昌、汀、邵武諸郡、帝乃専命飛平之。
このとき虔、吉州の盗賊が兵を連ねて循、梅、広、恵、英、韶、南雄、南安、建昌、汀、邵武の諸郡に侵入して略奪したので、帝はもっぱら飛にこれを平定させた。
◆
飛至虔州、固石洞賊彭友悉衆至?都迎戦、躍馬馳突、飛麾兵即馬上擒之、余酋退保固石洞。洞高峻環水、止一径可入。
飛が虔州に到着すると、固石洞の賊の彭友は全軍でもって?都で迎撃し、馬を躍らせて突進したが、飛の麾下は馬上でこれを捕らえ、他の首領は撤退して固石洞を守った。洞は高く険しく水に囲まれ、入れる道が一つしかなかった。
◆
飛列騎山下、令皆持満、黎明、遣死士疾馳登山、賊衆乱、棄山而下、騎兵囲之。賊呼丐命、飛令勿殺、受其降。授徐慶等方略、捕諸郡余賊、皆破降之。
飛は騎馬を山のふもとに連ね、みなに機会を待たせ、明け方になると、決死の士に速やかに山を登らせたので、賊軍は乱れ、山を捨て置いて下り、騎兵はこれを包囲した。
賊は叫んで命乞いをしたので、飛は殺させず、投降を受け入れた。徐慶らに方略を授け、諸郡の残党を捕らえさせ、みな撃破してこれを降伏させた。
山に空いてる穴に籠ってるんちゃうかな
>>156
なるほど
宋は楊家将、水滸伝、金瓶梅、説岳全伝と取材できる内容多いから
やっぱり人気な気がする
◆
初、以隆祐震驚之故、密旨令飛屠虔城。飛請誅首悪而赦脅従、不許、請至三四、帝乃曲赦。人感其徳、絵像祠之。余寇高聚、張成犯袁州、飛遣王貴平之。
当初、隆祐(皇后)は震え驚き、密命で飛に虔城を打ち滅ぼさせようとした。飛は首謀者を誅殺しても脅されて従っていた者は赦免するようにこいねがったが、許さず、再三再四要請して、帝はようやく曲げて赦免した。
人はその徳に感じ入り、姿を描いてこれを祀った。残党の高聚、張成は袁州に侵犯したので、飛は王貴にこれを平定させた。
◆
秋、入見、帝手書「精忠岳飛」字、製旗以賜之。授鎮南軍承宣使、江南西路沿江制置使、又改神武後軍都統制、仍制置使、李山、呉全、呉錫、李横、牛皐皆隸焉。
秋、入朝すると、帝は手ずから「精忠岳飛」の字を書き、旗を作ってこれを賜った。鎮南軍承宣使、江南西路沿江制置使を授けられ、また神武後軍都統制に改称されたが、制置使(の任)のままで、李山、呉全、呉錫、李横、牛皐はみな(彼の)部下であった。
◆
偽斉遣李成挟金人入侵、破襄陽、唐、鄧、随、郢諸州及信陽軍、湖寇楊?亦与偽斉通、欲順流而下、李成又欲自江西陸行、趨両浙与?会。帝命飛為之備。
偽斉は李成に金人を連れて侵入させ、襄陽、唐、鄧、随、郢の諸州及び信陽軍を破らせ、湖賊の楊?〈ヨウヨウ〉も偽斉と通じ、流に殉じて下ろうとし、李成も江西から陸路を進み、両浙に赴いて?と落ち合おうとした。帝は飛に命じてこれに備えさせた。
◆
四年、除兼荊南、鄂岳州制置使。飛奏:「襄陽等六郡為恢復中原基本、今当先取六郡、以除心膂之病。李成遠遁、然後加兵湖湘、以殄群盗。」
(紹興)四(1134)年、荊南、鄂岳州制置使を兼任させた。飛は上奏した「襄陽などの六郡は中原を恢復させる根本となりますから、今はまずこの六郡を取り、心膂(膂は背骨。要地の意)の病を取り除きましょう。
李成が遠くに逃れたら、それから湖湘に出兵し、群盗を殲滅するのです。」
◆
帝以諭趙鼎、鼎曰:「知上流利害、無如飛者。」遂授黄復州、漢陽軍、徳安府制置使。
帝が趙鼎にそれを告げると、鼎は言った「上流の利害を知ることにおいて、飛にまさる者はおりません。」ついに黄復州、漢陽軍、徳安府制置使を授けた。
地方の総帥的な意味だった気がする
でも確かなことではないから信じないでね
やっぱり官職は一回調べないとあかんみたい
162: 名無し 平成31年 04/05(金)22:51:38 ID:iKw
◆
飛渡江中流、顧幕属曰:「飛不擒賊、不渉此江。」抵郢州城下、偽将京超号「万人敵」、乗城拒飛。飛鼓衆而登、超投崖死、復郢州、遣張憲、徐慶復随州。
飛は長江の流れを渡ると、幕僚を顧みて言った「飛は賊を捕らえなければ、この長江を渡らない。」郢州城下まで押しこむと、偽将の京超は「万人敵」と号し、城にあがって飛を拒んだ。
飛は兵を鼓して登ったので、超は高みから身を投げて死に、郢州を取り戻し、張憲、徐慶に随州を取り戻させた。
ワロタ
こいつ万人敵ランキングでも最下位やろ
◆
飛趣襄陽、李成迎戦、左臨襄江、飛笑曰:「歩兵利険阻、騎兵利平曠。成左列騎江岸、右列歩平地、雖衆十万何能為。」挙鞭指王貴曰:「爾以長槍歩卒撃其騎兵。」指牛皐曰:「爾以騎兵撃其歩卒。」
飛が襄陽に赴くと、李成は迎撃し、襄江の左に臨んでいたので、飛は笑って言った「歩兵は険阻な場所を有利とし、騎兵は平らかで開けた場所を有利とする。成の左の隊は長江の岸辺で騎乗し、右の隊は平地で歩いており、兵が十万いても何の役に立とう。」
鞭をあげて王貴を指して言った「おまえは長槍の歩兵で騎兵を攻撃せよ。」牛皐を指して言った「お前は騎兵で歩兵を攻撃せよ。」
◆
合戦、馬応槍而斃、後騎皆擁入江、歩卒死者無数、成夜遁、復襄陽。劉豫益成兵屯新野、飛与王万夾撃之、連破其衆。
合戦すると、馬は槍に応じて倒れ、後方の騎馬はみな押し合って長江に入り、歩兵の死者は数えきれず、成は夜に遁走し、襄陽を取り戻した。劉豫は成の兵を増やして新野に駐屯させたが、飛は王万とこれを挟撃し、その衆を続けて破った。
◆
飛奏:「金賊所愛惟子女金帛、志已驕惰、劉豫僭偽、人心終不忘宋。如以精兵二十万、直擣中原、恢復故疆、誠易為力。
飛は上奏した「金賊(金の宋側からの呼び方)が好むのは子女や金帛で、考えはすでに驕り怠惰になり、劉豫は分を越えた位におり、人心は最後まで宋を忘れておりません。
精兵二十万をもって、中原にまっすぐと攻め入り、故地を恢復するならば、まことにその力を尽くすのは容易でしょう。
◆
襄陽、随、郢地皆膏腴、苟行営田、其利為厚。臣候糧足、即過江北勦戮敵兵。」時方重深入之挙、而営田之議自是興矣。
襄陽、随、郢の地はみな土地が肥えており、もし屯田を行えば、その利益は大きいでしょう。臣は兵糧が充足するのを待ち、江北に渡って敵兵を殲滅いたします。」このときちょうど(敵地に)深く入り込む行動が重視されていたが、屯田の議論はここから起こった。
◆
進兵鄧州、成与金将劉合孛?列砦拒飛。飛遣王貴、張憲掩撃、賊衆大潰、劉合孛?僅以身免。賊党高仲退保鄧城、飛引兵一鼓抜之、擒高仲、復鄧州。帝聞之、喜曰:「朕素聞岳飛行軍有紀律、未知能破敵如此。」又復唐州、信陽軍。
鄧州に進軍し、成と金将の劉合孛?は砦を連ねて飛を拒んだ。飛は王貴、張憲に急襲させ、賊軍は潰滅し、劉合孛?はなんとか単身で逃げた。賊党の高仲は撤退して鄧城を保ち、飛は兵を率いて一発の太鼓でこれを抜き、高仲を捕らえ、鄧州を取り戻した。
帝はこれを聞き、喜んで言った「朕はもともと岳飛の行軍に規律があるとは聞いていたが、このようによく敵を破れるとは知らなかった。」また唐州、信陽軍を取り戻した。
◆
襄漢平、飛辞制置使、乞委重臣経画荊襄、不許。趙鼎奏:「湖北鄂、岳最為上流要害、乞令飛屯鄂、岳、不惟江西藉其声勢、湖、広、江、浙亦獲安妥。」
襄漢は平定されたが、飛は制置使を辞退し、重臣に荊襄を統治させるように要請しても、許されなかった。趙鼎は上奏した「湖北の鄂、岳は最も上流の要害で、飛を鄂、岳に駐屯させ、江西はその名声・権威・気勢を借りようと思わなくなり、湖、広、江、浙もまた安穏が得られます。」
この紹興四年(1134年)の北伐が第一次
岳飛は四回北伐やっててそのうち三回が斉、一回が金との戦い
二次と三次は1136、四次は1140なんで出てきたら説明する
◆
乃以随、郢、唐、鄧、信陽並為襄陽府路隸飛、飛移屯鄂、授清遠軍節度使、湖北路、荊、襄、潭州制置使、封武昌県開国子。
こうして随、郢、唐、鄧州、信陽軍並びに襄陽府路は飛に属し、飛は駐屯を鄂に移し、清遠軍節度使、湖北路、荊、襄、潭州制置使を授けられ、武昌県開国子に封じられた。
◆
兀朮、劉豫合兵囲廬州、帝手札命飛解囲、提兵趨廬、偽斉已駆甲騎五千逼城。飛張「岳」字旗与「精忠」旗、金兵一戦而潰、廬州平。
兀朮、劉豫が兵を合わせて廬州を囲むと、帝は親筆をもって飛に包囲を解かせることにし、兵を率いて廬州に赴くと、偽斉はすでに装甲騎兵五千を駆り立て城に迫っていた。飛は「岳」の字の旗と「精忠」の旗を張り、金兵は一戦で潰滅し、廬州は平定された。
◆
飛奏:「襄陽等六郡人戸闕牛、糧、乞量給官銭、免官私逋負、州県官以招集流亡為殿最。」
飛は上奏した「襄陽などの六郡の人家は牛、兵糧を失っているので、官府の銭を量って給わられ、公私の賦税の滞納を免除なさり、州県の官には流民を招集することを功績となさってください」
陝西(今の西安があるあの地域ね)を攻略してた
当然統治する力ないんで劉斉に割譲して統治させてる
どこ領だったん
宋
呉?という人物から兀述が取り返した
ちなこのとき兀述は和尚原で一度敗退
ひげを斬って兵士に紛れて逃げたことがある
これ演義の曹操の元ネタらしい
◆
五年、入覲、封母国夫人、授飛鎮寧、崇信軍節度使、湖北路、荊襄潭州制置使、進封武昌郡開国侯、又除荊湖南北、襄陽路制置使、神武後軍都統制、命招捕楊?。
(紹興)五(1135)年、天子に拝謁し、(天子が岳飛の母を)母国夫人に封じ、飛に鎮寧、崇信軍節度使、湖北路、荊襄潭州制置使を授け、武昌郡開国侯に爵位をあげ、また荊湖南北、襄陽路制置使、神武後軍都統制に任じ、楊?〈ヨウヨウ〉を降伏させるか捕縛するように命じた。
◆
飛所部皆西北人、不習水戦、飛曰:「兵何常、顧用之何如耳。」先遣使招諭之。賊党黄佐曰:「岳節使号令如山、若与之敵、万無生理、不如往降。節使誠信、必善遇我。」遂降。
飛の部隊はみな西北の人で、水戦に慣れていなかったが、飛は言った「兵とは、使い方次第だ。」まず使者をやってこれを降伏させようとした。
賊党の黄佐は言った「岳節使の号令は山のようで、もし彼と敵対すれば、万に一つも生き残れないから、降伏しに行ったほうがよい。節使には真心があるから、必ずや私をよく待遇してくれるだろう。」ついに降伏した。
◆
飛表授佐武義大夫、単騎按其部、拊佐背曰:「子知逆順者。果能立功、封侯豈足道?欲復遣子至湖中、視其可乗者擒之、可勧者招之、如何?」佐感泣、誓以死報。
飛は上表して佐に武義大夫を授け、単騎で彼の部隊を押さえ、佐の背中を撫でて言った
「きみは逆と順を知っている。果たして功を立てれば、封侯になど問題になるまい。またきみを湖中に行かせ、隙のある者を見て捕らえさせ、(降伏を)勧められる者は招かせたいのだが、どうだろうか?」佐は感涙し、死もって報いると誓った。
◆
時張浚以都督軍事至潭、参政席益与浚語、疑飛玩寇、欲以聞。浚曰:「岳侯、忠孝人也、兵有深機、胡可易言?」益慙而止。黄佐襲周倫砦、殺倫、擒其統制陳貴等。飛上其功、遷武功大夫。
このとき張浚は都督軍事として潭州に行ったが、参政の席益は浚と語らい、飛の敵に消極的な態度を疑い、上聞しようとした。浚は言った「岳侯は、忠孝の人で、戦いに秘訣があり、そう簡単に言ってよいものだろうか?」
益は恥じ入ってやめた。黄佐は周倫の砦を襲い、倫を殺し、その統制の陳貴らを捕らえた。飛がその功を上奏したので、(黄佐は)武功大夫に昇進した。
◆
時張浚以都督軍事至潭、参政席益与浚語、疑飛玩寇、欲以聞。
このとき張浚は都督軍事として潭州に行ったが、参政の席益は浚と語らい、飛の敵に消極的な態度を疑い、上聞しようとした。浚は言った「岳侯は、忠孝の人で、戦いに秘訣があり、そう簡単に言ってよいものだろうか?」
◆
浚曰:「岳侯、忠孝人也、兵有深機、胡可易言?」益慙而止。黄佐襲周倫砦、殺倫、擒其統制陳貴等。飛上其功、遷武功大夫。
益は恥じ入ってやめた。黄佐は周倫の砦を襲い、倫を殺し、その統制の陳貴らを捕らえた。飛がその功を上奏したので、(黄佐は)武功大夫に昇進した。
◆
統制任士安不稟王?令、軍以此無功。飛鞭士安使餌賊、曰:「三日賊不平、斬汝。」
統制の任士安は王?の命令を聞かず、軍はこのために功がなかった。飛は士安を鞭打って賊を誘わせ、言った「三日で賊を平定できなければ、おまえを斬る。」
◆
士安宣言:「岳太尉兵二十万至矣。」賊見止士安軍、併力攻之。飛設伏、士安戦急、伏四起撃賊、賊走。
士安は揚言した「岳太尉の兵二十万がやってくる。」賊は士安軍を見て止まり、力をあわせて攻撃した。飛は伏兵を設け、士安は戦いに焦っていたが、伏兵が四方から現れて賊を攻撃したので、賊は敗走した。
208: 名無し 平成31年 04/05(金)23:21:44 ID:iKw
◆
会召浚還防秋、飛袖小図示浚、浚欲俟来年議之。飛曰:「已有定画、都督能少留、不八日可破賊。」
おりしも(朝廷は)浚を召してまた防秋(遊牧民は秋になると攻めてくるので、特にこれを防ぐこと)させようとしたが、飛が小さな地図を袖に隠して浚に指し示すと、浚は来年まで待ってからそれを議論しようとした。
飛は言った「すでに計画は定めてありますので、都督が少し留まってくだされば、八日もしないうちに賊は破れます。」
◆
浚曰:「何言之易?」飛曰:「王四廂以王師攻水寇則難、飛以水寇攻水寇則易。水戦我短彼長、以所短攻所長、所以難。
浚は言った「どうしてそう簡単に言うのだ?」飛は言った「王四廂(王?)は官軍で水の賊を責めるのは難しいとしておられますが、飛は水の賊で水の賊を攻めるのは容易だと考えております。
水戦は我らは不得手で彼らは長けており、不得手で長けているものを攻めるのは、難しいのです。
中国では高い官位で呼ぶのも敬意の表現になる
(日本なら課長に部長と呼ぶようなもん)
いわれてみればこそ確かにスゲー言い方やな
◆
若因敵将用敵兵、奪其手足之助、離其腹心之託、使孤立、而後以王師乗之、八日之内、当俘諸酋。」浚許之。
あなたが敵将を利用して敵兵を用い、その手足の助けを奪い、その恃みとする腹心を離間させ、孤立させ、そのあとに官軍をもってそれに乗じれば、八日のうちに、諸々の頭領は捕らえられます。」浚はこれを許した。
◆
飛遂如鼎州。黄佐招楊欽来降、飛喜曰:「楊欽驍悍、既降、賊腹心潰矣。」表授欽武義大夫、礼遇甚厚、乃復遣帰湖中。
飛はついに鼎州に行った。黄佐は楊欽を招いて投降に来させたので、飛は喜んで言った「楊欽は勇猛だが、すでに降伏したので、賊の腹心は潰れた。」上表して欽に武義大夫を授け、礼遇はとても手厚く、こうしてまた湖の中に帰らせた。
◆
両日、欽説余端、劉?等降、飛詭罵欽曰:「賊不尽降、何来也?」杖之、復令入湖。是夜、掩賊営、降其衆数万。
二日後、欽は余端、劉?らを説得して降伏させ、飛は偽って欽を罵った「賊がすべて降伏していないのに、どうして来たのだ?」これを杖で打って、ふたたび湖に入らせた。この夜、賊の陣営を急襲して、その衆数万を降伏させた。
◆
?負固不服、方浮舟湖中、以輪激水、其行如飛、旁置撞竿、官舟迎之輒砕。
?は険阻に依拠して服従しようとせず、舟を湖の中に並べて浮かべ、輪船(車輪つきの船)で水上を突き進み、その行くことは飛ぶようで、傍らに撞竿(横に衝ける竿上の武器)を置き、官船は迎え撃つとたちまち粉砕された。
◆
飛伐君山木為巨筏、塞諸港?(サンズイに義。?と通用)、又以腐木乱草浮上流而下、択水浅処、遣善罵者挑之、且行且罵。賊怒来追、則草木壅積、舟輪礙不行。飛亟遣兵撃之、賊奔港中、為筏所拒。
飛は君山の木を伐採して巨大な筏を作り、諸所の支流を塞ぎ、また腐乱した木草を上流に浮かべて下らせ、水の浅いところを選び、罵るのが上手い者に挑発させ、進みつつ罵倒した。
賊は怒って追って来たが、草木が堆積しており、舟の輪を邪魔して進めなかった。飛はすぐに兵を出して攻撃したので、賊は支流の中に逃げようとしたが、筏のせいで行けなかった。
◆
官軍乗筏、張牛革以蔽矢石、挙巨木撞其舟、尽壊。?投水、牛皐擒斬之。
官軍は筏に乗り、牛革を張って矢や石を遮り、巨大な木をあげてその舟を突き、すべて破壊した。?は水に飛び込んだが、牛皐は捕らえてこれを斬った。
◆
飛入賊塁、余酋驚曰:「何神也!」?降。飛親行諸砦慰撫之、縦老弱帰田、籍少壮為軍、果八日而賊平。浚嘆曰:「岳侯神算也。」
飛が賊のとりでに入ると、残された首領は驚いて言った「なんとすごい!」みな降伏した。飛は自ら諸所の砦に行って彼らを慰撫し、老弱なものは解放して帰農させ、若くて意気盛んなものは登記して兵士にし、果たして八日で賊は平定された。
浚は感嘆した「岳侯はすぐれたはかりごとを持っている。」
◆
初、賊恃其険曰:「欲犯我者、除是飛来。」至是、人以其言為讖。獲賊舟千余、鄂渚水軍為沿江之冠。
当初、賊は険阻を恃んで言った「我らを攻めてくる者は、飛を除いているまい。」ここにいたって、人はその言葉を予言だと思った。賊の舟千余りを獲得し、鄂渚の水軍を長江沿いの筆頭となった。
これは飛んでくるしかない→飛が来ましたって感じかな
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詔兼?、黄制置使、飛以目疾乞辞軍事、不許、加検校少保、進封公。還軍鄂州、除荊湖南北、襄陽路招討使。
詔で?、黄制置使を兼任させようとし、飛は眼疾を理由に軍事を辞退しようとしたが、許さず、検校少保(の官職)を授け、公の位に昇進させた。軍を鄂州に帰還させると、荊湖南北、襄陽路招討使に任じられた。
このまま続けたら深夜2時までかかりそうだね
今日はやめとく?それとも続ける?
ワイはどっちでもええで
三国志の本紀と同じ分量はあるぞ
草、どんだけ岳飛好きなんや
>>233
ワイは岳飛が一番すきなんや
次いで李靖、諸葛亮、武松、林黛玉
せやな
じゃあ今日はやめておこう
続きは明日やります
ほな、また
ワイの知っているかぎりでは一番が多いな
「我らを攻めてくる者は、飛を除いているまい。」
ここにいたって、人はその言葉を予言だと思った
この時代からフラグなんてあったのか
賊の俺を倒せるのはやつだけ感半端ない
漢から緯書という予言書が流行ってたりする
三国の「当塗高」とか聞いたことあらへんか?
ないかな
せやったか
当塗高は「みち」だから
袁術、字を公路が皇帝になるのワイやんと確信する笑い話や
実は当塗高とは「魏」のことだったで落ちがつく
そうそう
案外知られてないが劉秀は予言大好きマン
毎度のこと長丁場ながら付き合ってくれてサンガツや
それじゃワイは落ちます
良かったら明日も来てくださいやで