続けて潘濬伝やるで
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潘濬、字承明、武陵漢壽人也。弱冠、從宋仲子、受學。
潘濬は、字を承明といい、武陵郡漢寿県の人である。弱冠(二十歳)にして、宋仲子から、学問を教わった。
かれも宋子の弟子なんか
時間的な問題でこの日が一番都合がよかった
年、未三十、荊州牧劉表辟爲、部江夏從事。時、沙羡長、贓穢不脩。濬、按殺之、一郡震竦。後爲湘?令、治甚有名。
年が、三十にならぬうちに、荊州牧劉表に招かれ、江夏の従事となった。この時、沙羡の長は、賄賂を貰い身を修めなかった。潘濬は、法に照らして彼を殺し、一郡は震え竦んだ。後に湘郷令となり、統治は甚だ評判が良かった。
収賄罪で処刑とか怖すぎやろ
演義の被害者
一応演義には名前だけ出てるけど
人物としては登場していない
正史の事績は今からやる
人物として登場していないってなんかいいかた変やな
人物として活躍する場面がない
劉備領荊州、以濬爲治中從事。備入蜀、留典州事。
劉備は荊州を領すと、潘濬を治中従事とした。劉備は蜀に入ると、留めて州の事を司らせた。
孫權、殺關羽、?荊土、拜濬輔軍中郎將、授以兵。遷奮威將軍、封常遷亭侯。
孫権が、関羽を殺し、荊の地を併合すると、潘濬は輔軍中郎将に任じられ、兵を授けられた。奮威将軍に昇進し、常遷亭侯に封じられた。
演義だと確か裏切った場面すらなかった気がする
潘濬って正史だと高評価だし
当時もいい感じだった的なこと書かれてるけど
季漢輔臣賛じゃ
蜀呉どっちにも裏切者として罵倒された
見たいにかいてあるんよな
なぜやろ
季漢の立場やと裏切り者やから悪く書いたんやろ
權稱尊號、拜爲少府、進封劉陽侯、遷太常。
孫権が皇帝を称すと、少府に任じられ、劉陽侯に封爵を進められ、太常に昇進した。
降伏者のくせに大出世やな
降伏したやつに高い地位を与えるのはわりかしあるね
黄権・夏侯覇もそうだったはず
五谿蠻夷、叛亂盤結、權假濬節、督諸軍討之。信賞必行、法不可干、斬首獲生、蓋以萬數、自是羣蠻衰弱、一方寧靜。
五谿の蛮族が、反乱して連結すると、孫権は潘濬に節を貸し与え、諸軍を督させて討伐させた。信賞は必ず行われ、法は曲げられず、首を斬り生け捕った者は、凡そ万を数え、これ以降諸蛮族は衰退し、一帯は安寧となった。
先是、濬、與陸遜?、駐武昌、共掌留事、還復故。時、校事呂壹、操弄威柄、奏按、丞相顧雍、左將軍朱據等、皆見禁止。
これより前に、潘濬は、陸遜と共に、武昌に駐屯し、共に事を掌握しており、帰るとまた事に当たった。この時、校事呂壱が、権威を弄し、上奏し、丞相顧雍、左将軍朱拠らを、皆拘禁した。
?門侍郎謝?、語次、問壹「顧公、事何如」壹答「不能佳」
黄門侍郎謝?が、話に次いで、呂壱に問うた「顧公(顧雍)は、どうなりますか」呂壱は答えた「よくはならない」
?又問「若此公免退、誰當代之」壹未答?、?曰「得無、潘太常得之乎」
謝?はまた問うた「もし公が罷免されたなら、誰が代わりになりますか」呂壱が謝?に答えぬうちに、謝?は言った「なる者はおらず、潘太常(潘濬)がなるのではないでしょうか」
壹良久曰「君語、近之也」?謂曰「潘太常、常切齒於君、但道遠、無因耳。今日代顧公、恐明日便?君矣」壹、大懼、遂解散雍事。
呂壱はしばらくしてから言った「君の話が、近いであろう」謝?は言った「潘太常は、常に君に切歯しておりますが、道が遠いので、何もしないだけです。今日顧公に代われば、恐らく明日ただちに君に攻撃しましょう」呂壱は、大いに恐れ、遂に顧雍を解放した。
孫権もそんな話信じるなや
それでもなお黙る顧雍はホンモノの人物やな
濬、求朝、詣建業、欲盡辭極諫。至聞、太子登已數言之而不見從。
潘濬は、朝見を求め、建業に参り、言葉を尽くして強く諌めようとした。到ると、太子孫登がすでに何度も言ったが聞き入れられなかったと聞いた。
濬、乃大請百寮、欲因會手刃殺壹、以身當之爲國除患。壹、密聞知、稱疾不行。
潘濬は、そこで百官を皆呼び、手ずから刃で呂壱を殺し、身をもって国の患いを除こうとした。呂壱は、密かに聞き知り、病と称して行かなかった。
さっきから思ってたけど
こいつやたら正義感強いな
潘濬は人格者や
潘姓嫌いのワイでも好きにならざるをえない
潘氏に何の恨みがあるんや……
潘氏というか殆ど金蓮と仁美のせいやけど
ワイの好きな人物陥れたから嫌いなんや
濬、?進見、無不陳壹之姦險也。由此、壹寵漸衰、後遂誅戮。權、引咎責躬、因誚讓大臣。語在權傳。
潘濬は、拝謁のたびに、呂壱の奸悪さを述べた。そのため、呂壱の寵愛はだんだん衰え、後に誅殺された。孫権は、咎をもって自らを責め、大臣も責めた。話は孫権伝にある。
赤烏二年、濬卒、子?嗣。濬女、配建昌侯孫慮。
赤烏二年(239年)、藩濬は亡くなり、子の藩?が後を継いだ。藩濬の娘は、建昌侯孫慮に配偶された。
評曰。潘濬、公清割斷。陸凱、忠壯質直。皆、節概梗梗、有大丈夫格業。
評に曰く。潘濬は、公正清廉で決断が出来た。陸凱は、忠義があり勇壮で実直であった。皆、節を曲げず、大丈夫の人格と業績があった。
潘シュンは陸ガイとひとまとめにされとるんやな
>>330
正史やと似た性質の人をまとめて立伝するから
陳寿が似たような人やと思ったんやろ
今日ちょっと忙しいからもう落ちるわ
見てくれた人サンガツ
ほな、また
乙やで
乙
それで嫌い
金蓮と巧雲ほんと嫌い
>>333
いや、諸葛瑾・顧雍までが限界やな
顧雍はちょっと力不足が否めないが