晋なんてろくな皇帝いなかったよね
ニュース
曹操とか現れなかったら、マジで五胡十六国前倒しがあったような気がする
ない
仮に曹操がいなくても起こらない
何でかと言うと公孫サンがいたから
袁紹は烏丸に下手に出ていたから、別の展開はあったかも知れない。
民族の移動でいずれ起こっていただろう
後漢は匈奴他異民族を分断統治するために各地に分けて移住させてる
地味に諡号が光文帝
存命中に統一できてたら、どういう史書の名前がどうなったのかなー
統一するには寿命が圧倒的に足りないけど
漢(前趙)による統一は、劉淵に30年の寿命があったとしても100%不可能
「鮮卑との関係をどうするのか?」という問いを考えるだけでも無理ゲー
第一、西晋のように朝貢させる実力とか実績が、匈奴には無いわけだから
>>464
劉淵にあと30年寿命残ってたら、王彌と石勒の不和や、石勒の自立とか、いろいろ未然防止できる要素が多すぎるんだが
(そもそも、前趙の君主で長く在位できたのは劉曜だけだからなあ)
石勒だったら慕容廆にも拓跋部にも勝てそうじゃね?
石勒が長生きしてたら内紛をついて併合できたんじゃないかな
>>467
その場合、後漢後期の羌族反乱鎮圧政策みたいな感じで、いつ終わるとも知れない長期的な軍事支出が膨れ上がり、国家財政破綻→宗教的反乱・軍圧割拠という三国志の繰り返しになった可能性が高いと思う
しかしながら、疲弊しきった中原の人口・生産力では各地をつなぎとめることは、ほとんど不可能になったんじゃねーかな、とは思う
>>467
帰属化した豪族の間の政治的なバランスを取りつつ、それに乗れなかった寒門の反抗心を削ぎながら利用し、王族が増長しないよう適度に押さえながら寒門・異民族の受け皿とし、立法厳罰による官僚団を形成せずに皇帝の裁量で統治を行う
これが晋の皇帝に定められた責務
ぶっちゃけ鎌倉幕府の北条執権なみに激務。優秀じゃないのが出るとすぐに破綻して崩壊するシステムだが、司馬昭が政権とった手段が上の状況を是認することだったからどうしようもない
賈氏専制の時代はそこそこ安定していたから
けっこうなんとかなったと思う
その時代は銭々で病んだ時代だったと晋書で批判されてるぞ
社会全体の不満が膨らみきって八王の乱から五胡十六国の流れでしょ
後漢も霊帝の時代はなんとかなってた
東晋も蘇峻の乱以降は安定期に入った
権力システムが不全を起こさなければなんとかなる
皇帝の意思不在の恵帝という状況で、専制していた皇后が排除されてから収集つかなくなった
次に権力を握った司馬倫には正統性も能力もなかったし
中央が不安定すぎたので地方の動揺に何の対策も出来ず
あと魏の不運は文帝、明帝が若死したのも
日本を統治するより中国を統治するのは難しそうだな
ぶっちゃけほぼほぼ後付け>晋が魏を反面教師にして王族優遇
だいたい魏は準皇族には優しかったじゃん。曹真、曹爽、曹休、夏侯玄…
乗っ取りの可能性のある近い皇族はある程度制限つけて、そうでない身内は優遇は理に適ってる。
徳川幕府だって大封の親藩は政権に参加できない。幕末で越前や会津が参政したのが異常事態だし、曹宇、曹植、曹彪なんかはそれなりに優遇されているし、冷遇とかないよ
そうやって曹家を守ろうとした準皇族クラスほど、司馬家がぶっ潰しただけであって、曹魏が滅びたのは王族に力なかったから!司馬晋はそうじゃない!ってマッチポンプすぎる主張
何晏とかも準皇族に入るのかな
曹丕が曹植や曹彪の所領を加増したり、曹叡の後見人を曹宇にしようとしてた辺りをみると
皇族体制という選択は曹丕の中にもあったと思う
それを潰したのが側近の劉放と孫資で、その後に通った案が準皇族の曹爽と士大夫代表の司馬懿の連合政権
このバランスは曹丕政権の曹真・曹休と陳群・司馬懿のバランスと一緒であって、曹丕自身は自分が皇帝じゃなければ別の体制を用意する必要があると考えたか、自分の死を切欠に自分でもどうにもならなかった政治バランスを変えたかったのかも知れない。
この時代のことを横山光輝は漫画にすればよいのに
史記、項羽と劉邦、三国志はでているけど
登場人物の顔が似ているのはどうも
この時代は
均田制が登場する時代
名のない庶民が政治家になろうとしたら宦官になるしかなかったようだ
既に亡くなられた方にそんなこと言っても…
生前に書いてもらいたかった。
朱元璋(明の太祖)は興味深い素材らしい。
朱元璋も書いてもらいたかった。
客を呼べない時代の講談なんて書くわきゃねーよ
中国の三大歴史伝記は封神演義(原作書経)項羽と劉邦(史記)三国志かな
三国志は小説吉川、漫画横山
項羽と劉邦は小説司馬遼、漫画?
封神演義は小説?漫画藤崎竜
>>490
>日本は源平・戦国・幕末だが
太平記の存在を忘れてもらっては困る
戦国や幕末の伝記物は小粒すぎて、平家物語や太平記に匹敵する物はないだろ
>中国の三大歴史伝記は封神演義(原作書経)項羽と劉邦(史記)三国志かな
日本でわりと出回ってるってだけだろそれ
東周列国志、隋唐演義、説岳全伝、飛龍全伝、万花楼演義、楊家将演義、三侠五義…はちょっと違うか。三国志演義に次ぐ、著名な歴史伝記小説は、オレが知る中だけでさえ沢山ある
地球規模での寒冷化が影響してると言われてるねあの時代はぶっちゃけどうしようもなかった気もする
>>503
宮崎市定『大唐帝国』(全集読めるのであれば6巻・7巻)
初心者であればこれ1冊で十分戦える
あとは三﨑先生の『五胡十六国』とか福原先生の『西晋の武帝司馬炎』が入手しやすいかな
講談社学術文庫の『魏晋南北朝』も概説だが頼りになる
論文に当たろうとすると、なぜか六朝、北魏、仏教研究ばっかになるんだよな
五胡関係は意外と少ない、そのせいで資治通鑑とかに直接当たらないといけなくなる
(資治通鑑には晋書には出てきていない記述とかあるから、どうしても外せない)
それって李氏の唐じゃないの?
五胡十六国の本が知りたいのに
>>505
タイトルだけだと唐王朝の本に見えるが、実は後漢末から書き起こしているので問題なし
サブタイトルの「中国の中世」の方が適切なタイトルの様な気もする
桓温が洛陽ぶん取ったのって地味に物凄い事なんじゃなかろうか
流石に維持は出来なかったみたいだけど
三国志に例えるなら陸遜が呉から遠征して許都制圧するようなもんだろ
>>509
姚襄の勢力は東晋から独立したばっかで基盤はほとんど築けていなかったから、陸遜のそのケースよりかは難易度は下がる
桓温自身は350~351年ころ(後趙末期)の北伐を熱望していたようだが、冉閔、慕容恪らが跋扈する中原に打って出るのは危険すぎだと思う
漢民族至上主義の冉閔は味方に引き込めるんじゃないの?と思ったけどそう単純な問題でもないのかな
そういや冉閔が東晋に共闘申し入れて断られた事があったような…
>>511
不思議ちゃんの苻堅とうまくやってたんだから、桓温とだってうまくできそうなんだけどな>>王猛
王猛の師匠が言うには「似た者同士で両雄並び立たず」みたいな感じだったけど
その後の王猛の俺様っぷりを見ていると「こいつ、誰とでも衝突するんじゃねーのか?」と思わずにはいられない、師匠、絶対に人物鑑識間違ってるだろ
>>512
桓温が王猛を得たなら中原を取り戻す事も可能だったかも知れんね
一度は洛陽を奪還してる訳だし
王猛は宰相のイメージが強いけど、武将としても滅茶苦茶優秀なんだよなぁ
冉閔に言語が通じる気がしないw
同志であった元乞活の李農ですら排除してるのにどうやって連携するんだ、あのアホと
桓温は割と常識人だよね。大虐殺とか粛清しないし
>>516
あなた、その申し出受け容れることできます?
候景を庇護すること並みに危険ですよ
微妙に似てるな、この愛すべきバカ二人
天下を取ったのが魏でも呉でも蜀でもなく
ぽっと出の晋
仕舞には内輪揉めと異民族の蜂起でアボーンという最悪の幕引き
漢民族主導で国盗り合戦やった最後の時代って見方でいいのかね、三国志って。
>>553
元末辺りでも普通に三つの漢民族勢力が覇権争ってるぞ
漢民族は五胡時代以前も異民族と混血繰り返してるので
梁啓超の言葉借りれば「自分が漢民族だと反射的に思う人が漢民族の範囲である」
祖先がどんなルーツの異民族でも漢民族の文化伝統を受け入れれば漢民族とみなされるのが前提で
秦や楚も元をたどれば異民族だしな
平和ないい時代が来てハッピーエンドだったかもね
英雄だったよ ふけんは
それに比べて司馬一族の不甲斐無さと言ったら・・・
でも一回負けただけで国内がユーゴスラビア紛争化だから
チトー未満の苻堅
中国の有名な暗君
幽王
西周最期の君主。寵妃である褒姒を笑わせるために、諸侯の軍を参集させる烽火を乱用。結果、本当に異民族の侵攻があったにも関わらず誰も助けに来なくなると言うイソップ童話を字で行く逸話を残す。
劉禅-蜀漢最後の君主。その幼名「阿斗」が中国ではどうしようもない人物を指す言葉になるほどの人気のなさ。日本においては「在位40年は歴代皇帝トップクラス」「そもそも蜀は無理ゲー」と言う評価が強く、彼の記事を見ても分かる様にその評価をどうするか考えることは三国志ファンが必ず通る道である。
恵帝
西晋の二代目。あの司馬懿の子孫で司馬炎の息子とは思えないほどの超絶暗君。マリーアントワネットより千五百年前に「穀物がないのならば肉粥を食べればいいではないか」
と言う言葉を吐いたと言う。西晋が短命王朝で終わったことや、異民族時代である五胡十六国時代の遠因となった人物。
蕭宝巻
南朝斉の第6代皇帝。内向的性格で、幼馴染の寵妃のために無茶苦茶な後宮工事を施す。反乱のさなか、衛兵に殺害され首を蝋で固められて反乱勢力の手土産にされると言う屈辱的な最期を迎える。死後、諸侯に落とされ「愚かな東の侯」という意味で東昏侯の号を与えられた。
後主(高緯)
北朝北斉の第5代皇帝。奸臣を近づけ忠臣を退けた典型的な暗君。次々に国土を失う中にあっても「まだ一生遊ぶには十分な国土がある」と言う奸臣の甘言(?)に納得してしまい、結果自分も含めた一族皆殺しの結果を招く。
後主(陳叔宝)
南朝陳の最期の皇帝。隋軍に宮廷を包囲された際も逃げ隠れするなどの醜態をさらす。亡国を招いたことやその過程で妃が殺されたにも関わらず、何ら恥じる様子もなく連行先の長安で楊堅に仕えた。あまりの情けなさに殺されることもなく天寿を全うすることができたと言う。
中国皇帝の暗君連中で打順組んだ
1(中)蜀漢孝懐帝
2(二)後漢霊帝
3(三)北宋徽宗
4(一)西晋恵帝
5(遊)明万暦帝
6(左)南斉昭粛帝
7(右)陳後主
8(捕)北斉後主
9(投)北周宣帝
今のイタリア人もローマ帝国の末裔とは信じられないぐらい戦争弱い
今のギリシアもあのスパルタが有ったとは思えないぐらいの堕落ぶり
モンゴルくらいかな中原に入っても漢化されなかったのは、五胡、契丹、女真、満州は殆ど漢化されてしまったしね
もっともモンゴルの場合は中原に入る前の段階で既にイスラムやヨーロッパの文明に接したこともあって、中華文明を相対的に捉えることができたのが独自性を保てた大きな要因だと思う
そのおかげで相撲が強い面もある
今の中国人で大相撲で横綱なれそうなのいないだろ
フケンの惨敗が残念
司馬一族なんかの百倍、善政を行ったと思うんだが
符堅は余りに早く生まれ過ぎたとは思うな
李世民クラスの名君として歴史に名を残したかな?
まぁ何を言っても結果論だけど
桓温が死んで十分弱体化してたと思うぞ
後を継いだ謝安一族が予想以上に強力だっただけで
桓温が死んで王猛が死ぬまでの間しかいいタイミングが浮かばない
前涼放置してすぐ攻め込むしかなかったな
王猛が反対したのは桓温と王猛の間に虱潰の交わりがあったから
誰でしょうか?
赫連勃勃石虎のツートップ
蘭陵王以外の北斉の高一族全員。
八王の乱と劉聡の侵攻で断絶して
代→北魏→西魏→北周→隋の流れが統一王朝になり替わったな
東晋の流れを汲む南朝は陳で断絶したし
南朝は後梁で隋に吸収されたと思えば断絶ではないな
日本の南北朝時代みたいに南朝が北朝に吸収されたが
後で南朝が正統と認められた例もある
>>607
李淵自体も北方系らしいしな。
まぁ、余りにオープン過ぎて節度使にも異民族をガンガン登用したのが唐の滅亡要因の一つでは有るけどさ。