張飛関羽はマジで義兄弟なんやっけ?
ニュース
正史には契りを結んだと書かれていないが
恩愛は兄弟や父子のようだとあって
まったくの創作ってわけでもない
サンガツ 仲が良かったのは史実なんやな
劉備が落ちぶれても
傲慢関羽と横柄張飛が裏切らなかったのか
深い仲やったんやろな
張飛が男だとも女だとも載ってない
張飛女の子説を捨てるな
ここ魏のピンチやね
曹操も許じゃなくて
ギョウにおること多かったみたいやし
これ呉が背後突かなかったらどうなってたんやろ
呉が合従策について少しでも理解してればなぁ
詳細は省くが
呉がガチで条約破って合肥攻めてたら
魏は終わってた可能性が大
ただ合肥を抜いて徐州に攻め込んでも
位置的に戦いづらい上に
すぐに魏が援軍で来るんで大変やで
って呂蒙が進言してる
>>213
対関羽に狩りだされてる面子見てると
援軍来てもしょぼそう
蜀贔屓なのもあるけど
ここらの呉ほんまクソ
ちな劉備は関羽に援軍送ってるけど
間に合わなかった
その前に呂蒙や陸遜に関羽がやられてる
孟達劉封来てても死んでたやろなあ
そいつら以外にも永安方面から援軍送ってるで
その後詰で自分も軍隊率いて援軍に向かおうとしてたらしい
ちな対関羽戦に参加したとされる武将一覧
(判明している範囲で)
魏
曹操、夏侯惇、曹仁、張遼、于禁、徐晃、ホウ徳、
満寵、文聘、趙儼、裴潜、呂貢、呂常、李緒、田豫
成何、董衡、董超、傅方、胡修、殷署、朱蓋、徐商
呂建、浩周、董昭、司馬懿、?済
呉
呂蒙、孫皎、?欽、朱然、陸遜、韓当、諸葛瑾、
潘璋、孫桓、虞翻、全琮、馬忠、李異、謝旌
呉の馬忠ここだけ活躍したな
死んだやろなあ
ここから全盛期なんだよなぁ・・・
宗預と同年代だから180年代生まれやろ?
四十に差し掛かるころやないか?
元黄巾賊やろ?
演義だと黄巾残党であって
黄巾の乱には参加しとらんで
そうなんや
とりあえず264年死没のインパクトが強すぎるわ
そうじゃないと思うわ
歴史上本当にたったの一戦で
大きく勢力図が変化するのを知っているからね
ガチのチートはNGで
劉邦にあれだけ後方をかき乱された項羽は一番むりやろ
関羽以上に局地戦マンやぞ
しかも勝手に敵増やすし
独立するかもしれんがええんか?
関羽も外交権北伐権もってたし
まあ独立勢力みたいなもんやし(適当)
大国との外交権と処断権は無かったみたいやけどな
魏の豪族に調略とかしまくって叛乱起こさせたりはしてるけど
呉が結婚勧めてきたり
なんか関羽を独立勢力と思ってた節はないかな
あれ明らかにそういう煽りやろ
>>241
正式な結婚の使者ならまず成都に行ってるはずや
あと関羽の娘と孫権の息子達の婚姻に関してやが、
孫権の息子達は当時13歳、10歳くらいだったはず
直接関羽に、しかも本気で婚姻迫るってのはもはや煽りレベル
荊州方面軍の司令官として
色々権限は与えられてたのは確かやけど
あれは呉が暗に劉備から独立せん?って誘いやと思ってる
軍法的に荊州失った責任大きすぎるし降格は免れんとして
戦略は変わったやろか?
故事成語が泣いて関羽を切るになるんやな
面白いな
そうなってたかも知れんね
劉備「関羽を斬ったし張飛も朕と一緒に死のう…ズッ友だもんね…」
もう蜀の勝ちの目は完全になくなるので投了やない?
関羽がいても物資と人数がいないとどうにもならん
勝ち目でいえば
蜀より小さい国から勝利したとこなんて腐るほどあるで
明の永楽帝なんか800騎VS全国土で勝ってるんやぞ
諦めなければなんとかなるを教えてくれる
ふせんの父ちゃんの討ち死にとか
曹操が逝去
この時劉備は韓冉という者を弔問の使者として送っている
→この男は曹丕の命で斬られる
尚、劉備が逝去した後は
曹丕の意で魏の重臣が降伏勧告分を送りつける
魏書
孟達が魏に降り、曹丕が皇帝に
蜀では漢の皇帝である劉協が殺された噂が流れる
221年劉備は皇帝に即位
(劉協は死んでいないので、これは僭称になる)
・費詩「え?皇帝になるんですか!?反対や!!」
→南中の田舎に左遷される
→後に復帰
この前後辺りで張飛、馬超、法正、黄忠らが次々に死んで
世代交代期を迎える。
何で弔問の使者なんて送ったんやろ?
ワイでも煽りやと思うで
>>253
ここら辺の心境も分からん、
建前上って説もあれば
挙兵以来の腐れ縁やっていう説もある
群雄割拠を生き残った世代やしな
とワイは思いたい
まあ轡を共にした事も世話になったこともあったし
そう考えるのが浪漫あるわね
もし劉備が曹操を裏切らなかったらどこまで出世したんやろね
或いは粛清?
参謀陣があれだけ警戒してたんやから
殺されるか、よくて辺境へ左遷やないか?
曹操劉備大好きやし結構出世するんやないと思ってるけど
確かに参謀陣皆殺せって言ってるし粛清不可避か
万が一曹操期を乗り越えても曹丕の時に粛清不可避
だからさっさと逃げたんやと思う
あと政争に巻き込まれそうだったって意味でも
>>250
劉備が皇帝になる条件は劉協の生死やなくて天命いかんやから
僭称とはまた違うで
当時の皇帝は天の命令により地上を支配するという概念があってんねん
劉協はそれを失い劉備は天から認められ
(これで先主伝に瑞祥云々が出てくる)
正式な手続きを踏んでるからこれを否定しようはないんや
せやな、その通りや
もう時代が変わろうとしているから
僭称ってのは間違ってたかもしれん
本当に細かいところやけど
劉備は諸葛亮に遺言するまで漢の忠臣としてあり続けてる
正式でない手続きを一度もしていない
これが劉備の強さであって
恐ろしさでもあると考えとるから
これだけは言っておきたかったんや
1(三)傅僉
2(中)董厥
3(遊)張翼
4(一)姜維
5(二)廖化
6(左)霍弋
7(右)羅憲
8(捕)黄崇
9(投)諸葛瞻
ここから末期蜀打線に
これはアカン
1呉懿(三)
2張嶷(二)
3李厳(遊)
4魏延(指)
5馬岱(中)
6張翼(一)
7馬謖(捕)
8廖化(左)
9呉班(右)
先発:諸葛亮
中継:董允
抑え:蒋エン、費イ
これが劉備死後かな?
まだギリ戦えそう
【呉征伐~逝去】
諸葛亮が丞相になり
国の体制を整えた劉備は呉の征伐に乗り出す。
221年秋
呉征伐開始
武陵蛮を動かし、零陵では習珍が挙兵、荊州南部も呼応。
張飛を直前に失うが
劉備は約五万の兵と次世代の主力を率いて
陸遜率いる呉軍と対峙。
黄権
「呉軍は勇敢です。
さらに、水軍で流れに乗って進むのは容易いが、
逆らって退くのは困難なものです。
私が先鋒を務めますので、陛下は後方をお守りください」
劉備
「却下やで」
劉備は呉との和睦を拒否、馮習と呉班に命じ、呉の李異を撃破。
陸遜は持久戦に持ち込み、劉備は堅陣を敷いていたが
じりじりと陣は伸び、劉備は水軍を下げて江を渡る。
劉備は夷道を包囲。
ここが落ちると呉軍は拠点の大半を失う危機的状況だったが、
主将の孫桓が粘り、防衛に成功。
陸孫は水軍を率いて江を遡り、
伸びきった陣営を奇襲、火計で劉備軍を大混乱に。
なんとか逃走するも、
馮習、馬良、張南、王甫、傅?、程畿ら次世代の将達が戦死。
江北の軍を指揮していた黄権は孤立しやむなく魏に降る。
向?、呉班、陳式ら一握りの将は生還するも
再起不能に近い大打撃を被る。
燃える軍営を見た劉備は何を思ったんやろな...
敗因の原因を幾つか挙げると
・陸遜の戦略が劉備を上回った
・劉備、馮習の油断
・従軍した将達の経験不足
・親征という名の枷
・客将時代とは違う環境
・皇帝と言う立場と風評
・得意な戦術で立ち回れなかった
のが敗因に挙げられる。
皇帝の親征は
失敗すれば天命を受けた者としての名前に大きく傷が付くため
負ければかなり痛い
余談だが袁術、孫権、曹丕も失敗している
司馬炎「皆雑魚やなぁ」
なんとか逃走するも、
馮習、馬良、張南、王甫、傅?、程畿ら次世代の将達が戦死。
江北の軍を指揮していた黄権は孤立しやむなく魏に降る。
ここやなぁ、赤壁では魏の有力武将やブレーンが死んだという記述はないけど
蜀の場合ここで国家運営に必要な人間が一網打尽だもんな
最大級の損失やと思う
これも後々諸葛亮率いる蜀を苦しめる要因の一つや
呉を攻めずに和睦しても
あかんかったかな
蜀って言っても一枚岩じゃないからなぁ
荊州派閥や益州派閥とかあるうえに裏切りで関羽が死んでる
大義名分はこっちにある上に皇帝っていう立場や
ある程度優位に戦って和睦に持ち込むしかないで
→裏切りで関羽が死んでる
これ書物によっては関羽が呉の国境沿いの村から何度も
食料強奪したから呉が切れたって説もあるけどどうなん?
>>292
関羽が略奪したのは于禁軍を捕虜にしたから
于禁軍が出兵したのは関羽の攻勢が激しくなったから
関羽が荊州空にして強気に攻められたのは
呉がへりくだった態度を取ったから
略奪の虚実は別として
それを原因には求められないで
あったなそんな説
うろ覚えやが、位置的に否定されてた説と食糧運搬の際に水路を利用するため
通行権を持ってた呉が関税をかけたり~って話もどっかで聞いたことがある
(確信は薄いが)
うん、俺もこれに関しては
ネットの記述とどっかの誰かの本で見ただけ
歴史書自体では見たことがないので半信半疑なんや
まぁ双方それぞれ主張が違うってことか
それ自体は呉書呂蒙伝
サンクス
まるっきり信ぴょう性がない話というわけでもないわけやね
呂蒙伝に
「羽、尽禽禁等、人馬数万、託以糧乏、擅取湘関米。」
(関羽ちゃんは于禁くんたちを全員捕まえて人馬が数万になったから
兵糧不足を理由に勝手に湘関のお米取っちゃったよ)
とあるのが由来や
同盟国から勝手に物資を強奪とかそりゃ討伐されますわ
>>312
ソースが呉に有利な記述ましましの呉書
(皇帝即位前の孫権を至尊と呼んだり
取ってない白帝城とかまで
呉のものとして扱ったりするめちゃくちゃな本)やし
呉は関羽が略奪する前から
ちゃくちゃくと準備進めてたのもあって
呉が関羽を倒す計として遜る
→関羽、魏に集中攻撃
→于禁を捕らえる
→関羽略奪
ワイは捏造を疑ってる
曹丕「劉備は戦を理解していない(ドヤ」
と夷陵戦の結果をコメント
蜀の国法に照らせば、黄権の妻子は死罪になるところであったが
劉備は
「ワイが黄権を裏切ったのであり、彼がワイを裏切ったのではない」
と言い、彼の家族を罰することなく戦前と同様に遇した
(この時救われた黄権の息子が、蜀王朝滅亡に殉じて戦死した黄崇)
黄権もこの信頼に応え
「蜀はあなたの家族を害した」
という報せには耳を貸さず
劉備の訃報を祝う群臣に同調することもなかった。
またかつて劉備に仕えた事のある袁渙も同様だった。
一番下のエピソード視ると
劉備ってやっぱり魅力的な人物やったんやなぁ
やっぱ劉備って人徳お化けだわ
永安で病に罹り、成都に戻れず
諸葛亮が永安に向かうと
成都近郊の漢嘉太守・黄元を初めとする叛乱が各所で起こり
鎮圧するが叛乱の鎮圧にも苦労する程勢いを失っている。
曹丕「呉蜀が疲弊した今がチャンスや、攻めたろ!」
賈ク「やめーや、そう簡単に攻められんで」
→進言に従わず攻め込んで返り討ちにあう。
223年
劉備は重体に、丞相の諸葛亮、尚書令の李厳を呼び、後事を託す
劉備「君の才能は曹丕の十倍や、
劉禅に才があるなら補佐し、無ければ君が国を奪え」
というぶっ飛んだ事を言うが
これは釘を指す意味もあった反面、全幅の信頼の証だった説。
結果的に見れば諸葛亮は死力を尽くして国を立て直し
魏と戦い続け過労死した。
三国志最高の遺言にして最大の呪いの遺言ほんますこ
孔明が過労死したの間違いなくこの遺言のせいだよな
>>315
どういう心境で発言したのか劉備に直接聞きたいレベルやわ
信頼の証なのかはたまた違うのか
孔明は権力欲無さそうやしなあ
本心やと思いたい
分からんよなぁ
分からんから英雄なんやろな
まあ皇帝という立場を考えたらあれやが
陶謙も劉表も孫策も似たような遺言しとるしな
陶謙劉表に関しては劉備は当事者やし
皇帝になって日も浅いから
皇帝の自覚も薄かったんじゃないかと
皇帝の自覚が薄かったんじゃないか
ってのはええな
国家よりも敵討ち優先やからな
ヤクザの親分と見分けが付かないで
陳寿
「先主は度量が広く意思が強く心が大きくて寛大であり、
人物を見分け有能な者を厚遇した。
思うに漢の高祖の風格があり、英雄の器だった。
諸葛亮に国を任せ遺児を託し、
心に何の疑惑を持たなかった事は、
誠に君臣の私心泣き在り方として最高のものである。」
劉備には人を引き付ける一種のカリスマがあり、
れた容姿とある程度の学識を備え、人を立てるのも上手かった
劉備軍は劉備の侠気で統率された様な軍で
関羽や張飛との肉親の様な関係に象徴される
それが強さであり、弱さでもあった(夷陵での敗北
群雄の中でも大きなハンデを背負っていたにも関わらず、
しぶとく生き残って蜀を建国するに至ったのは
勘と経験、人物眼、人柄を活かせたのも大きい。
曹操との差は優秀な参謀を得たのが遅かったのも挙げられる。
人物眼が鋭く人材の扱いに秀でている。
無名の諸葛亮やホウ統を用い
法正・劉巴ら性格に問題のある人物も重鎮として能力を発揮させ、
魏延や鄧芝、馬忠、楊儀ら次代を担う将を抜擢した。
秀才と言われていた馬謖の危うさを見抜いて
重用しないように言い残したことでも知られる。
アレを重用するなって遺言も聞けよとは思う
まぁ結果論で言えばそうはなるがな
人選ミスってのは曹操も劉備もやってるからなぁ
馬謖はエリートや
まず王平が上司になったら
言う事聞かない可能性大やわな
正史王平は街亭の戦いで初めて見いだされた男だから
因果的に無理
定軍山の時降伏してきた記憶
せやな
まぁ多少の過ちはあれ
対立する国のトップたちが優秀だったのが
三国志の魅力だわな(孫権の晩年は除いて)
他の時代とか戦時中でも平気で自分の右腕を粛正するとか
後味が悪い話ばかりだもんなぁ・・・
歴史を調べると
味方がいくら有能でも敵も有能だったら
そうそう大勝できないんだよね
本当に勝つのって少なくって
内部の腐敗につけ込むというかそんな感じ
田中芳樹が書いた中国名将100人?みたいな本を読んだら
そのうちの8割ぐらいが悲劇的な終わりで草も生えませんよ
終わりを全うできるのって
後漢初期、唐、遼、宋初期、金、元あたりで
特別君主が優しくなければまず殺されるわ
ここは主君の資質の違いがもろに出る気がする
月並みだけど
岳飛とか文天祥、孫武とか
もう涙涙のラストですわ
孫武ってそんなアカンかったか?
王様の遺体の上でハリネズミになって死んだのって
孫武じゃなかったっけ?
間違ってたらすまん
それ呉起や
ごめんww
すごい勘違いしてたwww
ここまでで書き留めてたのは終わりや
軽く個人的な意見を載せとくが
劉備の何が厄介かと言うと、広く名士に声望があり、
負けてもしぶとく生き延びてどこかで復活し、抵抗してくるところやわ
しかも陸戦に関しては一級品の指揮官で戦も強い。
こんなん敵からしたらウザすぎることこの上ないで。
この劉備が死んだことで戦国時代が終わったとも言え、
後の三国膠着に突入していくんやな。
逆に劉備に足りんかったのは何やろね
同じ時代に曹操が居た時点でもうあれやが
強いて言えば時間やろな
孫権はそんな話聞かんな
呉に詳しくないけど指揮官としてはどうなん?
自分で兵を率いたらほとんど勝たない
勝つのは大体配下にまかせた時
うーんこの
皇帝が戦に弱いとか話になりませんわ
下手糞でもちゃんと自覚して
部下に任せてたら良かったんやがな
>>349
孫権は出ると負けるレベルって聞いたわ
てか皇帝の戦は
普通の戦よりも負けてはいけない意味合いが強いからな
久しぶりに三国志トークできて楽しかった
新しい情報もアップデートできた楽しかった
因みにワイが参考にした出典とか
出典自体が当てにならんもん多い上に
先主伝ばっかでかなり偏った纏めやで
そこ捕捉しとくわ
やっぱ生まれた時代って重要やな
初期メンバー揃いすぎやろ
>>362
それもあるし相手がミス連発してくれるからな
譬えるなら
項羽は勝手に袁紹、孫権、袁術、馬騰らの
総攻撃を引き起こす曹操で
緑林、赤眉は
戦わず自滅してくれる袁紹と曹操やもん
ご飯食ってなかったわ腹減った
おつかれー