【雌伏から飛躍】
204年
博望坡で曹操軍と戦闘
蜀書では守備、魏書では攻撃側と記される
時期的に曹操が冀州を攻め取る直前。
夏侯惇、于禁、李典が従軍
劉備は伏兵を用意し自分の陣を焼いて撤退
追撃してきた夏侯惇、于禁を包囲し殲滅しかけるも
李典が救援(釣り野伏せ
なお諸葛亮はまだ居ない。
荊州の名士に受けが良く
戦乱を避けて荊州にきた人達に人気があった
(劉表が警戒するほど)
軍閥としては一万くらいの規模、ちな挙兵から30年経過。
劉備「曹操が北に言ってる今がチャンスやで」
劉表「却下やで」
ニュース
劉表軍閥の非主流派らを取り込もうとし、劉琦に近づく
ちなみに劉表、蔡瑁と縁戚だった諸葛亮は内情をある程度知っていた模様。
諸葛亮は劉琦に晋の文公の故事を挙げて江夏に向かわせる
この時江夏郡は黄祖を討った孫権が半分ほど所有。
劉表が死に、劉琮が後を継ぐが曹操が南下
劉琮は速効で降伏するが劉備には伝えず。
この時劉備は樊城に駐屯していたが、曹操が来た事を知って襄陽まで退く。
諸葛亮が荊州を取ることを勧めたがこれを断る
→劉表の墓参りに行った結果、劉琮軍や民の一部が劉備に帰順。
関羽に別働隊(主力部隊)を率いさせ数百艘の船で漢水を下らせる。
十余万の民衆が従う
(以前の劉備なら速効で見捨ててるが、今回だけは民を率いるという点)
民衆で曹操軍を撹乱するため?
本隊一万、江夏の劉琦が一万、合わせて二万の兵力を温存。
劉備が江夏を拠点にした場合
孫権が戦う気なら参戦せざるを得なくなる位置になる
これで劉備が潰れれば孫権は苦戦は必至になる
劉備は民を連れてゆっくり撤退(囮)、
結果的に主力から目がそれて劉備の声望が上がり、曹操の声望が下がる
趙雲が家族の一部を救出に成功するが、徐庶が捕虜になる
奮武将軍・程昱
「孫権は後を継いで日が浅く声望も無い、
片や劉備は英名があって関羽張飛がいる、
孫権は劉備を使って我らと対抗すると思うで、
我が軍の脅威が去れば分裂するだろうが
劉備はこれを利用してもう討てなくなるに違いないで」
孫権との連携について 程昱伝より
カイ越カイ良あたりが劉備を気に入ったんかな
>>59
三年間の間に荊州の名士たちと仲良くなってた可能性がある。
大体その辺りだと考えてええかもな
博望坡に関して徐庶が作戦を~ってのは良く分からんかった
普通に劉備が作戦立てて撃退してるかもしれん
徐庶に関しては諸葛亮を紹介したって話しか分からん
ウィキやと
劉備軍4000vs120000曹操軍になってるな
陣をわざと燃やして劉備の奇襲が成功したと
どこも戦場になっていくなついに呉も巻き込むか
ほんま歩く火種
強敵と対峙するときは周りを巻き込んで
ころ合いを見て逃げるか倒すかしてるよな
とにかく撤退戦が上手すぎる
まぁこれが後々に響いてくるんやが
優秀だったのか具体的に何をしたのか
全然わからんかったらしいね
ただ魏に仕えて中堅どころの役職を与えられたことを知った
諸葛亮が「あの男がその程度の役職か」って嘆いた逸話が残るから
なんとなく優秀だったと思われる
でも中書令?って
現在の副大臣とか官庁の長官クラスやし
充分すぎでは
御史中丞や何石かは忘れたが
充分な高位や
>>67
徐庶の最終官職(多分)である御史中丞というのは
九品官人法においては
四品にランク付けされるなかなかの高官であり
単家出身者としては充分に出世できた方ではある
また御史中丞は既に実権を失った名誉職に近かったが
本来は監察・弾劾系の職務なので
権威という面からはなかなか侮れない官職である。
司馬懿や陳羣のように
これをキャリアに挟んで出世していった人物も多い。
案外、魏国内でも徐庶の能力は
それなりに高く評価されていたのかもしれない。
だそうな
レッドクリフの映画にもあった長坂の撤退戦やが
これまでと違った戦術を取ってるのが分かると思う
今までの劉備→曹操が来ると兵士を見捨ててすら逃走
この時→十万近い民を連れてゆっくり逃走
結果的に主力は逃げ切り、戦力は温存できてる
もし民草を殲滅でもしてたら
荊州どころか勢力圏意維持も危うくなるからな
劉備がそこらへんも計算してたのかは知らんけど
劉備軍主力の撃破に失敗してる&劉備を取り逃がしてる
劉備はとっととキャストオフして
江陵までクロックアップするやろ
ギリギリまで民草のところに踏みとどまって
防戦してる
【赤壁戦役】
劉備は諸葛亮を孫権の元へ遣わし
結果的に周瑜と連合して曹操と対抗する
孫権は周瑜、程普ら水軍数万を派遣し
劉備軍と協力して戦い、軍船を焼いて撃破した
周瑜、劉備は水陸に分かれて進み
南郡の曹操軍は疫病で被害が出た為、許都に撤退
先主伝
ぶっちゃけ周瑜の兵が三万位と少なく
曹操を倒せると思わなかったので
関羽張飛と二千ばかりの兵を率いて後方待機
進退のどちらもとれるようにしてた
先主伝注、江表伝
この説は孫盛にボロクソに批判されている
赤壁に到達して劉備軍と戦ったが
普通に負けた上に疫病が大流行し、撤退
武帝記
火攻めで曹操軍を撃破した後に周瑜は劉備軍と共に南郡まで曹操を追撃した
周瑜伝注江表伝 より
この時の疫病とは
水、巻貝、魚を媒介とした住血吸虫説があったりする
北と南の風土の違いも大きく、多くの疫病死者を出す
色んな説を纏めると
劉備は二万の兵を率い、三万の周瑜軍と共同で曹操軍と交戦
劉備は陸軍戦力としてこれにあたっている
追撃から南郡攻防戦で主戦力になり、張飛を周瑜につけ
関羽に陸戦部隊を率いさせて曹仁や満寵、李通らと戦わせる
劉備自身は江陵の対岸にある公安に本拠を構え
この後劉備が指揮を取り南の四郡を取っている
(関羽・張飛無しで)
演義のような赤壁の戦いが本当にあったかどうかは置いといて
1、劉備が根拠地を得た
2、孫権陣営が反曹操で固まる
3、劉・孫の連合で曹操の南征が困難になった
っていう結果になる。
孫権は南郡・合肥を取ろうとするが結果的に失敗
劉備は劉琦を荊州牧に立てて
多くの荊州人士が集う、馬良、向朗、黄忠等が合流。
若いころに都や門下で色んな人と会ってるから
そういう目を養ったのかもな
この頃まだ20くらいやろうに
呉で重鎮だった程普?だが周瑜に一目置くようになる
その周瑜が徹底して孫権を立てたから
論がまとまったってどっかで見たな
呉は似たり寄ったりの家柄の豪族の連合みたいな感じやから
一目置かれるってのは頭ひとつ抜き出てる感じってイメージ
周瑜も若いから
そういう武断派ベテランがついて有利にすすんだんやな
文官達はまだしも孫堅時代からの宿将達は
納得せーへんやろしな
問題児の扱いがうまいとおもう
関羽張飛はもとより彭?や李厳や廖立や
法正とかなあ
劉備存命中に誹謗の罪で処刑された彭?さんまじ彭?さん
馬超「すまんな」
あれ不思議よな
「俺とお前が活躍すれば天下統一や!」
って言っただけで処刑ってなんやねん
馬超「謀反やんけ!!チクったろ!!」
って流れだった気がする
謀叛の野心じゃなく蜀での功名って弁明してるし
元々の言説も造反のにおいはせんのよな
「俺とおまえが活躍すれば劉備など相手にならん」
こういう会話
そんなこと言っととらんぞ
前の会話で劉備を批判してる
続けて読めば天下は定めるのが簡単だ
は打倒劉備と取ってもおかしくない
「(俺を用いない)老いぼれめ!
俺と馬超が活躍すれば立ちどころに天下平定なのに」
こういうニュアンスじゃなかったっけ
主君を老兵と呼んだ意味
共に語れないと言った意味を考えれば
打倒劉備の気持ちははっきりとわかる
主君を助けて
天下統一しようなんてなるわけがない
せやな
【京城会談~蜀へ】
209年
劉琦が死に、ここで孫権と外交バトルが始まる。
郡臣に自らを荊州牧に押し上げさせ(刺史より牧の方が権限は強い)
荊州の領有権を主張しつつ孫権にも配慮
左将軍の立場から会稽太守だった孫権を車騎将軍・徐州牧へ上奏する(自称)
結果官位が低かった孫権はこれを受け、妹を劉備に嫁がせる(魯粛が関係)
周瑜の南郡制圧が落ち着いたタイミングで
劉備が孫権の本拠・京城へ向かって会談する
孫権に荊州牧就任を認めさせる
孫権が劉備軍吸収を否定
魯粛が劉備の荊州所有権を認めるように進言
→厳密に劉備の領土と接する南郡の所有権について。
周瑜と魯粛は
ここいらでお互いに明確に違う戦略を打ち出しており
孫権は魯粛の意見を採用するようになっている
周瑜・呂範らは劉備を京城に引き留めるように進言。
周瑜
「劉備は梟雄、関羽・張飛といった勇将を配下にしており
人の下にいるような人物ではないで、
こいつヤバいんで呉郡に宮殿造って
美女や宝物漬けにして骨抜きにしたほうがええで、
関羽・張飛は別々の地方に配置し、
ワイが彼らを率いれば天下取れますで、
こいつらを三人一緒に置くのはダメです」
と進言。
だが劉備軍の解体も吸収も出来ないと孫権は判断。
翌年に周瑜が病死、後任は魯粛になり、南郡は劉備に譲られる。
劉備は廬江の雷緒らの兵を吸収、少なくとも五万規模の勢力へ。
孫権「せや!!益州を共同攻略しようや!!!」
劉備「嫌です」
賢い人間達って大体この意見に落ち着いてるよな
先見性がありすぎる
まぁそれだけこいつらがヤバいって判断なんやろが
結果だけを見れば
劉備さんが寄るとそこが戦地なって壊滅した挙句
その土地の名士を何人か配下にして去っていくという
移動型災難だからねぇ
聖人君子の演義劉備みたいなイメージやったんかな
尾ひれはついてたと思うで
噂ってそういうもんやし
虐殺とかしてないし
曹操は相当評判悪かったんやろな
>>106
もはや想像やけど、
曹操悪評→劉備の声望が上がる
劉備の声望が上がる→曹操の声望が下がる
ってサイクルもあったんやないかと
それで荀イクは劉備の名声利用したらええって言ってたんか
当時の記載で
「度量があってめっちゃ頼りになる、身分関係なく付き合ってくれる人」
って書いてある
聖人君子は戦時はあまり声望を集めないんや
義侠のイメージそのまんまやな
赤壁で魏が勝っていたら天下統一されて
その後100年ぐらいは戦争ない落ち着いた時代がきたのにねって
書かれていて、そうかもなーって思った
曹操はともかく
その後内紛起きておなじことになりそう
司馬一族よりマシやろけど
実際曹操は漢の臣
他はただの反乱っちゃ反乱だから
妥当な感じだよな
晋になるまで泥沼やらかして
異民族につけ入られちゃった訳だし
>>122
公 王になってる時点で
漢臣とは言えないんやない?
名目上はそうかもしれんけど
もはや皇帝の意を解す気ないやん
>>127
まだセーフじゃね
王って中国的に皇族の親族扱いやから
めっちゃ功臣ならギリギリ有り
まあ内心は知らんが
ただ曹操も仲達も
自分たちではどっちも簒奪してないのが何とも
息子の代に引き金あったのに
本人たちにその気あったみたいなのがなあ…ってなる
漢王朝は初期に異姓王に反乱起こされたんで
白馬の誓いを立てて異姓王を作らないようにした
こと漢朝に関してはアウトやで
>>143
呂氏のアレだっけ?
けど、正直漢の前に例があるから回避不可だと思うんだよな
漢が史上初の国じゃないんだから
けど、個人的に曹操は天下とりたかったのは事実でも
自分がとれなきゃまあいいや
ってとこあったんじゃないかなって思うんだよな
じゃなきゃ晩年にもっと簒奪の布石詰めてないかな
漢の前には秦朝のみで
秦は異姓王どころか同姓の王すら封じた気配がない
曹操は九錫を受け取る
(=先例の王莽が禅譲を受けて新を建てている)
もあるからアウト
なるほど
勘違いしてすまんな
調べてみるわ
曹操の行動からみて
漢臣に収まろうとしていないのは明らか
だからって曹操の魅力が半減するわけじゃなく
むしろワイの中で評価が上がる模様
曹操が袁紹に降伏してれば
すぐ終わったよねってなる
間違えた
袁紹じゃ当人が死んだら即内紛じゃね?親父生きてるときから
長男と末っ子くっそ仲悪かったし
曹操は少なくとも3代目までは優秀だったしね
政治家としたら袁紹は曹操の足元にも及ばない
なんだかんだ後継者争いが分裂の原因なんだなって
>>136
すっごい皮肉話に
曹操が後継ぎ誰にするか迷って
軍師のカクに相談した時
カクが上を見上げて一言も発しないから
「カクどうしたん?」って
曹操が尋ねると
カク曰く
「すいません、劉表さんと袁紹さんの家の事考えていました」
ってあるからねぇ・・・
当時でもしくじり先生扱いですよ
袁兄弟が幸せなキスしたら最高のハッピーエンドやろ
兄弟喧嘩してる間に曹操に食われやがって
「長男袁譚に青州、次男の袁煕には幽州
甥の高幹に?州、三男袁尚には冀州あげる」
これは揉めるわ
謀叛起こされたくなかった袁紹の必死さが見える
北方三国志の袁紹は
「各州に息子らを配置して統治者としての力量があるか見定める」
と言ってたな
信憑性はおいといて、そういう考えもあったんかね
袁はあんまり異民族へのリスクはなさそうやったんやけどな
誰も立伝されてなくね
どこやろ
でもそういう話やったから
官渡後あの配置やったんやで
袁紹の冀州牧を継いだだけで
袁尚はそれまで牧も刺史も預かってないやろ
袁紹存命中は袁尚にだけ刺史牧級は与えられてないやろ?
やからお気に入りやし
後継者として手元に置いてたんちゃう
せやな
上の「袁尚に冀州を預ける」
っていう論は合わないなって思っただけで
冀州は終始袁紹の手の中だったから
身内の力を削ぎすぎると魏になるし
力持たせすぎると晋になる
扱い難しすぎんねん
袁譚を青州袁煕を幽州高幹を并州に出したんやろ
でも審配らが遺命を偽造して
袁尚を立てたって後漢書にはあるし
最後の最期で袁譚指名した可能性があるんだよなぁ
官渡でも袁譚は袁紹の傍に侍ってたし
袁紹がはっきり決めずに死んで
衆論が袁譚擁立に傾きそうやったから
偽造したんやろ
遺命はしたと思うで
袁尚を立てた審配らが「偽造」したってことは
多分袁譚指名したんやろなって思う
でも遺名に逆らったなら相当あれやな
袁譚側にも後継者の証拠あるやろうに
ついてきた部下しょぼすぎやろ
>>187
冀州反乱で袁紹は反乱した冀州有力者一掃して
田豊沮授も誅殺したわけで
ただでさえ他州より豊かな冀州が審配一強の状態やったから
他豪族も従わざるを得なかったんやろ
辛評郭図は袁紹の代から地元人から権力削ろうと画策してるわけだし
冀州に奔るわけもいかずって感じやな
逢紀には人望無さすぎたのも原因やな
>>181
遺命があれば袁譚が立っとるやろ
袁譚がそばに侍っとったんならなおさらやろ
それに当の後漢書でも三国志でも
みんな袁譚が長男やから袁譚を立てようとしたけど
審配らが恐れて袁尚を立てたとある
ちなみに三国志袁紹伝注引典論には
袁紹は袁尚後継ぎにしたかったけど
まだはっきりと決めん内に死んだとある
>>201
そら冀州豪族が推したほうに傾くやろ
当時は審配一強やし
官渡敗退後は青州に帰ってるから
袁紹の死に目の時は傍にいないし
まぁ書物間の記述の相違はしゃーないな
いやいや書物間の相違て
そもそも袁紹が後継者を指名したという
記述自体見たことないんやが
ワイが知らんだけなら
何に記載されとるか教えてクレメンス
ワイは官渡のとき袁譚袁紹が近しかったことと
後漢書の記述を鵜呑みにしたうえでの妄想やすまんな
遺命の偽造が創作か書換かもわからんのに浅はかやったな
ええんやで
ちなみに後漢書だと遺命の偽造三国志だと
袁紹は元々袁尚立てたがっててんと主張して
袁尚を立てとる
ワイは後漢書の方が真実に近いかなとおもう
三国志だと袁紹sageに書いてる節あるし
後継争いも袁紹の失敗にしたろ!
っていうアレかなっていう妄言
想像の余地があるのが歴史の面白いところや
ワイにはワイの思描く歴史があるしニキにはニキの歴史がある
それでええんやと思う
せやな
でも外に出して叩かれないと恣意的なもんになるしちょっと怖い
211年
劉璋に協力し
張魯と対峙するために三万程の兵で益州入り
関羽ら主力は荊州に残す(が警戒される)
劉備の入蜀について劉璋陣営からコメント
主簿・黄権
「劉備は部下として扱えば満足せず
賓客とすれば国に2人の主がいることになる
こんなことになるなら国境を封鎖して
情勢の変化を待った方が良いです」
劉備の蜀入りに反対 黄権伝
劉巴
「劉備は英雄なんでそんなの益州に入れたら虎を招き入れるようなもんやんけ」
(これは信憑性薄)
巴郡太守・厳顔
「これこそ一人で山奥に座し、猛虎を放って身を守ろうとするのと同じやで」
張飛伝注
と、めっちゃ警戒される。
このタイミングで曹操は馬超と交戦している。
212年
曹操が南進したタイミングでホウ統の策を採り
一気に益州を奪う作戦開始、まず益州から退却するする詐欺を行う
荊州で関羽が楽進と小競り合い (青泥の戦い)
だがこれに成都の劉備派・張松が引っかかって
事が露見してしまい処刑される。
これに前後し、
劉備は要所である白水の楊懐、高沛を討ってその兵を吸収
益州侵攻が本格化
今までの声望をかなぐり捨てるレベルの勢いで行う。
フ城で冷苞、張任を撃破、綿竹で李厳(荊州出身)を降伏させる
同じくらいに諸葛亮、張飛、趙雲らの三軍が益州に攻め上がる
ラク城で劉璋の子、劉循が約一年にわたって抵抗し、ホウ統が戦死。
214年
ラク城を落とし、成都を包囲
馬超の参戦や簡雍の説得もあり成都は降伏。
許靖、呉懿、劉巴、黄権、董和、李厳、費観らを高官につけ
諸葛亮や法正らで蜀の新たな法律「蜀科」を制定。
益州の鉱物資源や森林、綿、肥沃な土地を得て劉備軍は大幅強化される
魏の数倍の産出量の銅鉱山を得たりして貨幣の発行も出来るようになる。
鉱山は大陸南部に多く、主要な鉱山は蜀や呉が持っていた為、
経済破綻しかけた魏では物々交換を推奨した時期あり。
重慶といえば今も工業地帯で知られる。
230年ごろの蜀の武器は魏よりも優れていると言われる
(鄧艾談)
たしかに鉱山いっぱいありそうやな
そしてしれっと許靖おるの草
こいつも中国を転々としたなあ
皆の履く靴の全てを牛耳れば行けるかもしれんな(小並み感)
【三国鼎立~皇帝へ】
益州牧になる
孫権「南郡を返せや!!」
劉備「は?涼州手に入れたら返すわ」
孫権「は?」
孫権軍が長沙、桂陽を急襲、荊州を巡る戦いが勃発。
なお四郡は劉備が自力で切り取りった地域、
孫権は自軍を代行して取ったと主張
南郡と四郡が貸した土地と考えていたらしい。
(無茶苦茶な言いがかり)
劉備は荊州へ向かうが、三郡が落ちる。
曹操は張魯討伐へ動いており、和睦は二郡の譲渡で決着。
魯粛は劉備が益州に退かざるを得なくなる事を読み、
獲れる郡だけ獲って膠着させ、合肥攻めに兵力を温存した説がある。
なお合肥には後に張遼が降臨。
張魯降伏、曹操は更に南進を検討
主簿・劉曄
「劉備は英傑かつ度量もありますが愚図で、
益州を手に入れてからも日が浅い、
早々に益州を攻める方が良いで」
→曹操は採用せず退く
(情勢的に無理と判断か、荀彧はすでに死去)
曹操様早々に攻めましょう案は正解やったんかね
曹操は漢中に夏候淵ら主力を駐屯させる。
218年
劉備は法正の策を採り、漢中攻防戦勃発。
下弁に張飛、馬超を進軍させ、ほぼ同時に関羽も北上
「蜀軍」
総大将・劉備
参謀・法正、
主軍・張飛、馬超、黄忠、趙雲、李厳、
黄権、魏延、呉懿 雷銅、呉蘭、他
兵站・諸葛亮
の蜀軍オールスターズで挑む
ガチ劉備軍の全力やな
曹操軍並みに豪華
秦嶺山脈を背に補給が滞る中、夏候淵軍は対峙
曹操本人が救援に駆け付け、劉備軍は陽動部隊こそ壊滅するも
夏候淵を討ち、漢中から曹操軍を撤退させることに成功。
漢に変わる変わる天命があるとされた魏を破り
我にこそ天命ありと言う根拠を得た事もある
だからこその漢の漢中王。
上奏で曹操の皇帝権力を悪用している事を挙げ、
その後に漢中の戦で曹操を破ったことを報告している。
劉氏として逆賊を討ち、魏を否定して帝を救うという大義名分を掲げる、
これは孫権には真似できないことである。
劉封、孟達、李厳、王平らを派遣して
上庸を攻め取る
関羽、黄忠、張飛、馬超を前後左右将軍へ任命
五虎大将軍の元ネタ
魏延を漢中太守に任命
(張飛、馬超は遊軍として
別方面で前線指揮官で使う予定だった説)
→魏延を漢中太守に任命
ここ凄いよな
当時の魏延ってまだ中堅どころで階級も戦績も
上の奴ごろごろいたのに最前線の太守に任命だもんな
張飛は手元に置いときたかったんやない?
劉備「張飛…城…うっ頭が」
ワラタwww
ちな張飛は酒飲んでああなったわけでは無かった模様
お酒飲んだら曹豹をむち打ちする趣味かと
>>182
簡単に書くと
曹豹(丹楊兵という精兵を率いる)
→袁術が丹楊を攻略
こうなると地元を取られた丹楊兵が裏切る可能性がある
曹豹が不穏な動きを見せる
→勘づいた張飛が粛清
→この騒動を知った呂布が騎兵で駆けつけ城を落とす
って流れだった
劉備夫人と子供捨てて逃げてくるとか殺されてもおかしくないわね
>>190
曹豹は城内でむち打ちプレイで殺されたんやな
深い仲(意味深)
素面で取られたんなら
ウチの張飛さんただのバカじゃないですか
軍務中に突然…ひとりで…刑罰を…
アカンw
クッソ笑ったww
ワイがしっくりきたのは
張飛は手元に置いて遊軍として扱う方針や
前線指揮官としてかなり有能やしな
ちな魏延は諸葛亮と協力して
後の北伐にも役立つ漢中の防御陣を築いている
「曹操が来たら守りきってみせるし、それ以外が来たら倒したるわ」
やからこり劉備も気に入るわ