・字は漢升。荊州南陽郡(現在の河南省南陽市)出身。
・劉表配下として仕え、中郎将に任ぜられ、
劉表の甥っ子である劉磐と長沙攸県の守備の任につく。
・荊州南部で反乱した張羨や江南の孫権に対する防衛戦力として
当てられるくらい有力であった模様。
・劉備の荊州平定後は劉備に仕え、益州攻略では常に先駆けとして
劉璋軍の陣地を攻め落とすなど大分ハッスルしていた。
ニュース
・蜀軍オールスターズVS曹操軍関西方面軍の戦いである
漢中攻防戦の定軍山の戦いにおいて、参謀の法正の指揮下で
夏候淵(曹操軍関西方面軍司令官)を討ち取るという大金星を上げる。
・関羽「なんであのジジイが後将軍でワイが前将軍やねん、ジジイの前とか嫌や」
費詩「張飛、馬超将軍や漢中王のお墨付きです」
関羽「こマ?」→前将軍就任
・翌年の220年に逝去、222年夷陵の戦いには参戦していない。
・子供に黄叙という者がいたが早世している。
【演義における黄忠】
・劉表→劉琮→曹操(韓玄)→劉備 という順で仕えたのは同じ。
・歳の割に血気盛ん。
魏延と共に韓玄配下として関羽と戦い、
一騎討ちで引き分けるという武勇を誇る。
・弓の名手として数多くの将を射殺し、一騎討ちでも大活躍。
・漢中攻略では同じジジイの厳顔とタッグを組んで張?・夏侯尚を破る。
・この戦いで韓玄の弟という設定にされた韓浩という
全く韓玄とは関係ない有能が黄忠に討ち取られている。
・関羽「なんであのジジイが後将軍でワイが前将軍やねん、ジジイの前とか嫌や」
費詩「張飛、馬超将軍や漢中王のお墨付きです」
関羽「こマ?」→前将軍就任
・前将軍・関羽 後将軍・黄忠 右将軍・張飛 左将軍・馬超
就任が五虎将軍の元ネタとされる。
・夷陵の戦いに普通に参戦。
・劉備「張苞・関興の若手が来てくれたんじゃあ^~ワイらも老いたもんやなぁ」
黄忠「!?」
老兵を軽んじた発言を聞き、部下数十騎で
呉の潘璋の陣地へ突撃し暴れるも、重傷を負う。
・張苞・関興の若手コンビに助け出されるもその傷が仇になり、
詫びを入れた後劉備の目の前で倒れ、
そのまま死去。享年75歳であった。
・個人的に演義では五虎将軍一幸せな死に方をした男だと思う。
年齢のことか?
呂布の2~3個上って聞いた事があるがどうなんやろな
呂布も生年分からんくね
うん、分からん(震
張飛とか関羽も良く分からんかった
だいたい演義によせて書かれてるのが多い
関羽と黄忠は互角←わかる
黄忠と李厳は互角←まあ
関羽と李厳は互角←いや、それはない
この感覚わかってくれ
わかる(わかる
関羽と30合、張飛と10合打ち合った紀霊さんとかいうバロメーター
関羽の強さは展開ごとに可変式だから正直よーわからん
趙雲と互角の文醜をたった三合で撤退させたかと思えば
関平と互角のホウ徳に勝てんしなんやねん
関羽と張飛と呂布に切りあいさせんと武力トップ3は決まらんわね
一騎討ちの強さは分からんよな
調べたことあるで
通常関羽>怪我関羽=徐晃=許チョ=呂布=張飛
こうなって関羽>呂布=張飛
ただし紀霊との一騎討ちのせいで張飛>関羽となり矛盾する
張飛とやりあった厳顔とか更にややこしくなりそう
弓のイメージは演義補正やったんやなぁ
・字は孟起。司隷扶風郡茂陵県(陝西省興平市)の出身。
・後漢の名将馬援の子孫の出身で祖父は馬平、父は馬騰。
弟は馬休・馬鉄。従弟は馬岱。妻は楊氏・董氏(側室)。
子は馬秋・馬承。娘は劉理の妻。
・若いころ馬騰と韓遂が対立した際に
韓遂配下の閻行に殺されかけるというエピソード持ち、
なおこのいざこざは司隷校尉・鍾ヨウが仲裁。
・その要請でホウ徳と共に軍を率いて郭援・高幹を討伐。
・また馬騰と韓遂が仲悪くなり、その件で馬騰が都へ入朝、
このタイミングで馬超は馬騰の軍勢を引き継ぐ。
・曹操「そろそろ漢中攻めよかな」
鍾ヨウ・夏侯淵「おかのした」
西涼軍閥「ヒエッ…絶対こっち来るで」の疑心暗鬼状態に
・馬超「アイツ(鍾ヨウ)信用できひんわ、
馬騰パッパ捨てて韓遂パッパと反乱起こすで~」
韓遂「ええで」
曹操「なんで?」
馬騰「なんで?」
・長安→潼関と攻め落とし、弘農・馮翊の郡県まで呼応、
黄河南岸では曹操本人を強襲し、
後一歩で逃がすという珍プレーを犯す。
・馬超「え?曹操本人が会談に来るんか?捕まえてぶっ殺したろ!!」
→許チョが護衛にいたため断念。
・賈ク「はい離間の計」
馬超「パッパワイを裏切るんか!?」
韓遂「えぇ…?」
→疑心暗鬼になったところを攻め込まれ敗走。
・曹操「はい処刑」
馬騰「ぐえー」
馬超&韓遂の敗走後に元パッパの馬騰
一族200名余りが処刑される(反乱前ではない)
長安落ちたってどこにあった?
もしかしてこれ落ちてないんか
…だとしたら位置的に流れで書いてしまったわ
馬超伝にはなかったで
・馬超「リターンマッチするでー」
ネームバリューで羌族の兵を集めて隴上で蜂起
冀城に籠った涼州刺史の韋康を騙し打ちで殺害。
・馬超「なんやいけるやん!!
ワイが征西将軍・并州牧・涼州の軍事総督やで!!(自称)」
楊阜・領民「ざけんなコラ!!よくも韋康様を殺したな!反乱や!!」
この反乱で馬超は家族を殺される。
・馬超「張魯ニキ兵貸して」
→趙昂とその妻王異の抵抗に遭う
夏侯淵・張コウらの援軍到来、ボコられる。
・馬超「張魯ニキまた兵貸してや」
張魯「また涼州行くんか…」
楊白「なんやこいつ…」
→再三兵を借りた張魯に不満を抱きはじめる。
五斗米道って漢中だけやのに本願寺みたいにリッチやな
なお今も続いている模様
これも演義と正史におけるギャップのせいやろ
曹操軍も?州のときに官吏に親を棄てさせて批判されてるから
そんなでもない
・この時成都を包囲していた劉備に密使を送って降伏、
馬超は妻子や部下を漢中に置き去りにして出奔(この中にホウ徳もいた)
・馬超「来たで~」劉璋「ああああああ」→劉璋降伏
・彭?「将軍が今反乱すれば天下取れるで」
馬超「は?なんやこのガイジ…チクったろ」
→彭?処刑。
・劉備に帰順後は漢中の戦いに参戦、
下弁での作戦で曹洪・曹休らと戦うもいまいちな戦果で撤退。
・221年驃騎将軍になるが
「まだ馬岱がいるんでお願いしますやで」
と言って劉備に上疏した後、47歳で死去。
子の馬承が後を継ぐ。
曹丕の時代はぼくとかいうアホが太守やし
董卓李カク後やぞ
洛陽廃墟やけど長安ってそこまで死んでたっけ
董卓が遷都したときに
赤眉以降長安微妙やねんっていう記述があった気がした
やっぱ陳留許昌とか東と中華北に都が移ってたんやろかね
後漢の都は洛陽やぞ
許に遷ったのはほんの一瞬やで
魏の都や
洛陽やで
そうなん!?許昌かギョウかと思ってたわ
軍事拠点であって都ではないのでは
漢朝が開国させた曹操の魏王国の首都が?
やっぱ河北が首都やったんやな
漢帝国の首都とは別やで
魏晋帝国は洛陽なんやで
・「錦馬超」(きんばちょう)として称えられ、
面如冠玉,眼若流星,虎体猿臂,彪腹狼腰(ガチムチのイケメン)として描かれる
・李カクらとの戦いで李蒙、王方を瞬殺しデビュー(この戦では敗北
・馬騰が曹操暗殺計画に加担していた為、
入朝した際に一族もろとも処刑された後に挙兵
・馬岱、ホウ徳らと出陣して苛烈なまでに曹操軍を追いつめる。
許チョとの一騎討ちやその武勇の誉れ高さを強調されている。
・一騎で十数騎を相手取れるくらいに強い
掛け声一つ上げれば大体確定で死ぬ奴が出る。
韓遂ほんま可哀想
そういや横山三国志だと
なぜかあの辺りで韓遂40歳って年齢なんだよな
そこらへんの軋轢はありえなくもないな
・張魯から派兵された際に張飛と一騎討ち。
・馬超「むむむ」 李恢「なにがむむむだ!」で劉備軍に帰順。
・五虎大将軍に任じられ、漢中の戦いで活躍、
その後は魏の五路進行作戦の際にアンチ羌族軍として出陣、
羌族はビビって逃げるというネームバリュー作戦で勝利。
・史実よりも微妙に長生きし、
その死は南蛮遠征中に孔明が馬岱の口から知らせられた。
日本の大都市クラスが一つ攻め落とされたって感じちゃう?(適当
・某ゲームのせいか槍のイメージだが、
北方三国志では剣の達人として描かれ、
ここぞと言う時に抜き放たれる剣で敵を両断するという
珍しい馬超を見ることが出来る。
潼関の戦いで張?&許?に追いつめられた際の馬超は必見物。
・三国志戦記2の呂布外伝ではある理由で
五虎大将軍が馬超では無く魏延に変わっている。
とりあえず馬超は以上や
てか長安が落ちたのって演義だけだったんやな、初めて知ったわ
>>90
あのジジイの心境までは分からんから推測になるが
叛乱→蹴散らして良い条件で和睦→また叛乱→以下略
影響力を高めるって言う意味でも、
後漢に叛乱起こすってのは一種のステータスやったんちゃうか?
単純に物資を奪うとかもありそうやけど
董卓のときに一緒に行けば徐栄くらいの位置におれたやろうし
馬超の反乱で微妙に曹操軍と通じてるのは何が目的なんやろ
そう考えると上で言われてるように確かに劉備っぽいな
韓遂はホントにずっと金城周辺から動かないのホンマ草
あの叛乱って馬超そそのかしたの韓遂やろって最初思ってた
三国時代周辺やと河北は優先度低かったりする
選ばれるのは朝歌、晋陽、大同、北京とかやね
北が貧しく南が豊かってのは南北朝以降やで
三国時代の江南はまだ未開発の地や
山東に比べての話