楚懐王は教科書に載せても良いような見事な戦略で越を滅ぼしてるのに
なぜ蜀方面では大敗を喫してしまうのか
負けたと言っても、秦は楚に攻められっぱなしだったけど
ニュース
咸陽まであと一歩でした
東方だけみれば父王の事業を継いで一気に東海沿岸を完全制圧した凄い王だよなw
頃襄王の代で西方戦線が崩壊しなければ評価は全然違ったはず
ところでさっき年表眺めて思ったんだが斉攻略中なはずの楽毅さんが趙軍率いて魏を攻めてる…これ燕から見たらサボりじゃね?疑われた原因これじゃね?
しかも楽毅は趙の相国そして次の宰相は恐らく魏冉サンw
確かその頃趙恵文王が燕を攻めようとした逸話があったようななかったような
甘茂が何故秦から亡命する羽目になったか(武遂返還の件は知ってる)
興味あって少し史記読んだところ......選りに選って宜陽のとき厳君が韓相なのかよ
そりゃアカン
向寿に宜陽を平定させたっぽい記述あるし
戦争準備の外交も同行していますし
楚の調子をホントに狂わして秦を利したの方城を陥落させた孟嘗君なんだよね
楽毅といい孟嘗君といい…
>>160
斉とか趙とか魏とか秦とか、えげつない包囲網組まれてるのは同じだし
むしろあれだけの国土と軍隊と金属資源抱えて、秦に首都つかれる楚……
>>161
他の国もそうだけど宋滅亡・済西の役に始まる東方の動乱に気を取られて戦力分散してそう。
それに往時の楚は秦&斉と並ぶ三強だけど、王都つかれた時の楚は製鉄の一大拠点かつ黄河中流域に劣らない人口密集地の宛を秦に取られた状態だかんね。ま、それでも雲夢や豊かな山林藪沢が生み出す富と巨大戦力は七雄随一の可能性あるけど
楽毅「参加国の利益が大きい目標を設定するのがコツ、さもないとただの名義貸し中身なし連合軍」
孟嘗君にしても楽毅伐斉にしても背後に秦の影がチラつくのがアレ・・・・
方城(南陽)一帯が韓の領土になったのはいいけど(地味に韓の最盛期w)
そこをあっさり秦に盗まれてるのイクナイ
等身大につくってるから写実的に見えるがね
数年後に秦の丞相って
マジ? 作り話しでしょ?
年数は不明
まあ彼のエピソードはかなり作り話っぽいとこあるね
もしそうであれば列伝全体の信頼性が揺ぐな
ところで銀英伝のキルヒアイスが殺される話の元ネタはこれかねぇ。
劉邦は南京辺りの出身で
漢を作り 長年続いた
結局は新は一時的 なものであり 中華は漢によって支配されていた
始皇帝の帝国秦があっさり潰れたのは事実だが、秦は一時的とか書かれると毎度違和感がある、後の短命王朝共と違って長い間覇を唱えた国なのに
あと劉邦の出身地はもっと北だから…地図よくみろ
むかしで言うと、晋の国辺り?
比較的大きな国で大体の場所を言うなら
晋の同盟国であった宋に近いですね
(晋から見て東南、斉や魯から見ると南西)
故郷の北に魯、西に宋という長い長い歴史文化を持つ古国が接す
孟嘗君の薛など小国もある
宋が滅ぶと秦の東方経略拠点が宋に置かれたから秦も身近だったろう
劉邦の出身地の沛県豊県は、旧宋国の東側
斉の滅宋(BC286年)で斉の領土
楽毅縦横による滅斉(BC284年)で魏の領土に
魏の安釐王の代には、魏・楚の係争地になった
(正確には商丘近辺で何度か戦いがあったみたい)
秦の天下統一の頃には魏の領土
劉邦自身は魏の信陵君が好きだったり、魏にいた張耳の食客になったり
さらには秦末に沛県が魏の周市に下ってるから、魏人という認識の方が強いと思う
ただ、劉邦は蜂起時点では蚩尤祭ったりしてるから
楚人との親和性がゼロだったとは言えないと思われる
蜀に封印され漢の人を引き連れて項羽に勝ち
天下を統一したから 漢ということになっただけだろ
完全に「たんなる小国扱い」にまでおちぶれてたの
じゃないとしたら秦が周をあっさり滅ぼしたのは大事件だけど
周を滅ぼしたあの国を連合してやっつけようぜ
という大義名分を相手に与えるかもしれないと恐れられるくらいには重要
ただ国力としては3万戸(西周のみの数字だが)とかで完全に小国
秦が周を滅ぼした時期は、范雎の戦略が破綻して
隣接する三晋+楚と全面戦争になっていた時期
(周を滅ぼそうが残そうが、秦にとっては意味が無い)
大事件ではあるんだが、そこまではインパクトがなかった
たぶん西周も東周も分封しまくってるから
実際の周の戸数はもっと多いだろうけど軍事力は微々たるもんだな
滅ぼしたんじゃなくて勝手に降伏してきたので…
その時期の秦は河東郡方面と汝南方面がかなり劣勢だけど
西周のある中央は比較的余裕だった間が悪い
そういや、秦が滅ぼしたのはあくまで西周君と西周国であって
周王室(タン王)は降伏したんだっけ
誤認してた、というかよく混同してしまうわ
列侯じゃねーし丞相なんの遅い、なんか違和感が…
大事なのは武将であって
文官なんて対して大事ではない
結局、戦いに勝つか負けるかだよ
文官の重要性は言うまでもない
商鞅変法が無くても天下取れるか否かは微妙なトコロ
秦兵は精強で超大国晋相手に一歩も譲らん実力を持ってたし
春秋末期~戦国初期の秦は中原や漢中(蜀)に勢力浸透させてる
商鞅無くとも可能性はそれなりにありそう
商君は偉大だけど改革は献公もやってるから商君の専売特許じゃないし。
領土になってるけどさ守りにくいったらしょうがないだろうな
まあその西部も張儀の働きで黄河西岸域は既に消えてたけど
名軍師や名宰相っぽいのは居ないけど
謀臣「テキトーに金ばら撒け!」とかいう頭悪い計略ばかりでやんなっちゃうよ
六国が経済的に疲弊していた、と言えなくないのかもな
後期になると対秦抗戦派は実は国民に嫌われ売国派っぽいのが好かれてたりしてな
戦国中期以降の積もり積もった戦敗で人は死に組織は崩れ国は四分五裂
秦の勢力が浸透し六国側から利や保身を求める人心が秦に流れ込む……
自前の二世皇帝を擁立し
強大な政権を樹立できれば
その盛名は万世の後まで語り継がれただろうに惜しや
毒のある李斯や小型李斯の趙高は周公とまったく違うタイプだからなあ
官僚経験は豊富だが軍事にゃ暗いし、権力の空白を埋める力強さがない
蒙氏は兄が中央の要職を離れていたのと中央に居た弟のポジション微妙…
王離と協力出来れば良かったけど、仲悪そうやな
官僚出身の李斯に君主交代期という状況で強権を奮え、というのは酷な気がする
そういう意味じゃ、扶蘇が主体的に行動すべきなんだけどあっさり自裁しちゃうし
それで蒙氏兄弟も身動き取れなくなるしで、趙高の謀略が綺麗にハマりすぎた
秦にとっては不幸なことに、権力を握るまでの趙高がノリにノッていたのが敗因
しかし指導力と戦争力は全く期待できないし期待しちゃいかんよね
それならそれで趙高がもっとノッてくれれば良かったけど
趙高も能吏だが個人的パワーは大したことない部類で余裕がないという
王離の家は父祖の実績からいって政治面に関わらない気がする、こういう場合は役に立たん
蒙恬は蒙恬自身がさほど有能に思えないのがな……
まあ疑いかけられ警戒され実質王ってくらい権力振るわないと責任果たせんしな、王が成長すれば引退だ
悪足掻きに成功してもアレだし失敗したら族滅喰らって故人の功績を無に帰し王朝を暗くする
本人だが李斯も悪足掻きして台無しにしたクチだな
若い頃は外国人の有用性を誇張する為に公室強化・権門否定して始皇帝に気に入られた男だったが、自身の権勢継続の為に非常手段に訴え帝室の正統性破壊、始皇帝の子女妻抹殺で帝室の土台破壊…特大ブーメラン直撃しとる
秦と祖国の両方で功績を挙げたオールラウンダー張儀は凄いなあ・・・
ペテン師イメージあるものの胸糞悪い粛清とかやってないし良相だわ
>>369
孔子がいなけりゃ、庶民は学問を学ぶ事ができなかったと言われてたりする
臣下としてはやりやすいよね
強い後継者を作らない事も含めて高級官僚にとって都合のいい主かもしれんね
漢より前からあるとも言えるし
もっと後の時代にはじまるとも言える
中華っぽい概念はそれこそ世界中にある普遍的なものだし
けど春秋時代だと冊封関係はまだないんじゃないんですか
春秋の諸侯国は周王が冊封したもの。
”紀元前”ってのが地味に枷だった
年号が逆に進むってのが頭こんがらがる
慣れたら平気なの?
紀年がメチャクチャな六国は無理やけど
春秋期のキャラいる気しねーな。
下手すりゃ紀元前三世紀の人物しかいない春秋戦国無双になりそ。
確かに笑
キングダム無双かな?
褒姒やら西施やら夏姫やら女には不自由しないんだけどな
春秋戦国無双
斉 桓公、管中、晏嬰、威王、孫臏、田単
晋 文公、微妙に有名なのが多すぎて絞るの無理だった
活躍期間が微妙に被る五覇(呉越除く)はいけるかもしれんな
戦国だと、鄭滅亡直後~楽毅縦横軍までなら中規模国家でもギリワンチャンifが容認できそうだからまだいけるかも。それ以降だと秦vs戦国四君一通りになっちゃうし
戦国は宮城谷樂毅のコミカライズでも出れば御の字だわ
宮城谷作品のなかじゃ戦記物な楽毅が一番でしょうね。晏子も捨て難いが
>>593
樂毅は戦国オールスターに近いのが良い
大物で出てこないのって信陵君、春申君あたりかな
斉孫子はちょこちょこ名前出てきてるし
重耳とか楽毅とか
滅斉開始の段階ですでに小説終盤なのがちょいと惜しいな
斉平定中の趙や秦の動きとか先生なら面白く書けそうなのに
しかし滅斉期間中に趙軍を率いて魏の伯陽を攻略した楽毅の怪しい行動はスルーで残念(趙世家の記述は誤りとみているのかな?)
直後に魏冉が趙に現れ小説内で活躍しているし、両雄が恵文王や刎頸を挟んで対面していたら面白かったのになぁ。
秦が趙にずっと伐斉を働きかけてたのは重要だけど≒燕の力が及ばない地域が相当ある
魏冉in趙の頃になると小説の流れは秦VS楚に移行してた希ガス
中山を守るため奮闘する宮城谷楽毅はカッコイイし物語としてとても面白かったけど
中山を守るため戦った可能性ってかなり低いよな
戦国策での武霊王と楽毅の会話の記述を見るに、むしろ逆に中山攻略で活躍した可能性の方が高そう
楽毅さんの楽氏は公子職を擁立した楽池に関係しそうだし親趙・親武霊王かもなー
不協和音の廉頗さんなら中山滅亡前に趙に帰順した大豪族の出身、という過去があっても驚かない
紀元前290年代~280年代の秦は機会主義的に勢力を伸ばしているようにも見える
前281年とか楚が先制攻撃できてたら流れも変わっていたかもね
>>605
BC295年~BC280年くらいの秦は基本的に楚と同盟して側面の負担を軽減→国力の消耗を抑えながら緊張関係にある正面の韓魏(なんだかんだ一番の脅威)の隙を虎視眈々と窺ってる印象
注目すべきは無理をせず身の丈にあった軍事行動を続けている点
約束破り上等、卑劣とも言える対外姿勢が影を潜めかなり誠実になった(武骨ではあるが)
あまり喧嘩を売らないから後の先を取る軍事行動が多い(例:東西帝を蹴って宋を滅ぼした斉、同盟を破った前281年の楚)
あくどさは確かに無くなったが何故か殲滅力と電撃戦能力と巨大都市を擁する地域の占領維持能力が爆発的に上がってる…
・宋国の占領にリソース割いてる状態で北と西の隣国が全部敵になる
・斉と同等の強国秦が動き遠征軍を送り込む
・趙や燕とは距離が近く迎撃に失敗すると深手を負う
隣接するどの国よりも豊かで強い、しかし圧力に抗しきれなかった
ビン王を操って斉が孤立するように仕向けた蘇代ってとんでもない詐欺師だわ
外国から来たの賢者の意見をよく聞き採用したらえらいことになった形だけど見抜くのはほとんど不可能に近いなー
秦をほぼ帝国っぽい高みまで持ち上げた鉄血宰相が退き残った将軍と後任の宰相が共倒れしてもまだ王がいる。
半世紀後の始皇帝→二世皇帝で盛大にやらかして無事致命傷になったけども^^
>>617
王離、章邯ぐらいしか将軍の弾無かったのがきついな
外征能力を喪失した時点で秦は詰んでしまった
軍事国家としての秦の重心は咸陽なんかではなくて軍隊にあったというのに末期の首脳部は気づけなかった
(と言うか項羽しか見抜いて無かった、だから殲滅戦に異様な拘りを見せていた)
王離、章邯に兵力が集中しすぎて効率が悪いんだよな~当然大敗したらやばい。
弾不足のせいか?
>>619
章邯起用の時点で残弾なし
なおかつ北方防衛戦力を転用したことでマイナス(国防体制破綻)
という評価だな、俺は
大局観がないんだろうな
宮廷の権力争いには強いだけで
>>623
基本分業が望ましいだろうね
戦争屋は完勝を追求しがちたけど、国家元首等は敵国との妥協点や落としどころ探りながら戦争指導しなきゃいけない
勝ちすぎるのは結構だがその分自国にも多大な被害が生じるような戦役が行われそうな場合は時には軍人たちにブレーキをかける必要性も出てくる
軍人兼元首となると戦争の勝敗の微妙な分水嶺を見誤って能力上の攻勢限界を超えて戦争を続けて結果取り返しのつかない失敗をしでかすことがある
本質的には(勿論外朝で政治にタッチする)武人のち東方担当諸侯って感じなんで内と外を両立してるかと言えば?
でもまあ政治性が希薄で戦略にタッチできない秦の武将の中じゃ稀有な存在ではある
>>625-627
・内政を長期間安定させた宰相としての功績、的確に他国を沈める戦略、武断主義的であり軍事拡大を志向するが攻勢限界は心得てる
魏冉の良い所つったら上記辺りだが、あえて私欲と批判されてる部分を評価したい勢
彼自身の封地もそうだけど穣侯与党の人々が封建された場所(最前線の要地)と大規模な植民政策を見るに任期制の諸侯である郡県と周の武王、成王が実行して成果を上げた王族功臣の封建による勢力扶植を組み合わせた支配を計画していた節がある
根拠のない憶測でしかないけれど、もしこの構想を歴代の秦王が採用していれば、秦の東方支配はより強固なものになったのではないかと思う