282: 名無し 2019/02/01(金) 07:14:47.31
秦始皇帝って、エイ政だけど、趙で生まれたから趙政とも言われてる…みたいな説明をみかけるんだけど
秦の君主って初代からエイ姓趙氏じゃなかったっけ?
283: 名無し 2019/02/01(金) 21:00:39.93
初代って襄公のことか?
秦襄公個人の氏を明示する資料は現状ないと思われ
284: 名無し 2019/02/02(土) 07:30:42.39
普通に考えて最初に秦に封ぜられた非子が初代じゃないの?
非子は趙氏だって史記秦本紀に書いてたような
285: 名無し 2019/02/02(土) 17:00:26.27
現代だと氏姓の区別が曖昧な上に、
当時は氏を割とカジュアルに変えちゃうせいで混乱しやすい奴だ……
286: 名無し 2019/02/02(土) 18:23:24.47
初代襄公ってのもなかなか普通やで?
確かに西周時代の秦人も、趙城を与えられた造父と同じ姓趙氏になったと史記は主張していますね
287: 名無し 2019/02/02(土) 18:33:45.35
史記秦本紀ざっと見たけど途中で氏を変えましたみたいな話は無い気がするけど
つまり全員趙氏でおkに思えるが
エイ政の代から趙氏になりました話には史料的ソースあるんかな
289: 名無し 2019/02/02(土) 19:34:22.53
>>287
もちろん変えた話はないけど趙氏を称している例もないのでちと弱い
趙城封建と活動期間がかなり接近している非子は西犬丘に居住していたとあり
そもそも趙城の趙氏と秦の一族にどれだけの関係があるのか…
288: 名無し 2019/02/02(土) 19:20:37.76
伝説によれば帝舜に仕えた伯翳または大費という者が鳥獣をよく馴らして褒められて舜からエイ姓を賜ったのがエイ氏の始まりである。
殷に代々仕えて紂王の時には蜚廉(飛廉)と悪来の親子で仕えていた。蜚廉の下の子季勝の子孫から造父が出て趙氏の祖となった。造父は馬を操るのが巧みで周の穆王の御者を務め寵愛されて趙城に封じられて趙氏となった。
それにあやかって同族は皆趙氏を名乗った。
その少し後の孝王の時に季勝の子孫から非子が出て孝王のために馬を飼い増やしたので孝王は非子を秦の地に封じてご先祖様の伯翳を祀るように言った。そこで非子の子孫はエイ姓に戻して秦の地を治めた。
290: 名無し 2019/02/13(水) 00:10:29.32
越は勾践の後8代位は続いたんだよね
最後の君主が斉に攻めこんだら斉の謀臣に「うちを攻めるより楚に攻めこんだ方が美味しいですよ」と言われ矛先を楚に変えたら返り討ちにあって滅亡したんだっけ
それで東は呉越の地から西は蜀までと楚史上最大の領土になった…が張儀におちょくられた懐王が秦に攻めこみ返り討ちにあい漢中を失い、司馬錯に蜀を奪われ、白起に首都の郢を陥落させられてあっという間に領土が半分以下に
291: 名無し 2019/02/13(水) 01:11:27.10
楚の最盛期って領土だけ見たら戦国時代初期あたりなんだよな
他国への影響力考えたら春秋時代の荘王の時代なんだろうけど
292: 名無し 2019/02/13(水) 03:52:46.84
清華簡とか見ると、戦国初期でも三晋はそれなりに結束して楚に対抗してる感あるな。
293: 名無し 2019/02/13(水) 07:38:26.83
戦国時代初期が最大領土とな?
信頼できる世界地図とかある時代じゃないから確たることは言えないけれど、ふつう懐王の頃、すなわち戦国中期が最大版図かと
294: 名無し 2019/02/13(水) 16:37:20.57
楚って戦国時代はパッとしない。
改革出来ずに貴族が実権握ってたからかな?
298: 名無し 2019/03/08(金) 15:40:37.41
元の陳があっさり春秋時代で滅んで
亡命公族が乗っ取った斉が大国になるのは皮肉なもんだな
299: 名無し 2019/03/08(金) 15:44:41.43
フェニキア本国より植民都市カルタゴがブイブイ言わせてたようなもんか
300: 名無し 2019/03/08(金) 17:37:52.90
小国陳と大国斉じゃね。
307: 名無し 2019/04/19(金) 01:01:18.65
紀元前403年から戦国時代というのは
晋の分裂云々よりも、韓・魏・趙の登場が理由なのかな
戦国七雄がみんな揃ったところで戦国時代っていうノリで
L100434
308: 名無し 2019/04/19(金) 10:06:37.75
斉が臣下である田氏に乗っ取られたのと晋が臣下である韓・魏・趙のよって分割された事が戦国時代の特徴である下克上の代表事例として時代の画期と位置付けられるから、この二つの事件が出揃って戦国時代となる。その境目を何時にするかは諸説ある。もともとは「戦国策」という書物で扱ってる時代という意味だった。「戦国策」は紀元前455年の晋陽の戦いから書き起こされているので紀元前455年から戦国時代という説も当然ある。
309: 名無し 2019/04/19(金) 21:14:33.36
なるほど 自分でも調べたけど
韓魏趙が封侯された=下剋上が公的に認められちゃたってのが
やっぱ歴史的には大事件なのかな
324: 名無し 2020/01/18(土) 22:09:48.29
>>309
一応名目的には臣下のままで
少し前に知ったんだけど周王から諸侯に封じられてもまだ晋の官職に就いていたらしい
310: 名無し 2019/04/19(金) 23:30:59.29
今言われている戦国時代ってのは紀元前大陸人の認識じゃないし
そもそも戦国元年とされることの多い403年、次点の455年は特に下剋上要素が強い事件とは言えないだろう
あえて言えば司馬光が理由
311: 名無し 2019/04/20(土) 00:10:15.04
とりあえず本命403年、次点453年、大穴455年だろう。453年は晋から韓魏趙が独立した年。
俺は勘違いしてこの時に晋が滅んだと思ってたけど、そうじゃなかったようだ。
そして455年の晋陽の戦いは晋を牛耳る六卿の中から台頭して2卿を滅ぼし、田氏のように君主の座を奪うかと思われた智伯が韓魏趙に逆に滅ぼされるという画期的な事件で確かに下克上的な要素は無いんだけど実に戦国時代らしい一件である。
312: 名無し 2019/04/20(土) 04:45:20.34
もちろん大きな事件であり画期的かもしれんけど
イケイケの尊大な世族が徒党を組んだ世族に逆襲され滅ぶって構図だけ見れば春秋みが強いと思わない?
晋の滅亡は戦国中期に入る頃、そこまでは行かんが田氏斉の冊封も結構時代が下るね
313: 名無し 2019/04/20(土) 08:14:33.94
>>312
>構図だけ見れば春秋みが強いと思わない?
戦国後期に秦が強大化して1強6弱となった後に、弱国が合縦して秦に対抗したり
それに対して秦が連衡を働きかけて切り崩す様に似てると思いません?
つまり智伯が魏と韓を従えて連衡して腸を滅ぼそうとするところを、趙が「明日は我が身だぞ」と合縦を働きかけて逆転したわけで。
314: 名無し 2019/04/20(土) 08:16:44.39
あ、でも晋陽の戦いを戦国時代に含めたいわけではないです。
315: 名無し 2019/04/20(土) 08:32:35.65
俺的にはどちらでも構わないのだが、智氏は強勢だったとはいえ戦国秦のような圧倒的存在ではないからな…
戦国とは言っても秦の限りない肥大化~統一局面に入った戦国後期は統一帝国のプロトタイプ、似てるかと言うと?
316: 名無し 2019/04/20(土) 09:31:57.55
あー、確かに1強6弱の時代まで下るとそうだわな。俺がイメージしてたのは恵文王の元で張儀が活躍してた頃。ちょうどドラマで見たからでもあるんだけど。まだ義渠も巴蜀も秦に威圧されつつも健在で、犀首が楚魏韓趙斉の5カ国を合縦させて秦を攻めると義渠王も呼応して秦に攻め込む。そんな時代。
318: 名無し 2019/04/20(土) 10:30:32.79
>>316
なるほど
しかしその設定にしても一応晋というまとまりの中で内戦してた四氏の接近戦とは趣が異なるかと
基本的に国境付近の争奪に終始していてヤルかヤラれるかの緊迫感がない
あえて俺から挙げさせていただくと、戦国前期の魏氏継承戦争(今名付けた)が方がまだ似ていると思う三晋の争いだけに
317: 名無し 2019/04/20(土) 09:36:07.44
戦国の後半なんて力の差があり過ぎでしょ。
秦と他の6国組んだところで勝てたか疑問だし。
李牧や項燕が協力してどこも素直に従ったらもしかしたらでしょ。
319: 名無し 2019/04/28(日) 09:55:53.11
晋が分裂していなければ・・・
320: 名無し 2019/04/28(日) 12:27:09.13
あそこまで家臣が力持つと無理だろう。
321: 名無し 2019/04/28(日) 15:48:11.32
晋武帝「やはり王族にしっかり力を与えて置くべきだな」
337: 名無し 2020/04/12(日) 00:24:47.47
最大の庇護者である晋が分割滅亡したことで周の滅亡も決定的になったな
338: 名無し 2020/04/21(火) 19:09:06.93
東周が生き残るにはどうすれば良かったんだろう
339: 名無し 2020/04/22(水) 12:47:00.46
晋と斉を建国間もなくとりあえず成敗
魯ぐらいの国を増やして辺境の秦、楚、呉には早い段階で周から植民政策で中央集権体制を強くする
周礼を踏み外した国は全て潰して中央から代官送って直轄領化
基本的に徳川家康が幕府を開いたのちの政策と同じことをしないと五覇七雄みたいなものは必ず生まれ下克上で王朝が持たない
347: 名無し 2020/05/03(日) 05:01:47.01
>>339
晋の初代君主は成王の弟
それを建国すぐに潰すとか意味不明だわ
344: 名無し 2020/04/25(土) 06:00:01.32
>>339
晋と斉を建国間もなくとりあえず成敗なんてできるわけないだろ
大義名分も無いし、そもそも味方の有力な諸侯なのにする必要が無い
特に斉なんて功臣太公望の国だぞ
340: 名無し 2020/04/23(木) 19:49:42.65
周の桓王がイキってた鄭の荘公を懲らしめようとしたら逆にボコかれて周の権威が落ちる結果になってしまったな
桓王が勝ってたらもう少し東周はマシな事になってたかも
345: 名無し 2020/04/25(土) 08:32:10.75
しかしその斉に覇権を握られた
大義名分がなくても斉は覇権を握った
これが全て
346: 名無し 2020/04/25(土) 20:04:26.65
斉は弱体化した周王朝に代わって異民族から周と諸侯を守るという大義名分があった
周王朝や諸侯の支持を得るために色々やってるからな桓公は
桓公と管仲の努力の結果、斉は正式に周王朝から覇者に認定されている
実質的には覇者だったけど名分は無かった鄭の荘公と斉の桓公では差がある
348: 名無し 2020/05/12(火) 14:05:12.04
晋や斉なんて取り潰したくても
辺境の安定化には必須だから取り潰せない
潰しても別の国がいずれ強大化するだけだし、
分割すると辺境を荒らされることになるし
349: 名無し 2020/05/12(火) 16:42:20.36
広大な多文化多地域を中央集権化するのは、まだムリポだったろう
二千年以上後に立った強大な統一国家である唐でさえ、節度使に過ぎなかった安禄山に滅ぼされる寸前の憂き目にあったし
351: 名無し 2020/05/14(木) 02:47:09.95
>>349
安禄山や吐蕃に長安を落とされる唐王朝はどことなく西周王朝みがあるわね
その後もなんとか続くとこも似てる
350: 名無し 2020/05/13(水) 01:39:13.36
晋の分家が主家を滅ぼして乗っ取った事を認めたのは悪手だったと思う
あれでは周王朝は諸侯の秩序を守るという役目を放棄したと認めたようなもんだ
352: 名無し 2020/05/15(金) 16:17:44.97
>>350
秩序を守る実力がないから春秋戦国時代なんだよ
認めない実力がないなら、現状を追認して諸侯のトップ顔するしかない
354: 名無し 2020/06/28(日) 06:44:15.07
春秋左氏伝って最初読んだらつまんなかったけど拾い読みしていくとマジで面白いな
今晋の記述だけ拾い読みしてる
355: 名無し 2020/06/28(日) 10:38:30.53
>>354
ある程度の流れ知ってから読んだから俺は面白かった
通して2回以上は読んだし
356: 名無し 2020/06/28(日) 11:30:05.68
>>355
やっぱ史記世家全部読んでから通読すべきだよね
俺は衛とかやたら攻められる鄭とかに詳しくなかったし、儀礼関係の話が多くて通読は挫折したわ
福澤諭吉は襄公10年~15年の15巻を一年で11回読んだらしい
358: 名無し 2020/06/29(月) 11:26:41.14
>儀礼関係の話が多くて通読は挫折したわ
事象や事績を追うのも大事だけど、その時代を掴む分には一番重要なとこかなともね
儀礼もそうだし、慣習とか、例えば名を付ける際のタブーとか、一度目はキツいかもだけど
馴染んでくると色々面白くなるっていうか
359: 名無し 2020/07/01(水) 12:38:14.14
ここなら詳しい人いそうで教えて欲しい
姫姓呂氏とかの姫と呂はどんな関係?
源朝臣徳川家康の源朝臣と徳川みたいに捉えてよろしいの?
360: 名無し 2020/07/01(水) 20:28:11.80
呂氏は姜姓じゃない?
wikiによると『民族学の言葉にあてはめると、姓が部族、氏が氏族にほぼ相当すると考えてよい』らしい
所詮wikiだから信憑性のほどは分からないが
361: 名無し 2020/07/01(水) 21:22:28.50
ごめん部族の定義と氏族の定義がまずわからん
まあ、想像するに、
民族 大グループ(東京人)
部族 中グループ(巣鴨村人)
氏族 小グループ(巣鴨村西巣鴨一帯の鈴木さん本家と分家の一団)
ぐらいかな?
363: 名無し 2020/07/02(木) 00:49:17.78
姜姓の有名人は太公望の呂尚
ただこの人の名前以外の記述はほぼ伝承でしかないからな
あと周王朝を築いた姫姓の一族とは縁戚だったと考える学者もいるらしいがよく分からん
実際のところ血縁と地縁の区別を周以前に遡って確実に整理することはできんだろう
同じ神話、伝承を信じる者たちが一族っていうぐらいのくくりが精一杯なんじゃ?
まあそれすら口伝だから明確に線引きできんしそれこそ葬儀の仕方など儀礼で共通の要素があったかどうかぐらいの考古学的な研究以外には成すすべないかと
364: 名無し 2020/07/02(木) 22:06:26.03
姓:所属先の族名。
氏:家名。官級や職業柄からくる苗字もこっち。
366: 名無し 2020/07/16(木) 00:49:24.11
戦国策も左氏伝みたいに完訳の文庫本ってないのかな?
367: 名無し 2020/07/16(木) 03:41:14.84
>>366
平凡社東洋文庫にあるらしいね
講談社学術文庫は全訳じゃない
368: 名無し 2020/07/16(木) 03:48:16.98
江戸時代から明治時代で読まれてた漢籍のうちかろうじて今でも一般的に読まれるのはせいぜい論語、孟子、史記列伝、韓非子くらいだな
左伝、戦国策、漢書、国語、十八史略なんかは現代で読んでる日本人なんてほとんどいないせいで江戸明治と比べて入手しづらい存在となってしまった
369: 名無し 2020/07/16(木) 09:50:44.07
戦国策は手っ取り早く明治書院版を買った
重いけどこれに優るもんはそうそうでないだろってことで
370: 名無し 2020/07/16(木) 21:20:10.72
史記は列伝限定なの?世家も読めよ。
371: 名無し 2020/07/16(木) 22:33:02.56
史記世家は岩波文庫で絶版、ブックオフにも岩波では列伝のみで世家の流通なし
372: 名無し 2020/07/17(金) 11:29:33.88
史記は筑摩書房からも本紀・書・世家・列伝が出てるし、俺も揃えた
明治書院版を買えば年表や表も含めて完結してたはず
俺は岩波版の列伝と世家も買ったけど、こちらの方が読みやすいね
373: 名無し 2020/07/17(金) 21:03:55.22
俺も岩波が良い。本紀がないのが残念。
380: 名無し 2020/08/31(月) 02:08:26.32
史記の越世家には勾践は覇王と称したと書かれてある
項羽より先に覇王を名乗ったのに何故その事が話題に上がる事がないのだろうか
381: 名無し 2020/09/02(水) 10:48:56.33
全盛期築くまでが人生の華だったからな
孫権の大帝と似たようなもん
382: 名無し 2020/09/02(水) 19:01:12.70
勾践が覇王名乗ってた事はほとんど知られてない気がする
覇王=項羽みたいになってるし
383: 名無し 2020/09/03(木) 00:38:19.38
基本的に五覇は史記の五人だからなんじゃないの?
孟子、荀子含め全部で覇王として挙がっているのは斉の桓公だけでしょ
自称しようが他人がそれを認めなければ袁術皇帝と同じなわけで
まあ袁術ほど他からの評価は低くないけど誰もが認める覇王ではなかったということで
398: 名無し 2020/09/08(火) 20:08:37.63
>>383
五侯九伯も分かっていない、中国は昔から数字がいい加減
ただ、三皇五帝、三代、三王、五覇、五侯九伯、九州
3と5と9を何か重んじている
三千をたくさんの意味だとか
まあ、実際に覇者と言えるのは、小白と重い耳の二人だけだよ
384: 名無し 2020/09/03(木) 19:10:36.79
五覇の覇は覇王じゃなくて覇者だから、そこは混同しないで。
五覇に数えられなくても覇者だった人も居るわけだし。袁術と違って。
春秋五覇という言葉は覇者の中でも群を抜いた者が5人いたという実態を
示すものじゃなくて、言葉が先にあって後付けでメンバーを当てはめてるわけだから。
385: 名無し 2020/09/03(木) 22:57:26.84
史記を読むと勾践は『号して覇王と称した(ちくま文庫)』とマジで書かれてるんだよな
386: 名無し 2020/09/03(木) 23:03:30.09
袁術は負けたから偽皇帝呼ばわりだけど、勝ってりゃ太祖とか高祖とか呼ばれるポジションだぞあれは
387: 名無し 2020/09/04(金) 06:07:10.17
元々王なんだから覇者になったら覇王にきまっとる。
389: 名無し 2020/09/05(土) 00:41:35.92
>>387
楚の荘王は覇王と名乗ってないし呼ばれてもいないけど…
388: 名無し 2020/09/04(金) 19:43:02.53
荀子は闔閭と勾践を五覇にいれているんだっけ
覇者は会盟の主の印象が強いし句践が号したくらいだから別物の印象を受ける
とはいっても五覇の概念ができたほうが遅いか
390: 名無し 2020/09/06(日) 20:43:01.75
文献では、歴史上、覇王と呼ばれたのは越王勾践のみであり
正式に覇王を名乗ったのは項羽のみ
その他、皇帝、国主、天王、王、単于、大単于、様々な称号を名乗っているが
覇王を名乗った人物はいなかったと思う
強いて言えば孫策が江東の小覇王
ついでに水滸伝の周通が小覇王
392: 名無し 2020/09/07(月) 16:25:15.92
孫策が小覇王って呼ばれたのは演義で声がでかくて怪力なところが項羽に似てたからなんだよな
覇王ってそういうイメージだったんだ……
399: 名無し 2020/09/11(金) 01:44:50.44
信陵君が趙の救援に行くとき最終的に晋鄙を殺すんだったら虎符をわざわざ盗まなくてもよくね?
400: 名無し 2020/09/12(土) 13:03:49.54
>>399
それだと軍に命令する権限がない
王子が来て、いきなり司令官だと言われても本当かどうか分からない
通常、将軍の印を持つものがめいれいするけんりがあるから
401: 名無し 2020/09/13(日) 13:43:00.25
>>399
制度的に指揮感光体の割符がなければ群権を引き渡せない
それでも一応王に確認させてもらいますと言ったからころされた
日本で言えば、一応正式な入館証を持ってきているけど
入館するなんて連絡はなかったから一応本部に確認させてくださいと言った警備員がころされたようなもの