チュニジア人ってフェニキア人の生き残りなのかな?
ニュース
アラブ人とベルベル人の混血だろ。
生き残ったフェニキア人は全員奴隷にされたようだし、強制移住させられたんじゃないか?
あれはヴァンダル族に軍船を奪われたローマが間抜けなだけさ
制海権を握っている限り、大した脅威ではない
ただ、北アフリカは西に大西洋、南にサハラ砂漠と接しているため
防衛が容易だから、取れるなら取っちゃった方が良いよね
流れ的には、
ベルベル人(北アフリカ先住民族)
↓
フェニキア人の植民(カルタゴ)
↓
抗争(カルタゴ⇔ヌミディア(ベルベル人))
↓
カルタゴ滅亡
↓
ヌミディア、ローマに屈服、属州化
↓
ヴァンダル人(ゲルマン)侵入←押し出される←フン族侵入
↓
ヴァンダル王国
↓
いろいろあって、アラブ人(イスラム帝国)支配下に
ジダンはベルベル人なんだね
結局、先住民族は残るんだ
そうすると、インド植民地化過程にも似ているような
・カルタゴ=ポルトガル・フランス
・ローマ=イギリス
・インド人=ベルベル人
穀物の喪失を意味しており、実際ヴァンダルにカルタゴを押さえられて
ローマは食糧難に陥った。
スペインにあった植民都市サグントゥムはギリシア系かフェニキア系かどちらなの?
吉川弘文館の世界史年表・地図ではフェニキア系とあったけどWeb検索ではギリシア系と見かける
興亡の世界史03 通商国家カルタゴにはP300に、「サグントゥムをギリシア系都市と主張する史料(アッピアノス等)もあるが、間違いらしい」の一文も
さらにギリシャ人がのっとったんじゃね
アゾレス諸島にタニトの神殿があるってことはカルタゴがここまで交易路を持ってたってことだよね?
アフリカ沿岸やイングランドまで行くより航海技術が必要だと思うんだけど
それがあったということだよね。
凄いよフェニキア人は。
フェニキア→カルタゴ→ベネチア→スペイン→オランダ→イギリス→アメリカ
カルタゴは滅んだが、その末裔は世界を席巻した。
逆に勝利者だったローマは跡形も無い。
いや、それは違う
ヨーロッパ世界は、常にローマ帝国を復活しようとして
少し成り上がれば、カエサルの称号をつけるぜ
フランク王国、神聖ローマ帝国、ロシア帝国
名前だけ残ったって意味が無い。重要なのは中身、精神だよ。
金こそ全てというカルタゴの思想は今や全人類の宗教だが、
それを嫌い滅ぼしたローマの精神は残っていない。
古代ローマ→(東西分裂)→東ローマ→オスマン帝国
っつうことで、時代時代で形を変えつつきっちり20世紀まで生き残ってますよ
カルタゴの隣にヌミディアとかいう国があったわな。ヌミディアはカルタゴの文化に憧れてて、なんとかカルタゴを自分の物にしようと思っていた。
領土を取られたカルタゴがキレて戦争をふっかけて、それが第三次ポエニ戦争につながっていく。
まあ、ヌミディアは「カルタゴの文化はヌミディア起源」みたいなたわごとは言わなかったがな。
>>137
第三次はヌミディアよりローマの陰謀的な側面も強いしな。
ディズレーリの『Coningsby』によれば、ハノーバー王朝期の英国は、ヴェネチア共和国の憲法を丸写しにして作られた。
カルタゴ→ヴェネチア→ハノーバー朝英国
最高会議→貴族大評議会→上・下院
カルタゴとその後継国ヴェネチアは、その頂点に約300の貴族階級が君臨する金権寡頭権力体制(プルート・オリガルキー)だった。
ヴェネチアは、キリスト教ヨーロッパ社会とイスラム世界の商業貿易、金融の独占を志向した。しかし、コロンブス以降の大航海時代の開幕は、ヴェネチアの地政学的優位を終わらせた。
ヴェネチアの黒い貴族は、いち早く拠点をロンドンに移す計画を立て、16世紀初頭からほぼ200年かけてハノーバー朝を成立させた。
>>151
陰謀論かなんか知らんが、カルタゴにもヴェネツィアにもあった「拒否権を持つ民会」
はハノーバー朝の何に相当するんだ?
あと、カルタゴもヴェネツィアも「自国語が喋れない大親玉」は滅亡に至るまで持ったこ
とはないぞ。
まさしく金権寡頭制だ
シチリア島の東を通るのはおっかなくて出来なかったみたいだ。
1人当たりのGDPはアフリカでは有数だけどね。
ただ資源が乏しいから観光立国になってる面はある。
まあ、ローマもやってたみたいだし、あんまり非難されることじゃないとは思うが。
>>168
>まあ、ローマもやってたみたいだし、あんまり非難されることじゃないとは思うが。
やってたら避難せんだろ
剣闘士も人身御供みたいなもんだろと言われればそれまでだが
まだ結論出てないんでしょ?
学会的にはともかく、自分的にはやってたと思ってる。大規模なものじゃなかったにしてもだ。
なんでそう思うかっていうと、ペルシャの王様から、戦争協力の依頼と一緒に「人身供犠の禁止」ってお触れが出たことがある。禁止されたってことはやってたってことだろ。
とはいえ一方で、親都市のティロス(だっけ?)で人身供犠の話を聞かないのも不思議だな。
赤ん坊を長老たちの集まる集会所で検査して、強壮となる見込みがなければ山の穴に捨てるとか・・・
世界残虐史の残る蛮行だな。
ローマとカルタゴは殺るか殺られるかの瀬戸際。
とあるコラムで、カルタゴについて
・過去の大戦で敗北し、平和国家として経済発展を目指した
・経済的脅威として見られるようになった
・大国の存在を危険視し、国防の重要性を叫ぶ者が現れた
・国民から好戦的であるとして非難された
・次第に大国の圧力に押されるようになった
っていう風に書かれてたけど
本当にそんな「どっかで聞いたような」感じの国だったの?カルタゴって
カルタゴ取り潰しの最大要因はローマとの条約で禁止されてた
軍船を隠し港を作ってそこで大量に建造してたこと
これがバレたことでそれまでカルタゴを尊重していたローマ人が絶対に殺すモードになってしまった
軍事国家にしては国民皆兵ができてないしで
国家ビジョンが半端だった事が失敗の要因かもな
ローマの自治権付き属州として生き残る道は無かったのかね
>>205
第二次ポエニ戦争までならアフリカの強国として生きる手段はいくらでもあった
まああったからヌミディア嗾けてローマがカルタゴ削るし
それにキレたカルタゴが暴走してしまうのだけども
第三次はちょっと外交に問題があった
アフリカ黒人に文明を伝授し、
ブラックアフリカを他の文明圏と同じレベルに高める
東アフリカと西アフリカ、
どちらにするべきか
西アフリカだと衰退して歴史の闇に埋もれそう
西アフリカだと大航海時代にいきなり飛躍のチャンスだな
そこまでもつかは問題
宣教師とか
のちのモンゴル並みに徹底破壊した
農地をダメにする上で意味があるほどの量は撒けるわけがないが、気分的なもんで
マジでやるなら何十万トンと塩が必要だろうな。ローマは破産必至・・・・
あと何人かのハンニバルに攻め込まれる方が、ずっと負担は軽そう。
塩が高価でなくなった頃ならすぐ忘れ去られてしまうと思う
さすがに墓はローマも尊重したのかね
実際にあったとしたら撒いた後でかき集めてる奴が絶対いたはず
ローマは占領した都市に塩を撒く伝統的な儀式をしたかもしれないが、その対象あくまでも「都市」であって「農地」じゃない。
「儀式」であって「農地を使用不能に」するためじゃない。
塩を撒く → 農地を使えなくさせるためか!
というのは、はるか後世に出来た俗説じゃよ。
たぶんこの頃のローマ人にも塩害に関する知識はあったと思います。
ポエニ戦争の戦費は塩への課税によって賄われていました。
ここにいる人ならば説明は不要でしょうが、ローマ人にとって塩と言えば鉱塩ではなく、海塩でした。
この頃のアフリカは砂漠化は現在ほど進んでおらず、実際に属州アフリカはローマ帝国の大穀倉地帯となります。
ポエニ戦争の結果、ローマはかつてフェニキア人が作った製塩所を多数入手できました。
(カルタゴ落城直後では、確実にこれから入手できます、といった感じですが)
平時には、ローマは塩に対して税をかけるどころか助成金を出していたので、
ローマ市民にとってこれからは塩が安くなります。
(対アカイア同盟など、戦争自体はありましたが対カルタゴほどの規模ではないので)
この辺を踏まえると、カルタゴ滅亡時に塩を撒いたのは、不毛の地にするためと言うよりは
札束をばらまく的なパフォーマンスに近いかも知れませんね……。
本当に農地を駄目にする時は農地に毒草をまく
収穫するときに混じると大変なことになるから農地としての価値が下がる
歪められて伝えられたのではなかろうか。
カルタゴの勢力圏には純粋にほぼ天日だけを使用する製塩所なら多数ありました。
アフリカは気候条件が良いので人工池に海水を張るだけで塩が作れます。
(ローマもそうでした。南欧はこのような遺構が残っている場所もあります)
ただ、この方法では結晶が大きく成長してしまうため、キメの荒い塩しか手に入りません。
ブリテン島の泥炭など、燃料を使用して煮沸できれば、キメの細かい塩が手に入ります。
(素焼きの壺に海水をどんどん入れて煮沸し、最後に壺を割って取り出す製塩法の記録があります)
交易品としての塩の値段は、時代にもよりますがキメの細かさや色にもよるので
生産コストは安いですが品質に劣り時間もかかる完全天日方式は中世ではあまり流行らなくなります。
アッティラに「残骸すら発見が困難」なほど破壊されたというアクィレイアの子孫だとも言われている。
カルタゴもローマに徹底的に破壊されたというが、古代って「敵の町は根絶する」は常識だったのかも。
それもまたありがちな俗説。
建築魔のローマ人たちは何世代にもわたって自分たちの好みで街を作り替えたから、結果的に先住民の建築は残らなかった。
驚異的な経済力を持つカルタゴでもなく、
ローマが覇権を握れた理由は何?
さらにいえば、ギリシア世界とほどよく近くて農業技術・軍事技術・社会制度などを参照することができたから
民族的差異もおおきかったでしょうし
ハンニバル・バルカ
「いかなる超大国といえども、長期にわたって安泰であり続けることは出来ない。国外に敵を持たなくなっても、国内に敵を持つようになる。外からの敵は寄せ付けない頑健そのものの肉体でも、身体の内部の疾患に苦しまされることがあるのと似ている。」
スキピオ・エミリアヌス
「ポリビウス、今われわれは、かつては栄華を誇った帝国の滅亡という、偉大なる瞬間に立ち会っている。だが、この今、私の胸を占めているのは勝者の喜びではない。いつかは我がローマも、これと同じときを迎えるであろうという哀愁なのだ。」
ガイウス・ユリウス・カエサル
「人間なら誰にでも現実の全てが見えるわけでもない。多くの人は見たいと欲する現実しか見ない。」
戦力的に考えたら
アメリカ=ローマ帝国
日本=ダキア
くらいが妥当だと思うんだが
後の覇権国と海戦で互角に渡り合ったこともあった(遠い目)・・・
ということからの連想だろう。
むしろ米国こそ、金の為なら何をやっても良いという、
カルタゴの体制の継承者。
いい加減どっかに派手にやってもらって汚名をバトンタッチしたいところ
ギニア湾のほうに移動するべきだった
カナリア諸島に移動するべきだった
西暦77年に大プリニウスが書き残した博物誌の記録によれば
カナリア諸島はカルタゴの航海者ハンノ(紀元前600年頃)の
発見時には廃墟と巨大建築物があったけど無人であった
カナリアのグアンチェ語は数詞はベルベル語と一致するらしいが
謎っぽいな
スリランカのヴェッダ語みたいなもんかもな
カルタゴが普通の国だったらローマなんて3、4回くらい滅ぼされてそう
ポエニ戦争でも
第一次は勝利を過信して海軍縮小して自滅するわ
第二次はハンニバルが大活躍するけど、本国が支援せずまたもや敗北
第三次は完全に武装解除され丸裸同然の状態でもはや手遅れ
ローマが慢心しなかったのもカルタゴの失敗例があったからかも
(といっても帝政中期以降はローマ人も堕落して戦わなくなり、ゲルマン傭兵頼みになるけど)
結局手持ちの軍ではローマ落とせないから直接攻撃してないで周り荒らしてただけだし
それどころかローマにはカルタゴ攻撃の余力があるんだから
商人国家だから他人の利潤になる勝利より敗北の方が望ましかったのだろうか
>>295
当時のカルタゴ目線で言うと
戦争強硬派が勝手に戦争起こして、国家存亡の危機だから手を貸せよ、売国奴かよ
ってのがバルカ一門
んで無理無理ローマなんて滅ぼせないとタカをくくって放置してたら予想外にハンニバルが頑張った
ローマの傘下に入るでもなく、ハンニバルという前例があるローマ人は次のハンニバルを恐れてカルタゴを潰した
日和見なのは事実だけど当時のバルカ一門に肩入れしなかったというのは妥当な判断じゃねーかなあ
フェニキア人の大商人達が相互に契約を結んでできた、
会館公所のような巨大な商業基地、
そしてその富に群がる中小商人やその商人の雇われ人の集合体がカルタゴだったんじゃないの
軍隊も植民地も自治権も議会も持っている互助組織なら、それは国なんじゃないの?
他の古代地中海国家と比べてそんなに奇異というわけでもなさそうだけどな
堺は植民都市がないし、武装も堺防衛に限定されてるから。
こっちもそういやギリシャの都市国家を真似た共和制だったな。
まぁ商業国家じゃよくある体制じゃね?
かつてはエジプトやカルタゴなどの文明的な大国があったんだよな
んなこといったら人類の文明が発祥した場所は今内戦やら過激派が勝手に国家作ったり酷い有様
どうしてこうなった
あそこが早く平和になっていろんなとこ発掘してもらいたい
あそこは早く平和になって経済発展しろと
でも発展する前にワイの寿命がつきそうなのが残念
まさに蛮族の地だったんじゃないのか?
当時は砂漠化も進んでなかったからね
暑苦しいし、土地は沼が多く利用しにくいし結構土地としてはマイナス要素多くね?
古代に転生するなら多分エジプトの方がすごしやすいんでは?
冬は雨や雪がちょろっと降るだけで夏は砂漠やステップとあまり変わらん乾燥っぷり
川の近くでしか生活できないので人が集まったみたいな説明だったな