史実の関ヶ原は、戦一つでケリがついたけど、
西軍が勝つとして、家康の首を取れなかったら元の戦国に戻るだけじゃないの?
ニュース
各地方がそれぞれ国家となってそれなりに安定するかも
うーん。
豊臣政権が室町幕府化してグダグダが続くような気がする
一日で終わると思ってなかった人たちが大勢いたからねえw
上杉さんとか、黒田さんとかw
≪五大老≫
徳川内大臣ー武蔵、相模、伊豆、上総、下総、上野、下野、安房
前田大納言ー加賀、能登、越中
毛利中納言ー安芸、長門、周防、石見、出雲、隠岐、備後、備中
上杉中納言ー陸奥ノ内、出羽ノ内、佐渡
宇喜多中納言ー備前、美作
島津少将ー薩摩、大隅、
伊達少将ー陸奥ノ内
佐竹侍従ー常陸
小早川中納言ー筑前
最上侍従ー出羽ノ内
長曾我部侍従ー土佐
鍋島侍従ー肥前
織田中納言ー美濃
≪関ケ原役の後≫
前田ー加賀、能登、越中
毛利ー長門、周防
上杉ー出羽ノ内
島津ー薩摩、大隅、
伊達ー陸奥ノ内
佐竹ー出羽ノ内
小早川ー備前、美作
最上ー出羽ノ内
鍋島ー肥前
加藤ー肥後
福島ー安芸、備後
浅野ー紀伊
黒田ー筑前
細川ー豊前
蜂須賀ー阿波
山内ー土佐
藤堂ー伊勢、伊賀
池田ー播磨
≪明治維新後≫
前田ー侯爵
毛利ー公爵
上杉ー伯爵
島津ー公爵
伊達ー侯爵
佐竹ー侯爵
鍋島ー侯爵
浅野ー侯爵
黒田ー侯爵
細川ー侯爵
蜂須賀ー侯爵
山内ー侯爵
藤堂ー侯爵
池田ー侯爵
領土配分がどうなるのかも気になる
>>126
領土配分でいえば、もし三成が挙兵せずに何もしなかった場合、
上杉は徳川連合軍に滅ぼされるだろう(もしくは上杉降伏)
その場合、上杉領の会津120万石をどう配分するかだな
(上杉が降伏した場合は、上杉は取り潰しされずに生き残る可能性があるので、
家康が上杉から召し上げた領土はもっと少なくなる)
あれだけ多くの大名を動員して、遠く奥州の上杉征伐に駆り出したのだから、
恩賞を与える必要になる
史実では関ヶ原合戦があったから、家康は味方に与える恩賞が莫大にあったが、
関ヶ原合戦が無かったらどうなってたのだろうか
そうしたら
①前田をいちゃもんつけて潰しに行く
②毛利にいちゃもん(ry、
③宇喜多に(ry、
とやってくつもりだったのかねぇ…
>>316
前田にはすでにいちゃもんつけて攻撃しようとしたところ屈伏してきたので不問にしたこの時点で前田は実質徳川一味になってしまった
上杉が潰されたらもちろん次々に喧嘩吹っ掛けて潰していったろうな
降伏したら上杉景勝と直江兼続は切腹かな
>>317
うろ覚えだけど、有名な直江状は種々の研究によると江戸時代に創作された偽書の可能性が高く、当時の史料からは直江兼続は速攻徳川に土下座して事情を説明してる可能性が大とか言われてなかった?
だとすると上杉討伐は割と徳川のポーズで、本命は石田三成一本釣りだった可能性も…
西軍が勝利したら
史実と比較して諸侯の所領が大き過ぎる事態になるな
豊臣宗家は諸侯に対するコントロールが効かなくなり
室町幕府のような弱い政権になるだろう
やがて、諸侯同士の合戦も頻発するようになり
再び戦国時代になるのではないか?
豊臣の領土が減るのは史実と同じっぽいな
秀吉には強力な直轄軍というものを形成する暇がなかったからな
他人に領地大盤振る舞いしてようやく天下取れたという点で足利尊氏に酷似している
所詮足利幕府の二の舞にしかならんわ
まあ秀吉は100万石クラスの大大名である信雄や丹羽や蒲生を、戦を起こすことなく命令書1本で改易や大幅減封に処したり、上杉や伊達や徳川に国替えを命じて実行させている
特定大名への追討令を発して
すぐに恩赦で引っ込めたりの朝令暮改の室町幕府とはやはり異なるよ
ただ関ヶ原で西軍が勝利した場合は豊臣政権がそうなる可能性はあったが
それは秀吉個人の力だからな
それを支える客観的基盤がないわけだから
秀吉が死んだ瞬間に足利幕府レベルの力しかなくなるのよ
やはり秀次を潰したのが致命傷だった
秀秋からみれば、
光成から関白にしてやるといわれても
秀次事件を想起して震えたんじゃないかww
むしろ家康が提示した上方2か国のほうが現実的な利益だ
実際に拝領した備前美作の2か国が上方といえるのかは疑問だが
せめて播磨くらいじゃないと
まあ文句言ったところでどうにもならん立場だからね
命乞いしてもらえたし、所領は増えるし。
吉川広家がいなきゃ勝てたんだな?
>>157
文藝春秋などの最近の記事によれば
吉川の離反は東軍の勢いに恐れをなしての命乞いに近かった模様
また西軍の行動は戦略的に不利化した大垣周辺からの急撤退であり
実際は東軍による追撃戦に近いとか
大阪城や金銀が残ろうが後はカスな形骸に過ぎないって
全国販売してただけの人気店豊臣商店
それが創業店主が亡くなって無能な息子とバカ嫁がくいつぶしただけ
番頭も自分のことばかりで取引先をふりまわして信用をなくす
大手取引先の徳川株式会社が助け船をだそうとしても反発
ついには商圏もろともよそにもっていかれてエンド
西軍が勝つには秀頼を担ぎ出すしかないが
流石に10歳前後の子供を戦場に駆り出すのは無理。
なので秀頼の、誰も文句のつけようのない後見人、
まあ叔父か養父あたりを戦場に駆り出すしかない。
叔父は既にこの世にいないので、
許嫁の父あたりを後見人として戦場に連れてくるべきだったね。
結局、秀頼の嫁選びが一番の秀吉の失敗だった。
鎌倉幕府つぶした軍勢の大将は4歳児だぞ
許嫁の父は戦場に間に合わなかったが、祖父なら居た。
それ知ってる
徳川もべつに豊臣をないがしろにしてないわけで
そんなんなんでもいいんだよw
家康の前田討伐、上杉討伐、後年の大坂攻め、全部難癖だろw
>>163
内府違いの条々で十分だろ
あとは輝元が千成瓢箪と一緒に秀頼引き連れて毛利全軍が結集して動けばよかった
つうかそれしか方法ない
もっともこれで毛利勝ったら毛利が徳川になるだけで
豊臣家にとってなんもプラスじゃないけどなw
内府ちがいもさ、三成が言っても説得力ないよな
謀反のための武装をしているとしているわけで。
あくまで豊臣のために動いているのを止める西側があきらかに謀反なわけで。
もちろん徳川が難癖王なのはわかってるよ
でもそれはそれより後の話
秀頼を献帝、家康を曹操、三成を劉備、上杉を孫権と考えればいい
それはアリだな
なんだかんだで三国志を引用するのは歴史を楽しむうえで
まあアリだわ
裏切りが出るのも東軍からだろうよww
隆景が生きていたら毛利家はどう動いたか?
西軍はもともと戦意が低いのだから、無理に決戦することなく、畿内に駐留して動かなければよかった。岐阜の織田秀信に少し援軍を出す程度でよかった。
毛利輝元・石田三成・小西行長・恵瓊などの首脳は大坂城に本陣を置いて、動かなければよい。 タイミングを見て、天皇の仲裁の勅旨を得て、東軍と和解すればよかった。
如水が九州を平定し東上してきたら?
そいつが動くのは関ヶ原で東軍が勝ったあと。
単独で戦うほどの器じゃないよ。
西軍が勝ったら?
どっちに転んでもいいように計算して動いている
>関ヶ原で西軍が勝つにはどうすればよかったんや
天下の名城大坂城に陣を敷けばよかっただけ
>>183
家康の最終目標は秀頼殺して徳川の天下にすることだから
どさくさに紛れて秀頼殺しちゃうよw
関ケ原の時に家康が秀頼殺してたら
諸大名は一丸となって家康を攻めただなんて妄想
前田は家康に生母を人質に取られてたし
ほかの東軍大名もほぼ家康の姻戚
それなら上杉討ちにいくまえにやれること
>>187
そもそも秀頼に謀反をたくらんだから殺すべしとした前田利長が
家康に人質を出して実母を江戸城へ送り
家康に臣従の製紙を出しただけで「謀反無し、許す」になったわけで
この時点で諸大名は家康を主君として動いている
上杉に対しても謀反の心がないなら「徳川の城である江戸城に」
人質を出せと要求している
秀頼に人質を出せなどとは一言も言ってないし
実際に秀頼になど人質を出しても家康は「殺せ」としか言わない
>>187
歴史を知らない奴だな
家康は秀吉・利家が死ぬとまず最初に「前田征討」を発表した
すると前田利長は家康に実母を人質として差し出し
どうか家康の家臣にしてください私を攻めないでくださいとお願いした
そこで家康は戦わずして前田を家臣にすることができた
そこで家康は上杉にも同じことをした
上杉も前田同様、実母なりを家康の人質に出して家臣になるはずだった
それを拒否したので「さっさと人質出して家臣にならんかい」が上杉征討
最終的に秀頼を殺すにしても
まず大老全員から人質とって家臣にしてからと思ったんだよ
歴史がどうこう、じゃないだろ
秀頼殺すなら関ヶ原以前にやれてたってこと
やらないでいた時点で
関ヶ原時点までは徳川に秀頼殺害の意志はないってこと
>>190
関ケ原前に家康が秀頼を殺せなかったからって
なんで関ケ原の時の秀頼は絶対安泰なんだ
関ケ原で勝利した家康は何でもできる立場
どうも岐阜城早期陥落で全国的に流れが変わった。
秀信に2000ほど援軍つけて籠城させ、清洲の正則らが攻城戦にてこずったところで宇喜多勢など伊勢方面軍をぶつけて野戦で勝てば行けるんでは。
でも天下三分か4分で乱れそうだが。
中央で膠着すればする程
西で黒田が、東で上杉と伊達が勢力拡大しますね
関ヶ原で西軍が負けた決定的理由
大軍を擁する毛利が参戦しなかったからという簡単な理由
毛利も上杉や黒田官兵衛と同じく関ヶ原が一日で終わると考えておらず
まず四国制圧、その後九州を制圧する算段だった
大軍同士の決戦が一日で終わる例は多いね
日本、ローマ帝国、イングランド征服
徳川・前田連合と毛利・宇喜多・上杉のどっちが多数派でどっちに勝ち目があるかみんなが迷ってた。家康もパニックになり必死だった。
それが、清洲勢の岐阜城陥落で流れが決まった。
大垣勢で赤坂を強襲できれば流れを逆転するチャンスはあったが、兵力不足。
伊勢路勢が遅く、行軍中に調略で半分中立化。
赤坂夜襲前に家康と小早川着陣で勝負あった。
西軍の戦力分散が致命的失敗。
家康の反転が遅ければ、畿内をじっくり制圧しててもいいんだが。
上杉北進を見極めて決戦場に向けて東海道を突進した家康のリーダーシップの勝利。
輝元が正当性根拠の秀頼を手放せず出陣できなかったのは仕方ないが、
濃尾平野への戦力集中は指示すべきだった。
毛利の四国征伐はどうみても余計。
中央で勝利すれば四国は論功行賞で取れるのに。