一部の研究者には知られた事実だが、東京都江戸川区の区立中学校の日本語教室で学ぶ中国出身の生徒が違いに気付き、謎解きに挑んだ。この詩に詳しい大東文化大の門脇広文教授(中国文学)は「研究者でも知らない人がいるのに、中学生でよく気付いた」と感心している。
静夜思は、月光を眺め望郷の念にかられた心情を詠んだとされる。
日本での表記は
「牀前看月光 疑是地上霜 挙頭望山月 低頭思故郷
(寝台の前に差し込む月の光を見て、地上の霜かと思った。
頭を挙げては山上の月を仰ぎ、頭を垂れては故郷を思う)」
が一般的だ。
3年前に中国・河北省から来日した中学3年相木将希さん(16)は国語の資料集を見て、自分が覚えている詩と違うのに気付いた。中国の小学校では「看月光」は「明月光」、「望山月」は「望明月」と習った。
「看」の字を使わないと月を見つめるニュアンスがなくなり、「山」の字が消えると月が山から昇ったばかりという意味合いがなくなるという。
相木さんは友達と資料集の出版社に問い合わせたが、返事は「分からない」。
インターネットで調べたり、中国の研究者に手紙で問い合わせたりした結果、日本の表記は李白が詠んだオリジナルで、中国の表記は詩が大衆化した明代以降、分かりやすく書き換えられたことが分かった。
相木さんは来日当初、日本語が通じず不安な時期もあったが、謎解きを通じ「やればできると自信がついた」。
高校受験の面接で詩の研究のことを話すつもりだ。
そして横から登場のチョンがウリジナルを主張するのですね
そもそも大陸中国人は繁体字が読めない
日本は遣唐使が命がけで持ち帰った大唐の文化を永く伝えてきた。
書物にしろ、雅楽にしろ、清末には既に日本にしか伝わっていないものが多くあった。
日清戦争で清国が敗北して以降、長期にわたって日本に大勢の清国人留学生や研究者が来たが、彼らは、神保町などでシナ(china)古代の文献がごく普通に新旧の書物として手に入ることに驚愕し、これを購入して、持ち帰った。日本国が無ければ永遠に失われていた古代シナの文献は多数ある。
かって著名なシナ(china)人が来日して雅楽を参観したとき、踊り手が指を二本そろえて指さしたのを見て、大いに悦んだ。
彼は、かって何故シナ(china)の伝統的な絵画では、人物が指さすときに二本指を揃えるのか、普段の生活では一本指で指さすのにと疑問に思い、画工に尋ねたことがあったが、返事は「昔からこう描くことになっている」だけであった。
それが今、雅楽を参観して長年の疑問が解けたのだ。
二本指を揃えて指さすのは、大唐の人の慣習であった。シナ(china)の画工はその意味を忘れても、描画上の決まりとして、ひたすらに守って来たのだ。
これあるかな。 彼は感激に絶えず、悦ぶこと甚だしかったという。
日本でオリジナルのまま残っていたんでしょ。
李白作なのは、誰も否定してないんだし。
よく気づいたなー。
正しいフランス語もカナダのケベック州に残っている。
中国語も、本土のは元の発音がピン音に影響される逆転現象が起きてるって言うしな。
日本語にも「ひとごと」を「他人事」と書いて「たにんごと」と読むようになってる。
ふいんき(何故か変換できない)ですねわかります
外国にオリジナルが残るのは良くある話し。
琉球方言に平安時代の言葉が残ってたりするしな。
文化的な遺品が中央でなく辺境に残るのはよくある話。
なんかオリジナルの方が分かりやすいんだが、オレ。
山がないとこが多いんじゃなかろか >中国
だから『山から上った月』っつーよりは、単に『明月を見る』のほうがイメージしやすいんじゃなかろか。
あとは『ベッドサイドの月の光を見る』よりかは『ベッドサイドの【明るい】月の光』の方がやっぱりイメージしやすいとか。
またそもそも漢文研究の最先進国は支那ではなく日本なのである。
(江戸時代に膨大に蓄積された)
オタクの国だからな。
集め出すと止まらないw
農村部の子たちだったら、そういうこともあるよ
ニューカマーなら、日本語の習得も考えて学年を一つ二つ下にすることもあるようですお。
(ウリの中学でも日系ブラジル人は日本語学習のために年齢よりかは下の学年になってた)
数え年で表記しているのかもしれん
中国から来て日本の学校に編入すると、一つ下の学年に入れられるらしいよ
>そういえば 中学3年(16) ←って
>農村部の子たちだったら、そういうこともあるよ
外国人だからでそ。私の友達でペルー生まれで、10歳までペルーで育ったハーフがいるよ。父親が日本人
10歳の時に日本に来たけど、日本語が全くわからないので、小学校1年生のクラスに入った。で、日本語がわかってきたので、授業にも多少ついていけるようになり、1つ飛び級した。けど、私と学年は同じだけど実年齢は1歳上です。
あと帰国子女や病気で下の学年に編入されるのはよくある。
日本では同じくラス=同い年が当たり前だけど、海外ではよくあること
うちの中国工場でやっとった男の子、家が貧乏だったから小学校に2年遅れて入ったってのがいた。募集期間じゃないにもかかわらず、住みかと食事だけでいいから雇ってくれ、なんでもやるから、と言って飛び込んできたらしい。小学校もまともに出ていないから募集条件からも外れていたけど。今じゃ20代で副工場長だわ。
しかし、中国帰ったらあまり疑問を持つなよー
長生きできなくなるからw
中国当局に目を付けられたくないもんだ
やはり中国人として誇り高いからこそ、ここまで勤勉になれるんだろうね。
歴史的にその素地はあるしそれでお互いに利も得られる。
だから反日教育とかやめてくれませんかねえ。
反日教育なんて中ソ友好同盟相互援助条約の時代だから今はもうやってないと思うが
悪い事は言わん。その認識は改めたほうが良い
いや、やってるよ。というか、今のほうが酷い。
教える教師側。特に今の30代ぐらいの連中が徹底的に反日教育された年代だから。
俺に言わせりゃ、60歳以上の中国人のほうがまともな感性がある。
特に70前後はわりとまともだった。
江沢民時代の方が酷いんじゃね?
つうか日中国交正常化した当時は割と親日的だった記憶があるんだけどね。
もっともあの頃の中国はソ連と対立してたと言う事情もあるんだけども。
>当時の唐は真の大国で、日本人も差別されず、李白や杜甫みたいな
>文化人もわけ隔てなく付き合ってくれたのだ。
ヒント:唐は、異民族政権
中には高級官僚として取り立てられ、玄宗と碁をたしなんだ日本人もいたと知って驚いた。
国民国家的な考えではそうだが、
君主に忠誠を誓う者の集まりだと考えれば、
出身民族など些細な事。
日本でもウィリアム・アダムスのような例もある。
こういう文化の話をし合うのが日本人の中国人に対する長年の夢なんだよな。
こっちも勉強になったわ。
情緒的って感じかな?
オリジナルの方が情景が目に浮かぶ感じがして好きだけど
詩が作られた当時の美しい音で朗詠できるのはどこか別の地方の言葉だって聞いたことがある。どこだったか忘れたけど、南の方だったかな
北京は巻き舌が激しくてね…
普通の中国語でもシューシュー言ってて分かりづらかったりする
漢文は、昔の中国語じゃなくてそれ自体が漢文という全く別の言語だとか。
慈覚大師円仁さんが唐を旅したとき、漢文で筆談してるところをみると当時の口語に近かったのでは?
あっちは支配民族がコロコロ変わったから楽器もその文化に合わせて変化していったらしい。
コロコロ変わるっていえば
北京は政治の中心地で、大都市だったので
地方から人が大勢集まるし、北方異民族の来たから
唐代の発音と現代北京音は著しく変わっている。
いわゆるアルタイ化だな。
例えば「駅」は宋代まて使われてたが
元代にはモンゴル語のjamが「駅」に取って代った。
で、北京音では站zhan(zhは舌先を丸めて米語のerのようにする子音)となった。
北京語のchやzh綴りのかなりの割合が日本語ではt、dに相当する。
なんですか?
日本は各時代のセーブポントですかw
土蔵だな。
持ち主もなにが残ってるのかよくわからない。
そうね、疑問を解決するために動いたその行動力には感心するもの。
なかなか出来ないものね。