1: 名無し 2006/11/16(木) 01:01:46 ID:47YtJSfj0
三国期の劉備、五代期の王建、孟知祥らが割拠して独立政権を築いた
四川盆地の地政学を語れ
3: 名無し 2006/11/16(木) 16:15:27 ID:ITguuZLR0
割拠しやすい場所だけど、全国統一を狙うには不便な場所な感じだね。
周りを山に囲まれて、孤立した感じだし。
4: 名無し 2006/11/16(木) 19:10:19 ID:yB4IZJMu0
公孫述を忘れてもらっては困る。
5: 名無し 2006/11/16(木) 19:13:56 ID:zctZD3M5O
成漢を忘れてもらっては困る
6: 名無し 2006/11/16(木) 23:31:03 ID:/owm887r0
>>4>>5
>三国期の劉備、五代期の王建、孟知祥らが割拠
二人とも「ら」の中だねw
7: 名無し 2006/11/19(日) 09:39:13 ID:HohjsefWO
とりあえず四川盆地について
気候区分:Cw(夏暑く、冬寒い)
夏は曇りがち・高湿度な天候の為、汗をかきにくい。
なので、人為的に汗をかくために辛い物を食べると言われている
標高は200~500m、場所によって1000m台
周囲は秦嶺山脈・チベット高原・雲貴高原に囲まれている
米の世界的産地
三国志時代は蜀錦という高級織物が特産品
民族はほとんどが漢民族だが、南西部に異民族が住んでいる
三国志時代の人口は200~400万程度らしい
山地に囲まれているため、交通は不便。
主に
漢中を経由して長安・天水に至る道(通称:蜀の桟道)
長江を船で下る、または長江の川岸を進む道
南部を進んで昆明に出る道
がある。
9: 名無し 2006/11/19(日) 23:58:48 ID:R9h/KX1G0
稲作ができるし、農業生産力はなかなか高かっただろうね。
江南には及ばないだろうけど。
昔は農業生産力=経済力だったし。
12: 名無し 2006/11/21(火) 23:41:11 ID:k5PZRR0S0
ちなみに江南が農業の中心地になるのは宋代以降ね。
10: 名無し 2006/11/20(月) 18:48:49 ID:BJy4P//j0
四川が独立できたのは塩が取れたからだと聞いた。
動物の血から塩分を摂取できない農耕民族の場合、
塩の確保の重要性は武田信玄の故事にも明らか。
狭い日本ですらそうなのに、だだっ広い中国大陸であれほどの内陸だと
海塩の利用は難しいし、敵に流通ルート押さえられたらアウト。
その点四川は岩塩が取れたんで自立できたそうな。
13: 名無し 2006/11/22(水) 08:12:12 ID:7CIG5RwY0
>>10
日本じゃ想像つきにくいけど、塩って大事なんだよね。
塩賊が物凄い力を持ったわけだし。
11: 名無し 2006/11/21(火) 20:58:01 ID:OwOxPfgt0
チベットあたりは岩塩の産地だし、その延長線上で、
四川でもいい岩塩の産地があるんだろうね。
14: 名無し 2006/11/23(木) 01:16:53 ID:F9o+tdOC0
巴蜀の地は、流刑地だったんですか?
15: 名無し 2006/11/23(木) 13:32:53 ID:2YXlBVbs0
なんかの本で、
蜀という土地は霧がおおくつまり日照時間が短く日光量が少なく、
つまり農業生産力はあまり高くないなんて話があったんだが
どっちが本当なんでしょう?
16: 名無し 2006/11/23(木) 17:51:01 ID:/dOapzzw0
国民党が重慶に本拠地を移したのは、重慶はいつも曇ってて天気が悪いんで
空からの爆撃を受けにくいからだって説もある。
現代でもそんな感じならまだ農耕技術も品種改良もないような時代に
農業生産力が高いとは言いにくいと思うけど。
17: 名無し 2006/11/23(木) 23:31:47 ID:uT7wtS330
でも降水量が多くて、比較的温暖なら、
稲作ができてやっぱり農業生産力は高いんじゃないか。
18: 名無し 2006/11/25(土) 02:49:22 ID:4BifWSnJ0
水が多くても日光が少なければ植物の生成は望めませんよ。
もう何年も前の話だが、
日本で米不足(平成)がおきたときの気候状況を調べて見ましょう。
19: 名無し 2006/11/25(土) 17:16:56 ID:mMhMxt/X0
こないだ成都にいったけど、確かにどんより曇ってたよ。
いいところだった。また行きたい。
22: 名無し 2006/11/26(日) 22:30:37 ID:6KEg3QVe0
そもそも四川が本拠地になった時点で負け組
23: 名無し 2006/11/26(日) 23:00:54 ID:aa83NeyM0
やっぱり地形的に、中原への進出が難しいか。
24: 名無し 2006/11/27(月) 09:23:03 ID:nL0kxM+z0
天険の地ってのはそういうことだしね
25: 名無し 2006/11/27(月) 20:38:52 ID:lHTwEjZS0
巴蜀から中原を狙って成功したのは劉邦だけ?
26: 名無し 2006/11/27(月) 21:22:53 ID:A7vwE3lM0
秦にしろ劉邦にしろ宇文泰にしろ、
あくまで長安を本拠として蜀は後方基地として
扱っているからなあ。
27: 名無し 2006/11/27(月) 22:32:05 ID:bgKvXvCS0
>>26
諸葛亮の北伐も涼州を略して
長安に出ることをとりあえずの目標にしてたしね。
28: 名無し 2006/11/27(月) 23:07:39 ID:wghAKR4O0
劉邦は蜀=四川(成都に本拠)の勢力ではないから。
江南勢力が四川を押さえたのを除外すれば、
諸葛亮のいた時代の蜀漢と、秦・鳳を得ていたときの後蜀が、
脱引き篭もりを図った勢力と言え、その最大版図を得ていたのじゃないかな。
ただし2者の比較では、雲南方面を得ていた蜀漢の方に軍配はあ
がる。
蜀漢は江陵を得たままであれば、かなり有力な地方軍閥だったろうが…
29: 名無し 2006/11/29(水) 20:15:48 ID:vjQ4RB3m0
雲南は領有していてそれ程意味があったかなあ?
住んでたのはほとんど異民族で統治が難しかったのでは。
江陵を得ていればという点は同意。
30: 名無し 2006/11/29(水) 20:22:47 ID:8vdoQdhr0
>>29
一応、北伐の為の貴重な軍需物資供給源になったから、
その分の意味はあったと思うよ。
31: 名無し 2006/11/29(水) 22:31:29 ID:t+TopxF60
ちなみに、三国時代ではどうか知らんが、
唐末期~宋では雲南地方は南詔の支配下にあって、
ここの仕置きにはかなり頭を痛めているよ。
唐書には諸葛亮の残した石碑も記述があるので、
偉大な先人という認識は深かったようだ。
35: 名無し 2006/12/16(土) 23:47:42 ID:1crxYZKJ0
四川って雲南のように独立せず、
ほぼ一定して中華帝国に組み込まれているね。
36: 名無し 2006/12/18(月) 23:39:24 ID:3QpLgdr00
漢朝の発祥の地に近いし、
かなり早期から中華帝国に組み込まれている。
37: 名無し 2006/12/21(木) 12:52:02 ID:Ph73ZbEd0
秦に近かったからね
しかし、秦と蜀の間って、地形的に通るの大変そう
38: 名無し 2006/12/23(土) 01:32:05 ID:mK3Ct0x+0
剣門関とか、地形が凄い。
39: 名無し 2006/12/24(日) 20:29:22 ID:eXLfLoShO
ちょうど秦嶺~寶鷄か。あの地形は殺人的
47: 名無し 2006/12/28(木) 23:51:00 ID:4Va40V0p0
>>39
剣門関の辺りとか、地勢が凄まじいね。
48: 名無し 2006/12/29(金) 01:03:25 ID:kUaB144nO
>>47
鉄道のループと、国道のつづら折りスゲェよな。
三国時代なんかまともな道なかったんじゃないか
40: 名無し 2006/12/24(日) 23:25:42 ID:WvVZ3I2C0
秦嶺の北と南じゃ、気候風土ががらりと変わる。
41: 名無し 2006/12/25(月) 07:07:35 ID:i8crX+uqO
年間で曇りの日が多いと聞いていたけど、
思ったより穏やかないい天気だった。
町の人も穏やか。西安は外国人観光客に馴れてたけど、
成都では物珍しがられた。
豊かな、とか、肥沃とか、
そんな言葉がやっぱりふさわしかったと思うよ。
43: 名無し 2006/12/25(月) 20:55:26 ID:LjZTrJsN0
>>41
中国も大分開けて、日本の下手な地方都市よりか開けてると思ってたけど、
成都ほどの大都市でも、まだまだ外国人が珍しがられるんだなぁ……。
44: 名無し 2006/12/26(火) 02:03:41 ID:0E27qDIO0
19世紀から20世紀を飛び越えて21世紀に移ろうとしているような国だからね。
あまりの変化に、ついていけない部分も多いだろう。
46: 名無し 2006/12/28(木) 01:45:16 ID:a9G7RoU50
天下の要害みたいなこと言われてるけど
南方政権ってほとんど四川から崩れてるよね。
49: 名無し 2006/12/29(金) 11:27:55 ID:Our7SalQ0
四川を落とせば、湖北、江南を一気に崩せるからね
晋の平呉戦役にしろ、斉万年の叛乱から続く
四川→荊州→江南の叛乱の連続にしろ
西魏の江陵陥落にしろ、全て四川が落ちたことで
他の地域に重大な影響を及ぼしている
曹操が漢中を得た時点で、征蜀を実施しなかったあたりが、
彼の軍事行動の限界を思いっきり露呈している
逆に言うと、劉備・諸葛亮の方が大局的な軍事作戦に関しては
上かもしれないってことか
52: 名無し 2006/12/29(金) 21:35:09 ID:hz/RCBl20
>>49
自分が知っている中で、
唯一四川が崩れて他に影響を及ぼさなかったのは、
後唐期の征蜀。
これは、出陣もとの後唐が、前蜀を滅ぼしたあたりで、
内乱に突入していたからだけど
ほとんど問題なく後蜀にスイッチしたのは、
隔絶された地勢と、孟知祥以下優れた将帥の手腕によるところが大きい。
54: 名無し 2006/12/30(土) 21:07:12 ID:GSl1DF9L0
>>49
曹操の軍事力の限界だった、というのは同意するが、
それでどうして劉備や諸葛亮が
上ということになるのかがわからん。
55: 名無し 2007/01/05(金) 02:08:48 ID:vyAVJ6Lp0
話の流れブッタ切って申し訳無いですが、
四川地方って、中国が群雄割拠の時代に成ると、
必ず誰かしらの群雄が割拠したけど、
そんな中、唯一不明なのが、
隋末唐初の群雄割拠期。
この時代って、自分が知らないだけで、実は誰か居たんですか?
このスレは、各年代の四川に詳しい方が多そうなので、
何方か御存知でしたら教えて下さい。
56: 名無し 2007/01/26(金) 01:31:03 ID:z5EJyJdX0
これねえ、確かにオレもわからなかった。
四川と荊州の境目で叛乱を起こした小勢力が確かいて
襄陽には蕭センか誰かがいたと思う。
隋末の各郡の太守が頑張ってたのかな。
57: 名無し 2007/01/31(水) 02:57:53 ID:liaLlgIi0
>>56
ありがとう。
自分も多分その線じゃないかな?って思います。
隋の太守が治める。→李淵が長安を抑え、恭帝を擁立して隋の正統を自認。
四川諸郡は長安政権に臣従。
李淵が隋から禅譲され隋から唐へ。
四川諸郡もそのまま唐の勢力圏として移行。
って感じですかね。
76: 名無し 2007/05/13(日) 19:05:38 ID:UlAxyoB60
>>57
玄奘三蔵は統一前、治安がいいという話を聞いて、
兄と共に洛陽から長安に引っ越した。 < br />しかし高僧の多くはもっと住みやすい蜀に避難していたため、
彼は蜀に向かったそうだ。
蜀に割拠した人間のほとんどは外から来た連中で、
地元の人間は自給自足が可能なので、
中原に進出する野心より、治安の維持をねがう気持ちが強いのではないか?
78: 名無し 2007/05/15(火) 15:24:45 ID:d+tMiGzH0
>>76
>蜀に割拠した人間のほとんどは外から来た連中で云々
言われて見ると確かにそうですね。
面白い着眼点ですね。
58: 名無し 2007/02/10(土) 23:58:44 ID:q7om0rGq0
漢中はだいたい蜀ではなく、関中側に付属させられている。
風土的には蜀に近そうだけど。
59: 名無し 2007/02/11(日) 10:16:07 ID:Ag1GwFOG0
三国志の小説の類を読んでると
「漢中は益州側に有るのが自然」みたいな印象を受けるけど、そうなのか。
60: 名無し 2007/02/11(日) 10:49:19 ID:Wp3sCcEh0
だいたい秦嶺山脈を境に、北は乾燥、南は湿潤という感じで気候が違うけど、
漢中はその秦嶺山脈の南側で、関中は北側。
今でも農業では、
漢中、蜀は稲作が多いのに対して、
関中は畑作が中心。
65: 名無し 2007/03/03(土) 22:54:52 ID:Fy3CF0lEO
漢中と成都の間も山が凄いからなぁ。
66: 名無し 2007/03/04(日) 21:37:13 ID:Va4sPYNu0
むしろ、米倉山脈の桟道の方が険しいんでしょ?
67: 名無し 2007/03/04(日) 22:07:47 ID:zYtZYgcO0
日本でたとえるなら東北地方
68: 名無し 2007/03/12(月) 01:59:39 ID:lh+OdwRx0
日本の米どころって平野に多い印象があるけど
盆地って元々、農作に向いてる地形だそうだな。
69: 名無し 2007/03/12(月) 22:48:02 ID:6mC8c/aI0
日本と中国じゃ「盆地」のスケールからして違うがな
70: 名無し 2007/03/27(火) 23:45:32 ID:ZtyCdL9v0
四川盆地に、日本はすっぽり入るんじゃないかな。
農地面積じゃ、山がちな日本より四川盆地の方が広そう。
72: 名無し 2007/03/29(木) 13:21:09 ID:51pIk//g0
日本の耕地面積=500万㌶
中国の耕地面積=1億3000万㌶
四川の耕地面積=356万㌶
73: 名無し 2007/04/26(木) 13:35:37 ID:MlaEg2fc0
>>72
へえー、四川よりは日本の方が広いか。
74: 名無し 2007/04/27(金) 11:52:25 ID:T35um6Hm0
現代の耕地面積は、な。
流石に総面積は四川の方が広いよ
77: 名無し 2007/05/15(火) 11:43:44 ID:YivRbRiS0
蜀の桟道ってまだあるの?
ここって、劉邦のころは確か流刑地だったって読んだ記憶があるけど。
いつから、肥沃な土地になったのかな
86: 名無し 2007/05/18(金) 00:02:19 ID:dvmw4kcxO
>>77
跡に復元されてる。痕跡もわかる
87: 名無し 2007/05/26(土) 11:15:16 ID:MgHLE98+0
孔明の南伐のときに、ベンガル湾まで領土を広げて、
中央政権から完全独立してくれたら面白かった。
そこまで一体化できれば、人口的にも呉・魏ともに対抗できたと思う。
そうすれば、現代まで天下三分が続いていたかもしれない。
現在、中国はミャンマーとの関係がどんどん深くなってる。
それが四川独立に向くのなら、日本としては最高なんだが、
実際は北京からシナ勢力が伸びてるわけだから、
ベンガル湾の制海権を抑えられてるようで、
日本のシーレーン上、大変気持ちが悪い。
90: 名無し 2007/06/18(月) 23:18:50 ID:oFXeSC450
>>87
正直、当時にあれだけの山間部を越えて領土を広げるのは
ちょっと無理だと思う。
史実で、蜀の版図があそこまで広がっただけでも
大したものだと思えるし。
ところでベンガルからビルマにかけてのあたりって、
歴史的にはインド亜大陸のデリーの王朝にはあまり支配されていないね。
デリーに拠点を構えた王朝ってたいてい西方由来の勢力だから。
93: 名無し 2007/08/31(金) 23:25:29 ID:PRiP/qaE0
>>90
インド亜大陸は、民族的なまとまりに欠けているところがあるから、
東のアッサムの方とか、南のタミルの方は、
インドの一部という意識はなかったと思う。
100: 名無し 2007/10/01(月) 22:40:45 ID:YqdqxnTI0
四川盆地での稲作はいつ頃から始まったんだろう?
101: 名無し 2007/10/03(水) 06:00:44 ID:hToQX1tX0
米は長江流域が原産だし、四川盆地内はかなり湿潤な気候。
文明らしきものが生まれた頃には、既に稲作も始めていたと思う。
日本でさえ縄文時代には稲作が始まっていたんだし。
102: 名無し 2007/10/04(木) 15:14:33 ID:n9C+D1uv0
旅行で行ったけどどんよりしてるねここ。
中国て物安いな。
あと水がおかしいのと汚い。俺には住めん。
群雄連中がここ来たらなんつーか覇者になるぞ~!
とかよりまぁまぁえらいとこきちゃったな~みたいな。
中国からここ拠点にした人らってメンタル的にきつそう。
あとここってまだ原住民みたいなのが多いみたいに聞いた。
103: 名無し 2007/10/06(土) 11:08:12 ID:CRA/j1Bu0
>>102
世界的に見たら、
日本のように飲み水に困らない国の方が珍しいけどね。
原住民というのは、南部や西部の少数民族のことじゃないかな?
チベット族とか、イ族とかの。
104: 名無し 2007/10/06(土) 16:13:49 ID:Mq2fqsz00
21世紀の戦争の主流は、水を巡る争いになるよ。
恐らくは。
105: 名無し 2007/10/08(月) 08:28:58 ID:S95eMOZr0
海水を淡水化する技術の進展もあるからそれは微妙。
108: 名無し 2007/10/11(木) 22:49:03 ID:27Qu+lRR0
四川盆地内での勢力の分裂ってあまりなさそう。
109: 名無し 2007/10/11(木) 22:56:23 ID:f4Kd8aWB0
蜀と巴が争ったっていう話以外にあったっけ?
110: 名無し 2007/10/12(金) 03:31:37 ID:7xDTSnBR0
劉ショウvs張魯だとか
111: 名無し 2007/10/12(金) 04:45:52 ID:Hx7V5T280
成漢(李氏)vs両晋(羅尚)なんかもそうかな?
112: 名無し 2007/10/16(火) 14:52:55 ID:hIQykCx/0
基本的には四川盆地内だけなら分裂状態は長続きせず、
統一に向かうんじゃないかな。
113: 名無し 2007/10/16(火) 17:56:13 ID:HN0fqFWK0
むしろ、なんで四川が歴史的に中国に属してきたのか不思議。
どう考えても関中とも長江中流域とも隔絶された地域だろうに。
114: 名無し 2007/10/16(火) 19:19:22 ID:53kJgQZ70
あの辺を開発して発展した秦が七雄を統一して
中原と一体化させたからだろうな。
もし中原に中心を置いてた三晋とか斉とかが統一の主体になってたら
切り離されてたかも知れん。
119: 名無し 2007/11/16(金) 05:08:47 ID:l81p5AsC0
三国志のころの四川料理って、どんなもんだろ。
唐辛子はなかったが、山椒はあったわけか。
今の四川料理から、唐辛子を抜いた感じ??
120: 名無し 2007/11/16(金) 16:03:24 ID:cGE/THMq0
今の中華料理自体、宋代に石炭を使うようになって、
強い火力を持続させることが可能となって、原型ができたわけで、
それ以前とはかなり様相が異なっている。
漢代の料理は、資料が少なすぎてほとんど何も分かっていないけど、
調味料は、主として塩と梅だったらしい。
121: 名無し 2007/11/16(金) 16:12:16 ID:mOgb/7Ik0
宋代あたりの記録で魚の生食の話とかも伝わってるしな。
123: 名無し 2007/12/06(木) 00:03:57 ID:YyZZZ6kV0
中華人民共和国の直轄都市に重慶がなってるけど
そんなに要地なのかな?
成都を直轄にして重慶を四川の治所にするというのはどうか
126: 名無し 2008/02/20(水) 00:25:49 ID:lZ8FGuK50
>>123
経済的な成長が著しいからだと思う。
成都は歴史的にずっと四川の中心地だったから、
重慶に治所を移すのは違和感強いんじゃない?
128: 名無し 2008/03/19(水) 16:21:00 ID:46QJ+THTO
129: 名無し 2008/03/19(水) 21:10:55 ID:ykIwb8zu0