1: 名無し 2006/12/01(金) 00:26:53
匈奴と血みどろの死闘を演じた大月氏
2: 名無し 2006/12/01(金) 01:00:18
人種的にはどんな感じだったんだろうね?
3: 名無し 2006/12/02(土) 23:04:34
コーカソイド系もいたのかな
6: 名無し 2006/12/16(土) 23:59:12
>>3
今のアフガン人あたりと同じような感じかな?
今のアフガン人あたりと同じような感じかな?
4: 名無し 2006/12/05(火) 06:20:40
月氏(げっし)は紀元前3世紀から1世紀ごろにかけて北アジア、中央アジアに存在した遊牧民族とその国家名。東西交易で栄え、匈奴と対立し、敗れた後は西に逃れて大月氏と呼ばれるようになる。
月氏の民族はチベット・モンゴル・トュルク・イランと諸説あり、はっきりしない。自身は記録を残さず、ほとんどが中国の史書による記録が多い。紀元前3世紀ごろからタリム盆地に拠って東西交易を独占し、一時は匈奴を圧倒するほどの強勢となった。
月氏の民族はチベット・モンゴル・トュルク・イランと諸説あり、はっきりしない。自身は記録を残さず、ほとんどが中国の史書による記録が多い。紀元前3世紀ごろからタリム盆地に拠って東西交易を独占し、一時は匈奴を圧倒するほどの強勢となった。
しかし匈奴に冒頓単于が立つと紀元前206年・紀元前176年と冒頓による攻撃を受けて、西のイリ地方に逃れる。この時に一部は甘粛・青海に残った。中国の史書では、残ったほうを小月氏、西遷した方を大月氏と呼んでいる。紀元前162年に冒頓の息子老上単于による攻撃を受けて、王が殺された。この王の首を匈奴は持ち帰り、頭蓋骨をくり抜いて、杯にしたと言う。
敗れた月氏は更に西のソグディアナに逃れ、この地で大月氏は大夏を征服して大月氏国を立てて、中継貿易で大いに栄えた。(この大夏はバクトリアのこととする説とバクトリアを滅ぼしたスキタイ系のトハラ人の国だとする説がある。)
紀元前130年ごろに前漢の張騫が対匈奴の同盟を求めに来たが、すでに安住の地を手に入れた大月氏はこれを断った。
1世紀初めごろから、トハラ人のクシャーナ侯が強大となり、クシャーナ侯が立てたクシャーナ朝がこの地を代わって支配するようになり、東西交易も支配するようになった。しかし中国はこのクシャーナ朝も大月氏と呼んでいた。
中国への仏教の伝来についての説に紀元前2年に大月氏国王の使者伊存(いそん)が『浮屠教』と言う経典を伝えたと言うものがあり、これが諸説の中でもっとも早いものとなっている。
7: 名無し 2006/12/19(火) 23:55:52
>>4
西遼とかと似た感じだね。
東から西に追われて、新しい国を建てたあたり。
西遼とかと似た感じだね。
東から西に追われて、新しい国を建てたあたり。
9: 名無し 2006/12/21(木) 11:16:43
中国の北方から西域にかけての、古代の民族が、どんな人種だったのか興味深いね。
今とはだいぶ違っていただろうし。
今とはだいぶ違っていただろうし。
18: 名無し 2007/02/10(土) 23:59:32
>>9
移動する過程で混血が進んで人種も変わったんじゃなかろうか。
移動する過程で混血が進んで人種も変わったんじゃなかろうか。
12: 名無し 2007/01/11(木) 23:23:40
安息ことパルティアも、500年近く続いていて、
かなり長く栄えた王朝だね。
かなり長く栄えた王朝だね。
13: 名無し 2007/01/14(日) 00:57:21
>>12
ローマとは幾度も抗争を繰り広げた名ライバルだね
ローマとは幾度も抗争を繰り広げた名ライバルだね
14: 名無し 2007/01/20(土) 22:28:02
ローマは研究も進んでいて、かなり馴染みがあるけど、
パルティアは馴染みがないなあ。
パルティアは馴染みがないなあ。
15: 名無し 2007/02/02(金) 23:50:36
ササン朝の方が印象強いかな。
パルティアは、ローマとの関連でしか連想しないし。
パルティアは、ローマとの関連でしか連想しないし。
20: 名無し 2007/03/04(日) 23:59:42
遊牧民は国も移動するんだよな。
定住民国家には考えられない。
定住民国家には考えられない。
54: 名無し 2019/05/01(水) 02:47:34.63
>>20
よく空いてる土地があったよね
よく空いてる土地があったよね
21: 名無し 2007/03/10(土) 23:16:18
小月氏の方は、漢民族とかに吸収されちゃったのかな?
23: 名無し 2007/04/09(月) 14:05:45
クシャーナ朝もそうだったような
45: 名無し 2015/08/21(金) 22:25:24.09
大月氏はクシャンに乗っ取られて消息不明。
その後のトカラ国になったような気がしないでもない。
その後のトカラ国になったような気がしないでもない。
24: 名無し 2007/05/17(木) 18:50:11
何ちゅうか、イランからインドあたりにかけての歴代王朝も、北方の、中央アジアから来襲する遊牧民の脅威に悩まされていたあたり、中国と共通しているね。
28: 名無し 2007/11/01(木) 23:01:43
>>24
その遊牧民が征服王朝を立てるも、
その地の文化に同化されてしまうあたりも似ている。
その遊牧民が征服王朝を立てるも、
その地の文化に同化されてしまうあたりも似ている。
25: 名無し 2007/06/02(土) 09:15:12
元は北方の遊牧民が建てた国が多いあたりも
26: 名無し 2007/07/08(日) 07:59:04
中国の場合は、モンゴル高原
イランの場合は、アラル海周辺
イランの場合は、アラル海周辺
27: 名無し 2007/08/17(金) 13:44:03
クシャーナ朝と漢朝はどれぐらい人の往来があったんだろう。
34: 名無し 2008/10/28(火) 13:17:07
>>27
クシャーナ朝の場合はローマとのつながりの方が大きいだろ
香料を原価の1000倍ぐらいに吹っかけてボロ儲け
ローマの金貨がザックザック
それでもローマ商人は郷里に戻って香料売ればかなりの儲け出した
でなかったらローマ商人がわざわざ危険な航海してインド、果てはベトナム南方オケオまで行かんもなあ
クシャーナ朝の場合はローマとのつながりの方が大きいだろ
香料を原価の1000倍ぐらいに吹っかけてボロ儲け
ローマの金貨がザックザック
それでもローマ商人は郷里に戻って香料売ればかなりの儲け出した
でなかったらローマ商人がわざわざ危険な航海してインド、果てはベトナム南方オケオまで行かんもなあ
29: 名無し 2007/11/01(木) 23:26:00
インドに軸足を移す前のクシャン朝の首都を発掘したところ、クシャン朝人の彫像はほぼコーカソイドの容貌をしていたそうな。
月氏はイラン系の人種であったことは間違いないだろう。
対して、匈奴の人種は良く分からぬ。ま、種々混ざってたと思うけど(見かけはあまりに気にしないのが遊牧騎馬民族)。
月氏はイラン系の人種であったことは間違いないだろう。
対して、匈奴の人種は良く分からぬ。ま、種々混ざってたと思うけど(見かけはあまりに気にしないのが遊牧騎馬民族)。
31: 名無し 2008/01/12(土) 19:04:03
匈奴とか広い範囲で活躍した民族はいろんな種の連合体のような感じじゃないかな
32: 名無し 2008/01/12(土) 21:52:49
タイムマシンで見に行ってみたいな、この時代の諸民族の顔立ちを。
37: 名無し 2009/12/13(日) 01:38:40
朝鮮に月氏国ていうのがあったような。
あれはなに?
日本には渡来していないのか?
あれはなに?
日本には渡来していないのか?
43: 名無し 2015/08/09(日) 17:15:27.88
>>37
馬韓の月支国のことかな。あれは月支じゃなくて「目支」の誤写らしいね。
馬韓の月支国のことかな。あれは月支じゃなくて「目支」の誤写らしいね。
46: 名無し 2015/08/27(木) 21:21:39.20
侮蔑的な漢字を使っていないし、秦や漢は月氏とつながりがあったのだろう。
クシャナを経た後、昭武九姓の時代になるとカブーダンが漢字表記では曹国となったがこんなメジャーな中国人の姓を異国につけるのはおかしいしな
クシャナを経た後、昭武九姓の時代になるとカブーダンが漢字表記では曹国となったがこんなメジャーな中国人の姓を異国につけるのはおかしいしな
47: 名無し 2015/10/22(木) 05:18:21.07
大秦帝国と月氏のつながり ありそう