あんな大昔の王朝についてどこまで正確に実在を確かめられるものなのだろうか?
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「夏」の話が出てくる最古の史料は『詩経』(西周末期~春秋初期の成立)だろうね。
「殷に先立ち夏という王朝があり、悪王・桀が殷・湯王に滅ぼされた」という話が出てくる。
『詩経』には禹も出てくるけど、まだ夏の祖にはされてないね。禹が夏の祖という扱いになるのは春秋中期以降。ついでだが、堯・舜は『詩経』には出てこない。
商代の甲骨文では、今のところ「夏王朝」に触れたものはないはず。
「夏殷革命」が史実なら、大乙(湯王)の覇業を讃える文章が一つくらいあってもよさそうなもんだが・・・。
>>15
>>商代の甲骨文では、今のところ「夏王朝」に触れたものはないはず。
夏も殷も周での呼び名であり、殷(商)が夏のことをどう呼んだのか
分かっていません。もちろん、夏自身も自分たちのことをどう呼んだ
のか分かっていません。なので、甲骨文に万が一書いてあったとし
ても我々はそれを夏だとは分かりません。いわゆる方(の国々)の
1つと認識していたのかもしれません。
>大乙(湯王)の覇業を讃える文章
ご存知のとおり、甲骨文は殷の晩期の占いの文章なので、先祖の
業績をたたえる文章が出てくる可能性はあまりないです。
「夏」が実在したとしても、どういう形で数百年間伝えられてきたのか?
作り話だとすると、どういうプロセスでできたのか?現状ではよくわからん。
考古学的にも、まだ夏の実在は証明されていないでしょう。文字資料の出土が期待できない先殷時代の遺跡を「夏都」と確定するのは、よほど状況証拠が揃わないと難しい。
現在は「殷に先立つ夏という王朝が存在したであろう。その末期の都はおそらく二里頭遺跡」という「作業仮説」で研究が進んでいる段階、ということ。
文字資料はないのは確定的だから、永久に分からないと、そういう結論ですか?
日中共同研究も認めないと、そういうことですか?
>>21
> 永久に分からないと、そういう結論ですか?
とは、誰も思っていないんで。結論云々は気が早すぎますよw
ただ、何をもって「夏王朝は実在した」と確定できるのか?
その規準が明確でないまま議論しても、下らないケンカになると思うなあ。ま、ここで基準をおいおい考えていくのもいいでしょう。
基本的に「史記」を含めて、夏王朝に関する文献で確かなものは何一つないと思う。
郭沫若が指摘するように、史記の殷王朝の系譜と夏王朝の系譜はよく似ており、殷王朝の系譜から、夏王朝の系譜が造作された可能性がないとはいえない。
ちなみに、「杞憂」の語源となった「列子」も偽書として知られている。
後人の仮託ではないかという説はあるけど、内容の真偽については
また別でしょ。>列子
考古学者はニ里頭遺跡の近隣に偃師商城が建設されるのと同時期にニ里頭遺跡の宮殿が破壊された事を見出した。偃師商城は殷墟文化へとつながるニ里岡文化を持ち、すなわち商(殷)であり、ニ里頭は商により滅ぼされた都城遺跡である。
文献には商に滅ぼされた国がいくつか記されているが、ニ里頭の位置に相当するのは夏以外にありえない。かくして、考古学者はニ里頭を夏の遺跡と考えるようになったのである。
三皇五帝の話を信じるつもりはないが、夏に関しては説得力があると思うがどうよ?
>夏以外にありえない。
主観の入った性急な判断だと思う。
スレタイトル通りに「夏王朝」が存在したとは、まだ証明されてないんでは?
宮殿跡から何らかの文物が見つかって解読されたら面白いことになるね。
ニ里頭文化の分布範囲は河南中西部に限られています。
夏の勢力範囲はこの二里頭遺跡の周囲100キロ弱の範囲と考えられています。
夏、大嫌いだ。
エアコンないから窓ぜんぶ開けっ放しで
扇風機まわしっぱなしだけど、
とにかく頭はボーッとするし汗だくでどうにもならん。
うん。
彼ら自身がどう名乗っていようが歴史的に殷にとって代わられた国を
夏と呼ぶべきだろうなと。
> 殷が滅ぼした
> 大きな国があった
これも思いこみ。夏殷革命は実証されていない。
んなこといったら商周革命だって実装されていない
殷周革命は、西周代の青銅器銘文に記述されているものが数多くある。年代が近い西周代には史実とされていたことがわかる。
遙か大昔の夏殷革命をそれと同じ扱いするのは無理です。
夏殷革命が文献に現れるのは『書経』『詩経』が最も古いが、後世の付加・改竄が多いので、西周代にこの伝説がすでに存在したか判然としない。
春秋後期(前6世紀)の叔夷鐘金文、『論語』あたりが夏殷革命に言及した(年代の確実な)史料としては最古のものだろう。
まあ、何だ。殷代よりも古い遺跡を仮に
夏と呼ぶのは問題ないんじゃないのか?
まあ殷の遺跡から、別の王朝を倒したとかいった類の
文献が出てこない内は、夏殷革命は十分立証されないけど、
トロイ戦争やモーセの出エジプトといった、
立証が不十分な出来事まで世界史の教科書に登場しているし。
あと、確かに中国の教科書にも問題ありだけど
(黄帝まで取り入れている点)、少なくとも
韓国とか北朝鮮の歴史書に比べれば、遙かにまともだと思う。
>>78
殷代より古い遺跡を「夏王朝が支配した遺跡」だと言えないからでは?
夏王朝が全国をあまねく直接統治した効率的な中央集権国家と想定するなら別だが。
夏王朝の実在を証明できるなら「夏代の遺跡」と呼んでもいいと思う。
でも夏の歴史を読むと加上説のニオイがするんで、そんなに古いとは思えないよ。
小領主としての河川地域に村単位的に夏があったのではと思う
うん。都市が国家になるなら、当時の世界、どこもみな国家だらけ。
これってば、日本の弥生時代の環壕集落を全部「だれそれ天皇の宮があったところ」っていっているようなもんじゃないかな。
都市国家以上のものであると証明できるもの。巨大な墳墓は証拠としては上々。でもやっぱり決定的なのは、領地支配をしてた行政文書の存在だろう。
そうそう。とにかく文書が出てこないと、なんの証拠にもならない。
結局、中国の殷(商)は、甲骨文字で王の名前が全部出てきたから、これは確実。でも、それ以前は、「あっちこっちにたくさん都市がありました。でも、文字はなかったみたいです。だから、そのうちのどれが、夏なのかわかりません」でおしまい。
呉城陶文なんか文字に近そうだがどうなのかなあ。
甲骨文字はいきなり完成されて登場した観があるし・・・
>>105
文字として、文字になる過程がある程度わかっているのは、メソポタミアのくさび形文字。原くさび形文字も出ているし、また、それ以前のトークンシステムとの関係も概ねわかっている。ところが、エジプトの場合は、いきなり出てくる。
中国も甲骨文字でいきなり。それ以前に「文章っぽい」文字はいくらかあるのだが、解読はできない。ただ、中国の甲骨文字と、未解読のクレタ線形A文字、などなどいろいろ見ていると、同じ形の文字が結構あるらしい。
これは、1万年前の大氷河文明文字のなごりか、、。
なんか、邪馬台国と同レベルの「古代ロマンのなんたら」みたいな曖昧な存在と化してきたなあ。
富谷至によれば、「夏とは大きいと言う意味の普通名詞」であり、夏国とは大国の意、本当の所は「殷朝と戦っていたらしい大きな国」ということだというが、もしこの説が正しいとすれば夏の遺跡なんてゴロゴロあることになるよなあ。
「夏」という文字の謎ときはムリ。すでにいろんな説があるが、
何をいってもすべてははかなくたよりない仮説。
その説を信奉したとたん電波にしかならない。
今のところは「ある部族の名」くらいに考えておくのが無難。
>>114
伝説の話をすれば、文字を発明したのは蒼頡だから黄帝の時代…という戯言はおいといて。
殷後期の甲骨文字→西周青銅器の金文→戦国時代いろいろ分化→始皇帝による統一という感じだから、変遷を経てきている。
今ふつうに使われてる楷書体なんかは、ほとんど王羲之のころ成立だったり。
源流として遡って確実なのは殷末ということになるんじゃない?
でも最近、新石器のころの考古文物のあやしげな記号?を漢字の源流だって主張している説もあるし、エジプト起源説も見たなあ、これも最近。
ま、確実なことはいえない。いきなり完成体が現れたわけでもないだろうし。