1
甲がAという行為をいつもして利益を得ていた。
その事が乙や丙に、同じAという行為をする動機づけになる。
裏切り上等の呂布が部下に裏切られて死んだみたいな感じ
2
甲の過去の行為の害の当然の論理的な帰結が
甲自身の害になって戻ってくる。
商鞅が自分の施行した法によって死んだみたいな
3
因果応報というものがあるべき、
という既成の概念でそれが意図的に実行される場合
コーンウォール公が義憤を持った部下に殺されたみたいな
(フィクションだけど)
4
玄妙不可思議な怪異譚チックなもの
ポルポト政権が嫌がらせにベトナム国境を侵して
村を焼いたりしてたら怒り心頭のベトナム軍が
反攻侵入し鎧袖一触ポルポト政権をジャングルへと敗走させる
アメリカにもテロをしかけてきた
ってのは2なのかな
ユダヤ人が2000年前の(彼らの神から約束された)権利を主張して
武装集団を送って土地を奪取。
以後2000年は追い出されたパレスチナ人の攻撃を食らい続けるだろう
1かな・・
ポーランドもおこぼれにあずかろうと便乗で攻め入りテッシェンを併合。
↓
その翌年にはヒトラーがこんどはポーランドに攻め込んで、
ドイツとロシアに国土を分割されてしまう。
これは>>1の1~4のいずれでもなさそうだけど、なんとなく因果応報
そのKCIAの部長に暗殺されたのは、1かな、それとも2かな?
死刑執行人を超法規的に暗躍させていた事が自分に跳ね返ってきたわけだから
秘密警察の長で好き放題殺人を重ねていたら
自分が同僚たちに拘束されて粛清
しかもスターリン自身がベリヤに殺されたんでないかという説もある
(フルシチョフ談)
マトモな裁判もせず大量殺人を重ねた二人が、自分らも闇の中で消されたと思うと
かすかな因果応報的満足を感じなくもない
美貌と才知で晋朝に仕えたが、性軽薄でおちつきがなく
権力者に阿って「後塵を拝す」という語を生んだ。
しばしば母に
「知足を学ばねばならない。眼前の利に目をとらわれて後事を蔑ろにするな」
と叱られていたが、最後まで改めることが出来なかった。
かつて潘岳の父と潘岳本人に仕えていた孫秀という人物がいたが
性質がよくなかったので嫌われ、
潘岳によりしばしば鞭打たれて恥をかかされていた。
ところが、この孫秀が趙王の政権掌握に伴って中書令に出世してしまう。
「昔の私の行為を憶えておいででしょうか」
と伺った潘岳に対し、孫秀が『詩経』を引用して
「中心これを蔵す、いずれの日にかこれを忘れん」
と歌ったことで、潘岳は自らの運命を悟る。
ほどなく孫秀の誣告により捕らえられ、三族皆殺しになった。
刑場で潘岳は母に対し
「母上のお申し付けに背いてしまいました」
と言った。
また友人の石崇が来て
「やはり君もこうなったか」
と言われたのに、
「(以前詩に詠んだとおり)白首まで帰するところは同じくせん、
と言ったようにね」
と答えた。
母の言いつけに背き、かつて鞭打った男に仇を討たれた因果応報ということで。
同年に張華も無実の罪で処刑されていますが、
張華も潘岳も『荘子』逍遥篇本文と
当時の注釈を念頭に置いた上で「今ある財産で十分だ」
という文章を残したものの(本朝の「池亭記」も同源)
三族が殺されています。
十分だと言いつつ、表舞台に居続けて死んでしまった。
陸機・陸雲兄弟がそれぞれ処刑されてから
「彼らは処世を口にしていたが、
(彼らほどの才能の持ち主でも)遂に実行出来なかった」
と評されていますが、そりゃ竹林にでも田園にでも行きたくなります。
予告通りに相手を殺した孫ピン。
睨んだだけの恨みも、それだけの恩も返した范ショ。
股を潜らされた相手に怨みを、食事を施してくれた相手に恩を返した韓信。
侮辱されて隣国の宰相となり、相手国を亡ぼしたカウティリヤ。
父親の葬式代を出してくれた人を、後に知事に任命した西太后。
言うまでもない有名な応報の逸話持ち、他に誰がいましたかね。
本朝だと頼朝や家康が有名ですが。
悪法で民を苦しめたのが原因で自身が殺されたのなら因果応報だが
単に貴族の既得権を冒したから殺されたんじゃね・・・
法治主義を身を以て体現し、ライフワークを完成させた。
自己実現という点で見れば羨むべき人生。
江藤新平はむしろ、自分の作った法律通りの裁判をしろと要求したのにいれられず
恣意的に斬首にされた
なのに後世、「自分の作った法律で死刑になった」などと言われてしまう
その方が話として面白いからだろうけど、あの世の江藤本人が聞いたら
「どこがだ!」
と怒ることだろう
裁判のほうはそのとおりだね。
毛利敏彦はじめ、大勢が指摘するのはむしろあっさり捕縛されたこと。
江藤が心血を注いで整備した刑事警察機構は、実に効果的に機能したのだよ。
で、第1号が江藤自身だったと。
因みに晒し首はともかく、当時の法律では内乱罪には死刑が無かったのかな。
現行刑法でも内乱の首魁は死刑か無期禁錮なんだけど。
「肥前の江藤新平は 残忍に過ぎる人であった。
彼は人に接すれば、何はさておきまずその人の欠点を見破ることに努め、
人の長所を見ることは後回しにした。」
「学問があってよく物を知っていても
礼をわきまえなかったばかりに身を滅ぼした」
あれほど法治に拘った江藤新平が
いざ佐賀裁判所の裁判長が河野利鎌だったのを見て
「それが恩人に対する態度か!」。
「恩人だから刑軽くしますわw」
なんて河野が言い出したら、それこそ法治でも何でもないんだが。
東京が100倍の規模で同じことをされたみたいなのもそうだな
東京大空襲は真珠湾の報復といえる
ちなみに真珠湾はハルノートの因果応報ともいえるが
真珠湾攻撃は軍事基地への攻撃だが、東京大空襲は民間人の虐殺だよ。
特に空爆に関して国際法や、国際的なルールがあったわけではない
日本の重慶爆撃も、ドイツのゲルニカ爆撃も、アメリカの東京その他の爆撃も
当時としては
なにひとつ非難される理由のない、ごく常識的な戦術にすぎない
それと法律と道徳の問題は別
民間人を中心に100万以上の犠牲者を出してるんだから。
ドイツはこれでレニングラード市民を根絶やしにするつもりだった。
真珠湾攻撃とハルノートにはほぼ何の関係もない。
ハルノート受領時には南雲部隊は最終集結地から出港した後。
当然、作戦の発動はそれよりはるか前だ。
外交がうまくいったら引き返す予定だったんだが
アメリカの回答が、
日本の甲乙両案のどちらかを丸呑みしますという趣旨のもので
かつ日本側の決めた期限内に来る、という条件が満たされない限り
妥結しないというのが当時の政軍の決定だよ。
だから「ほぼ」と書いたんだけど。
山本五十六が訓示して云々という話もあるけど、
実際問題として攻撃部隊がある程度アメリカに接近した後では
妥結は不可能だよ。
交渉中に攻撃部隊を送り出していたことが知られれば
一度妥結しかけてもすぐに和平が破れるのは目に見えているし、
そうなれば今度は奇襲効果ゼロという最悪の条件で対米戦を実施することになる。
いずれにせよ、マレー作戦の方は上陸可能な日時が限定されており
交渉可能な期間も真珠湾攻撃の日時もそれに完全に縛られていたんだし。
え
それは仮定に仮定を重ねすぎてる
>交渉中に攻撃部隊を
云々は問題外
とりあえず最終決定はハルノート見てからなんだから
それ以前に戦争決行がきまっていないことは明らか
ほぼなんて曖昧なアナタの推測が許されるなら逆も言える
すでに御前会議等を経て、
甲乙両案(特に甲案)が日本の最終提案であることや交渉期限が決められている。
大使への訓令で示された期日は25日、調印期日が29日。
でハルノート提示はワシントン時間で26日。
ハルノートの内容が少し融和的だったとしても事態が変わることはあり得ないよ。
で、ハルが態度を急に硬化させた理由の一つとして
「南方へ向かう日本の大船団を発見した」
という誤報が挙げられていることは知っているよね?
当時の日本の上部だって、攻撃部隊が発見されれば
どんな交渉もすぐに吹き飛ぶという程度のことは当然考えている。
よほどの馬鹿でない限り、当然のことだからね。
事態はかわらないとかすべてアナタの推測ですやん
ありえないっていう発想がありえないわ
実際は和戦両方の準備してたってのが「事実」です
アメリカの回答が「甲案(最低でも乙案)を丸呑みします」
でない限り受諾してはならないというのが、「和戦両方の準備」で、
> ちなみに真珠湾はハルノートの因果応報ともいえるが
かい。ばかばかしい。
甲乙両案は最後通牒で、「丸呑みしなければ直後に攻撃する」というのが当時の方針。
繰り返しだが、ハルノートが強硬で云々というのは、
明白かつきわめて悪質な「嘘」だよ。
大使への訓令は日本側提案で期日までに調印せよというものなんだから、
「日本提案を受諾します」という内容でない限り
多少妥協的でも妥結の目はなかった。
うーん
結局それは推測にすぎませんよね
一応引き返す可能性はあったんだから
会戦「ほぼ」必至ってのはあなたの推測に過ぎないよ
その可能性をあなたは勝手にほぼないと言ってるだけ
いやハルノート云々のまえに、
1941年11月終わりまでに対米交渉が不調なら開戦と決まってた。
推測とかじゃなくて、歴史的事実。
「戦争を辞せざる決意の下に概ね十月下旬を目途とし戦争準備を完整す」
と決定したのが昭和16年9月6日
11月5日の御前会議では
「武力発動の時期を十二月初旬と定め陸海軍は作戦準備を完整す」
と開戦の時期も決定(交渉成立したら戦争回避という保留条項付き)
昭和天皇が
「開戦が前提で、外交が従なのはおかしい」
とクレームつけたやつね。
一方、ハル・ノートは11月26日。
まあ結局のところ双方とも
「相手がいうこと聞いてくれたら戦争はやらない」
と思ってたわけだ。
しょぼいでっち上げの方が良く広まっていると思うけどな。
当時の日本の首脳部が、ハルノート受け取ってから
あわてて合戦準備なんていう泥縄をやるような愚人ぞろいだったんだと
貶めようとしているとしか考えられないんだが。
そうね。俺の知り合いにもハルノートの俗説を信じている人間がいたが
ハルノート以前にハワイ攻撃艦隊は単冠湾を出撃していたよ、と教えたら
そんなばかなと驚いていた。
演義のと書いたが、正史にある陳寿の評ですね。
功績欲しさにレキ食其を殺すような真似をしたり、
わが身恋しさに一度はかくまった鍾離昧を売り飛ばしたり
結構、下種なことやってるし。
そういうのを集めた本があれば、子供の教育に使えそう。
かつて命を助けた男の元に逃げたが、その男はあっさり恩人を
裏切り、皇太子を捕らえて引き渡してしまった。
皇太子は市中を引き回され首を刎ねられる最期を遂げたが、
裏切者も褒美を貰って家に帰る途中に殺されてしまった。
Wikipediaは因果応報ざまぁ、みたいな書き方だったな。
ダーラーはいい皇太子と言われてるが、
もし皇帝になったらどうだったんだろう?
教科書だと、アクバル>シャージャハーン>>アウラングゼーブになってるけど
ダーラーはどこに入るんだろうか?
おそらくアクバルの政策を引き継ぐんだろうから、
ゼブさんよりは評価良くなるのかな?
アウラングゼーブの宗教的不寛容によるところが大だから、
その逆をいくダーラー・シコーが継げば国勢を保てたのではなかろうか。
するとイギリスのインド植民地化もそう易々とはいかず、
世界史の流れにもかなりな影響を与えそう。
アウラングゼーブは
あんなに反乱起きてたのに上手いこと最大領土を維持していた辺り
かなり有能なんじゃないか
ただ、やっぱり宗教にのめり込み過ぎてたんだよな
ダーラーが即位したら、って言うのはすごく興味ある
ガンディーとか出番なくなりそうだな
戦術的に有能だが戦略的に見通しを誤るタイプが
いちばん国に害を与える。ナポレオン1世と同じだ。
「強い」と評価されがちである
この板にある武将のランク付けスレでも戦術的な強さばかり評価されてて
戦略的な強さは評価の対象になってない
君主・指導者ランクじゃなくて武将ランクならそれでいいんでは
究極的には戦わずして勝つのが最上だろうが、
ランク付けなんてしょせん趣味だし
話の種となる戦闘の多いほうが上にきちゃうでしょ
周りの国が力をつけてきたから1かな? 歴史に詳しくないもんでスマソ…。
2ですかねぇ
というか、あんなアホな戦後処理をしたら
そうそうに破綻する破綻するのは確実ですもんね
ヒトラー自身はあんまり因果応報した感じはないですか
まぁそれでも現代で記録抹殺刑に処せられてる人も
なかなか居ないでしょうがww
ナポレオンが退位した際、
オージュロー元帥は失意のナポレオンを罵倒して嘲笑した。
ナポレオンは今やエルバ島に流される身。
悔し涙にくれるしかなかった。
そしてナポレオンが復位すると
オージュロー元帥は罵倒したことを忘れて擦り寄った。
陛下が復位されることを信じておりました、と。
ナポレオンは側近達が震え上がるほどの剣幕で激昂したそうである。
「余はお前を元帥にしたのに、お前は恩を仇で返した。
あれほど罵倒してくれたのに、よくもおめおめと現れたな!
そんな不誠実な者などいらぬわ!今すぐ余の目の前から消え失せろ!」
オージュロー元帥は、後悔と失意のうちに間もなく没したという。
ルイ18世に称号と年金剥奪されてるのもポイント高い
時節を見極めず軽はずみな行動をしてはいけないといういい教訓やね
裏切られてばっかりやww
宮廷大元帥ベルトラン伯爵のようにセントヘレナにまで付き従った忠臣もいる
ナポレオンはベルトラン伯爵を
「余の古くからの友人だ」と大変信頼して
皇帝一族の家政を任せるほどだった
ちなみに、ベルトラン伯爵は永年の忠誠を讃えられて
ナポレオンの墓の傍らに葬られる名誉に与った
虞氏は
「曹氏は身分の低い女を正妻にするのがお好きですものね。
正妻を廃して妾を正妻にする道理に反する事をするなんて!
今に報いが来ますとも」
と恨み言を残して実家に帰っていった
果たして、曹叡の養子曹芳には頼れる外戚も無く
司馬氏の台頭を許すはめになった
曹叡の皇后は寒門の出だったので無力であり、
全く当てにならなかったのは言うまでもない
権力欲が強すぎる外戚は大問題だが
あまりに無力な外戚も問題だったりする
反乱を起こした剣闘士たちが、捕まえた金持ち貴族同士を
決闘させてそれを鑑賞していた。
これは1かな。
まあ剣闘士たちの立場になれば誰でもそうするだろうし。
唐の県丞。貞観年間に馬泥棒に遭い、これを捜索、捕えた。
賊を指して面罵し
「虎に食わせてやる!わしを楽しませてみせろ!」
と言っていたら、賊が枷を
振り上げて殴りつけて来たため、脳を砕かれて死んだ。
要らぬことを言って無駄に追い詰めるから。
それと、演義の張飛やザンギーのように
実際に処する前に言っても碌なことになりませんね。
ザンギーは奴隷が酒を盗んで飲んでいるのを目撃し
翌朝処罰すると言っていたら寝ている間に殺されたという。
日露戦争に際して、
ロシアのギリシア正教会は全土の教会で日本へ神罰が下るよう、神に祈った。
しかしなにもおこらず、ロシアは敗北。
19年後、関東大震災が発生。
このことから、ロシアの物理学者カピッツァはこう結論した。
「神は、我々から9光年以内にいる」
祈りの速度が光速を超えないと
結論したのはナゼなんだろう、、、
あまつさえ人間からの上り速度と
神からの下り速度が何故等しいと思ったのか、、、
永嘉の乱で漢人を大虐殺したのはあまり知られていない
東海王の葬儀の列を襲撃して虐殺するような所業もしでかした
しかし、虐殺の因果応報はあまりに恐ろしいものだった…
石勒の子孫は従子の石虎に皆殺しにされた
その石虎の子孫も畳の上で死ねた者はいなかった
漢人の冉閔によって石氏は虐殺されまくった
そして、生き残った者は東晋を頼った
東晋の人々は自分達の先祖が石勒に虐殺されたのを死ぬほど恨んでいたのだ
これ幸いとばかりに、一網打尽に捕らえて市場で処刑した
かくして、石氏は完全に断絶したのだった
明代の頃は規模も面積も今よりはるかにあったのだが
康熙帝があまりもに大きすぎるとして
不用な建築物は取り壊し皇城の敷地も8分の1まで縮小し
残りは民間に下賜した
意外なことに円明園の設計にはフランス人も参加している。
首を斬られてもまったく同情する気が起きない。