近世

【東インド会社】貿易会社【ハドソン湾】

2020年12月22日

1: 名無し 2012/05/21(月) 19:52:11.30 i
東インド会社からハドソン湾会社、果ては東洋
拓殖会社まで貿易会社について語ろう

2: 名無し 2012/05/21(月) 20:05:39.49 0
満鉄って戦後は電通に人材全部行ったんだっけ?

5: 名無し 2012/05/21(月) 22:22:58.04 0
>>2
総合商社に結構いってる

6: 名無し 2012/05/21(月) 22:26:11.48 0
>>2
電通に行ったのは「満鉄調査部 」

満鉄や他の拓殖会社は大手商社に行ったのが
ちらほらいる

7: 名無し 2012/05/22(火) 00:09:50.00 0
オランダ東インド会社は世界初の株式会社。
今の株式会社とはだいぶ違うけど、もともと株式会社って政府外郭団体みたいなものだったんだよな。
規制緩和論なんかで株式会社だと公益性を守れないって言われることがよくあるけど、それなら本来の形に戻って公益株式会社制度でも作れば良さそう。

10: 名無し 2012/05/24(木) 20:04:04.45 i
>>7
いまの感覚で言うと

商社+民間軍事会社
んで、大株主が政府

だとおもわれ

11: 名無し 2012/05/26(土) 18:35:10.90 0
昔の株式会社は国策会社ではあったけど、完全な国営企業ではなかったイメージ何だけど合ってるの?

12: 名無し 2012/05/28(月) 20:52:30.48 0
イギリスの東インド会社なんか、国策会社でも何でもなかったけど。

13: 名無し 2012/06/11(月) 23:49:41.47 0
フランス東インド会社は?

15: 名無し 2012/09/10(月) 21:02:54.04 0
>>13
イギリスに比べると国策。
イギリスの東インド会社は、経営が悪化して、倒産させることができず、
政府が運営することになったのが大きな流れ。
よって、インドを植民地化するための先鞭だったとか言うのはありえない。

17: 名無し 2012/09/14(金) 20:56:04.69 0
特許会社
貿易の独占権を国王から特別許可を持って独占貿易会社。
インドやアジアが遠かったから成立する話で、近距離だったら、
無許可貿易が多かっただろう。

18: 名無し 2012/09/16(日) 23:09:43.28 0
船の共同出資から、合本会社が生まれ。
資本に恒常性を持たせた株式会社に発展する。
ヨーロッパ以外に似たようなものや過程は無かったのだろうか?

21: 名無し 2012/09/22(土) 23:02:09.00 0
オランダ東インド会社の交易航路は最高企業秘密
他国にその秘密を漏らした者には恐るべき血の制裁が

22: 名無し 2012/09/22(土) 23:56:34.91 0
イギリスの東インド会社の本を読んでいたら。
東インド会社のアジア航路の船員のほとんどが中国系というのには驚いた。

24: 名無し 2012/09/23(日) 09:21:58.29 0
>>22
そりゃアジア域内での交易なら現地のモンを使った方が手っ取り早くて安い。
VOCが来る以前から、ジャンク船の交易ネットワークが東南アジアからインド洋まで結んでいた。
司馬遼太郎はその歴史小説で、中国人は海を怖がって伝統的に海に出たがらないみたいなことを書いていたが、とんだ偏見だ。

25: 名無し 2012/09/23(日) 23:51:13.74 0
インドから西のアジア・インド間は中国系がほとんどを占め、インド・ヨーロッパ間は、さすがにヨーロッパ系がほとんどを占めていた。
もし、インド・ヨーロッパ間も中国系が占めていれば、ヨーロッパの鉄砲・大砲・船舶技術など技術力や制度などを取り込むことができ、中国がヨーロッパに追い越されるのがもっと先に伸びたんだろうね。

27: 名無し 2012/09/24(月) 19:52:38.64 0
アジアとヨーロッパの貿易が注目されやすいけど、アジア間の貿易も東インド会社になっていた。
東インド会社の船と拠点を利用して、アルメニア人商人が協業したりもしていた。

28: 名無し 2012/09/28(金) 22:19:06.25 0
ハドソン湾会社って、今も続いて存在しているのには驚いた。

29: 名無し 2012/09/28(金) 22:25:01.23 0
存続どころか、カナダで最大の小売業の会社だよ。
今カナダに住んでるけど、日ごろ慣れ親しんでいるthe BayとかZellersを所有している会社だと知って驚いた。

30: 名無し 2012/09/30(日) 00:29:10.01 0
VOCはユダヤ商人が入り込んでいる。

32: 名無し 2012/09/30(日) 08:31:34.05 0
アムステルダムは欧州ユダヤ商人の最大拠点だったんだから(スペインの締付が厳しくなったアントワープから避難後)、そりゃ当たり前すぎる話だな。
ダイヤの権益をユダヤ商人が一手に握っているのも、この頃にインドに入り込んでいて下地があったためだと想像する。

34: 名無し 2012/10/06(土) 22:19:57.92 0
関税徴収の便宜上、貿易船の入出港はロンドン港に制限した。
これによりロンドン以外の地方港を利用する商工業者が東インド会社の貿易独占に反対をおこし、特許期間の期限切れ間際に、毎回もめ、しばしば私貿易人にも許可が与えられていた。
とはいえロンドンが圧倒的に独占していた。
ロンドンが驚異的に発展したのは、東インド会社のこの性質のおかげかもしれない。

36: 名無し 2012/10/08(月) 11:54:50.02 0
第一回航海の出資者の約半分はレヴァント貿易関係者。
リスク分散なのか、レヴァント貿易への不満なのか、出資の意図は不明だけど、レヴァント貿易からの妨害は少なかったみたいだね。

37: 名無し 2012/10/14(日) 20:12:20.00 0
株式のおかげで、未亡人とか商才がない人間とか投資できるようになった。
さらに、ユダヤ人なども参加できるようになったのは大きいね。

南海泡沫事件で、株式会社の危険性も勉強できたし、イギリスは問題を抱えながら近代経済
の準備ができたわけだ。

38: 名無し 2012/10/21(日) 19:24:21.52 0
世界がユダヤの財閥に支配されている説の始まりだね。

40: 名無し 2012/11/11(日) 02:45:47.66 0
古い説だと、ヨーロッパが貿易を独占しているイメージが強いけど、研究が進むにつれて、ヨーロッパが独占しているわけでないことも明らかになってきている。
イスラームもポルトガルの工法を取り入れ、キールをベースにした船を作るようになるし、東インド会社の船だけが貿易していたわけじゃなく、イスラムの船も貿易をしていて、大型船も所有していたりもする。

41: 名無し 2013/03/13(水) 00:19:38.36 0
ただし上前をヨーロッパ人にはねられる。美味しいところを西欧人が独占していた事にかわりはない。

45: 名無し 2013/05/26(日) 21:38:47.49 0
>>41
勢力争いに負ければ、当然の結果だな

60: 名無し 2014/02/13(木) 09:38:00.86 0
>>41
貿易は地元商人にやらせておいて、そこから関税やら入港税やら海峡通行税をバンバン巻き上げる。そして未払い都市へは懲罰攻撃。

大航海時代の交易シミュレーションにもこの要素が欲しいんだよな。いくらゲームとはいえ、インドの地方領主のご機嫌を伺って、
ひいこら商品調達に駆け回るヨーロッパ商人なんぞあり得へん。

46: 名無し 2013/06/29(土) 19:51:26.88 0
ヨーロッパ以外にも似たような貿易会社はなかったの?

51: 名無し 2013/10/26(土) 03:52:24.14 0
ヨーロッパの貿易会社は、特別許可状をもらい貿易をする勅許会社(特許会社)であり、資本的観点で言えば、制規会社を経て、合本会社(合本制会社)であって、のちの株式会社の元となった。

自国の輸入業・輸送業・相手国の輸出業の3つを包括した業務で、相手国の状況により商館、要塞を築き、独自の軍備を保持していることも多かった。

日本では、朱印船貿易のような勅許会社に近いといえなくもないものはあったが、資本的にはヨーロッパのような形成は見られず、相手国の輸出業のような部分もなかった。当然、輸出業の安定化のための商館や要塞もなかった。

52: 名無し 2013/10/26(土) 07:26:31.95 0
最近インド人が「東インド会社」って名称の会社を復活させたらしいね
祖国をめちゃくちゃにした会社名なのって、イギリスに本社置いて商売して…少しは誇りや恥の概念をもてばいいのにな

53: 名無し 2013/10/27(日) 01:20:03.34 0
めちゃくちゃにしたわけでもないし。うらんでないし。

54: 名無し 2013/10/27(日) 05:14:45.31 0
いやどう見てもめちゃくちゃにしただろ
どっちにしろインドは藩王国が勝ってやってたからめちゃくちゃだったけどな
より効率的で後先考えない搾取体制にしただけ

55: 名無し 2013/10/29(火) 18:01:26.80 0
フランスはめちゃくちゃ利益上げてたのにどうしてああなった…

56: 名無し 2013/11/02(土) 16:37:56.13 0
デュプレクスという超出来るインド総督の活躍で、
フランスはほとんどインドの覇権を握りかけていたのに、
本国の無理解で解任してしまいすべて水の泡に。
何もかもルイ15世の無為無策のせい。

64: 名無し 2014/08/04(月) 17:48:34.72 0
インドがイギリスの植民地だった頃紅茶の葉っぱを喜望峰経由の海路で帆船で運んだと言いますが、この時代の英印間の物資の輸送ルートは喜望峰経由の海路がメインだったのでしょうか?

当時スエズ運河がなかったとしても地中海-スエズ地峡(陸路)-紅海ルートの方がローコストなように見えますが、100~150km程度でも陸路の輸送は海路と比べてべらぼうにコストがかかるものなんでしょうか? それとも地形が険しいとか、軍事的に閉鎖されていたとか特別な事情があったのでしょうか?

66: 名無し 2014/08/16(土) 06:19:44.24 0
>>64
両側に港を作らないといけない。船は移動できないので、インド航路用と地中海洋で2倍必要になる。船員も二倍。陸路運搬を別要員で維持する必要もある。荷物がない時にも待機費用がかかる。インド洋側は整備や船員の休暇で本国に戻るなどローテーションも難しい。
郵便のような軽い物ならいいんでしょうけど。

67: 名無し 2014/08/20(水) 21:04:40.30 0
>>66
確かに初期コストはスエズ経由の方が高そうですね。ただし短時間で運べるので回転数を稼げますから、輸送量が一定以上になればコスパは逆転しそうですが、そこまでは需要がなかったってことですかね。
もしくは初期投資の壁で断念したとか。
ただそれ以前に政治的な問題が横たわっていたようです。

65: 名無し 2014/08/16(土) 04:59:58.67 0
1702年のトランシルヴァニア貿易会社
オーストリア政府が関心を抱いたけど金が無かったのがいたい。

86: 名無し 2015/11/06(金) 20:50:30.48 0
>>65
ユトレヒト条約で手に入れたネーデルラントに
オステンド会社を作ることになったけどね。

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