前田利家はロリコン
12才の嫁をもらって14で孕ましたんだっけか?
まつは11歳11ヶ月で子供産んでる
武田信玄は11の嫁を貰い12で産ませて母子共に死亡
大河ドラマではスルー
>>2
前田利家の妻妾
まつ→11歳 利家22歳(まつは前田家に身を寄せている遠縁の身寄りの無い孤児)
聚福院→13歳 利家30歳
隆興院→14歳 利家36歳
金張院→12歳 利家38歳
明混院→13歳 利家50歳
逞正院→15歳 利家56歳
禿ネズミとはロリ仲間で気が合いそうだな。
年増好きの家康と対立したのは必然か。
脱糞ニキは若い頃は人妻・熟女マニアで、年とともにロリになったんだっけ
>>38
未亡人、かつて嫁いでいた場合
子供を産んだ実績があるから
もう天下取って子孫も普通にいるから後年
趣味に走ったんだろ
つーか五大老自体が上杉景勝とか脱糞ニキとか宇喜多秀家とか外様も外様が多すぎちゃう
猿の部下から選んだら良かったのに
>>6
でも、利家自身は最後まで豊臣家を守る盾役にはなってたぞ
本能寺当時の秀吉の部下で最大勢力が宇喜多秀家という薄さだからなぁ
堀秀政、蒲生氏郷、豊臣秀長など利家より頼りになる奴が先に亡くなったから。
豊臣政権自体は配下の五奉行が差配してただろ
言われて見れば、織田信長の家臣だったのは前田だけだ
後の徳川、毛利、上杉、宇喜多は織田家とも豊臣家とも関係ない地方大名
家康は実質信長の東海方面軍だったやん
柴田滝川明智羽柴らと似たようなもの
養女はもらうわ妾はもらうわ
秀吉の利家に対するすり寄り方はちょっと
前田利家は織田家直参の生き残りだから
つーか利家って、信長が悪ガキをやってた頃からの信長の側近だから無下にすると、旧織田家家臣が暴れかねないでしょ
信長幼少の頃からの側近なのに、
秀吉がその息子達を無下にしたり切腹させたりしても、
暴れなかったの?
秀吉は真っ先に明智光秀を討って主君の信長の仇をとり、葬儀も執り行った
ここで主家への忠義を世に示した
これだけでもかなりのアドバンテージ
なおかつ清州会議で信長の孫の三法師を抱いて会談に臨み、完全に織田家家臣は何も言えなくなった
これに勝家や佐々成政らは反発したけど、力のあるものが天下をとるのは基本的には暗黙の了解
そういう奴に歯向かっても自家の滅亡あるのみだし、最後は現実的な生き残りで妥協した
もう少し持ち上げても良いんじゃないか福井市?
>>31
結城秀康がいるから
扱いが軽いんだよね
朝倉義景、柴田勝家と…
小早川隆景→上杉景勝
その後、佐々にもやられそうになり、なんとかしてくれと秀吉に土下座
というか許す時とデストロイモードになる時の基準がわからん
>>42
戦う前に降ってきた奴は許して、倒した敵将の部下も基本的に許して織田軍に入れる
ってスタンスだったな。
それで、「あれ?林秀貞は戦ってからだったな…」と思い出して24年後に追放した。
佐久間信盛「」
>>46
親の代から信長一筋で仕えてきたのになあ・・・
朝倉追撃戦のときに信長に叱責されて言い返したのが一番の要因のような気がする。
他の理由は後付けだろ
それが原因だったとしても
そんなことわざわざ折檻状に書くか?
と思いました
>>50
あのとき信長は、事前に「朝倉が撤退するから良く見て準備しておけ」とわざわざ知らせていたのに、佐久間や秀吉らは「来てすぐに浅井を見捨てて逃げるわけねーよ」と準備を怠って信長が追撃戦の先鋒になって、他は大きく出遅れた。
それで信長が「バカもん!何で準備してなかった。この役立たずが!」と叱ったら、他の武将が黙ってたのに、佐久間だけが「私ほど上様のために尽くしてきた者はいない」とか言い返して、信長の面目がつぶれされた。
どうみても信長の方が正しいし、「自分は正しい」で生きてきた信長は相当に根に持ってたはず。
最初から秀吉側付けばいいじゃん
前田は柴田の与力だから戦になれば柴田の傘下に強制的に入れられるので
抜けるには大儀名分が必要。
与力って織田家の家臣って意味
柴田のお目付け役も兼ねている
秀吉が有利だから寝返りましたじゃ
利家が恩人裏切った悪人になるので
前田家に傷が付く
だから恩人に言われてやむをえずと言うことにすればいい
柴田も死人に口なしだし
遺族や親族子孫も柴田を持ち上げてもいるので文句は言ってこない
それで嫁さん同士が仲良くて、利家自身も秀吉の身分を問わずに普通に接してた
後ろ盾の無い秀吉にとってはかなり有り難い人物だったのは間違いない
後の天下人と100万石の大大名の藩祖が近所同士だったとか世間は狭いな
髭面の武断派猛将は初代か二代目で断絶してる
生き残るには渡世の知恵が必要だった
その3人領国経営にも長けてる。
城造りも上手いし。
米五郎左様なのにな?