朝鮮出兵も終盤の今日、太閤・秀吉は大坂城におまいを呼んだ。
重臣の中で日本に帰ってきているのはおまいだけであった。
病の床にふしている秀吉はもはや虫の息であり
石田三成と同等ほどの
家臣であるおまいに秀頼を頼むとすがりついた。
おまいは、哀願する秀吉にコクリとうなづいた。。。。
そして数日後に秀吉はお隠れになった
さてどうするか
自分が加藤清正や福島正則に石田ほどは恨まれてないなら、
直ちに石田を暗殺して豊臣家を一枚岩にする。
自分が加藤清正や福島正則に石田並みに恨まれているなら、
直ちに石田を捕らえて彼らに引き渡し豊臣家を一枚岩にする。
如水さんに碁を教わる
と見せかけて・・・
関ヶ原までは石田三成と同様
ただし、関ヶ原では、金吾秀秋より先に裏切るぞー!
せめて五大老と同等くらいじゃないと
どうあがいても家康にやられるだろうな
両方の条件を満たす大和大納言が太閤より先に死んじゃったのは痛かったね。
※秀長さんのことです
そして富国強兵して海軍を創設
南洋に進出して西欧勢力を駆逐
東の海を制覇し大日本帝国を建国
ということで俺は分不相応な大望を抱かず地味に内府に味方して
領地安堵してもらうよ。
ずっと前なら、朝鮮出兵を止めさせるべく奔走するとか、
天下統一の時点で徳川を攻め滅ばす様に秀吉を説き
伏せるとか、淀殿を秀吉が寵愛する前に秘密裡に始末するとか…
いやもう内府に擦り寄るだろ、普通に考えて。
大老筆頭で270万石だっけ、まともにやりあおうなんて考えもしない。
石田や直江は大したもんだよ。
で、関ケ原では、自分の領国近くの大大名の動向に左右まくり。
西国なら、毛利の動向を伺い、まともに戦わず。戦後は領国に逃げ帰り蟄居。
難癖つけられて改易→夏の陣で城方として討ち死。
なんとか関ケ原後を乗り切ったとしても、大幅石高減。
いずれは幕府の外様大名取り潰し政策で、子の代で改易だっただろう。
その意味で島津や毛利、上杉は大したもんだ。
これだけでかなり歴史が変わりそうな気がする
北政所によって秀頼は殺されないだろうが、関ヶ原まで無力のままで
家康の江戸幕府創設を受けて出家させられるだろうな。
それが秀頼の命を守る最善の策だからで、かつ北政所はそれだけの判断ができる。
そうか?
清盛の孫の六代が出家してもなお最終的に斬られたように、
秀頼に生き残る道はなかったような気がする。
越後の上杉謙信が僧になることを約束されながら
還俗して戦国大名として名をはせたように
戦国の名残で還俗などという道も残されている。
関ヶ原での遺恨を最後まで忘れず改易を多発してまで
徳川の安泰だけを考えた家康ならば
秀吉の直系男子は残らず根絶やしにしたはず。
もちろん、源平の昔も家康の頃も
女子ならば助命の道はあっただろうが。
豊臣家は分裂しなかったんじゃないの
そうなれば家康も付け込むチャンスが出来なかったろうな
北政所がどこまで秀頼を後見したかにもよるね
加賀百万石を守り北政所との友情も伝わる芳春院も、
実子が前田家の当主のときには家康の人質となり
前田家を守ることに必死になったが
続く当主は2代目の養子で芳春院と血のつながりがなかったために
芳春院は江戸から返され当主の実母が人質に取られている。
つまり嫡母の芳春院より利家の側室だった実母のほうが
当主に対して影響力が強いとみなされたわけだ。
ねねがなさぬ仲の秀頼を引き取っても
成長した秀頼をなんとしても守りたいと考えるのは
嫡母にすぎないねねではなく実母の淀殿だったろうし
ねねも言われるほどできた人間ではなく
秀頼を見限る可能性もあったということ。
秀頼がねねの実子ならばねねは命を差し出してでも秀頼を
守ろうとしただろうが、
そこはねねと家康の知恵比べ。 < br />
家康は本気で豊臣を滅ぼすために今度はねねを欺き、騙そうと必死になっただろうし、
ねねが家康よりも知恵があったのでなければ同じ結果。
秀吉が没したとき成人した男子が幾人もあったならともかく、
幼児しか残せなかった豊臣政権は、どの女性が後ろ盾に就こうが危ういものだった。
体面など気にせず暗殺でもいいから斬る。
家康の居ない徳川家ならなんとかなるだろ。
加藤や福島はきっちり改易されたけどね。
太閤殿下ね、醍醐の花見なんかやってる場合じゃなかったんだよ。
花見の時が最後のチャンスだったね。
一応、花見時分は元気だったからね。
その後は病の床だ。身体痛かっただろうね。
モルヒネとか無い時代だろう。痛み止め無しで死に病を横たえてんだ。
そりゃ数ヶ月間、拷問だったろうね。政略どころじゃないわ。
もし、死期が分かっていて痛み止めがあれば太閤は必ず、豊臣家を存続させるべく、
新しい「豊臣版武家諸法度」と「遺言執行人」を指定していただろう。
その執行人は?氏だが、
所領は50万石以上を与えられ官位は従三位中納言以上、
本拠地は畿内、東海、北陸、中四国の何処かを与えられるだろうね。
地位はいわゆる「五奉行」より上と定められるだろう。
で、遺言の中に
①秀頼が15歳になるまでの間
新恩、加増の決定権をその「執行人」に全面委任する。
②豊臣家の旗本、七手組みの動員、作戦の全権も①の「執行人」に委任する。
③「執行人」は、火急の場合、五奉行を指揮する権限を持つ。
これで豊臣家は安泰だよ。
秀吉が病で正常を失ってなければこれぐらいの措置はできた。
しかし、現実は痛みで戦略どころではなかったはずだ。
死期も不明だし、将来が心配で死ぬに死ねないし、
我慢できない死にたいほどの肉体的苦痛だったろう。可哀想に。
「執行人」の候補者だが、
宇喜多秀家、前田利長、利政、
毛利秀包、細川忠興、結城秀康と言った大名の中から一人だね。
秀包や秀康の場合は上方に転封されるだろう。
中でもとくに前田利家、徳川家康に懇ろに依頼していたわけだが。
徳川、前田を遺言執行人にしたのは(結果論を承知で言うのだが)失敗だったようだ。
前田はともかく徳川は力が強すぎる。
利家の老衰も考慮されていなかった。
小早川隆景、蒲生氏郷、それとはるかに早く逝った堀秀政、
あるいは実弟の大和大納言秀長。
彼らの内一人でも健在なら関ヶ原は回避できたかも知れない。
前田利家の死も含めて豊臣家は要人がアボンされすぎだね。
太閤は運が悪かった、としか言いようがない。
スレタイの仮説だが、
おれが石田治部なら太閤に献言して前田利政(利長の弟)を抜擢し、
大坂城代兼遺言執行人に指名させるね。
これだと七将の蜂起で自分(石田治部の事ね)が失脚しても
前田家は芳春院を江戸に人質に獲られるような屈辱を受ける心配はない。
利家が老衰で亡くなっても自分(治部少輔)が失脚して佐和山に逼塞させられても
前田家は豊臣の為に機能し続ける事ができる。
家康あたりに鼻であしらわれて切腹命じられるのが関の山かと。
大大名だった兄貴の利長ですら潰されかけたんだから。
前田と毛利って全然親しくないみたいだね。毛利は冷ややかすぎだわ。
娘婿の宇喜多ぐらいか。前田に味方してくれそうなのは。
前田って鎌倉幕府の北条氏のようになれなかったのかね。
毛利家ともっと懇意にし、宇喜多を取り込み、
北条時政、義時親子が比企能員(よしかず)を滅ぼしたように
徳川家康を倒す芸当をこの兄弟に期待しても無理だろうけど、
戦国大名ならそれぐらいの気概を感じさせて欲しいもんだよ。
毎月5000人送る
やはり家康を暗殺するのが最もシンプルで効果的だな
で、罪は石田に全部かぶせて秀頼を傀儡にする。
まあ現実の俺じゃあなにもできんから内府にすり寄るだろうけど、
秀吉の右腕になるほどの能力があったなら・・・
やっぱり内府にすり寄って藤堂くらいの地位になりたいなw
もし秀吉の右腕だったら、秀吉の死後、真っ先に家康に寝返ります。
そりゃもう、土下座してでも妻娘を人質に差し出してでも何でもしまっせ。
あの当時、どう見たって純軍事的には家康が最強だ。
秀吉は所詮、一代限りの男だよ。
健康マニアなのは、家康と話が合うと思うんだよ。
どっちも健康マニアだし
薬とか養生とか、
そういうところから家康の心を口説いていけばよかったんじゃないのか。
「まだ働けるのに辞めるなんて…俺に異心を持ってるな」
と疑われる予感が
わしが天下を取る