上杉家

上杉謙信って何が強かったんや?

2019年5月27日

1: 名無し 2018/07/15(日)11:14:13 ID: ID:68s

武田信玄←甲斐駒の山地で騎馬隊が強かった
今川義元←足利の分家で朝廷にコネがあったのが強かった
織田信長←鉄砲隊が強かった。経済の中心抑えてたから金持ってた

上杉謙信←?
何が強かったんや?

塩がたくさんあったんやろ(適当)

 

 

>>2
べつに海沿いならいくらでも塩作れるやろ

 

 

信仰心が強かったんやで

 

 

最初は謙信が虎を名乗ってたのに信玄公に完全に取られて龍になるの草

 

 

>>13
信虎が一番虎だよね

 

 

ホモは歴史的には強者になりがちというのがあるンゴ
そりゃ最愛のものに背中を預けてたら奮うよな

 

 

 

20名無し 2018/07/15(日)11:19:44 ID: ID:kjO
>>19
ノッブもだぞ

 

 

>>20
戦国みんなホモやんけ

 

 

>>21
秀吉「せやろか?」

 

 

女狂いの猿のほうが異端だったんだよなぁ
百姓の出だから武士達と趣向違っても仕方ないね

 

 

 

>>24
猿って結局憧れてた主君の妹の娘を側室にするとか勝ち組だよな

 

 

逃げてきた連中を奴隷としてこき使ってたとか聞いたけどどうなんや?

 

 

25名無し 2018/07/15(日)11:21:40 ID: ID:68s
>>23
奴隷狩りのために定期的に関東侵略してた説あるよな

 

 

信長の野望で強すぎる

 

 

>>26
武田←騎馬の兵科が強い←わかる
上杉←謙信個人がクソ強い←ファッ?!ってなるws

 

 

まああるとするなら
家督取るまでの過程が有名な大名のなかで一番苛烈だったから
そこくぐり抜けてるだけで才能はあったんだよな

 

 

煽るわけやないけど、
>>1に上げたものはいわゆる「伝説」や「イメージ」のたぐいなんや
その流れで言うなら謙信は神がかり的な軍配で生涯無敗で強いってことでいいと思う

 

 

>>31
言うて武田は騎馬武者が強かったし織田は港持ってて金稼いでたのは史実やろ

 

 

>>36
それぞれでスレたつくらいの話題だけど…
騎馬率は北条の方が高かったり、騎馬戦っても、
敵の近くまで駆け寄って降りて戦うんだよ
騎馬隊が強い ってのはおかしな表現なんだよね

港持ってたり貿易で儲けてたのも織田だけじゃないし
織田=金銭感覚や経済が凄いってのも、イメージというか刷り込みなんよ

 

 

>>39
騎馬突撃はしなかったってことか?
騎馬だけで単一兵科にはなってなかったとしても騎馬突撃はやってたやろ

 

 

>>40
やらないよ
そんなことで高い馬をケガさせたりしてどうすんの
着られたり骨折したらもう使い物にならなくなるんやで

 

 

>>42
ナポレオン戦争の時も戦列歩兵に一番有効やったのが騎兵突撃による衝突力やったし
戦国時代も火縄銃装備の兵卒に対して騎兵突撃は有効やと思うけどなあ

 

 

>>46
時代も文化も戦争目的も地形も違うでしょ

 

 

>>50
あー地形的に山間部やと騎兵突撃は無理ってのはあるかも

 

騎馬突撃はしなかったってことか?
騎馬だけで単一兵科にはなってなかったとしても騎馬突撃はやってたやろ

 

 

>>40
言葉足らずやった

突撃はするが
「一斉に大群が同じタイミングで一気に敵の目の前に行く」ってだけだよ
後は降りて戦う

 

 

>>45
鎌倉武士だって馬乗って戦ってたやん

 

 

>>48
それじゃ不利だってなって
足軽が出て来たり戦国の頃は団体戦になったんでしょ

 

 

>>52
でも馬に乗ってる士分と徒歩の兵卒じゃ絶対馬乗ってるほうが有利やん

 

 

>>53
どう考えれば騎乗の方が有利だと思うんだ?
馬は興奮すれば言うこと聞かないし、
落ちればそれだけでケガするし、細かい動きは出来ないし

 

 

>>59
馬って戦車みたいなもんやぞ
200~300キロの巨体がスピードつけて迫って来たら誰にも止められんやん

 

 

>>64
まず日本の地形を知ろう
そして当時の状態をね
馬を満足に走らせられるような
都合のいい土だけの平地なんて無いんだよ

 

 

>>59
素人考えでは単純に相手より高い位置から打ち下ろせるだけで有利に思える

 

 

>>65
後ろから刺されて終わりでしょ
もしくは馬刺して転げ落ちたとこ一刺しと

 

</a >

領地が増えないのに家臣がついてくる謎のおじさん

 

 

>>47
略奪しまくりやったんやろ

 

 

>>49
北条は長尾と戦う度に領内の女、子供が減ったらしい

 

 

>>54
女さらいまくりか

 

 

銀が採れて
貿易で儲けてて
奴隷商人

 

 

>>43
佐渡を征服して銀山支配したのって謙信の代じゃなくて景勝の代やろ

 

 

 

>>61
佐渡で金が見つかるのは江戸時代やし
佐渡が上杉領になったのは景勝時代やぞ

 

 

少しリアルなガチレスすると、なんで強かったかはたぶん…
反抗気質の高くて、謙信のオヤジの頃からなかなかまとまらず
小競り合いが多かった越後国内
でもそろそろ大に小土豪は飲み込まれるようになってくるし、
小競り合いで疲弊を避けたいのも事実

そこにわりと有能な謙信という人物が出てきて、
今までの古きを大事にするし、上洛とかでそれなりの肩書も箔も付けてる
まあ従うか と越後がひとつにまとまったから
そんな結束力が強さの秘密じゃないかな
長文すまん

 

 

>>58
新発田とか柿崎とかすぐ裏切るけどね

 

 

>>60
いずれも初期のころな
謙信がまだどんな程度のやつか分からなかった頃の話や

 

 

そういえば本庄繁長なんかも裏切ってたよな
上杉重臣の裏切率は異常

 

 

反乱

謙信勝つ

特におとがめなし

反乱

以下ループ

 

 

>>89
越後国内バラバラやんけ

 

 

上杉謙信公家訓16ヶ条「宝在心」

一、心に物なき時は心広く体 泰(やすらか)なり
(物欲がなければ、心はゆったりとし、体はさわやかである)

一、心に我儘なき時は愛敬失わず
  (気ままな振舞いがなければ、愛嬌を失わない)

一、心に欲なき時は義理を行う
  (無欲であれば、正しい行い、良識な判断ができる)

一、心に私なき時は疑うことなし
  (私心がなければ他人を疑うことがない)

一、心に驕りなき時は人を教う
  (驕り高ぶる心がなければ、はじめて人を諭し教えられる)

一、心に誤りなき時は人を畏れず
  (心にやましい事がなければ、人を畏れない)

一、心に邪見なき時は人を育つる
  (間違った見方がなければ、人が従ってくる)

一、心に貪りなき時は人に諂(へつら)うことなし
  (貪欲な気持ちがなければ、おべっかを使う必要がない)

一、心に怒りなき時は言葉和らかなり
  (おだやかな心である時は、言葉遣いもやわらかである)

一、心に堪忍ある時は事を調う
  (忍耐すれば何事も成就する)

一、心に曇りなき時は心静かなり
  (心がすがすがしい時は、人に対しても穏やかである)

一、心に勇みある時は悔やむことなし
  (勇気を持っておこなえば、悔やむことはない)

一、心賤しからざる時は願い好まず
  (心が豊かであれば、無理な願い事をしない)

一、心に孝行ある時は忠節厚し
  (孝行の心があれば忠節心が深い)

一、心に自慢なき時は人の善を知り
  (うぬぼれない時は、人の長所や良さがわかる)

一、心に迷いなき時は人を咎めず
  (しっかりした信念があれば、人を咎めだてしない)

 

 

92名無し 2018/07/15(日)12:06:59 ID: ID:fQ8
武田も織田も今川も重臣背いてるやろ
武田なんか跡取り殺してるくらいや
そっちの方がよっぼどやろ

 

 

>>92
武田は裏切りっていえば小山田信茂やろ
義信のは謀反ってより派閥争いやん

 

 

謙信はこれしか知らんわ

eSvtW9O
波状攻撃ってやつやね
121名無し 2018/07/15(日)12:26:21 ID: ID:68s
>>115
車がかりの陣ってほんとにこんな陣形できたんやろかって思う

 

 

>>115
てかこれ部隊横に移動させなあかんけど
前進後退はわかるけど横移動とか戦闘しながらできるんか?

 

 

>>119
車係は完全に江戸時代の創作やで

 

< /a>

>>122
甲陽軍鑑とか基本創作の当時のラノベやしね

 

 

攻城戦があまり上手くない謎
天才だけど正規の戦勉強足りんかったからなのか

 

 

>>140
城攻めは守る方が圧倒的有利やし

 

 

147名無し 2018/07/15(日)12:33:49 ID: ID:3iJ
>>140
城に立て籠もるだけで英雄になった楠 正成先輩

 

 

>>140
言うて忍城と唐沢山城と小田原城以外はほとんど落としてるやん

 

 

攻城戦がヘタってのもイメージの刷り込みやで
一流というか有名どころはヘタとかないよ
あったら一流になれん

 

 

本多忠勝が戦国最強ってマなの?

 

 

>>133
1回も戦場で傷を負わなかったのは後方で指揮してたからみたいな

 

 

>>133
身長140ないチビやったらしいけど
馬に乗るならその方がええかも

 

 

>>138
それ山形ちゃうか

 

 

>>144
山県昌景は口蓋裂で醜い小男やったらしいな

 

 

>>144
鎧、兜から本多忠勝も山縣昌景も小柄だったらしい

 

 

>>155
あー、鎧からで気をつけなきゃいけないのは
早く死んだか年とって死んだかなんよ

年とったら誰でも2、30センチは縮むし、
それに合わせた「最後のヨロイ」が残るわけやからね

 

 

大柄なのっていい的だったんかね

 

 

>>156
近代以降の戦場では流れ弾に当たらないように小柄のほうが有利だそうだけど

 

 

デッカいのは藤堂高虎とかよな
あの時代に180オーバーの巨人

 

 

>>161
叩き上げやからな
指も2、3本無いしな
まあ嫌いなやつやけどw

 

 

>>163
藤堂高虎って超絶有能やろ
嫌う要素って七回主君を変えたってことか
滅ぼされてるんやからしゃあないと思うけど

 

 

>>166
生き残るのは大事やけど、生き残り方があるからなあ
それで人の好き嫌い見てしまうのはしゃーない

 

 

>>169
仙石権兵衛やら荒木村重みたいなひどい生き残り方はしてないやろ
高虎って

 

 

>>171
ま、そこは個人の好き嫌いの性格やから

 

 

180ちかくは結構いるで
ちっこいおっさんもいれば、おっきな若者も多い
今と変わらんくらいやないかな、ちょうど
ちょっとちっこいのが少ないか

 

 

>>165
江戸時代になってからは栄養不足でみんなちっちゃくなるんよな

 

 

>>167
そうそう
よう知ってるな!
江戸時代はプチ氷河期やったから
作物とかも少なくショボく栄養も少なかったからね

 

 

甲冑とか残ってたら身長は明らかに
なるんやろけど
たしか徳川将軍とかは墓を発掘調査して身長まで正確にわかってるんよな

 

 

>>184
全員やないけどね
肖像画はかなり似てるというのが分かるよなw

 

 

幸村のにーちゃんもたしか190くらいで90歳越えの優良児やで

 

 

>>172
信繁は歯抜けの小さい爺やったけどな

 

 

>>175
面白いよなあの血筋も
たしか幸隆も大きいんだよな
昌幸はちっこいけど

 

 

信長も平均150~155の時代で165~170らしい
佐久間盛政や前田利家の182が大柄か

 

 

>>173
その2センチをどうやって出したか知りたいw
そんな細かく出してるソースは逆に信用ならんやろ

 

 

>>177
文献に6尺ってあったのを
1尺≒30.303㎝で単純計算しただけだと思う

 

 

 

>>181
疑ってもそれしか史料ないなからね、しょうがないね

 

 

>>182
疑うとかより、まず信じようとしちゃうのがまずいやろ
絶対「と、言われている」が「だった」に変換しちゃうんだから

 

 

なんかそのワイは史料も疑ってますみたいなのめっちゃくすぐったい
ワイもそういう時期あったわ

 

 

>>186
いやすまんが…
資料見て騎馬隊はあったとか言ってたのか?

 

 

>>187
いやロマンやろ
史実よりロマン重視でええし
歴史学者だって武田騎馬隊はあった派となかった派でなんども繰り返してるやん

 

 

>>188
なるほど
ワイもロマンには賛成や
両方の目を持っていたいもんやね

 

 

上杉謙信
吉川 英治
2015-01-10

 

上杉謙信
高志書院
2017-11-10

 

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