磐城東部の大名。
蘆名・田村といった近隣諸国と抗争を繰り広げ
戦国時代後半は伊達家(主に政宗)と数十年にわたり対立した。
天然な性格でうっかりミスが多かったりする。
関ヶ原後、佐竹家の巻き添えを喰らって一旦改易されるが
息子の粘り強い交渉によって存続する
大田原晴清(大田原1.2万石)
関東の毛利元就こと大田原資清の子孫の家。
資清は息子たちを周辺国衆の養子へ送り込み家を乗っ取った。
ついでに主家・那須家すら乗っ取ることに成功する。
ついでに乗っ取った家すべてが戦国時代を生き残るという元就ですら
成しえなかった偉業を達成(次男の福原家は上級旗本として存続)。
夜叉九郎の弟。
戸沢家は短命当主が続き、家中がなかなか定まらなかったが
盛安の代で周辺大名と抗争して飛躍。
そのボーナスタイムで関ヶ原の戦いでは東軍について家康に評価された
出羽の戦国大名・小野寺家の家臣格。
小野寺家が衰退する1590年ごろから独立開始、
関ヶ原では西軍の小野寺家を攻撃し大名として認められる。
大坂の陣では毛利勝永と交戦。従軍した武将が次々と討たれる中
最前線でなぜかほぼノーダメで生還した。
佐久間安政(飯山1.5万石)
佐久間盛政の弟たち。
盛政の死後、彼の武勇を認めた秀吉によって弟たちは許され
その後順調に出世して大名に昇格。
安政は戦国時代の生き残りとして大坂の陣では結構活躍した。
丹羽長秀の子。
120万石⇒15万石⇒4万石⇒改易⇒1万石⇒5万石⇒10万石という
ジェットコースターみたいな大名人生を送った男。
苦労した2代目ということで秀忠の頼れる相談役
結城四天王・水谷正村の弟。
正村は信長の野望で結構強いので知っている人は知っているかもしれない。
結城秀康が越前へ移封になったため、その地に残った水谷家が大名に昇格した。
六角家→浅井家→織田家→羽柴家→徳川家と
激動の戦国時代を傍から見ていた近江の国衆。
幾度とない戦によって自然と生き残り術を身に着けたのか
関ヶ原でがアクロバティックな立ち回りを見せ大名に復帰する。
北信濃の大名・禰津氏の末裔。
実家が北条家に乗っ取られた(北条氏邦)ため、上杉家へ出奔。
しかし上杉家でも折り合いがつかず結局出奔。
上杉征伐のキーパーソンとなったため関ヶ原の後大名昇格するが
大坂の陣にて榊原家とトラブルがあり失言、改易させられる。
北条綱成の子孫。なんかめっちゃ転封しまくった上に子供がいなかったため
1代のみの大名で終わった。
一族が旗本として存続。
仕える大名がことごとく滅ぶ呪われた大名・日根野弘就の孫。
弘就は1602年に日根野家スキャンダル隠蔽のため自害したため家は滅ばなかった。
がスキャンダルはばれた
よく滅亡せんかったなマジで
大名でも旗本でもないから滅亡扱いやで
秀吉がやってくるまで生き残ってた時点でおかC