>>861
天道 84 80 63 20
創造 83 77 69 50
大志 83 79 80 50
新生 77 84 87 54
城防御力に影響する統率を最高能力にしてほしかったな
また大志から新生のコンボで知将にされてしまった犠牲者が...
創造くらいの能力で十分だな
智謀なんて60代で十分だろ
統率と武勇入れ替えた方が
水上に舟を浮かべたロケーション
城兵の命と引き換えに潔く切腹
秀吉に武士の鑑とか何とか讃えられる
両川からもその死を惜しまれる
まぁお馴染みのシーンだもんねぇ
ノブヤボは カッコ良さ・知名度・人気>実績 なので
ニュース
小山田とかとは対極だ
また、永禄8年(1565年)に三村氏譜代の石川氏を裏切って高松城を奪取し、直接毛利氏に臣従して城主となったとの説もあるが、当時の毛利氏は備中を三村氏に任せる間接支配の体制を採っていたため、この説は信じ難い(備中方の資料にあたっても挙証に足るものはない)。
大内家の毛利支配とはダンチ
誰がしくじって毛利が大内に走ったかって調べたら山名是豊なんだな
武田は安芸国佐東郡の分郡守護でで安芸全域に影響力はなかったし山名も備後まで
安芸国の国衆は寺の建立や神社の勧請でも大内と連名したし神主家もまた大内の支配下だった
大内氏の安芸支配の拡大を脅威と思った室町幕府は今川了俊や細川頼元、渋川満頼らを安芸守護とした
武田信在の時に安芸守護となったが、大内氏に圧迫されすぐに高宮・山県・安北・安南を失った
武田元綱が佐東に加えて、山県郡・安南郡を回復するも大内義興の本格的な安芸侵攻を招き衰退
嫡男の元繁は大内氏と訣別して吉川氏を攻めたが元就に横やりを入れられて敗死
なんで安芸武田氏や山名氏が大内氏より安芸で権勢を誇った時代というのはないのだ
毛利氏は安芸分郡守護の武田信賢、安芸守護・山名是豊らに従って大内教弘・政弘らと敵対してるよね
大内に鞍替え(もしくは屈服)するのは応仁の乱の最中
閏8月6日に毛利豊元は福原広俊を介して毛利は大内方に帰順してる
閏8月15日には毛利豊元は高橋命千代を擁立して逆に武田元綱討伐を開始
閏8月19日に毛利豊元は足利義政から鞍替えを批判されるが無視してる
閏8月27日に足利義政は毛利豊元討伐を武田国信に命じている
ので当時の毛利の外交に一貫性は全くないよ
なんか主張の論点がよくわかんなくなってるけど
>>874以降をまとめると
豊元の代に毛利氏は大内に鞍替えしたのではなく
室町初期から安芸守護の支配下というよりは、
毛利氏は大内の支配下にあったということでOK?
こっちは調べなおしのため、
ここで打ち切らせてもらう形になるので結論だけ求めて申し訳ないが
ただそれ以前の毛利氏に一貫性はない。マジでどっちこっちなくフラフラしてる
広島県の文書館に年表があるので助けになるかも
基本的に長いものに巻かれろのその場しのぎだよな
なんだかんだ生き残るやつが強い
櫛橋伊定だけ飛び抜けて優秀な理由は官兵衛の妻の親だからだろうな
もっと言えば露骨に大河ドラマ『軍師官兵衛(2014)』の影響だろう
櫛橋伊定
大志 74 52 83 86 87 ※初登場(2017)
新生 72 49 86 77 策謀 巧言
新生でほんの僅かに下がったけど
初登場時はもう一国の宰相クラスよ
もういい加減秋田、たまには桶狭間で今川義元が勝ってもいいだろ
夢幻の如く(著:本宮ひろ志)になるよと言おうと思ったけど20年前の作品であり
僕は黙っておく事にした……
その後も順調に拡張して東海地方制したみたいな能力してるけどね
・交渉は能弁持ちをかき集めた城をひとつ作ればスムーズに進むで
・威風ないと取った城が焦土化するのつらいな…戦国時代では普通だったの?
・佐竹は創造の頃より城数が減らされて弱体化されてるからそりゃ苦戦するわな
・架空息子欲しいな史実一門いないと娘に継がせないと家名守れないし
・研究のブームが三好と北条だから最新の研究取り入れると強くなるのは当然
・毛利と尼子が全面戦争してる間に毛利滅ぼしたわw
・松平で今川様に土下座外交して援軍送って貰って織田潰すの楽しい
・会戦が大名参戦しか無いから2つの大勢力に敵視されるともうキツいな
・感状・一字拝領とか忠誠上げる手段はもうちょい増やして欲しいね
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