春秋・戦国時代
西周第12代幽王の時、
西北より侵入した犬戎(チベット系)によって都の鎬京が侵略され、
周は都を東の洛邑に移した(紀元前770)
以後の周を東周(紀元前770〜紀元前256)と呼び
以降秦によって中国が統一されるまで
550年におよぶ戦乱の時代が春秋・戦国時代であり
前半を春秋時代(紀元前770〜紀元前403)
後半を戦国時代(紀元前403〜紀元前221)と呼ぶ
ニュース
楚の立地した長江流域は、当時、漢族と南方系民族が入り交じる境界地帯となっており、風俗なども中原とは異質な点があったらしい。
もともと王の称号は周王だけが名乗るものであり、中原の諸侯が公と称して王とは名乗らなかったのに対し、楚では早くから王号を用いていた。
しかし、長江の下流に呉や越が勃興すると、楚もかつての勢力を失っていった。
後世の南朝は、ずっと長江下流の三角洲を本拠地としてきたが、春秋戦国時代の楚はそうではなく、長江中流の王朝だ
当時はまだ、長江下流は開発途上地域
広大な湿地帯で、人が住むようなところではなかった
春秋楚の勢力って南陽盆地が中核でそこから中原や淮南方向に伸長してるのが目立つ
長江まで勢力が届くのって春秋でもかなり後の方
>>452
東漢の光武帝・劉秀も、そのあたりが本拠地なんだな
劉秀は、春秋の楚が天下統一したようなものだってことか
光武帝の出発点は更始帝傘下で粛王として河北に遠征してからで
南陽で旗揚げした時は兄の劉エンが指導者だったし、その兄もすぐ緑林軍に参加しちゃってるし
南陽が本拠地ってのはちょっと違う
光武帝にとっての南陽は出身地であって本拠地ではない
>>461
墨子 卷十五 號令
女子到大軍,令行者男子行左,女子行右,無並行,皆就其守,不從令者斬。
商君書 兵守
三軍:壯男為一軍,壯女為一軍,男女之老弱者為一軍,此之謂三軍也。
具体的に何やってたかまではほとんど書いてないな
墨子は女には矛を持たせろと書いてるので戦闘力も期待されてたのかもしれないが
>>475
史記の記述で平原君が邯鄲で包囲されてる時に小役人の李同から
正室から側室から下女まで編成して戦わせろって言ってるし
平原君も女を戦わせるなんて、という反応はしないのよね
横山光輝の史記だと炊き出しさせた、という描写だったけど
史記の原文だと割と戦闘員扱い
>>476
史記の原文でも非戦闘員扱い
勿論兵書でも非戦闘員扱い
籠城という危急存亡の総力戦に限り、成人女子男児爺さんも動員された
>>478
今君誠能令夫人以下編於士卒之閒
屋敷で美味いもん食って遊んでる女どもを編成して
士卒の隙間埋めさせろって意味でしょう
間じゃなくて閒だから隙間って意味が強いはず
漢代でも間と閒の使い分けはもう大分怪しくなってるけど一応辞書上は、ね
李同の提言って守備兵が損耗してるから女を動員しろってことだと推察できるけど
この場合は戦闘員扱い
孫武の史記の逸話でもわかるように女性軍の存在って結構否定できない
匈奴でも女戦士の存在は確認されてるし北方系の遊牧の軍隊は女が普通に従軍するし
遊牧騎馬民の軍を真似た趙は影響が0だったとも言えないわな
>>481
漢文読め無くても史記ならちくまから日本語訳版出てるから買いなよ
包囲されて困窮してんのに平原君は相変わらず大勢の美女囲って
そいつ等わ何の役も為無いのに着飾って贅沢な食事を余らせてるから
物資を兵卒へ分け与え、役立たずの美女連中に仕事させろと諫言したの。
邯鄲之民,炊骨易子而食,可謂急矣,
而君之後宮以百數,婢妾被綺綾,餘粱肉,
而民褐衣不完,糟糠不厭。民困兵盡,或削木為矛矢,
而君器物鐘磬自若。使秦破趙,君安得有此?使趙得全,君何患無有?
今君誠能令夫人以下編於士卒之閒,分功而作,
家之所有盡散以饗士,士方其危苦之時,易德耳。
だいたい子孫残せないから
自然と従順なやつしか残ってない
この進化の淘汰圧は凄まじいものがある
やぎが羊になったようなもの
戦闘はまずしないよ
女に何夢見てるのか知らんが
勝ったほうの権力者におもねるのみ
この辺は墨子の記述にも合致するし
長平で四十五万の兵を失ったんだから
もう女の徴兵ぐらいしているだろうな
んで落ち着けば復帰するだろうし、元の数字も盛ってるだろうし
その影響で人口比バランスがムチャクチャになるから弱体化するよ
こと軍事の1点に限れば一時的には強いこともあるかもしれないが、
国力は下がって、経済は停滞して、農民が居なくなって…その影響で軍の維持も難しくなる
強行すれば敵が増えて内紛が起こりやすくなって、
それを防ぐために妥協的なことしかできなくなったり、見切り発車政治になる
最盛期でもその規模は律令体制を確立しつつあった頃の本邦朝廷未満でしょう
本当に10万消えたら瓦解待ったなし、だな
皆兵制、総力戦の時代だから勝兵わ人口の約1/3
これわどの時代どの地域でも大体同じで変わら無い
人口の半分は女
更に15才未満と老人を省くと更に半分で
壮年の男子が全員で50~60万
45万がいかに出鱈目な数字か解かる
魏は
孟子では梁と呼ばれ
恵王は晋国と言っていた
>>563
どれも地名だからな
首都を開封に移したから梁と呼ばれることになった
>>563
孟子の、この一節のことを言ってるのかな?
>梁の恵王曰く、晋国は天下に焉(これ)より強きは莫きこと、叟の知れる所なり。
寡人の身に及び、東の斉に敗れて長子焉(これ)に死し、西地(にしのかたのち)を秦に失うこと七百里、南(みなみのかた)楚に辱めらる。
寡人これを恥じ、死者の比(ため)に壱たびこれを洒がん(すすがん)と願う。
↑ここでいう晋国というのは、
韓魏趙にわかれる前の「いにしえの晋国」という意味でしょうな
梁 唐 晋 魏はほぼ同じ地域?
>>571
唐と晋はほぼ同じ地域。今でいう山西省中部の盆地で太原あたり
魏は安邑で、今でいう山西省と河南省の境界あたり
梁というのは、開封の別名で、魏よりもちょっと東にある
>>574
>>唐と晋はほぼ同じ地域。今でいう山西省中部の盆地で太原あたり
黄河支流の汾水流域の盆地だね!
陝西の渭水流域盆地って、三晋や中原の領域みたいに、典型的な邑の囲郭都市遺跡が
林立していたって感じじゃないんだよな。
周原遺跡にもそんなのはなさそうだし、
宗周の遺跡も王宮の首都機能の部分だけ城壁で囲まれている感じだし、
後世の咸陽とか漢代長安も都市に集住した邑民の存在が希薄。
蜀も巴も呉も越もそんな感じ
燕の都は薊だっけ。
あの土地柄、まさか後世にすぐ近くに建設されることになる大元ウルス大都みたいに、
都城の中に遊牧民が天幕を張るスペースが用意されていた・・・なんて、まさかね。
城壁内に田地も在ったから人口希薄な燕や楚なら
その割合が大きくても不思議無い
ご近所にある戦国の雄国斉の領域には都市跡が少ないそうなので、
山東では邯鄲と並ぶ屈指の大都だったかも?
破却されて残って無いのか
他の地域でも破却した筈なのに
あいつら戦ってばっかだな
振り返えってみると戦争ばかりやってるイメージになるけど
実際は年がら年中戦争やってたわけでもないだろう
英仏百年戦争(休戦期間40年)みたいなもんだな
呉越はどのくらい関係があるんだろうな
越前 越中 越後は流石に越からたどり着かなそうだけど、
海流の流れでたどり着くんだろうか?
日本から洛陽や長安なんか遠すぎる
呉越との関係のほうが深いのは当たり前
斉は50年前合唱軍に城二つになるまでヤられたのに、どうやって50年で復帰したんだ
普通に考えたら徐って国みたいに細々やってくか、他のとこに吸収されそうなんだが
>>734
漫画「キングダム」は連載の初期のしか読んでいないので
どの史実をベースにした部分なのかよくわからないのだが、
もしかすると燕の楽毅の主導による連合軍によって滅亡寸前にまで追いやられ、
その後田単によって襄王が登極して旧領を回復した史実の事かな。
それなら、当時の中華世界の国家や軍事の成り立ちを理解していれば
納得できると思う。
当時、戦国中国の各国は、事実上自前の軍事組織と統治機構を持つ都市国家の
集合体だった。「城ふたつ残して」というのは、その国家を構成する都市国家が
斉王権のもとに2つしか残らなかった、それ以外の他の都市国家は他の諸国の
王権の傘下に入ることを余儀なくさせられた、ということを意味する。
旧領が回復された、というのは、そういう他国の王権に降伏してその統治下に
組み込まれた都市国家が政治工作などの末に寝返って、再び斉王権の
配下へと復帰したとことを意味する。
その話のことです
当時の国家の成り立ちを説明してもらってありがたいんだけど、質問の答えが分からん
武力だけでなく政治工作でも取り返したから、わずか城二つからでも領地を取り戻せたってことなのか?
>>737
斉は、新興の覇者ではない
いにしへの桓公や管仲の頃からみれば、すでに数百年にわたって、
この地に君臨してきた大王国だ
侵略者が撤退して、斉王の権威が回復しさえすれば、各地の城(大陸では、城といったら都市を意味する)はまた傘下に集まってくるから、元に戻るのは早い
後に、始皇帝が死んで秦が崩壊したときも、斉はたちまち復活した
その理屈からいくと、秦も含めた戦国の七雄や周や宋や呉が漢以降復興しても良さそうなもんなのにな
韓が漢の高官として次々殺されながらも一応存続したのと、田斉の傍流が姓をバラバラにされて少し残ったぐらいなんでしょ?
>>744
いや、どっちかというと新興組だよ
秦や三晋とは別の意味でね
何より姜斉が倒されて田斉になった時点で、
「斉」はすでに王朝名というより地域名でしかない
だから『方言』ほかで漢の地域名としても、
北朝の山東の領域国家の名としても頻出する
形勢不利だから燕の言うことに従って燕側についてただけなので
旧楽毅軍がボロボロになったら手の平返した
秦が全国統一したら終了
信が老子の子孫にして李淵や李白の先祖であることが判明するまで描かないの?
そのことは「まったくどうでもいい」という姿勢で描かれてると思うよ
最後にそれを言われておおっとなる読者なんてほとんどいないだろ
始皇帝についてはかなり意識してそういう描写をしているのと対照的だ
始皇帝の先祖が封神演技の悪来だって描写あった?
キングダムの世界で春秋時代の歴史が意義を持つのって
山の民の先祖つまり馬酒兵のくだりぐらいだろ
周でさえまるっきりないがしろだ
秦の統一事業を語る上で、数百あった国が今は7つにまで減った、
という現実に対してマクロ視点で言及するにとどまっている
唐代の杜甫の詩にも、
・・・就中、雲幕の椒房の親、
名は賜ふ大國・虢と秦と
(中にも、雲のように張った天幕の中には
楊貴妃さまの御親類がいらっしゃる。
彼女たちは大国の名を賜って、
虢国夫人や秦国夫人とおっしゃるのだ)
とある
昔、この詩を見て、
「唐の時代になっても、虢と秦は大国だったんだな」
と、妙に感心した覚えがある
唐代になっても西周期の大諸侯国の威光ってのは有効だったんだなぁ。
>>770
いや、洋の東西を問わず古代世界は厳しい
大虐殺もあるし、それ以上に集団移住が多い
アッシリア帝国のときのユダヤ人がいい例
屠城なんて言葉があるように
住民ぶっ殺して交通の要衝にある土地と都市だけ奪うとかもあったから
変わらないなんてぬるい話はない
負けた側は丸ごと奴隷とかそんなんだし
国際条約とか和平条約なら少なくとも周代からあるぞ
司馬法も兵法書というより現代のハーグ陸戦条約の相当するものだし
今も弱者は泣き寝入りだからアメリカとかでテロが多いんじゃん
鯨は哺乳類だと言いながら牛を平気で食べる
奴等は楽しんでいる人が憎いんだとかインセルは女を支配できないからだとか
ふざけたことを言う
世界史上初の国際平和条約は1259 BCのカデシュ条約だけど
その後もそんなことばっかりだ
戦闘員や生産物を産み出す住民その物を絶滅させる為の
ドイツ全土を爆撃で徹底破壊したり日本全土を無差別爆撃で破壊したのと同じ
それくらいの大虐殺もあっただろうが、
人間は労働力であり貴重な資源だからな
実際には集団強制移住で、民族まるごと配置替えになることが、
とくにアッシリア帝国とか古代の中東ではよくあった話
100万に及ぶ閩越人が漢族区域に強制移住させられたことがあった。
孔子の子孫である孔融と司馬遷の子孫である楊修を曖昧な理由で処刑して
荀子の子孫である荀彧を自殺に追いやったのも後世の評価に影響してる?
単純に京劇の影響・・悪役はメイクからして違う
三国志は字を読める人はすくなくても
劇の悪人は文盲でも理解できるし中国全土にひろまった
でも曹操の評価は時代によって異なり
いまの共産党は魏を崇める立場になる
理由は簡単、毛沢東が人民は阿斗になるな、と言ったから
つまり共産中国も。三国志の蜀の後主みたいなるなと
じゃぁその京劇というか中国の各地方劇、京劇の元となったいろんな芝居の中での
曹操の悪役イメージはどうやって作られたのか
曹操ではないが諸葛亮孔明の場合、小説の「三国志演義」は芝居の世界では影の薄い
脇役に過ぎない孔明をずいぶんかっこよく描いていて、そこが違うと言う
それは小説版の作者が知識人階級であるためにひいきしているのだという
そこで>>871を見ると、小説の作者が他にも贔屓しそうな人を
バンバン殺している曹操という男は、いかにも悪者に描きたくなる相手に違いない
曹操の場合は小説のイメージが芝居にも影響しているのだろう
明朝はまったくの儒教社会。評判が悪くなるのは仕方ない
・(^)(^)ミ「信長の野望地元勢力でやったろ!!」←結果www
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