遂與承及長水校尉?輯、將軍?子蘭、王子服等、同謀。會見使、未發。事覺、承等皆伏誅。
遂に董承及び長水校尉?輯、将軍呉子蘭、王子服らと、共謀した。ちょうど(袁術討伐に)遣わされたが、行動を起こさなかった。事は発覚し、董承らは皆誅殺された。
これ時系列がばらばらなんや
袁術討伐に行く前のことを後から語ってる
ニュース
先主據下ヒ。靈等還、先主乃殺徐州刺史車冑、留關羽守下?、而身還小沛。
先主は下ヒに拠った。朱霊らが帰ると、先主はこうして徐州刺史車冑を殺し、関羽を留めて下?を守らせ、自身は小沛に帰った。
サラっとあくどいことやってて草も生えない
ひどくない?w
皇帝のお墨付きやからしゃーない
せや
それはわからん
調べて来るから宿題にさせてや
いや、一旦領地を呂布に取られてそのご曹操のものになった
それを劉備が取り返したって形や
東海昌霸反、郡縣多叛曹公爲先主、衆數萬人。遣孫乾、與袁紹連和。
東海の昌覇が離反し、郡県の多くが曹公に背いて先主につき、衆は数万人であった。孫乾を遣わし、袁紹と連盟した。
怖い(怖い)
さらに領地まで奪った。しゅごい
劉備はガチの梟雄やからな
曹公遣劉岱王忠、?之、不克。五年曹公東征先主、先主敗績。
曹公は劉岱・王忠を遣わし、これを攻撃させたが、勝てなかった。建安五年(200年)曹公は先主を東征し、先主は敗績した。
この頃の曹操の無敵感凄い
それは名目上で
実地支配は書かれているとおり曹操がやってたんや
献帝軟禁してたからね
仕方ないね
曹公盡收其衆、虜先主妻子、?禽關羽、以歸。
曹公はその衆をことごとく収め、先主の妻子を虜とし、併せて関羽を捕らえ、帰った。
200年ってことは袁紹の相手しつつ劉備破ったんかい 曹操様流石やなぁ
たしか郭嘉か荀彧の策やったと思う
曹操は周りのブレーンもチートすぎや
実際正史やと
そのころからどんどん伸びていくからな
あの人すげーわ
先主走青州。青州刺史袁譚、先主故茂才也、將?騎迎先主。先主隨譚到平原。
先主は青州に逃げた。青州刺史袁譚は、先主が元々茂才に推挙していたので、歩兵騎兵を率いて先主を迎えた。先主は袁譚に随行して平原に到った。
譚馳使白紹。紹遣將道路奉迎、身去?二百里、與先主相見。
袁譚は使者を遣わして袁紹に申した。袁紹は将を遣わして道路で奉迎させ、自身も?から二百里行き、先主と相見えた。
こっちでもモテモテやなぁ
左将軍いったらかなりの高位やし実力も十分
逃す手はないやろ
どこいっても好かれてどこいっても警戒されるというね
駐月餘日、所失亡士卒稍稍來集。曹公與袁紹相拒於官渡、汝南?巾劉辟等、叛曹公、應紹。紹遣先主將兵、與辟等、略許下。
駐留して一月余日となり、失った士卒がだんだん集まってきた。曹公と袁紹は互いを官渡で拒み、汝南の黄巾の劉辟らは、曹公に反し、袁紹に呼応した。袁紹は先主を遣わして兵を率いさせ、劉辟らと、許の周辺を攻略させた。
關羽、亡歸先主。曹公遣曹仁將兵、?先主。
関羽は、逃亡して先主に帰した。曹公は曹仁を遣わして兵を率いさせ、先主を攻撃させた。
先主還紹軍、陰欲離紹、乃?紹、南連荊州牧劉表。
先主は袁紹軍に帰ったが、密かに袁紹から離れようとし、こうして袁紹に、南に行き荊州牧劉表と連合するよう説いた。
これは後付けかもしれん
官渡で袁紹が負けて帰れなくなったから裏切ったっていう
劉備のフォローのためとかかな?
>>157
流石にスケジュールがやばすぎやもんな
また汝南に飛んだし…w
紹遣先主將本兵、復至汝南、與賊?都等合、衆數千人。曹公遣蔡陽?之、爲先主所殺。
袁紹は先主を遣わし本いた兵を率いさせ、また汝南に帰らせ、賊の?都らと合わさり、衆は数千人であった。曹公は蔡陽を遣わしこれを攻撃したが、先主に殺された。
曹公既破紹、自南?先主。先主遣麋竺孫乾、與劉表相聞。
曹公は袁紹を破ると、自ら南に行き先主を攻撃した。先主は麋竺・孫乾を遣わし、劉表に挨拶した。
表自郊迎、以上賓禮待之、益其兵、使屯新野。荊州豪傑、歸先主者日益多、表疑其心、陰禦之。
劉表は自ら郊外へ迎え、上賓の礼をもってこれを待遇し、その兵を加え、新野に駐屯させた。荊州の豪傑で、先主に帰した者は日増しに多くなり、劉表はその心を疑い、密かにこれに備えた。
こいついつも厚遇されてんな
劉備は名前も実力もすごいからな
この時点で劉表の上官やし
使拒、夏侯惇于禁等、於博望。久之、先主設伏兵、一旦自燒屯、偽遁。惇等追之、爲伏兵所破。
夏侯惇・于禁らを、博望において拒ませた。久しくして、先主は伏兵を設け、一旦にして自ら屯営を焼き、遁走と偽った。夏侯惇らはこれを追撃し、伏兵によって破られた。
落ちの惇兄で草
落ちキャラにしようとしないでくれ
けっこうええやつなんやで
もちろんわかっとるで
惇兄嫌いな人なんてほとんどのおらんやろうしなぁ
ちょっとむきになってすまんな
十二年、曹公北征烏丸。先主、?表襲許、表不能用。
建安十二年(207年)、曹公は烏丸を北征した。先主は、劉表に許を襲うよう説いたが、劉表は用いられなかった。
曹公、南征表、會表卒、子琮代立、遣使請降。先主屯樊、不知曹公卒至、至宛乃聞之、遂將其衆去。
曹公は、劉表を南征し、ちょうど劉表は死に、子の劉琮が代わりに立ち、使者を遣わして降伏を請うた。先主は樊に駐屯し、曹公の兵卒が到ったのを知らず、宛に到ってこうしてそれを聞き、遂にその衆と逃げた。
過襄陽、諸葛亮?先主攻琮、荊州可有。先主曰「吾不忍也」
襄陽を過ぎると、諸葛亮は先主に劉琮を攻め、荊州を有するよう説いた。先主は言った「私は忍べない」
しれっと諸葛亮登場してますねぇ
正史やと他の伝に書かれてることは省かれるからな
諸葛亮は諸葛亮伝に詳しいで
はえー勉強になるで
乃駐馬、呼琮。琮、懼不能起。琮左右及荊州人、多歸先主。
こうして馬を留め、劉琮に呼びかけた。劉琮は、恐れて起きることが出来なかった。劉琮の側近及び荊州の人は、多くが先主に帰した。
平和ボケ連中かと思いきや以外と反骨だらけなんやな
荊州は四方に敵を受けるから
そんなにぼけてはないとワイは考えとるで
比到當陽、衆十餘萬、輜重數千兩、日行十餘里。別遣關羽乘船數百艘、使會江陵。
当陽に着く頃には、衆十余万、輜重数千両があり、日に十余里しか行けなかった。別に関羽を遣わし船数百艘に乗らせ、江陵で会させた。
或謂先主曰「宜速行、保江陵。今雖擁大衆、被甲者少。若曹公兵至、何以拒之」
ある者が先主に言った「速やかに行き、江陵を保ってください。今は大勢を擁しておりますが、武装する者は少なくございます。もし曹公の兵が到れば、どうやってそれを拒むのですか」
先主曰「夫、濟大事必以人爲本。今人歸吾、吾何忍棄去!」
先主は言った「そもそも、大事を成すには人を根本とする必要がある。今人が私に帰しているのに、私はどうしてそれを棄てて行くのを忍べようか!」
演義っぽい劉備やな
正史だと畜生とか言われてるけ
かなりのぐう聖なんや
曹公、以江陵有軍實、恐先主據之。乃釋輜重、輕軍到襄陽。
曹公は、江陵に軍需品があるため、先主がここに拠るのを恐れた。こうして輜重を留め置き、軽装兵で襄陽に到った。
思ってみれば末路も…
末路はなぁ
ネタバレになるから言わんけどあれやもんな
聞先主已過、曹公將精騎五千急追之、一日一夜行三百餘里、及於當陽之長坂。
先主がすでに通過したと聞くと、曹公は精鋭騎兵五千で急いでこれを追い、一日一夜で三百余里を行き、当陽の長坂で追いついた。
先主、棄妻子、與諸葛亮張飛趙雲等數十騎走。曹公大獲其人衆輜重。
先主は、妻子を棄て、諸葛亮・張飛・趙雲らと数十騎で逃げた。曹公は大いにその衆人や輜重を獲得した。
きっと馬車から子供を蹴り落としたんだろなあ
それはご先祖様やで
劉備もやってそうやけど
子供おったんかね?この時。
アトちゃんがおるんは知ってるが
このとき救われたのが阿斗
趙雲伝などに詳しいで
家のことは二の次なんや
劉邦やって家族捨てたことあるし
先主、斜趨漢津、適與羽船會、得濟?。遇表長子江夏太守琦、衆萬餘人、與?到夏口。
先主は、漢津に逃げ、ちょうど関羽の船と会い、?河を渡ることが出来た。劉表の長子で江夏太守の劉琦と出会い、衆一万余人と、共に夏口に到った。
先主遣諸葛亮、自結於孫權。權、遣周瑜程普等、水軍數萬、與先主?力、與曹公戰於赤壁、大破之、焚其舟船。
先主は諸葛亮を遣わし、自ら孫権と結んだ。孫権は、周瑜・程普ら、水軍数万を遣わし、先主と力を併せ、曹公と赤壁で戦い、これを大破し、その船を焼いた。
先主與?軍水陸並進、追到南郡。時又疾疫、北軍多死、曹公引歸。
先主と呉軍は水陸に並んで進み、追撃して南郡まで到った。この時疫病が発生し、北軍の多くが死に、曹公は引き返した。
正史だと戦い自体淡々としとるんや
ここで息の根をとめておけば天下統一出来たかもしれん
先主表琦、爲荊州刺史、又南征四郡。武陵太守金旋、長沙太守韓玄、桂陽太守趙範、零陵太守劉度、皆降。廬江雷緒、率部曲數萬口、稽?。
先主は劉琦を上表し、荊州刺史とし、また四郡を南征した。武陵太守金旋、長沙太守韓玄、桂陽太守趙範、零陵太守劉度は、皆降伏した。廬江の雷緒は、部下数万人を率いて、頓首した。
せやで
記録ここしかないから末路わからんけど
琦病死、羣下推先主爲荊州牧、治公安。權稍畏之、進妹、固好。
劉琦が病死すると、群臣は先主を荊州牧に推挙し、公安を治めた。孫権はだんだんこれを恐れ、妹を進呈し、友好を固めた。
先主、至京、見權、綢繆恩紀。權、遣使云、欲共取蜀。
先主は、京に到り、孫権に会い、恩は密接であった。孫権は、使者を遣わし、共に蜀を取りたいと言った。
むしろ死んで名目がなくなったのは劉備のほうやと思う
或以爲「宜報聽許。?、終不能越荊有蜀。蜀地、可爲己有」
ある者はこう主張した「聞き入れ許されるのがよろしいでしょう。呉は、結局荊を越えて蜀を有せません。蜀の地は、己のものとなります」
荊州主簿殷觀進曰「若爲?先驅、進未能克蜀、退爲?所乘、?事去矣。今、但可然贊其伐蜀。而自?、新據諸郡未可興動。
荊州の主簿殷観が進み出て言った「もし呉が先駆けとなり、進んでも蜀に勝てず、退いて呉に乗じられれば、事は去ります。今は、ただその蜀討伐に賛成なさってください。新たに諸郡に拠りいまだ動きを起こせないというのです。
?必不敢越我而獨取蜀。如此進退之計、可以收?蜀之利」先主從之、權果輟計。遷觀爲別駕從事。
呉は必ず敢えて我らを越えて単独で蜀を取りにはいかないでしょう。このように進退を計れば、呉蜀より利を収められます」先主はこれに従い、孫権は果たして計を止めた。殷観を別駕従事に昇進させた。
十六年、益州牧劉璋、遙聞曹公將遣鍾?等、向漢中討張魯、?懷恐懼。
建安十六年(211年)、益州牧劉璋は、遥かに曹公が鍾?らを遣わし、漢中に向かい張魯を討とうとしていると聞き、内心恐れを抱いた。
別駕從事蜀郡張松、?璋曰「曹公兵彊無敵於天下。若因張魯之資、以取蜀土、誰能禦之者乎」
別駕従事の蜀郡の張松は、劉璋に説いて言った「曹公の兵は強く天下に無敵です。もし張魯の物資を使い、蜀の領土を取ろうとすれば、誰がよくこれを防げましょうか」
周瑜なら本当に行きそう
それくらいの気概がある
璋曰「吾固憂之、而未有計」
劉璋は言った「私も元からそれを憂いていたが、未だ計が無いのだ」
何でドコでも大兵力が動員できるんですかね…
中国史やと多少数持ってるんやない?
丹陽の畑で取れたんやろ(適当)
徐州付近の話やと頻繁に話題に出てくる修羅の国
曹操伝でも馴染み深い土地やで
ワイは偶然病死やと思う
荀彧伝だと憂いて死んだみたいに読めるけど
松曰「劉豫州、使君之宗室而曹公之深讎也、善用兵。若使之討魯、魯必破。魯破、則益州彊。曹公雖來、無能爲也」
張松は言った「劉豫州は、使君の宗族で曹公の深い仇で、よく兵を用います。もし彼を使い張魯を討てば、張魯は必ず破れましょう。張魯が破れれば、すなわち益州は強くなります。曹公が来ても、何も出来ないでしょう」
璋然之、遣法正將四千人、迎先主、前後賂遺以巨億計。正、因陳益州可取之策。
劉璋はその通りだと思い、法正を遣わして四千人を率いさせ、先主を迎え、前後で巨額な贈り物をした。法正は、益州を取るための策を述べた。
法正は元々劉璋に悪い待遇されてたからな
先主、留諸葛亮關羽等據荊州、將?卒數萬人、入益州。至?、璋自出迎、相見甚歡。
先主は、諸葛亮・関羽らを留めて荊州に拠らせ、歩兵数万人を率い、益州に入った。?に到ると、劉璋は自ら出迎え、相見えてはなはだ歓喜した。
張松、令法正白先主及謀臣?統進?、便可於會所襲璋。先主曰「此、大事也。不可倉卒」
張松は、法正に先主及び謀臣の?統に、ただちに劉璋と会した所で襲うよう述べさせた。先主は言った「これは、大事だ。慌ただしくしてはならない」
劉備側の人ってことでええん?
それも前聞いたことあって調べてみたけど
ワイには呉の人物とはおもえなかったなぁ
璋、推先主行大司馬、領司隸校尉。先主亦推璋行鎭西大將軍、領益州牧。
劉璋は、先主を行大司馬、領司隸校尉に推した。先主もまた劉璋を行鎮西大将軍、領益州牧に推した。
正史やとトップクラスっていっても過言ではないとワイは思ってるで
璋增先主兵、使?張魯。又令、督白水軍。先主?軍三萬餘人、車甲器械資貨甚盛。
劉璋は先主の兵を増やし、張魯を攻撃させた。また命令し、白水の軍を督させた。先主は全軍併せて三万余人となり、車・甲冑・武器・資材ははなはだ多くなった。
是?、璋還成都。先主、北到葭萌、未?討魯。厚樹恩德、以收衆心。
この年、劉璋は成都に帰った。先主は、北に行って葭萌に到り、即座には張魯を討たなかった。恩徳を厚く施して、衆の心を集めた。
明年、曹公征孫權。權呼先主自救。
翌年、曹公が孫権を征伐した。孫権は先主を呼んで救わせようとした。
先主遣使告璋曰「曹公征?、?憂危急。孫氏與孤本爲脣齒、又樂進在青泥與關羽相拒。
先主は使者を遣わして劉璋に告げた「曹公が呉を征し、呉の憂いは危急です。孫氏は孤と元より唇歯の関係で、また楽進が青泥で関羽と対峙しております。
記録ないからわからんけど孫乾かな?
ちなみに正史やと徐庶は大したこと無い人物や
ジョジョ正史やと有能ちゃうんか
へぇー
ある程度有能っぽいけど出番がね
出征の記録がまったくないんや
正史やとその程度やってことって判断から
ワイはそういってみたで
ニュース
今不往救羽、進必大克、轉侵州界、其憂有甚於魯。魯、自守之賊、不足慮也」
今関羽を救いに行かねば、楽進は必ず大勝し、州の境を侵し、その憂いは張魯よりはなはだしいものとなります。張魯は、自らを守る賊なので、憂慮するには足りません」
乃從璋求萬兵及資寶、欲以東行。璋但許兵四千、其餘皆給半。
こうして劉璋から万の兵及び資源を求め、東に行こうとした。劉璋は兵四千しか許さず、その他は皆半分しか支給しなかった。
張松書與先主及法正、曰「今大事、垂可立。如何釋此去乎」
張松は書を先主及び法正に与えて、言った「今大事は、立てられようとしております。どうしてこれをやらずに去るのですか」
松兄廣漢太守肅、懼禍逮己、白璋、發其謀。於是、璋收斬松。
張松の兄で広漢太守の張粛は、禍が己に及ぶことを恐れ、劉璋に自白し、その謀を暴露した。こうして、劉璋は張松を捕らえて斬った。
嫌隙、始構矣。璋敕關戍諸將文書、勿復關通先主。先主大怒、召璋白水軍督楊懷、責以無禮、斬之。
間隙が、始めて生じた。劉璋は関戍の諸将に文書を送り、ふたたび先主を関に通してはならないとした。先主は大いに怒り、劉璋の白水軍の督の楊懐を召し、無礼を責め、これを斬った。
(背後にホウ統と法正が)見える見える
アウトレイジ劉備軍出来そうやな
蜀の平定はその二人のおかげやからね
乃使?忠卓膺、勒兵向璋。先主、徑至關中、質諸將?士卒妻子。引兵、與忠膺等、進到?、據其城。
こうして黄忠や卓膺を遣わし、兵を率いさせて劉璋に向かわせた。先主は、まっすぐと関の中に到り、諸将と併せて士卒の妻子を人質とした。兵を引き連れ、黄忠卓膺らと、?に進み、その城に拠った。
璋遣、劉?、冷苞、張任、鄧賢等、拒先主於?、皆破敗、退保緜竹。
劉璋は、劉?、冷苞、張任、鄧賢らを遣わし、先主を?において拒ませたが、皆破られ、緜竹に退いて保った。
璋復遣李嚴、督緜竹諸軍。嚴率衆、降先主。先主軍益強、分遣諸將、平下屬縣。
劉璋はまた李厳を遣わし、緜竹の諸軍を督させた。李厳は衆を率い、先主に降伏した。先主の軍は益々強くなり、諸将を分けて遣わし、属県を平定させた。
黒いというか
この時代こうでもしないとやっていけないからな
そもそも劉璋は裏切るつもりで味方についたわけやし
だよなぁ
諸葛亮、張飛、趙雲等、將兵泝流、定白帝、江州、江陽。惟關羽、留鎭荊州。
諸葛亮、張飛、趙雲らは、兵を率いて流れを遡上し、白帝、江州、江陽を定めた。ただ関羽は、留まって荊州を鎮めた。
先主進軍圍?。時、璋子循守城、被攻且一年。
先主は進軍し?を包囲した。この時、
劉璋の子の劉循が城を守り、攻撃されて一年となった。
劉璋の出来のいい息子が妙に味のある人間な気がしてならない
辺境の領主のボンボンで終わる筈が、
乱世最強愚連隊の相手を1年以上やらされて
そこで多少なりとも才が開花したりとか
妄想が捗る
劉備を一年防いだとか凄いよな
んなもん通る訳ねーだろっておねだりをあえてして、渋られたらそれを理由に逆撃
実に乱世やな
それがむしろ普通や
演義の白い劉備がなんで勝てるのかが不思議なくらいや
蜀中殷盛豐樂、先主置酒大饗士卒。取蜀城中金銀、分賜將士、還其穀帛。
蜀中は殷盛豊楽の地で、先主は酒を置き大いに士卒を饗応した。蜀城内の金銀を取り、将士に分けて賜ったが、その穀物や絹は戻した。
先主復領益州牧、諸葛亮爲股肱、法正爲謀主。關羽、張飛、馬超、爲爪牙。許靖、麋竺、簡雍、爲賓友。
先主はさらに益州牧を領し、諸葛亮を股肱とし、法正を謀主とした。関羽、張飛、馬超は、爪牙とした。許靖、麋竺、簡雍は、賓友とした。
おっ、FAの目玉馬超選手がいますね
馬超はこのころ仲間になったからな
これはトリプルスリーを狙える逸材
涼州リーグ優勝は待ったなしやろうなぁ(白目)
ああ、彼の事は言ってやらないでくれ
及董和、?權、李嚴等、本璋之所授用也、?壹、費觀等、又璋之婚親也、彭?又璋之所排擯也、劉巴者宿昔之所忌恨也、皆處之顯任、盡其器能。有志之士、無不競勸。
及び董和、黄権、李厳らは、元々劉璋の所で任用されていた者で、呉壱、費観らは、劉璋の姻戚で、彭?は劉璋に排斥された者で、劉巴は昔から忌み恨んでいた者であるが、皆を要職に任じ、その能力を尽くさせた。志有る士で、競って努めぬ者はいなかった。
張飛をブチ切れさしたり名士の悪い所を凝縮したような劉巴やけど、貨幣制度を復活させたのはホンマ有能なんだよな
うーん、やくざとはよく言われるけど
ワイは違うと思う
この時代こうでもしないとやっていけないし
ああ、彼の事は言ってやらないでくれ
まぁ馬超は寿命が来ただけなんで
4億豚と比べるのは流石に釣り合わんけどな
二十年、孫權以先主已得益州、使、使報、欲得荊州。
建安二十年(215年)、孫権は先主がすでに益州を得たことから、使者を遣わして報せ、荊州を得ようとした。
先主言「須得涼州、當以荊州相與」權忿之、乃遣呂蒙、襲奪長沙、零陵、桂陽三郡。
先主は言った「涼州を得てから、荊州を与えよう」孫権はそれに怒り、こうして呂蒙を遣わし、長沙、零陵、桂陽の三郡を襲い奪った。
これも注目してほしいんやけど
この時点で蜀と呉は不仲になったんや
関羽が外交下手で呉との関係を悪化させたっていうのは
正史では違うんやで
「涼州を得てから、荊州を与えよう」
これほんと天下に鳴り響く畜生理論
これは呂蒙も切れるわな
荊州っていっても南郡しか借り受けていないのに他の州返せとかいう孫権も悪い
・天智天皇と天武天皇は日本史を語る上でかなり重要な人物だけど二人とも謎が多いんだよな
・謎の勢力「暗記教育は良くない!やめるべき!」昔の人「聖書経典全部暗記しますww」
・日本って江戸時代辺りまで牛を食べる文化は無かったんだっけ?
・【最強は?】スペイン帝国vsオスマン帝国vs明vs桃山日本
・【フェリペ2世】16世紀の世界各国の君主は個性派揃いだな【豊臣秀吉】
・【大河ドラマ】独眼竜政宗について語ってみませんか
※歴史書の訳の他の記事一覧はこちらです
「歴史書の訳」