鯉を食った話
まだ家康が岡崎にいた頃、家康は城中の池に、3匹の鯉を大事に飼っていた。
ところがある日、一番大きな鯉が消えうせていた。家康が番人に問いただすと、家臣の鈴木久三郎という者が、殿から拝領したのだといってこの鯉を調理させ、さらに同僚達を呼んで織田信長から送られた酒と一緒に平らげてしまった、ということであった。
なんと言うやつだ!鈴木を成敗する!怒った家康は長刀を握り締め、鈴木を呼びつけた。
御前に現れた彼は大小を後ろに投げ捨て、平伏し、言った。
「恐れ入った事をいたしました。しかし魚鳥のため人の命をお取りなさるとは、なんと愚かな。殿の事を見損なっておりました。さあ、ご存分に!」
と、家康の前に首を差し出した。
このとき家康は気がついた。つい先日、城の堀で魚を盗った徒士と、禁猟地で鳥を撃った家士がいて、近く処刑するつもりで捕らえさせてあった。鈴木は、命をかけてそのことに対する諫言をしているのだ。
家康は手に持った長刀を放り出すと
「久三郎、一命を許す」
と言って、奥に引っ込んでしまった。先に捕まった二人の家士も許された。
なんとも家康らしいお話。
ニュース
他人から柔軟に学べる人は強いからな。
殿の刑事判断を見守って、誤りと思えば命がけで訴える
領民・家臣・下人を問わず一人ひとりの命を重んじる
家康本人の分とあわせて、三重の意味でいい話だ
まさに忠臣
連書きだけど、久三郎は最期も
「ここで討死する!」って言って聞かない家康に
「殿は逃げなされ!」って言って、家康の馬の尻叩いて、無理矢理走らせて、
自らは甲冑借りたかは、失念だけど
「我こそは、徳川家康!我が首とって手柄といたせ!」
って叫びながら、敵勢に突っ込んでったんだよね
ソースは、小学生の頃読んだ、学研の漫画伝記
そんな三河武士のお話
三河の一向一揆もようやく収まった頃、一揆に加わった家臣たちも、宗旨替えを条件に帰参する事になった。ところが、小栗又市という男のみ、どう言っても改宗しない。
家康は又市を呼びつけ
「どうして宗旨を改めぬのだ!?改めねば、この場でその首を斬り放つぞ!」
又市
「例え素っ首斬りおとされようとも、宗旨は改めませぬ!」
家康が脅しても、どう説得しても、又市はうんと言わない。あまりの頑固さに呆れた家康は
「もうよい。命はとらぬ、何処へでも行け。」と、召し放った。
すると又市、その場でがばとひれ伏し、こう叫んだ
「小栗又市、ただ今から宗旨を改めます!」
家康はさらに呆れて、「たった今首を斬られても改宗せぬと言ったではないか。どうしていきなりその気になったのだ?」
「武士たる者、首を斬ると脅されての改宗など出来るものですか!しかしたった今私は、殿によって一命を救われました。であれば、そのご恩に報いないといけません。なので、改宗いたします。」
三河武士は面倒くさいのだ。
ツンデレ
まあお互い信頼しあった上でのじゃれあいって感じだよなw
さらにうぜぇw
血筋で見るとこのうざさも計算かと思えてくるな
なんかこういうめんどくさい女の子っているよね
政宗なら仕方ない
改宗を断られた時点で斬るんじゃないか?
そもそも呼びつけて改宗を迫るまでもなく放っとくか斬るかな気がする
伊達家って輝宗が善良なだけで伝統的に残虐だから・・・
・毛利元就「この書状は恥ずかしいので」、板倉勝重「犯人は地蔵」
・北条氏綱と長尾為景の親友付き合い、鮭様が壁紙になりました
・家康の隠居所を設計する藤堂高虎、島津の戦中日記
・渡辺了を雇った藤堂高虎と加藤嘉明の会話、鮭様がみてる
・庄林理助を許す蒲生氏郷、農政家「大谷休伯」による公共事業