最上義光は家臣氏家守棟に命じて鮭延城を攻める。
長い時間をかけてじっくりと守棟は城を攻めることにした。
実はこれには理由があった。
最上勢は鉄砲と弓で武装し城を包囲、兵粮攻めを行う。
これには守城側はなすすべもない。
やがて兵粮もつき、鮭延勢はついにこれまでかと夜中に船で落ち延びていった。
しかし不思議なことに、最上勢は追撃しない。
落ち延びた城主・鮭延秀綱は、あとで意外な話を聞く。
義光は彼の器量を惜しみ、わざと生かして逃げ延びさせた。
秀綱はおそらく大宝寺を頼るだろうが、あれは悪逆非道。
いずれ最上に来るだろう、と。
鮭延秀綱はこの話に感じ入ることがあり、最上家に仕官し、家中随一の猛将として活躍。
後年の長谷堂合戦において、副将として直江兼続に奇襲をかけたのは彼である。
ちなみに義光は降将を処刑した記録が残っていない(まあ最上の記録自体が少ないが)。
最上家中に旧敵族が多いのは、こうした理由があるだろう。
また最上家は、義光家督相続当時あまりに貧弱だったため、積極的に降将を登用する必要性があったともいえる。
ま、弱小勢力の懐が狭かったらとてもじゃないけど躍進なんて不可能だからな。
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空気を読んでくだされ…
最上騒動の原因は鮭延秀綱にもあるんだが、最上躍進もまた鮭延のおかげもあるわけで。
>>737
急な勢力拡張には降将の有効活用が必要だけど家臣団の足並み揃えるのも大事
秀吉なんかもそういう感じで失敗した感がある。
そういう突っ込みは個人的にはありだと思うぜ。言い方には気を使った方がいいけど。
シスコンの鮭好きを完璧超人だと思ってる奴もいないだろうw
他の武将達にしろ完璧じゃないから面白い話が残ってるんだろうし。
立花誾千代の話が無いのは意外だ
関が原の後、柳川城に黒田、加藤、鍋島の軍が降伏を迫って進軍してきた時、これを向かえ討つために、宗茂を城に残し、誾千代が出陣した。
海岸で鍋島軍を撃退した後、陸路を来る加藤軍2万に備え街道に陣取る。
清正は、大将が誾千代と知ると兵の損失を恐れ大きく迂回し直接の戦闘を避けた。
だが抵抗の限界は来た。2ヶ月後開城し、宗茂と誾千代は蟄居となる。
このときから、稲荷神社に願をかけ茂の復帰を祈りながら、34歳で死去する。
宗茂の旧領復帰は18年後である。
>>744
闇千代が鍋島を撃退したなんて逸話があるんだ。
ゲームでは宗茂の鎮西一を闇千代に当てていたけど、この話は日本七槍の一である小野和泉の八院合戦が混じっているのかな。
実際は別居中で城に元々いなくって、住んでいる館の街道を警護したんだっけ?
八院合戦自体も鍋島を撤退させたって話と、やられて落とされそうなところを清正に助けられたって両方あるよね。
なかなか面白いなぁ
島津義弘は朝鮮出兵の際、猫の瞳孔で時刻を知るため七匹の猫を従軍させた。朝鮮の島津家中では籠に猫を入れて背負っていたそうだ。
そのうち五匹は死んでしまったが、二匹は生き延びて帰国した。
その一匹は黄色と白の毛色で、義弘の二男・久保はこの猫をヤスと名付け、とてもかわいがっていた。久保は二十一歳で陣没してしまうが、そのあとも地元ではこの毛色の猫をヤスと呼ぶようになったという。
この猫の供養のため、鹿児島には猫猫神社があり、ヤスと同じ毛色の猫がえがかれた絵馬がある。毎年時の記念日には時計業者が神社を訪れるという。猫の健康にも御利益があるとか。
>>758
九州人は猫好きなのかな?
福岡か熊本か忘れたけど、猫岳ってのと猫神社あるよな。
そこには日本の猫の王がいて、年経た近隣の猫が化ける際に修行に赴くとか。
そこへ猫が修行に行くと、耳元が裂けるとかなんとか。
>>775
阿蘇以外にも豊後でも似たような話あるね。
山奥に化け猫の村があって迷い込んだ旅人が猫に変えられるとかさ。
信長に追放されていた前田利家は織田家で功の多い森可成の戦い方を参考にしようと思い、美濃攻めの時、可成に付いていった。
さて可成たちは山の砦を攻めたところ、兵士たちは皆馬から降りて山を登っていったが、可成はゆっくり移動している。
「これでは手柄を立てられない。」と利家は急かすのだが可成は
「今急いでも疲れるだけだ。本気を出すのはもっと近づいてからのほうがいい。」
と利家を制した。
そして砦に近づくと可成は今だ!と合図し、利家が始めに、続いて可成が攻撃して功を立てた。
その後、可成は信長に「あの時は利家に先を越されてしまいました。」
と言って利家の顔を立ててやった。
可成はいい奴だというお話。
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