1.荊州の維持って難しかったの?
関羽だから維持できなかったのか
関羽をもってしてもダメだったのか
誰でも無理だったのか
2.関羽死亡後に劉備は夷陵に攻め込んだけど適当なところで和睦して荊州寄越せって言えなかったの?
3.蜀が滅亡したら呉だけでは魏に対抗できないのに司馬昭が攻め込んだ時に呉は何でたすけなかったの?
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1.荊州は魏と呉と蜀の係争地帯だから守るのは至難
関羽は豪傑だけど大軍の司令官向きじゃない(そんなに大軍を指揮した経験も少ない)
おまけにクッソ傲慢で内外に喧嘩売りまくってた(呉を敵に回した原因も関羽)
2.劉備が望んでも呉が妥協しない
血を流して切り取った土地だし一応魏との連携もあるから呉は強気
蜀軍は4万程度に対し呉は5万人を動員してるから戦力も有利
3.呉は救援軍を出したけど間に合わなかった
魏軍の侵攻も早かった長期戦になれば呉が動いて魏を牽制できた
おおー 詳しい人サンクス
関羽は南北を睨みを利かす
微妙な位置を任されたけど果たせなかった
そうあくまで劉備が益州を攻略するまで荊州南部は貸して貰ってただけ
ただその後益州平定後も何だかんだ理由つけず約束を反故し続けたのが劉備
息子がアホってのはどこでも言われてるけど
演義だと劉備(というか蜀)は絶対正義として書かれてる
あと劉禅は必要以上に無能、暗愚として書かれてる
>>10
劉備が仁の人という描写はある意味正しくて、家族には情が薄い代わりに家臣を大事にする人だったから周りに人が集まった
ただ若い頃には気に入らない役人殴ったり勢力持ってからもわりと他人を裏切ったりしてるから無双みたいな正義の人ではない
あと無双では大人しい感じになってるけど戦場に出て自らガンガン戦う親分肌のタイプ
劉禅は史実でも無能
基本的に何もしない全部部下の言う通り
だから孔明や蔣琬、董允あたりが生きてた頃はそいつらの言う通りにしてうまく国を治めてたが
有能な配下いなくなって宦官が宮中で幅を利かせて来ると宦官ファーストな政治になって腐敗していった
矛盾を誤魔化すのにさらに創作する
それを繰り返してる
実在しなかった人物や本来は起こってない戦争も結構ある
劉邦にもそのエピソードあるよね…
それすら劉邦のエピからの創作臭いけど
誰が止めるとかそういう問題じゃない
てかそもそも関羽が孫権の出した自身の息子と関羽の娘の縁談を断らなきゃなぁ
内容的に恐らく関羽が独断で断ったと思うのよな
劉備や孔明的には断る理由が無いんだから
だからどの三国志についての質問か書かないと答えが複数存在する事になる
中原半分やるから協力してくださいじゃ駄目だったんかね
関羽 vs 曹仁・于禁・徐晃・呂蒙・陸遜
勝てる訳ないやんこんなん
むしろこんだけ動員してやっと倒せたレベルの関羽のヤバさが際立つわ
雨で于禁が壊滅したから徐晃が代わりに来てなんとかしただけで何もなければ多分于禁で済んでた
于禁はそのまま呉に回収されるし曹操にも何してんだボケと言われてる
孔明がもっと普通の人に就いてたら魏は無くなってたかもな
孔明とか戦争負け続けただけやん
曹操絶対殺すマンのまま行くならまだ呉に行った方が良かったな諸葛亮は
劉備死後の蜀を支え続けたのもそうだし
遠呂智に滅ぼされかけた時も敵方に回るふりして裏工作がんばってた
実際彼が身を寄せた君主のところでは必ずと言っていいほど家臣から「彼は危険だから排除すべき」という意見が出てる
ただし逆に演義家臣に助けられてばかりで本人は大して能力が無いように書かれてるのも違っていて
彼は三国志でもトップクラスの名将
だから危険視されながらもどこに行っても客将として厚遇された
まあ史実であれ演義であれ乱世を立ち回って地方政権とはいえ一国の皇帝に上り詰めたんだから
天下の英雄であることは間違いない
呂布が捕らえられて曹操の前に引き出された時
劉備が「こいつヤバいから殺した方が良いっすよ」って言って
呂布が「お前の方がヤバい奴やんけ!」って言い返して
結局呂布が殺されるエピソードが好きだ
曹操もどっちかってったら劉備の方がヤバいってわかってるけど
この場で退場させられるのは呂布、という
呂布も名将だから有能な人材大好きな曹操は配下に置きたいという思いがあった
そこへ劉備が「布が丁原や董卓にしたことを忘れなさるな」と提言
呂布はかつて徐州で劉備と組んでたことがあり
後に袁術との戦いを呂布に仲裁してもらったことがある
だから敵になったとはいえ呂布は劉備に対して友誼のようなものはあった
だが劉備は姓名である呂布でも字である奉先でもなく布と呼んだ
これは相手を見下す時の呼び方であり友誼のかけらもない
元がそそのかされた身とは言え董卓を裏切るのなんて当然っちゃ当然だし劉備の話は私怨モリモリだよな
北伐は蜀の軍事力を考えればよくやってた方であれ以上を望むのは酷
魏は守っていればやがて撤退してくれるんだから動かないのが正解でよほどの無能でない限り司馬懿以外でもそうしたはず
原文知らんけど臨機応変が苦手なだけで軍事下手と評されてた訳じゃないのでは?
まあ司馬懿がチートすぎだったのは仕方ないとしても
劉備の遺言を無視した結果ってのが痛いからなぁ
>>35
正史でも司馬懿が孔明の敷いた陣の跡を見て「天下の奇才なり」と言ったり
費禕が姜維の北伐を諌める時に「丞相(孔明)でさえ中原へ進めなかったのに我々に出来るはずがない」と言ったり
孔明の軍才を評価する記述はたくさんあるよ
あくまで演義のような百発百中で相手の考えを全部読めるみたいな感じではないというのと
陳寿の父が孔明から冷遇されてたから陳寿はわざと孔明を下げる書き方をしたと言われてる
費禕に関しては纏まりのあった諸葛亮時代でもダメだったのにこんなバラバラでやれるわけねーだろってニュアンスもありそうだけどな
諸葛亮自体の軍才より旗として機能してるかが大切なんだと思う
黄皓に国売られる程度には無能なんで良かったのかは何とも言えない
戦えるタイプの人間だったら原型残らんほどボコられてたとは思うけど
悪評への逆張りで擁護されることがあったけど劉禅って別に北伐止めたりはしてないんだよな
やってたのは後宮の女官増やすとかそういうの
中原にいる逆賊を放置するという選択肢は取れない
劉禅って人の言うこと全部間に受けるボンクラみたいな人物と思われてるけど
讒言に激怒してそいつを処刑したことがあるんだよな
まあそいつがまたすごい人物なんだが
ひろゆきみたいなのが当時もいたからな
ああいう逆張りが当たればデカイことは士大夫なら呂不韋の事例で知ってる訳だし
馬バクといい…
一番在位期間長いのが劉禅じゃなかったっけ
劉禅が治めてた期間は約40年でそれまでやこの後の晋や五胡十六国時代を見てってもかなり長い方
戦犯は黄皓って思われるけど(実際否定しないけど)、そもそもの前提で無理な北伐のせいで蜀は既にガタガタだったから
結局蜀が滅んだのは避けれなかったと思う
知名度こそめっちゃ高い暗君ではあるけど、やらかし具合としては歴代暗君の中じゃかなり低い方だと思うよ
暴君ではなかったし
政治に興味を持たず周りに任せきりな皇帝も大勢いるし
宦官重用した皇帝もたくさんいる
小国滅亡の皇帝ということで必要以上に暗愚に描かれてるだけで
皇帝としては実は平均レベルなのかもしれない
まあ知らんけど
あの時代中国全土には数え切れないくらいのひろゆきがいた
ただほとんどは彼と同じく安全なところから逆張りしてるだけなんだが
よりによって目の前の相手に向かってそれを言う奴がいたんだよな
リスクを考えないからひろゆきにとってはこいつも「バカなんですよ」で終わるような
禰衡とかも諸葛亮死んだ時に劉禅に目出度いって言いに言った馬鹿と同類だと思うんだけど気骨の士扱いなのは納得いかない
>>52
まあ禰衡は孔融に好かれてたから
同類だっただけかも知れんが
李バクは劉備に説教かまして激怒させ
諸葛亮に説教かまして激怒させ
劉禅に讒言して激怒させという役満三連発だから
これに敵う奴はなかなかいないのではないかと
演義に出てこないのが実にもったいない人材
>>58
「権力者に睨まれてたのに諫言続けられる胆力すごい!」
まあ李バク先生は特に根拠なく不謹慎ネタと逆張りで「攻める」人だったんだろうけど
医学は後世の方が発展してると思うんだけど発展したと思って飲んでた丹薬のせい?
劉禅の場合は割りと真面目にストレスフリーだったおかげじゃね?
ストレスフリーそうな皇帝も酒で肝臓が
劉禅の時代の蜀だと度数低い酒しか入らなくて酒害がマシそうだけど
蒼天は孔明が宇宙人みたいだったけど
赤壁で曹ソウに振られて強引に人間に戻されてたなw
曹ソウが能力主義だったことや、蜀が漢朝の復興を掲げ
韓信をトレースしようとしてた事はなるほど
って思ったw
長坂橋の戦いも民衆が闘ってて民主主義っぽくて
良かったな
・「温泉」ってデカイ字で書かれてるからなんだってよく見たら地名だった
・現時点でもかなり良く出来てる信長の野望だな。伸びしろもかなりありそうだし
・今作の仕様で朝鮮出兵イベントなんてあったら無理だ
・村上5打席連続ホームランの影に信長の野望が絡んでいたとはな
・何したらいいのかさっぱりわからない兵力差4倍で城を攻めても負けるし
・同盟結ぶ度に他勢力から警戒されて敵視がたまっていくんだが?
・村上義清くんさぁ…長尾を頼ってきたのに武田に引き抜かれて行くって何なの?
・このゲームって部隊全滅した時のペナルティってないですよね?
・城が紙耐久過ぎるから全城の耐久5倍位にして始めたいわ