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西へ西へと進み、ヨーロッパ、果ては北アフリカまで、何世紀にもわたり苦難の歴史を
歩み続けたと言われていますが
東に向かったジプシーはいなかったのでしょうか?
東トルキスタン(中国新疆ウイグル自治区)にいた、という話を何かで読んだことがある。
更に東だと、漢人社会独自の移動乞食集団と同化した可能性があるw
本人たちは主にロマ(人間)と呼ぶ。
複数の統計によると、世界に六百万から一千万人近くのジプシーが存在し、
うち五百万人近くがユーゴスラビア、ルーマニア、スペイン、ハンガリーなど欧州にいるという。
伝えたんですね
ジプシーの曲だったのか
シュードラかアンタッチャプルなのか?
>>16
もしもヒンドゥーコミュニティの成員だったと仮定したら
特定のヴァルナの出身ではないと思う。
強いカリスマを持つ尊師に率いられた不特定多数の集団じゃないのかなあ。
しかしヒンドゥーコミュニティは定住生活を前提に形成されたものだから
役割を状況に応じて変化させないと生きていけないような放浪生活には向いてない。
ヒンドゥーコミュニティから圧迫を受けた、非ヒンドゥー少数民族が耐えかねて
故郷を捨てたんではないかなあ?
アーリア人譲位カーストに迫害された被差別異民族、
という単純な見解は成立しない。
インドから北アフリカ、ヨーロッパへ移住した少数民族ロマ(ジプシー)が使用する。
インド・ヨーロッパ語族とされるが、 流浪した分だけあちらこちらの言語を取り入れている。
また、男性名詞・女性名詞、単数と複数の区別がある。
放浪ネットワークを郵便・陸運→為替→金融みたいな感じで発展させてたら
ジェノヴァやヴェネツィア路線は無理でも
アルメニア商人ぐらいには繁栄…しなかったかな?
>>30
1 インドから向かった先の中東では、ガジャル(ロマ)はひどい差別を受けた。
目に一丁字もない芸能・製鉄民で、経典の民でもない彼らは、ムスリムから
まともに相手をしてもらえなかった。今でもガジャルは欧州以上に酷烈な
扱いを受けている。
中東で商業民化することができなかった彼らは、欧州に入ってもそこで
ノウハウを身に着けるのは難しかったのではないか。
2 ディアスポラで商業民として成功したユダヤ人・アルメニア人・パルシー
などは、いずれも離散前に文字と遠距離通信のノウハウを持っていた。
よって、各都市に定住し、その定住地を結んだネットワークを構築して
商売に活用することができた。
ところがロマは、各定住地は各個ばらばらに活動していた。また、アイルランド
のトラベラーのように、そもそも定住地を設けない地域もあった。これでは、
「ネットワーク」そのものが構築できない。
推測だけどこんなもんじゃないかな
ちなみに他所の板の関連スレ
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/okiraku/1093947356/
トラベラーはよくジプシーと同一視されるし、生活形態は異様に似通っているが、
ロマではないという説もある。ロマ語を知らず、人種的特徴もアングロ・ケルト混血で、
独自の隠語もすべて英語起源であるなどの理由から。
一年の大半を特定のルートを長時間かけてグルリと
回ってるって感じでしょ。ジプシーに限らず芸能職の人々は
似たような行動様式になる。
地域と時代に大きく左右されるとは思うが。
通婚というより、女性が地元の男性と行きずりで交わり混血。
女は棄てられ子供と一緒にロマ・コミュニティに留まるから、
ロマ・コミュニティの混血度は高まる。言語・文化はあまり
変化しない。
でも千年以上ヨーロッパで暮らしていて、あれだけインド的な
形質や言語を保持しているのは奇跡に近いと思うけどね。
向こうじゃ迫害から自由になれているんだろうか。それとも相変わらずか?
ジプシーを新大陸に売っぱらって大儲けした連中もいたらしい。
「General Purpose Car(多目的車)」→「GP」→「Jeep」
ジプシーとは無関係。
迫害されている割には歴史に大分影響与えているよな。
タロット自体がインド由来だっけか。
後世のトランプの前身と思えば影響は結構大きいかと。
起源ではないだろうけど、
ヨーロッパにもたらした存在ではあると思う。
殿様は道楽好きだから。
ジプシーに限らず、芸能、音楽、演劇なんかを保護しまくってんじゃん。
中央アジア経由で新疆あたりへ向かったのもいるかも知れない。
あるいは東南アジアとかな。
ってか、ヨーロッパの音楽をどんどん塗り替えてしまっている。
人口の少なさと、組織力の低さを考えると、音楽面での影響力は驚異的かもな。
王侯貴族に取り立てられた様子もないようだし。
ただ、流浪の過程で長年、種族としての純血を護っていたというのも
ユダヤ人と違い、白人と婚姻したり、妾として囲ったりするのも難しかったんだろうと思う。
逆に白人の妾になった場合は白人社会に組み込まれただろうし
ロマ、イヌイットと呼ぼう。
レッスンを受けたんだけど、インド舞踊のステップがフラメンコのステップと
リズムが激似でフラメンコ踊ってるみたいだった。手の動きもほんのり似てる。
ベリーは腕や腰の動きが似ていたし、インドにもカスタネットみたいな楽器が
あったりで、共通点がいっぱいあって感動した。
ロマの歌をテープに録って収集するフランス人とロマの話。
ロマ文化が色濃く残る地域なんだろうか?
本場も本場。前にNHKがルーマニアのカルダライ
(金盥修理ジプシー)について回った番組は面白かった。
今はルーマニア政府もロマの定住化を進めてるが、
学校で「ロマの連中と一緒に授業を受けるのは嫌だ」とか
いろいろ問題が出てなかなか難しいらしい。
>>130
モスクワ・ペテルブルクなどのロシアの大都市にも多数ジプシーがいる。
物乞いとかスリで生計を立てているのはロシアでも同じ。
余談だが、物乞いをするジプシーの子供が結構しつこいのでどこまで付きまとってくるのか
試してみた。
友達と二人で子供を挟むようにブロックしてまっすぐな通りを行けるところまで行ってみた。
結構ねばるけど、親が見えなくなると引き返す。
ルーマニア・ブルガリア・ハンガリー・モルドバの一部のロマぐらいだろう。
西欧のロマは定住生活に馴れてしまった。
東欧の旧共産圏の方が、2次大戦後も経済成長しなかったために、
伝統的なロマのスタイルが残った。
西欧はスペイン以外少ないね
ギリシャは多い
なんで現在ではインドから来たってことが「判明」したんでしょうか?
それはいつごろ分かったことなんですか?どういう根拠で?
現在では、遺伝子を比較してみれば分かることなんでしょうけれど・・・。
決め手は言語だよ。
ジプシー本ならどんな薄い本にでも載ってる話だから
せめて1冊くらい読んでからここに来い。
レス無かったとです・・・
>>143
イアン・ハンコックのパーリア・シンドロームでは、イスラム勢力の進出に伴う経済的条件を挙げている。
すなわち
・イスラム勢力の進出とそれに呼応した十字軍により、西ヨーロッパが衰退局面に入る一方、
・バルカン半島は軍隊の絶えざる移動により交易路が確保され軍需がもたらされ、経済的に繁栄した
・しかし戦争により南東ヨーロッパの人口が減少した
・同時期にモルドヴァ・ワラキア・トランシルバニアでは農民の社会的地位が向上し、中産階級が形成された
・イスラムのヨーロッパ進出とタタール人の西進により、ヨーロッパでは反イスラム・反タタール感情が醸成された
・この時期にヨーロッパに到達したロマニ/ジプシーは外見から反イスラム・反タタール感情の標的とされやすかった
・通商路の途絶した後も兵士や国民を養うために経済的負担を強いられた南東ヨーロッパでは、大量の無償労働力が必要となった
これらの結果として、奴隷制=大量の無償労働力の供給源としてロマニ/ジプシーが組み込まれた、としている。
「ジプシー=旅芸人・占い師」と思ってる人が多いが、それはあくまで副業。
本業は鍛冶屋。移動しながら、ナベ・カマ・農具・包丁を作ったり修理したりしている。
第二次大戦後、ナベ・カマをスーパーで買うようになった西欧では、ジプシー鍛冶屋は
急速に衰退、ジプシーも定住するしかなくなった。
経済発展が進まずナベ・カマが貴重品だった東欧でジプシー文化は生残った。
東欧の社会主義時代は、経済が発展しない上に土地が公有制だったので、
ジプシーも空き地にキャンプを張り、鍛冶屋を開業しやすかったが、
1989年の東欧革命後、東欧に資本主義と土地の私有制が押し寄せてくると
ジプシーの伝統的な放浪生活は危機に追い込まれており、
近くジプシー文化は消滅すると思われる。
イタリアで今、ロマ問題が大変な事になっているようだ。
右はロマを追放しようとし、左はロマの保護を主張してしっちゃかめっちゃかの模様。
まあ、イタリアの政治課題がしっちゃかめっちゃかにならない事の方が珍しいが。