ヤクート人、エヴェン人、エヴェンク人、ブリヤート人、イヌイット、満州国などなど
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コロンブスだのヴァイキングだのが始めてアメリカに到達したというのは嘘。
モンゴル帝国は北極海の存在を知っていたのだろうか?
北についてどのへんまで認識していたのか興味あるとこですな。
ノブゴロド人は北極海の存在を知っていたと思うが・・・どうなんだろう。
ノルウェー人ヴァイキングの中にはスパーツバル諸島まで達した一派もいるが・・・
アルハンゲリスクの開港はイヴァン雷帝時代だからモンゴルとは関係ないな。
されさてはてな?
タイガの住人と交易はあったようだけど。
>>10
ジュチのシベリア遠征っていうのは実際どんなものだったんだろう?
バイカル西岸山岳地帯のコリトマト部とか、少数諸部族を軽く平定しただけなのかな。
交易はバイカル湖からエニセイ川~イルティシュ川~西トルキスタンのルートだったかな。
モンゴルを脅かす集団がいなかったのもあるだろうけど。
森林の民が新たに南下して空隙を埋めて新しい遊牧部族を形成する・・・という説があったような。
以前なにかで「森林の道」なるものを読んだ記憶が。
ん?
そういえば毛皮と黄金の道っていうのも聞いた事があるような。
北 森林の道(毛皮と黄金の道)・・・・・タイガ地帯
↑ 草原の道(絹の道)・・・・・・・・・ステップ地帯
↓ オアシスの道(絹の道)・・・・・・・砂漠地帯
南 海の道(陶磁の道)・・・・・・・・・シナ海、インド洋
こういう理解でいいのかな?
毛皮はスキタイがタイガの民族から入手してギリシャに売っていたんでしたっけね。
呼ばれるようになったのはロシア征服以降のことでしょうか?
毛皮交易自体ははるか以前からあったのでしょうけど、多くは
南方のステップとを結ぶ南北交易路が主で、おそらく東西に長く横断するルートは
ロシア以前にはあまりなかったのかも。
似た自然環境なので同緯度同士では毛皮を交換したりはしないだろうしね。
鉄器や茶、織物などはどこまで流通していたのだろう・・・
岡田英弘『中国文明の歴史』p36に「毛皮の道」について書いてあった。
洛陽盆地から北に黄河を渡ると「河内」の地である。ここから羊腸坂を登って山西高原の上に出、
南から北へ太原の盆地、忻県の盆地、代県の盆地、大同の盆地を通って南モンゴルの草原に出る。
(中略)
南モンゴルから西北に、ゴビ砂漠を横断して、ケンテイ山脈に達してトーラ河を下るか、または
オンギーン河経由でオルホン河に出れば、北モンゴルの中心部である。
(中略)
また北モンゴルから、セレンゲ河を下ってバイカル湖に出、アンガラ河を下り、イェニセイ河との
合流点からケチ河を下ってオビ河に出、オビ河を下り、イルティッシュ河との合流点から
イルティッシュ河をさかのぼり、トボル河に入り、さらにトゥラ河に入って、その河源でウラル
山脈を越えれば、カマ河の上流である。
カマ河からヴォルガ河をさかのぼればバルト海に出るし、ヴォルガ河を下ればドン河をへて黒海に
出る。これが古来のシベリアの「毛皮の道」である。
「異域録」で清の使節がロシアに向かったルートだな。
>>50
奥州藤原氏が馬と交換したという蝦夷刀ですね。
なお、中国の明末には年間87000本もの日本刀を輸入しています。
その馬はやはりモンゴルあたりから来てたんですか?
はい、そのように伺っています。
品種改良が目的であったという見解が主流のようです。
あの場所にあるのはどうして?
今の民族管区とかつての居住地とは結構異なっていると思われ。
インディアンの居留地のようにね。
どちらかといえばサハ人やエヴェン人などはロシア東進の影響下で
分布域を拡げた部類じゃなかったっけ?
ロシアに協力したから?
それもある。帝政時代には商人として活躍した。
あと周りの民族が弱体化したのもあるだろうね。
そのまま喋って意志疎通可能なレベル?
の多くは北ツングース語派。
それぞれ近隣の言語から語彙を多量に借用しているので、意思の疎通は不可能に近いかと。
確か両者の分岐は新石器時代かそれ以前だとか読んだ記憶が。
沿海州辺りに南ツングース語派の少数民族は残ってない?
ナナイ語って満洲語にかなり近いらしいね。
あと、極東シベリアの少数民族の間では、19世紀頃までは満洲文語が一種の
共通語のように使われていたから、母語ではないけど話せるという人も結構
いたらしい。
満洲文語復興したらいいねえ。
日本各地の縄文遺跡から出土した数々の人骨を遺伝子鑑定すると
一番多く合致したのがバイカル湖周辺のブリヤート人だと。
でも個人的感想でいうと 平均的日本人に顔立ちが一番似てるのはツングース人だと思う
シベリアに住んでいたプロトテュルク人は基本的には黄色人種と考えられて
いるけど、この人たち実は白色人種だったという可能性は無いんですか?
もともと中央アジアにいたインドヨーロッパ系の人々が、南下してきた
トルコ人によって言語的にトルコ化した、なんて言われてるけど
実際はこの逆で、もともとのトルコ人は白色人種でロシア・ヨーロッパ方面
に移動したハザール・ブルガール・ペチェネグ・クマンと言った人々は
早めに中央アジアを抜け出し混血を免れたため人種的には白色人種のままだった
が、現在のカザフ人やウイグル人は長く中央アジアに留まったため、漢民族や
モンゴル系の人々との混血によって黄色人種化した人々だ、とは考えられませんか?
プロトテュルク人に近いと言われるシベリアのヤクート人なんかは黄色人種だけど
彼らは中央アジアの戦乱を逃れて北に移住した人たちだ、とも聞いたことがあるし。
中央アジア、もしくは移住先のシベリアでの混血により、彼らは今のような姿になった
とは考えられないでしょうか。
大雑把にいえばそのとおり。べつに厨じゃないよ。
トルコはもともと黄色人種だとかいってる方が厨。
モンゴロイドがトルコ化したと推定されている例はウイグル。
(今のウイグル族じゃなくて唐の頃の。これは元はツングース系だったらしい)
それ以外のほとんどは、混血の濃い薄いはあれどベースはコーカソイド。
フン族はモンゴロイドで問題ない。
一説にはチベット人と関係がある?とも
グリーンバーグの弟子・リューレンが提唱した
「デネ=ケット=バスク=チベット=ブルシャスキー=カフカス超語族」説ですな(笑)
アパッチ語とグルジア語と広東語とも同祖というブッ飛んだ学説ですが、
言語学では一ジャンルを築いております。
これでもノストラティック超語族やオーストリック超語族のスケールにはまだ及びませんw
いう区分になってる。
が、近隣の異民族との通婚のない民族なんか無いし、言語・血統・地縁・帰属意識が必ずしも
何世代も一致しているものでもない。言語や帰属意識(どの民族の仲間と自称するか)は
比較的簡単に取って代わってしまう。
ハンガリー人の自称「マジャール」って、ハンティ人の自称「マシン」と同語源?
ちなみにマシン⇒マンシ、だね。
特に後者は「人、男」の意味で一致。もしかすると
モンゴル語mongol、印欧語系統のman-とも同語源かと考える説まであるけどまだ未詳。
>>94
ノストラティック超語族祖語
*/MANO/ =「人・男」
日本語の「者」も語例に挙がってた記憶がw
語源に諸説あってはっきり分からないらしいよ。
ソ連時代 共和国>自治共和国>自治州>自治管区(民族管区)
ソ連崩壊後 独立国>連邦内共和国>自治州>自治管区
で、合ってるかな
自治管区は、もともと隣にある州か地方の一部だった。
実際バイカル湖近辺までモンゴルの一部だったしな
そりゃ中国人でしょ
北東シベリアのチュクチ人では。
奪った銃で徹底抗戦する彼らを避けて、
ロシア人はアリューシャン列島経由でアラスカに入った。
やっぱ、シベリアで唯一国家形態を持っていたシビル汗国のモンゴル人じゃないの?
どこかの先住部族は女子供にいたるまでコサックに徹底抗戦したあげく
最後は族長が生き残りの部族民全員集めて家に火をかけて自殺したらしいが。
清への南下を食い止めた意義も大きいかと。
CIS加盟国だったと思う
旧「ビロビジャン・ユダヤ自治共和国」、
今は「ユダヤ自治州」ね。
今でも街中にはヘブライ文字(イディッシュ語)の看板が普通に見られるよ。
アイヌvs日本の小競り合いと同等のものはあった。
清代の話を引き合いに出すことはありえそうなのに。
ロシア様が相手だと遠慮するのだろうか?
ロシアがまたグチュグチュになって、日本が開発にからんだ場合持ち出すのは十分あり得る
移動速度が遅くなるから、という説明をみたことがあるが
それだと蒙古の五畜の中に牛が入ってるのが納得いかない。
小屋なしでは冬を越せないから、と考えてみたがどうだろ。
豚はもともと亜熱帯・温帯の森林で根茎や果実を食べていた生き物。
亜寒帯の草原ではほとんど育ちません。
イスラムの戒律も砂漠の民の生活が基礎にあるのでブタ禁忌の背景もそういった理由だったのかな。
いや。
ブタ禁忌はむしろブタを生焼けで食って寄生虫病になるのを防ぐため。
そもそもユダヤ教時代から中東のブタ禁忌文化(?)はあったから
イスラム教の誕生とブタ禁忌は直接的に結び付けられるものでない。
木がないから火力が弱いのも一因だったっけ?
少し日本語のニュアンスを嫁。
「金がないから遊びに行けない」って言葉の意味は
財布にも銀行口座にも1円たりとも入ってないって意味じゃないぞ。
アラビアは確かに木材に乏しく、貴重品であるのは確かではあった。
その為、長距離支援の兵種として石礫を使った投石兵が整えられて
いた。彼等の石礫はしばしばヨーロッパ兵の鎧兜さえ打ち抜き、恐
ろしい破壊力を持っていた。
それは単なるお前の冬の過ごし方だろw