1: 名無し 2012/07/31(火) 14:09:55.09
これには島津家サイドも怒り心頭
2: 名無し 2012/07/31(火) 14:11:05.28
t'wag@pjmt"gごわす
3: 名無し 2012/07/31(火) 14:11:32.32
>>2
よか!
4: 名無し 2012/07/31(火) 14:11:34.82
石田ンゴ「官軍がそんな卑怯な手を使えるか!(オチャ3ハイゴクー」
6: 名無し 2012/07/31(火) 14:12:37.36
野蛮人だから残当
5: 名無し 2012/07/31(火) 14:12:04.32
宇喜多秀家も同情
7: 名無し 2012/07/31(火) 14:12:39.20
そら関ヶ原でも負けますわ
8: 名無し 2012/07/31(火) 14:13:23.42
島津「東軍つこうとしたら城から締め出されたンゴ…」
12: 名無し 2012/07/31(火) 14:15:17.41
三成は内政面で大恩人なのに東軍につこうとした畜生薩奸
9: 名無し 2012/07/31(火) 14:13:33.50
忍城を落とせなかったくせ・・・
14: 名無し 2012/07/31(火) 14:16:33.83
>>9
自分で難易度を上げるみっちゃんは官軍の鏡
15: 名無し 2012/07/31(火) 14:18:17.86
結果論的には島津って関が原に行かないで静観してた方が一番良かったってことだよね
76: 名無し 2012/07/31(火) 14:50:11.99
>>15
戦大好き(←やってることは部下の命をポイポイ捨てて大喜び)だからそれはないね
18: 名無し 2012/07/31(火) 14:19:34.81
毛利、宇喜多、上杉、長宗我部、立花、佐竹、小早川、吉川、真田、織田、島津
九鬼、龍造寺、鍋島、丹羽、山名、前田、相馬、蘆名、細川、大谷、小西
この面子で何故負けたのか
21: 名無し 2012/07/31(火) 14:22:41.14
>>18
半分くらい関ヶ原にすらおらんかったやんか
23: 名無し 2012/07/31(火) 14:24:37.43
>>18
毛利と吉川が早々に切り崩されてたのが大きい
24: 名無し 2012/07/31(火) 14:26:05.52
>>18
細川がなぜ西軍に?
26: 名無し 2012/07/31(火) 14:27:33.91
>>24
細川晴元の息子の方や
30: 名無し 2012/07/31(火) 14:28:15.37
>>26
なるほど、すまんな
42: 名無し 2012/07/31(火) 14:35:28.76
真田ばかり語られて京極や細川幽斎があんまり語られないな
どっちも敵戦力足止め成功してるのに
22: 名無し 2012/07/31(火) 14:23:06.26
三成は朝鮮征伐に行かずにいろいろな武将から受けが悪いからね 残当
29: 名無し 2012/07/31(火) 14:28:06.68
>>22
朝鮮征伐自体は行ったし戦場にも出たで
小早川と一緒に夜襲防いだ戦いある
31: 名無し 2012/07/31(火) 14:29:00.00
>>22
前線にいたんだよなぁ…
37: 名無し 2012/07/31(火) 14:33:21.93
>>29 >>31
間違いやった すまんな
36: 名無し 2012/07/31(火) 14:32:20.58
上杉と挟み撃ちしようとして出来なかったンゴwwwww
38: 名無し 2012/07/31(火) 14:33:28.09
>>36
伊達とかいうテラ小物がやらさなければなぁ…
51: 名無し 2012/07/31(火) 14:40:12.10
>>36
最上に糞みたいな仕打ちして恨まれまくった秀吉とその後考えて政治しなかった三成が悪い
伊達最上が両方とも上杉牽制したら無理だわ
39: 名無し 2012/07/31(火) 14:34:11.69
輝元「(弁当食ってちゃ)いかんのか?」
44: 名無し 2012/07/31(火) 14:36:21.03
>>39
(輝元が食っては)いかんでしょ
45: 名無し 2012/07/31(火) 14:36:41.93
実際に関が原で戦闘に参加した西軍武将
石田三成、宇喜多秀家、大谷吉継、平塚為広、糟屋武則、小西行長、戸田勝成
以上
48: 名無し 2012/07/31(火) 14:37:53.40
小早川が裏切らなかったら勝てたのかな?
53: 名無し 2012/07/31(火) 14:41:23.90
>>48
小早川にくっついて脇坂赤座らが東についたし大谷も小早川の裏切りまでしか読んでなかったとかいうから小早川が裏切らんかったら戦い長引いて、あとは立花とかが先か秀忠が先かってとこやね
57: 名無し 2012/07/31(火) 14:42:25.32
>>53
立花は如水と鍋島に牽制されて無理じゃね
70: 名無し 2012/07/31(火) 14:47:16.66
>>57
嫁が地元に残って、旦那が大津から絶賛移動中やで
81: 名無し 2012/07/31(火) 14:52:02.16
>>70
調べたら結構近くまで来てたんだな、知らなかった
確かに勝てる可能性が高くなりそう
90: 名無し 2012/07/31(火) 14:54:42.54
>>81
1日踏ん張れば小早川一万よりも有能な立花三千と別働隊毛利一万五千加わるし、別働隊が東軍襲ったら南宮山も流石に動かんとアカン
91: 名無し 2012/07/31(火) 14:55:17.45
>>81
立花以外にも近畿の東軍派の城制圧に出払ってた武将多いからあと1日2日続いてたら西の勝ちは96.3%はあった
108: 名無し 2012/07/31(火) 15:01:17.09
>>90.91
という事は、短期野外決戦選んだ三成がアホなんかな
秀忠が他の西軍より遙かに遅れそうなだけになおさら
長期戦になってたら、混沌になりそうだ
116: 名無し 2012/07/31(火) 15:03:37.43
>>108
ミッツも当然短期決戦をする気は無かった模様
120: 名無し 2012/07/31(火) 15:05:55.76
>>108
それだけ小早川が効果的やったんやな。良くも悪くも
考えてみ。一進一退の殴り合いしてるとこに飛び掛られるんやで?
126: 名無し 2012/07/31(火) 15:08:01.93
>>120
やっぱ、自分独自の戦力が19万石しか無かったのが悲劇なんやな
動向怪しいヤツらに頼らないといけないのが厳しい
146: 名無し 2012/07/31(火) 15:19:00.28
>>126
大谷がせめて30万石ぐらい持っていたら・・・
あるいは家康を騙して12万石貰った後に関ヶ原で裏切るぐらいのぐう畜だったら・・・
52: 名無し 2012/07/31(火) 14:40:48.46
そういやなんで毛利輝元が総大将やったんや
56: 名無し 2012/07/31(火) 14:42:19.13
>>52
近江佐和山19万石がトップで誰が従うんや
63: 名無し 2012/07/31(火) 14:44:53.04
>>56
確かに
毛利が一国に減封されたのが後々の維新に繋がったんかね
60: 名無し 2012/07/31(火) 14:43:38.04
>>52
石高とか地位の問題。
家康と対等レベルの大名が利家か輝元しかおらんかったんよ
62: 名無し 2012/07/31(火) 14:44:22.64
>>60
宇喜多と上杉も五大老だけど格落ちするのか?
69: 名無し 2012/07/31(火) 14:46:12.81
>>62
宇喜多は完全に格落ち
景勝は遠すぎ
152: 名無し 2012/07/31(火) 15:23:11.07
>>69
宇喜多は朝鮮征伐では総大将やで
54: 名無し 2012/07/31(火) 14:42:06.05
三成たちが起つべきは家康の加賀征伐のときだった
そうすれば前田軍3万とその他北陸西軍約2万を味方にできたのに
家康が三成を討ちに行こうにも北陸軍5万が後ろにいるから動けないし
その間に上杉に関東を襲わせれば家康は間違いなく負けたよ
まさに四面楚歌だった
前田を家康に取られた時点で負けだよ西軍は
65: 名無し 2012/07/31(火) 14:45:22.46
>>54
そん時三成失脚してるから、まともに動けない
七将に喧嘩売られたり小さい失敗が、のちにでかい失敗に繋がってる
75: 名無し 2012/07/31(火) 14:50:04.49
福島や加藤はこのせいで家康政権になる事を理解していたの?
82: 名無し 2012/07/31(火) 14:52:02.93
>>75
三成嫌いが先走ってたんじゃね
家康自体もいつ死んでもおかしくない年やったし
83: 名無し 2012/07/31(火) 14:52:08.58
>>75
流石に理解してたと思うで?市松なんか脳筋の筆頭に思われがちやけど、脳筋に要衝で商業都市の清洲を与えるはずないし
98: 名無し 2012/07/31(火) 14:56:30.94
>>83
清正だって何の地縁もないのに最終的に地元民から神として祭り上げられる程の民政上手だしな
87: 名無し 2012/07/31(火) 14:53:24.14
>>75
まさか大阪城攻めみたいな畜生行為をするとは思っとらんかったんやろうな
89: 名無し 2012/07/31(火) 14:54:29.18
淀と秀頼が賢かったら東軍勝っちゃうと家康が強大になりすぎるって考えて
何かしらの手をうったやろな
92: 名無し 2012/07/31(火) 14:55:36.60
>>89
なお、大坂城は家康の支援をしていた模様
106: 名無し 2012/07/31(火) 15:00:33.93
大体関ヶ原自体する必要あったのかも疑問
大坂城をバックに決戦のが有利じゃね?
110: 名無し 2012/07/31(火) 15:01:32.67
>>106
なお大阪城は家康支持の模様
111: 名無し 2012/07/31(火) 15:01:54.53
>>106
淀「戦は他所でやってどうぞ」
118: 名無し 2012/07/31(火) 15:05:02.55
>>106
それやると西軍がただの謀反になるがな
130: 名無し 2012/07/31(火) 15:09:34.30
>>118
やっぱりそうなん?
134: 名無し 2012/07/31(火) 15:12:53.92
>>130
淀&秀頼「妾の家臣どもが仲良く喧嘩しとるのぉ・・・」
(14年後)
淀&秀頼「ほげぇぇぇ!!!!」
114: 名無し 2012/07/31(火) 15:03:12.50
てか、切り崩し工作成功されまくってたのに気づかなかったのが致命的か
ここらへんはずっと戦国経験してた家康とほぼ勝つだけだった三成の差がもろに出た感じやな
切り崩し工作気づいてれば、わざわざ野外決戦選ばないか
115: 名無し 2012/07/31(火) 15:03:20.07
ぶっちゃけ時間経過するほど連携取れてない西軍側が内応で不利になるのは目に見えてた
秀忠がどれだけ遅れるかわからん以上(秀忠が到着したら西軍が戦力負けする)短期決戦は決して愚策というわけではない
なお一日目で早速裏切られるとは思わなかった模様
122: 名無し 2012/07/31(火) 15:06:32.45
西軍側としてはあそこまでの状況に持って行っただけでも奇跡
真田という嬉しい誤算もあったしな
123: 名無し 2012/07/31(火) 15:07:21.93
関ヶ原の合戦の3日後に居城の佐和山城も落城。佐和山城に乗り込んだ小早川秀秋、脇坂安治らの武将は、19万石の大名であり、秀吉に寵遇された三成の城はさぞかし豪勢で、私財を貯えているだろうと思っていたが、
壁は板張りで上塗りされずむき出しのまま、庭には風情のある植木もなく手水鉢は粗末な石、金銀も少しもなく、あまりの質素さに驚いたという(甲子夜話)。
このぐう聖っぷり。つうか小早川のぐう畜っぷり。
132: 名無し 2012/07/31(火) 15:11:16.76
>>123
小早川は国替えにつぐ国替えで経済ボロボロなとこに恩賞目当てで相当無理して大軍だしてたからしゃーない
落とした城からの略奪も当時は普通やったし
124: 名無し 2012/07/31(火) 15:07:41.91
家康は名目的には豊臣のために戦ったということになってるので大坂城決戦は厳C
日和ってあっさり明け渡した毛利輝元には感謝してるやろな
129: 名無し 2012/07/31(火) 15:09:21.46
>>124
ぶっちゃけ毛利は敵のままでよかった説もあるけどね、今後の反徳川あぶり出しにって
133: 名無し 2012/07/31(火) 15:11:19.43
東軍側としても小早川の当日の行動は誤算だったけどね
稲葉平岡が熱心に東軍と工作を進めて小早川本人も東軍側の行動をし続けてたのに
前日に西軍側から関白職の餌を提示されて小早川がいきなり悩みまくるし
140: 名無し 2012/07/31(火) 15:15:11.18
家康さんサイドの言い分は
建前「豊臣への謀反の兆しがあるから上杉討伐するやで~」
本音「大坂から出れば三成挙兵するやろ、そしたら決戦して三成を殺す!」
なので建前を額面通り受け取った淀君は家康を支援した模様
142: 名無し 2012/07/31(火) 15:15:58.55
実家が関ヶ原のワイ、こんな場所で10万人以上戦ってたことに驚く
144: 名無し 2012/07/31(火) 15:16:56.30
食べ物など文化の国境線なんやろ
>>142はどっちよりや
149: 名無し 2012/07/31(火) 15:20:16.49
>>144
関西寄りやろなぁ
電気も関電管内やし、じいちゃんも関西弁(彦根弁?)やしな
ワイは関西弁しゃべられへんけど
158: 名無し 2012/07/31(火) 15:26:33.85
強気のヤジ飛ばしておいて局地戦でひっそりと負ける直江とかいう雑魚
161: 名無し 2012/07/31(火) 15:27:44.95
>>158
知恵が足りないからね、仕方ないね
165: 名無し 2012/07/31(火) 15:30:15.10
というか関ヶ原っていろいろ勘違いされてるけど
小早川は結構早い段階から東軍として動いてるし
秀忠は関東から家康より遅めに出発したから上田城関係無く遅れた可能性あるし
関ヶ原周辺にいた人数は東軍の方が明らかに多い
166: 名無し 2012/07/31(火) 15:31:42.51
伊達や最上が上杉の牽制に動くことと江戸には結城秀康を残してるし
挟撃される可能性をほぼ潰したうえで家康動いたからなぁ
169: 名無し 2012/07/31(火) 15:32:54.97
三成処刑前の諸侯の反応
長政「お前嫌いだったけど頑張っとったわ。ついてなかったな。(上着カケー)」
高虎「あんた良く戦ったで。良ければワイの軍にアドバイスくれや」
市松「戦起こしといて何偉そうな態度しとんねん」
細川「殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
177: 名無し 2012/07/31(火) 15:35:43.06
>>169
>長政「お前嫌いだったけど頑張っとったわ。ついてなかったな。(上着カケー)
サンキュー無能息子
181: 名無し 2012/07/31(火) 15:37:31.54
>>177
おは後藤又兵衛
183: 名無し 2012/07/31(火) 15:38:17.29
>>177
親父には負けるけど滅茶苦茶優秀じゃね?
関ヶ原のあたりでは大活躍
178: 名無し 2012/07/31(火) 15:36:52.33
>>169
そら裏切り上等の策士二人とマジ憎み二人じゃあ違うわ
189: 名無し 2012/07/31(火) 15:40:13.98
>>178
細川の方はガラシャ殺されてるからしゃーない
188: 名無し 2012/07/31(火) 15:40:05.21
>>169
忠興は関ヶ原で憑き物が落ちたかしらんが捕まった三成みて会釈して通り過ぎただけやで
170: 名無し 2012/07/31(火) 15:33:22.16
時勢を読みきり勝ち側についたんだったら小早川は名将と言い切っていいんじゃないかね
174: 名無し 2012/07/31(火) 15:34:18.54
>>170
大谷「そんな称号与えられんわ(枕元でボソ」
191: 名無し 2012/07/31(火) 15:42:34.80
大坂の陣含め淀君サイドが悪いってことでおk?
195: 名無し 2012/07/31(火) 15:45:21.36
>>191
関ヶ原で一大名に転落し、江戸幕府が開かれた時点で徳川に屈服してれば生き残れたかなぁ
なんで秀頼に関白職が来ないんや!って怒ってる場合じゃなかった
199: 名無し 2012/07/31(火) 15:47:30.93
>>195
徳川さんサイド「関白欲しい?将軍職欲しい?あーげないwwww」
を繰り返してたかイライラ高めさせてたからしゃーない
所詮お嬢様の知恵で狸には勝てんっちゅーことや
205: 名無し 2012/07/31(火) 15:50:10.31
>>195
家康は、現実を受け入れてもらっていち大名として存続させようと考えてたが
京都での会見であまりに若く健康な偉丈夫に成長した秀頼を見て
「こりゃ(生き延びさせたら)やばい」と思ったようやで
秀頼は美男でかなりの大男やったらしいし
自分の息子らよりカリスマ性があってこりゃイカンと思ったんやろうなあ
209: 名無し 2012/07/31(火) 15:52:26.41
>>205
なお超デブだった模様
214: 名無し 2012/07/31(火) 15:55:47.56
関が原後も、加藤福島をはじめ、豊臣恩顧の大名、
しかも大身の大名が徳川サイドにも多かったから
大阪城はさすがに要衝すぎるから立ち退いてもらうが
緩衝材として名誉職で存続させるつもりやった様子が見て取れる
あの会見までは
>>209
当時のデブは悪いイメージや無いさかいな
192: 名無し 2012/07/31(火) 15:43:14.54
宇喜多秀家は大名としては負けたが
関が原に参戦した誰よりも長生きし、
血脈を今日まで伝えているという点では勝ったと言えなくもない…
197: 名無し 2012/07/31(火) 15:46:54.68
>>192
将軍の遊び相手というポジションで生き残った織田家さんサイド、今川家さんサイド
196: 名無し 2012/07/31(火) 15:45:23.49
そもそも1日でスパーっと決着がついた事がおかC
両軍10万人規模の戦とか何週間も泥仕合した結果なあなあで分けるのが普通やろ
201: 名無し 2012/07/31(火) 15:48:12.55
>>196
同感
一日で決着ついたから後に長引かずに済んだってのはあるよな
200: 名無し 2012/07/31(火) 15:47:54.84
何故か戦場をずらされた三成さんサイドに問題ありすぎ
城固めたんはなんやったんや
204: 名無し 2012/07/31(火) 15:49:43.96
>>200
(小早川が松尾山を乗っ取るとは)知らなかった
(関白職での懐柔に)切り替えていく
202: 名無し 2012/07/31(火) 15:49:19.07
忍城を大軍で落とせなかった時になぜ自分の戦下手に気がつかなかったのか
三成さんサイドに大いに問題がある
208: 名無し 2012/07/31(火) 15:51:52.61
>>202
三成さんサイドは兵站の達人やで
でなきゃ大谷と2人であそこまで巨大兵力かきあつめて決戦まで持ってけへん
みっちゃんの才覚がなかったら地味~な佐和山城立てこもりで数ヶ月ダラダラやっとったわ
217: 名無し 2012/07/31(火) 15:57:15.08
>>208
みっちゃんは兵站の達人なんだけど槍働きの脳筋には理解されなかったんだよなぁ・・・
一官僚では叩き上げの家康に勝てるはずないね(ガッカリ
211: 名無し 2012/07/31(火) 15:53:39.03
>>202
忍城攻めは小田原が落ちるのが早すぎたというのもある
三成だけでなく大谷、長束、真田、浅野まで弾き返しとるし
212: 名無し 2012/07/31(火) 15:54:08.16
でも家康の豊臣潰しって秀吉が織田にやった事と大して変わらんよな
なのに家康ばっか非難されるのはおかC
221: 名無し 2012/07/31(火) 16:00:04.28
>>212
せやな
当時の人の多くは簒奪したんやから簒奪されてもしょうがないねと思ってたと思う
226: 名無し 2012/07/31(火) 16:02:54.29
>>221
日本人の敗者贔屓は菅公や九郎判官の時代から変わっとらんのもあるしな
223: 名無し 2012/07/31(火) 16:02:17.27
>>212
秀吉は即三法師を抱き込めた事が勝因やろうなぁ
家康はなんだかんだ最後まで秀頼を抱きこめなかった
232: 名無し 2012/07/31(火) 16:06:45.22
>>212
中国の五胡十六国時代に後趙を建てた石勒さんが言ってたな。
男はかっこよく戦って天下を奪い合うべきで
婦人や子供を押しのけて天下を奪うなんて
そんな恥ずかしい真似は絶対にできないって。
225: 名無し 2012/07/31(火) 16:02:31.42
秀吉の次世代家臣たちはみんな有能なんだよな
いかに育成がうまかったかわかる
あとは後継者さえいれば完璧やったのになあ
233: 名無し 2012/07/31(火) 16:07:03.69
>>225
コンパクトさを心がけた鎌倉政権や、実質畿内周辺だけだった室町政権よりも
日本史上稀な巨大政権を創業メンバーで運営してたんだからすごいよな
242: 名無し 2012/07/31(火) 16:12:33.36
>>233
秀長は弟、加藤や福島は親戚を縁故雇用だというのに化けたんだよなぁ…
秀吉の育成能力異常すぎィ!
238: 名無し 2012/07/31(火) 16:10:17.74
まあよく言われることやけど
秀頼が生まれてしまったのが最大の不幸やったのかもなぁ
秀次は優秀な人間ではなかったかも知れんが
もう充分大人であり、優秀な幕僚が多数居たんやから
2代目としちゃ及第やったで
227: 名無し 2012/07/31(火) 16:03:05.19
大阪の陣はワンサイドゲームやったからあとづけ設定で悲劇化するのもしゃーない
230: 名無し 2012/07/31(火) 16:04:37.03
>>227
主戦力がもう後の無い改易待ったなし大名と食い詰め浪人ばっかりやったのが悲劇的やったなぁ…
237: 名無し 2012/07/31(火) 16:08:58.69
>>230
安定した生活捨てて、太閤の恩の為に戦った毛利勝永は異質だよなー。
229: 名無し 2012/07/31(火) 16:04:09.38
大坂の陣でもあわやの場面あったし
家康=戦上手のイメージないなぁ
234: 名無し 2012/07/31(火) 16:08:34.58
>>229
三河武士はぐう精強やからそれのおかげもあるわな
244: 名無し 2012/07/31(火) 16:12:48.96
>>229
多少采配が悪くとも勝てるように、しっかりとチーム作りをしたからな
戦略が優れてる
245: 名無し 2012/07/31(火) 16:13:29.94
>>229
小牧長久手は実質家康さんサイドの勝利だし、あれで街道一の弓取りの称号ゲットしたんやしね
ただ軍略がうまいだけなら上はおるやろけど、調略や兵站含めて総合的な戦争の能力ならぐう蓄レベルやろ
239: 名無し 2012/07/31(火) 16:10:59.44
家康が凡将やったら大抵の武将はカス以下やで
240: 名無し 2012/07/31(火) 16:11:55.63
関ヶ原の小西と宇喜多はもっと評価されるべき