1402年、アンカラの戦い。
もしアンカラの戦いが無ければ、ビザンツ帝国の滅亡は
四十年早まっただろうか?
もしティムールがオスマン・トルコと戦わず、明に直接
進撃していたら、東アジア世界はどうなっていただろう?
この頃の世界について語り合いませう。
ニュース
>ビザンツ帝国の滅亡は四十年早まっただろうか?
アンゴラの戦い(アンカラ)が無ければバヤゼットはコンスタンティ
ノープルを其のまま包囲し続け落としていたと思う。
>明に直接進撃していたら、
どっちが勝ったかわからないけど、みて見たかったね。
ティムールvs永楽帝
ええと、ティムールは「自分はチンギスハンの子孫だ」
てなことを言ってました。
で、モンゴルの人達は自分らを「蒼き狼」の末裔だ、と言ってます。
で、サマルカンドに現れたティムールはモンゴルから見て
当然西にありますよね。
だから「西方の狼」と。
要するにモンゴルから見て西方をイメージして頂ければ。
バヤゼットじゃなくてバヤジット(バヤズィット)じゃない?
バーヤズィードあるいはバーイェズィードという人名のトルコ語なまり。
>>3
ティムールはチンギス・ハンの直系の子孫じゃないし
そもそも自称すらしてないけどね。
先祖はチンギスのキヤト氏の親戚筋らしいけど。
>>5
調べてみたら
バヤゼィトは×
バーヤジード(バエジト)が○のよう。
バヤジットが一般的のようですね。
私もバヤゼットと覚えてました、間違いでスマソ
>先祖はチンギスのキヤト氏の親戚筋らしいけど。
「ティムール家の系譜」=「高貴系譜」の事かな。
あれは私(シァー・ルフ)が作らせたって説がありますね。
ただ、バルラス族ってキャト氏だったのかな?
たしかずいぶん昔に図書館で借りてきた本
(中公の「世界の歴史」の杉山さんと北川さんが書いている巻)
で読んだ話だから一次出典はなんだったか覚え無し…。
バルラス部はキヤト氏ではないが帝国以前からのモンゴル部族の一部で
アラン・ゴアの息子の代でキヤト氏と別れた氏族じゃなかったかな。
ティムール、明に勝てたかなあ・・
農耕民族らしく親玉自らの決戦を避ければ攻め切れなかったんじゃないかな?
オゴタイ・モンケの苦労を見て、外交で孤立させる十数年の後に軍事国家南宋の
防衛を崩壊させたフビライとちょっと比較してしまう。当時の明の底力はどんな
だったんだろ・・
内乱を経て後を継いだルフ様は、西アジアの疲弊をほっぽって外征するお方じゃないし。
130年前の実例を見るとそう思われ。
一ヶ月ぶりに上げ。
だれか教えて欲しいのですが、
アンゴラ会戦におけるイェニチェリ軍団はすでに
火縄銃(ルーミー銃)を使用していたのでしょうか。
火縄銃の発明自体が15世紀のことなのでそれはないです。
イェニチェリ軍団も前代のムラト3世のときにできたばかりだから
あまり大きくなかったのではないかと思われ。
アンカラのころのオスマン軍ってまだ常備軍が十分ではなくて
バルカン・アナトリアの服属した諸侯の混成軍だったはず。
>>13
>そのころのイェニチェリは大軍団じゃなかったんだ‥‥
と、言っても少なかっただろうというのは半分推論です。
間違ってたら申し訳ない。
ちなみにイェニチェリが名実ともに最強軍団と機能していたと思われる
15世紀から16世紀ころは1万名くらいを抱えていたらしい。
>火器を装備してないのなら、さほど強力な部隊ではなかったのかも。
火縄銃のほかには斧・弓矢などを装備していたそうです。
きっと、中軍の親衛隊兼決戦突撃隊といった部隊だったのでしょう。
イェニチェリ作ったのってムラト一世の時代だよ。
機動力重視の近接攻撃/関節射撃両用部隊だったのでしょうか?
>>16
ごめん、1と3間違えてた…。
ムラト3世って言ったら16世紀末ころの第12代スルタンだ。
第3代スルタンなのになんでムラト3世だと思ったんだろ?
>>17
オスマン史の本には必ずと言っていいほどミニアチュールの絵が載ってるけど、
鎧らしい鎧は着てないみたいだね。
近代ヨーロッパの銃を装備した軽装の歩兵の先駆だったのかも。
たしか、西欧で軽装化が始まるのは16世紀だったかな。
でも、トルコのミニアチュールもたいてい16世紀以降のものだから、
その100年前のバヤズィトのころはどうだったかわからないけど。
暗黒皇帝朱元章の後の永楽帝じゃ・・・
プンヤシュリー・ハーンが高原と漢地を支配するのかなあ?
鬼力赤の後に立ったモンゴルの大ハーン。
明史によれば、別失八里(ベシュバリク/チャガタイ・ハン国に比定)
よりモンゴル入りしている。
イスラーム側史料に見えるタイジ・オグランのエピソードに似る。
タイジ・オグランは1398にモンゴルから逃げてきて、1405の
ティムールの死にもめげず、独力でハーンに就き、その年の
うちにオイラットに殺害された、とある。
>>24
ごめん、調べたら>>22さんの言ってた
傀儡の西チャガタイ・ハンだったソユルガトミシュ(在位1370-88)と
プンヤシュリーは全然別人だった。
>>25
タイジ・オグランってトルコ語で「太子の息子」ってな意味だから
プンヤシュリーと同一人物と見て間違いないと思われ。