14世紀の中央アジアに世界帝国を築いた
アミル・ティムール(欧名タメルラン)。
自らジンギスカンの再来を期し
北はロシア南部、東はインド、西はトルコという
とほうもない大帝国を建国した英雄
ニュース
>>3
有名な再現像あるじゃん。ティムールとウルグ・ベクの。
ウルグ・ベクの像は浜田雅功に似ている気がした。
チムールってモンゴルを自称してるけど
どう考えてもトルコ系だろ(笑)
問題はこの時期のトルコ人の顔が
現代のような西欧人風のものだったかどうか、だよな
イスラム化もしてるし
>>12
オスプレイのThe Age of Tamerlaneでアンガス・マクブライドが描いたイラストAに
"Timur-i-lenk"が出てくるけど、赤みがかった頭髪で描かれていた。
というか腕と脚に矢が刺さった瞬間の絵なんだけど
シースターンのマリクに雇われて戦ってた頃かしらん?
アンカラの戦いって世界史屈指の好カードじゃない?
>>7
当時イェニチェリってすでにあったん?
あったとしてもルーミ銃とかはまだ装備してないだろうな
>>7
その通りだ。
これほどの英雄対決ってないよ。
もし戦っておかなかったらトルコは
「いくらチムールでもオスマンにはかなわなかっただろう」とか
言ってたはずだぜ。
でも結果はチムールの圧勝だ。
トルコは騎馬民族というわりに歩兵が主体だったらしい。
それに対し、チムールは騎馬主体だから。
俺は事跡だけではなく、より本人に関心があるのだが
チムールもまた大変興味深い人物だね。
ジンギスカンは「(弱くなるから)建物には住むな」と遺言したそうだが、
チムールはそれをかたくなに守って、
豪華な宮殿を建てておきながら、寝るときには
その宮殿の庭にパオ(テント)を張り、そのなかで寝たという(笑)
なんか意固地というか、よくいえば一徹だけど、
いったん思い込んだら、是が非でもやり抜こうとする異常人の姿だよなぁ。
でもイチローが大リーグ行ってから5年間、朝食はルーの量を計った
カレーを食べ続けている、というのと一脈通じるものがあるような…。
やっぱり異常人じゃないとあそこまでいかないよね。。。
>>20
> その宮殿の庭にパオ(テント)を張り、そのなかで寝たという(笑)
宮殿というか、ティムールがサマルカンドを建設し直した前後から、市壁で囲われた
市街地や城塞の郊外に大小いくつもの庭園(バーグ)を築いて、サマルカンドに滞在中は
それらの庭園にユルト(ゲル)を張って寝起きしていたそうだ。
ビジョンとしてはウィーンのシェーンブルン宮殿みたいなただっ広い庭園に東屋がいくつか
あって、その一角に王侯たちが寝泊まりするユルトが随時立てられているって感じだろうか。
ティムール朝の他の王族たちもその慣習を受継いで、基本的に建物の中に住むってことは
しなかったらしい。こういった庭園でティムールやその他の王族や諸侯、貴顕たちは宴席を
開いて交流するのが常で、『バーブル・ナーマ』でもバーブルはヘラートに滞在中にヘラート
郊外の庭園で開かれたスルターン・フサイン・バイカラの王子バディーウッザマーンの宴席に
参加し、庭園の一角を借りて起居していたそうだ。
クラヴィホの旅行記なんかにサマルカンド郊外の宮廷の様子が描かれてるけど
どこかにいるはずの傀儡のハンの影が薄いんですよねw
>>20
いや、いったん遊牧生活になじんじゃうと、堅い壁で囲まれた建物の中って、
閉塞感で耐えられなくなっちゃうみたいだよ。
だから、遊牧民出身の帝王ってたいてい首都の都市や宮殿を作っても、
庭園や近郊に豪華なテントを張って、そこで日常生活を営んでる。
イランのサファヴィー朝のイスファハーンの王宮も、壁の内側は
広大な美しい庭園になっていて、公務は庭園に点在するあづまやとか
バルコニーでやっていたらしい。
もちろん、寝泊りはテント。
元朝の大カアンたちも大都の王宮の庭園にテントを張って暮らしていたし、
ジョチ・ウルスのカンたちもボルガ川がカスピ海に注ぐあたりのサライの
近郊の草原に豪華なテントを張って、そこで暮らしていたらしい。
厳密に言うと遊牧民じゃない満洲人だけど、清朝の皇帝たちも、
夏は熱河の離宮でテント生活をしていた。
ちなみにテュルク系のテントはゲルじゃなくてユルタ。
アンカラでもオスマンの行軍を上手く利用して有利な状態で戦ったし、他でも上手い。
自分で考えていたのか、頭のいい側近がいたのかこのへんが気になるところだ。
>>21
弱小勢力だったころに一度、手ひどい敗戦を経験し、
その後、戦術を研究して常勝将軍になったらしいね。
だけど片翼に強力な部隊を集中させて、
この部隊を突出させて敵を包み込もうとするという戦術は
古代ギリシアのトラキアで開発されたものとそう進歩ないよな。
まぁ、コロンブスの卵なんだろうな。
頭でわかってたって、普通、部隊は均等に配置したくなるもんな。
強国になる前のチムール朝は明朝に朝貢していたという記述を
どこかで読んだ気がするのだが、ほんとうだろうか?
本当っぽい。
靖難の変の混乱の際、使者が来なくなったのを期にやめたらしい。
その後、再び使者がくるようになった時に使者を捕らえたとか。
これはカスティリャの使節が報告している。
岡田英弘氏によると、
ティムールが貢税を納めていた相手は北元であって、
明朝ではないらしいよ
キタイという語はかつての契丹、金朝の領域をさすから、
キタイの皇帝というのは、北元の大ハーンのことだそうな
明朝の皇帝のことならば、本拠地は南京だから、マンジのハーンと言っているはずなんだそうな
ところが岡田氏はそんな大事な話を論文にしていないんだな。
通俗書で書いているだけ。専門家で相手にしている人はいないよう。
キプチャクハン国を再統一し新興ロシアを焼き討ちした中興の英雄トクタミシュ、明の全盛期を築いた永楽帝と、非常な英傑が多い。
そしてその内永楽帝以外とは直接対戦し、すべからく圧勝しているティムールの戦績が凄すぎる。
永楽帝にも勝ってた可能性はかなり高いと思う
永楽帝が即位した頃の明朝が所有する馬は約二万三千七百頭だったそうな
交通、軍事などで大体六、七十万頭必要としていたそうだから、
永楽帝が即位した時の明朝は国家機能が麻痺していたものと考えられる
(馬市を開いてウリャンカや女真から馬を購入し、早急に馬を補充しようとしてたようだが)
ティムールが侵攻してきたら、明朝は相当やばかっただろうな
チムールは今ひとつ世界的英雄になれていない気がする
原因は明を討てなかったことだ
十分に世界的英雄だと思うけど
原因は根拠地が中央アジアというマイナー地方だからな気がするが。
西欧の人物だったとしたらヨーロッパ人が神扱いしてたろうよ。
NHKでやってたね
繰り返し西欧に侵入していたオスマンを屠ったことで人気があるらしい
だから帝国もティムールが死んだらもろかったし
多少見劣りするのは仕方ないだろ?
いい加減なこと言うなよ
内紛とかも多いし
モンゴル帝国のどこがもろいんだ
内紛が多くてもあれだけしっかり体制を維持できたし
子孫はそれを足ががりにさらに広大な帝国を築いた
それもチンギスが有能な人材を発掘育成して優れた政治機構を作ったおかげ
それに比べてティムールが築いた政権はティムール個人のカリスマでもってたんだろ
だからティムール死後、政権基盤が弱い感じがするのは否めないね
だからといってティムールをおとしてわけじゃないけどね
軍事に特化すればチンギスハンより能力は上だと思う
よく考えるとティムール朝を滅ぼしたのはウズベク人
>>63
シャイバニー勢力が当時のマーワラー・アンナフルの住人を
皆殺しにして総入替えになったわけじゃないんだから、別に
何も変じゃない。
徳川に滅ぼされたのは豊臣だけなのに、大阪人がみんな死んで
三河人や江戸人に入れ替わったと勘違いしてるようなもの。
ということは支配者層のシャイバニ勢力が来ただけで
ウズベキスタンの住民の民族は当事と今で変わってないということですね。
ソ連時代やいろいろな民族が混じる場所だけに信じられないが・・
ティムールの有名な復元写真あるじゃん。
頭蓋骨に肉付けしたやつ。
思いっきりモンゴロイドだったよ。
これに関しては外国の連中って言うか当事者達なんかも見方がバラバラで
モンゴル人だ いやトルコ人だ
言語文化がテュルク化したから彼はトルコ人
元がモンゴル貴族だし彼はモンゴル人
って感じで色々入り乱れてるって感じ
トルコとかウズベキスタンの歴史なんかでは元がモンゴル貴族だとしても
トルコ人として教えてるって感じでは有るな
ティムールだけではないが、彼らの一族は
西アジアへ移住してから百年以上経ち、言葉も風俗もトルコ化した
その証拠にティムールが奨励した文学というのはモンゴル語ではなく
チャガタイ語というトルコ語の一種だ
つまりティムールの実態はトルコ人なんだよね
小説だけど
森下研の草原の彗星ティムールでそんなこと書いてあったな
あ~、あれで読んだのか
ありがとう
アイハヌム2008読んでて気づいたんだけどさ、ティムールがフサインと協力してキシュに入ったときに、馬の尾に木をくくりつけて、土煙を大きく巻きあがらせて大軍が攻めてくると勘違いさせて、
キシュにいた領主たちを追い出したってのがあったけど、これって突厥沙陀族がキタイを攻撃したときに使った戦法とほぼ同じだよね
これってティムールは沙陀がこの戦法を使ったことを知ってたんだろうか?
それともティムールが自分で考えたんだろうか?
あるいは、その実よく使われていた戦法だったんだろうか?
ドイツ・アフリカ軍団のロンメルもやってるからな。
あと夜営中に篝火を多めに焚いて大軍に見せかけたりとか、中央ユーラシアの戦争について調べると
時々出てくる戦術だが。
恨み辛みが残ってたりしたのかね?
バヤゼト1世も連戦連勝だったけど、弱小で未開な欧州人が相手だしな
ティムールとの戦は主導権握られて好いように振り回され
完璧に手の内を読まれた挙げ句の大敗、格が違った
ティムール側の被害も甚大ではあったらしいけど
単に物量で物を言わせただけ