フランクリン・ルーズベルト「一番おもしろいゲームスコアは、8対7だ」
野球を愛した第32代アメリカ合衆国大統領のフランクリン・ルーズベルトが1937年1月に、
ニューヨーク・タイムズの記者に宛てた野球記者協会から招待されたディナーを欠席することを詫びた手紙の末尾に記された言葉と言われている。
しかし、実は原文が確認されてないため、後世の日本人による創作の可能性がある。
アルバート・アインシュタイン「人間は脳を10%しか使っていない」
ネットではアインシュタインが言ったとされている事が多いが、実際はアメリカの心理学者ウィリアム・ジェームズの言葉。
更に彼が10%しか使っていないと言ったのは「脳」ではなく「潜在能力」であり、
要は「人間はまだまだ大きな可能性を秘めている。だから頑張ろう」程度の意味だったと思われる。
ちなみに脳に使われていない部分があるというのは科学的にも否定されている。
ウィリアム・スミス・クラーク「Boys, be ambitious(少年よ大志を抱け)」
発言の存在自体が疑問視されていた時代もあったが、発言自体は講演の記録に残されており、どうやら事実だったらしいことが判明している。
ただし、後ろに「like this old man」(この老人=クラーク博士)という文章が続いていた。
「こんな老人でも頑張ってんだから、君たちも頑張りなさい」程度のハッパの言葉の前半部分が切り取られ、名言として扱われたらしい。(諸説あり)
壮大ではないだけで、オリジナルの発言と意味合いはそんなに間違っていない様には思える。
明智光秀「敵は本能寺にあり」
戦国時代を舞台にしたドラマや漫画では、このセリフが出たら一つのクライマックスになる。
実際には江戸時代中期ごろに成立した軍記小説『明智軍記』が初出であり、作者の創作とされる。
(時代的に頼山陽の創作とする説は誤り)
お菓子じゃなくてブリオッシュって言ってるしちゃんと全部聞くとまとまな意見なんだったっけ
クレメンス・メッケル「関ヶ原の戦いは西軍の勝ちである」
日本の軍人から関ヶ原の戦いの東西両軍の布陣図を見せられた時にこの言葉を発言したとされる。
この発言のあと、東軍側が西軍諸大名に対して盛んに調略を行った結果離反者が出て勝利した事実を聞くと、
戦争で勝利するには調略と情報収集・分析が必要という事を指導する様になったと言われている。
しかし、このエピソードは小説等では確認できるが出典は判明しておらず、後世の日本人による創作の可能性が高いとされている。
第10位
ヨシフ・スターリン「一人の死は悲劇だが、百万の死は統計だ」
数十万から数百万人とも言われる政敵を粛清したことで知られるスターリンの冷徹さを示す言葉として知られている。
しかし、実際はアイヒマン裁判で有名なナチスの親衛隊員アドルフ・アイヒマンの発言。
ナチスのやったこと、そして彼のスタンス(要約すると「酷い事だと思うが、軍人である以上命令に従わない訳にはいかなかった。
なぜ上の命令に従っただけで有罪になるのか」)を考えればある意味頷ける発言ではある。
これとは別にドイツ人作家エーリヒ・マリア・レマルク(こちらは反戦主義者)が類似の発言をしていた、という説もある。
ウィンストン・チャーチル「日本人は外交を知らない」
チャーチルが日本の外交姿勢について語ったとされる一文で、
「我慢強く謙虚だが、限界を超えるとキレる」という日本人の性質を端的に表している。
これが日本人が抱く「日本人」のイメージに近い事から日本ではそれなりに引用される事が多い文章だが、
実は原文が確認されていないうえに当時のイギリス人の発言としては不自然な点が多く、
後世の日本人による創作、あるいは誤訳の可能性が高いとされている。
日本人が自分のイメージを元に創作した(あるいはそうなるように誤読した)文章なら、日本人のイメージに近くて当然だろう。
ダグラス・マッカーサー「日本人は12歳の少年」
日本ではマッカーサーバッシングにまで発展したマッカーサーの問題発言。
しかし、全文を読めば「(過ちを犯したのは)物を知らなかっただけ」「まだ伸びしろがある」といった風に、
むしろ肯定的な意図で子ども扱いされている事がわかる。
というか、そもそもこの発言の本来の主題はドイツの方であり、
「成熟していたにも関わらず過ちを犯したドイツ」と対比させるために使われた表現だったりする。
意味合いが変わってるだけで言ってることは言ってるやんけ
どちらにせよdisってて草
結局クソガキ扱いやん
実際アニメ漫画ゲーム大好きな国民性やし
それ全部アメリカ人も大好きやん
アメリカじゃ中年男性が街中で漫画読まんで
なんの反論にもなってなくて草
ちなみに出版物の年間ランキングトップ5は
アメリカではSF小説や人種差別問題に関する新書
日本では鬼滅の刃とあつ森の攻略本や
そんなに知的なはずやのに
なんで犯罪多くて民度低くてマスクすらろくにつけられへんの?
ジョーズの映画見てサメ殺し始めるような国やぞ
なおさら幼稚で草
マリー・アントワネット「パンがないならお菓子を食べればいいじゃない」
実際にはアントワネットの前の時代の思想家ルソーの著書の中に「ある太公婦人の発言」として出てくるもの。
元の発言者が誰かははっきりしないが、そもそも直訳すると「ブリオッシュを食べればいい」というセリフである。
当時ブリオッシュというものは実際にパンよりも安かったため、そもそも別に無知や悪意からの発言ではない。
(パンの物価が高騰したらブリオッシュと同じくらいまで戻すように、という法律があったほど)
そのため本来は「高い物が食べられないなら安い物を食べればいい」という意味合いの発言であり、
どちらかと言うといわゆる『貧乏人は麦を食え』に近い(これも前述の通り色々模造発言であることに加えて誤解を招きやすい表現だが)。
板垣退助「板垣死すとも自由は死せず」
暗殺未遂事件を報じた新聞社の創作という説が有力。一説には秘書の内藤魯一の発言だとも。
何しろ襲撃当時は「痛いがーやきぃ、早よう医者を!」と叫んだと言われてたり、
本人が自伝で「一言も出なかった」と回想しているくらいだった。
また病院で見舞客に笑いながら言っていたという説もある。
いずれにしても、刺されたその場でこんな発言が出たなら凄すぎである。
だからと言って、テストの穴埋め問題に「ぐへっ!」とか「ぎゃあ~!」と書くのは
余りにもしょうもないのでやめましょう。
織田信長「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
豊臣秀吉「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」
徳川家康「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」
本人が詠んだわけではなく、各人の気性を現したもの。
もっとも古い表出は江戸時代の『甲子夜話』で、松浦静山が「人から聞いたがよくできた句」として紹介し、当世の武士を風刺した下の二首を付け加えている。
「なかぬなら鳥屋へやれよほとゝぎす」「なかぬなら貰て置けよほとゝぎす」
歴史背景などを考えれば各偉人達が詠んだとするには明らかに無理があるので、ちょっと考えれば彼らの詩とする者は今も昔も少ないと思うのだが、
『耳袋』では「故事にあるのか作り話かは知らないが」とあり、いつのまにか『ソース不明の発言』みたいな感じとして扱われていたのだと思われる。
ワイでもこれは知ってる
鳴かぬならハサミで切るぞホトトギス
エイブラハム・リンカーン「人民の、人民による、人民のための政治」
奴隷解放を成し遂げた偉大なるアメリカ大統領の言葉。南北戦争の最終局面、ゲティスバーグにおける演説の一節。
民主主義の精神を謳ったものとして有名だが、リンカーンのオリジナルではなく、セオドア・パーカーという牧師の言葉を引用したもの。
また、この演説は非常に小さな声で、祈るように行われたものであり、観衆はほとんど聞き取れず、新聞記者が記事に起こしたことで有名になったという。
人種の平等、民主主義の守護者としてリベラリストの崇敬を受ける大統領だが、
本人は別に奴隷解放をするつもりではなかったとか、インディアンは殺しまくっていたとか、多数決を大統領権限でひっくり返したとか、
色々黒いというか(ただし異常者というわけではなく、当時のアメリカ文化や政治事情などの背景にも留意)、清廉潔癖で聖者の様な人物ではなかったりする。
これ知らんかった
御了承ください
おまけもう出すんか
おまけはアカン
おまけ その1
福沢諭吉「我は心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」
独立の気概の無い中国、朝鮮とは縁を切って、日本だけで欧米と渡り合って行こうという『脱亜論』の締めの文章。
100年以上前から全く変わらない特定アジア二国への批判、それを見抜いていた福沢への賞賛(もしくはその逆の糾弾)として、近年頻繁に引用されている。
しかし、これは『時事新報』という新聞に1885年に載せられた匿名の社説であり、本来の著者は不明である。
更に言うと話題になったのは1950年頃(福沢諭吉を研究する流れで取り上げた)で、有名になったのは1960年以降なので、
迂闊に世情と関連付けて読み解くことは危険である。
福沢の文として話題になった背景としては『時事新報』は福沢が主催していた新聞なので、彼の思想からかけ離れた文章が載るとは考えづらく、
そこから「脱亜論の著者は福沢諭吉」という誤解が広まってしまったものと思われる。
(実際、福沢諭吉の著者名義で『脱亜論』が後世に刊行されてしまっているケースが多い事も拍車をかけている節がある)
しかし福沢自身は近代化に消極的だった政府を批判している一方で、その国民に対してはむしろ親しみを持って接していたという話もあるため、
関係が無いなんてことはないが、過剰に取り上げることはやはり危険である。
そしてこの「脱亜論」の内容に関しても「近代化(脱亜)に消極的な2か国と混同されて外交に影響が出るのを防ぐために、
過剰になれ合うのを止めて他の外国と同等まで距離を置こう」という趣旨の文章であり、
「各国国民の気風とは無関係」「国交断絶すべしという極論ではない」ことにも注意。
ヨハニス・デ・レーケ「日本の川は滝である」
明治時代に来日したオランダ人技師で、日本の砂防工事の父と言われる。
この発言は日本の川がヨーロッパなどの川に比べて流れが急なことに驚いて言った言葉とされ、社会科の時間に先生に教わった人も多いかもしれないが、
実際には富山県知事が内務大臣に出した答申書の中のフレーズが元ネタであると言われる。
いつの間にか発言者が入れ替わってしまったらしい。
なお、デ・レーケが実際に言った言葉は「日本の川が急流なのは滝がないからだろう」という言葉であり、これと混同された(もしくは誤訳された)という説もある。
おまけ その3
藤子・F・不二雄
「よく『漫画家になりたいなら漫画以外の遊びや恋愛に興じろ』だとか
『人並の人生経験に乏しい人は物書きには向いていない』だとか言われますが、私の持っている漫画観は全く逆です。」
一時期ネットに出回ったコピペの一部で、元々は具体的な例え話を交えた20行にも及ぶ長文なのだが、発言の出展が一切明らかになっていない。
こんな文が本人の死後10年近くたってから何の脈絡も無く出現し、更に10年近くたっても
実際に出典を確認した人物が現れないというのは、疑うなという方が無理な話であろう。
また「書かれている内容とF先生の作風が微妙に噛み合っていない」「F先生は一人称に「私」ではなく「ボク」を使っていた」といった指摘もあり、
コピペ自体の出来もお世辞にもいいとは言い難い。
少しニュアンスが近い本人の発言もあるが、ネタはあっという間に枯渇するから創作でも人の話でもどんどん吸収してネタを蓄えろという話で、
どっちかというと量の話である。
おまけ その4
鳥山明「自分の子どもを賭博屋に売る人間がいますか?」
鳥山明が「寺田克也全部―寺田克也全仕事集―」という本の424ページの対談コーナーで、
「自分の漫画のパチ化を許可するつもりはない」という趣旨で言った物とされているが、
実際にはそもそも件の本は424もページ数がある本ではなく、対談が載っていたとされるページ自体が物理的に存在しなかったというオチ。
ちなみにAmazonの商品ページを確認するだけでも、件の本が全部でおよそ300ページ程しかない事がわかる。
余談だが、後にこの逸話の真偽を実際に検証したブログのコメント欄にて、
コピペ制作者本人(厳密に言うと、コピペの原型となった書き込みを改変して現在の形にした人物)による釣り宣言と裏話の暴露が行われるという珍事が起きた。
その製作者曰く「まさか出典明記してる上わりとメジャーな本なのに誰もそれを読まず、あまつさえコピペされまくるとは思わなんだ」との事。
藤子Fの流れで来ると思ったわ
はえー
おまけ その5
原辰徳「残念だが当然」
読売ジャイアンツ前監督・原辰徳が、リリーフに失敗した豊田清へ発したとされる言葉。
しかし、ソースは「豊田投手、投身自殺」という2chの悪質なデマ記事である。
このデマ記事は、豊田が炎上して2軍落ちが決まった時に立てられたもので、そもそも豊田は死んでいない(現在も存命)。
にも関わらず、巨人の原監督が実際に言った言葉として広まってしまった。
なお、2009年に原監督自ら本当に「残念だが~」という発言をしている。
この年のクライマックスシリーズを前に久保裕也と加治前竜一がインフルエンザで離脱した際に、「残念だが仕方ない」と発言している。
加藤哲郎「巨人はロッテより弱い」
バファローズの三連勝となった第3戦の勝利投手・加藤哲郎がヒーローインタビューで言ったとされる言葉。
それに奮起したジャイアンツがその後4連勝を果たし、バファローズはまたも日本一を逃す。
しかし、実際には加藤選手はそのような事は発言しておらず、
ヒーローインタビューの中の「シーズン中のほうがよっぽどしんどかったですから」が曲解されたものである。
実際の発言の方が大概やった
第3位
平時忠「一門にあらざらん者はみな人非人なるべし」
現代語で直訳した「平家にあらずんば、人にあらず」は説明不要の日本史上屈指の名台詞とも言えるであろう。
このような他者を人とも思わない傲慢さによって、平家は滅亡へと向かった……
という風に捉えられることも多いが、このセリフの中の「人非人」とは「宮中で出世が出来ない人」という程度の意味だったというのが有力。
すなわち「平家じゃなきゃ、出世は無理」という程度のニュアンスであり、嫌味ではあるが直訳から受けるインパクトほどの暴言ではない。
他にも
・他人から「いやー平家流石っすね。平家じゃなければ人じゃない勢いじゃないですか」とお世辞を言われて
「そーですなー」と相槌を打ったら時忠が言ったことになってしまった。
・急に栄華を得た平家は宮中で睨まれている。平家以外を敵だと思う勢いで一門の結束を固めようと言う趣旨だった。
など、傲慢とばかりとは言えない解釈もいくつか指摘されている。
なおこのセリフはしばしば平清盛と関連付けられることが多いが、時忠は清盛の義弟であり、平氏は平氏でも血縁はものすごく遠い。
第2位
森喜朗「Who are you?」
内閣総理大臣を務めていた2000年にアメリカ大統領ビル・クリントンと会談した際に、"How are you?"と言おうとして間違えて言ったとされる発言。
「党派層は寝ててくれ」など多くの失言等で内閣支持率7パーセントという珍記録を出した。
(これは消費税導入とリクルート事件で大バッシングを受けた竹下登内閣と並び、歴代最低タイ記録である)
森氏の数ある失言の1つとして週刊誌などで紹介されたが、実は森氏の人気の無さをネタにしたただのジョークである。
正確には、このジョークは昔から政治記者らの間では知られていたもので、本来は「アジアの某国の大統領の逸話」として台湾で創作されたもの。
韓国では金泳三大統領(こちらも失言で知られていた)の発言という設定のジョークとして知られていた。
それを知っていた日本のとある記者が周囲に「森総理でも使えそうだな」と言ったところ、それが伝聞されていつの間にか事実として広まったしまったらしい。
つまり、そもそも森氏を想定したジョークですらない。
当然、森氏は繰り返しこの発言は事実無根だと批判している。
なおマスコミの中にもこの発言については懐疑的だった人が居たため、上述の経緯もそのような雑誌が検証した結果明らかになったものである。
第1位
犬養毅「話せばわかる」
5.15事件で暗殺された当時の大日本帝国内閣総理大臣の最期の言葉とされ、
暴力を前にしては言論など無意味な一例とか、命乞いの台詞なんかで引用されることも多いが…
実は発言した状況があまり知られていないし、最期の言葉でもない。
犬養首相は蜂起した青年将校達が自宅に押しかけてきたのを堂々と出迎え、
言いたいことがあるなら話を聞こう「話せばわかる」と応接間へ案内しようと背を向けた所、頭に血の昇った将校に背後から撃たれたのである。
しかし即死せず、治療を受けながらも心配する周囲の者へ「胃にたまった血が出ただけだから大事無い」と逆に励ましかけ、
「私を撃った者を連れて来い。言って聞かせてやるから」と彼らを説き伏せようとする発言を繰り返しつつ亡くなった。
つまりこれは言論による相互理解を最期まで信じた信念から発せられた言葉で、決して言論の無力を現した言葉ではない。
もともと犬養首相は青年将校らの暴走傾向を深く憂いており、その首謀者らを免官させて大人しくさせることはできないものかと思案し奔走してていたのだが、
それを側近の内通者が漏らしてしまったがために暗殺されてしまった。
更に詳しく解説すると、元々は前々内閣である浜口総理時代にロンドン海軍軍縮条約を締結した、若槻前総理が青年将校達の標的であったはずなのだが、
犬養氏が総理(政府のトップ)に就任してしまったため、そのまま「政府要人暗殺」の対象となってしまった。
犬養氏自身は浜口総理に反対する立場で、むしろ軍部からも慕われていた人物でもあった。
これホンマかわいそうやといつも思う
東大生とかでも勘違いしてる奴おるぐらいやから
戦犯ルソー
マザー・テレサ
「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。」
Be careful of your thoughts, for your thoughts become your words;
Be careful of your words, for your words become your deeds;
Be careful of your deeds, for your deeds become your habits;
Be careful of your habits; for your habits become your character;
Be careful of your character, for your character becomes your destiny.
サンキューテレサ
レジェンド