2二 幣原喜重郎
3一 池田勇人
4遊 吉田茂
5三 田中角栄
6左 佐藤栄作
7中 中曽根康弘
8捕 大平正芳
9指 鳩山一郎
投 岸信介
さて、ついに戦後復興期の内閣である。
この辺りは国家目標が明確な時代であり、また優れたリーダーをよく輩出した。
占領から講和、そして各国への賠償、高度経済成長、
および領土問題への努力は先人に感謝してもしきれない。
ここでは10人に絞って打線を紹介したいと思う。
戦争を終結させた鈴木貫太郎内閣。
この後を継いで日本を安定させえるのは皇族以外にあり得ない。
ということで白羽の矢が立ったのがこの男。
ひがしくにのみやなるひこおうである。
若いころからフランス留学中に放蕩し、
かつ引退後は新興宗教を立ち上げたりともう人生やりたい放題の人である。
なお、100歳近くまで生きた模様。
わずか54日の在任期間だが、その間に連合国に対して
「自分と日本にできることとできないこと」をはっきりと物申したところは
評価されてしかるべきである。
・治安維持法の撤回、宗教団体法などの廃止や政治犯・思想犯の釈放、
・特別高等警察(特高警察)の解体、
・日本共産党員や違反者の引き続きの処罰
これらは明らかに皇族であっても無根拠に実行できる類のものではなく、
またこれを実行してそれを是としてしまえば、
究極的には昭和天皇の戦争責任にまで類が及んだだろう。
最終的には求められた役割を果たしながら、
分を越えなかったというところは評価されている。
しかし東国原そっくりやなこいつ……
首相経験者長寿世界最高記録でもあるらしい。
大正時代の軟弱外交として有名な幣原喜重郎である。
幣原外交そのものは評価が真っ二つに分かれるが、
「名よりも実を取る」を身上とする外交方針には
一定の評価がなされてしかるべきだろう。
さて、この半年足らずの内閣の最大の功績は
とにもかくにも「日本国憲法制定」である。
占領軍から押しつけをうまくかわしつつ、最低限の意地を示すこともできた。
この憲法が不成立だった場合、
ソヴィエトからの多大な干渉があったであろうことを思うと、
「最適解ではないが人事は尽くした」と十分に言ってよい結果であっただろう。
少なくとも戦後のこの時期において、
幣原のタフ・ネゴシエーションは得難いものであり、
立派に仕事をこなしたというべきである。
戦前日本は、
陸奥宗光、小村寿太郎、青木周蔵、加藤高明、幣原喜重郎のような
外交官が大きな仕事をしている。
現在の日本の政治の中枢に、外交官出身がいないのは残念でならない。
少なくとも外務大臣というものは、国外経験が豊富で、
かつ英語やフランス語や中国語が堪能な人物が務めるべきであろう。
その意味で外務省出身者の政界進出は今後是非とも増えてほしいものである。
「疾風の勇人」という漫画がある。
これは「ムダヅモなき内閣」で有名になった大和田秀樹の作品であり
現在もモーニングで連載中である。
池田勇人を知りたければ是非ともこの漫画を読んでほしい。
さて、池田勇人の功績であるが、一にも二にも「所得倍増計画」である。
前任の岸内閣が安保で揺れた上での解散であり、
ソフトランディングしたのちの登板であったことから、
池田は「政治」を国会の論題に挙げることを禁じてとした。
代わりに経済で国民の関心を引き、そしてそこに大きな実績を上げた。
所得倍増計画とは、10年間で国民の所得を二倍にするという計画であったのだが、
実際にはわずか7年でそれを達成してしまった。
しかし本人がその達成を見ることはなく、
東京オリンピックの直後に亡くなってしまう。
とかく、国際政治よりも経済に割り切った大蔵省出身のエリートであり、
その功績は計り知れない。
フランスのド・ゴールから
「まるでトランジスタラジオの商人だ」と揶揄されるが、
経済政策を前面に押し出すリーダーは国際的にも異例であった時代ゆえであろう。
現在では経済政策を理解できない首相などまったくもって無意味であり、
その意味では先進的な人物である。
日本の国家目標を明確に「経済」に舵を切らせた事に大きな功績がある。
なお、中学の後輩に竹鶴正孝という人物がいる。
この男、とある朝ドラで有名になったのだが、
劇中に池田はついぞ出てこなかったなぁ……
疾風の勇人での竹鶴出演が楽しみである。
綿密な計算をした立案者の下村治氏もすごい
あと、追悼演説がすこ
文句なしのぶっちぎりで日本戦後史の最重要人物である。
戦前は翼賛政治に逆らって投獄された結果、GHQに評価されての登板である。
GHQとは時に迎合し、時に反抗し、のらりくらりと
日本の独立に向けての準備を怠らなかった人物である。
ただ、後世からは「一貫した政治的ポジションがない」と非難されることもある。
しかし当時の日本は文字通り食うや食わずやの状態であり、
アメリカから食料の物資支援を受けない事には
餓死者を出してもおかしくない状態であった。
この中で吉田がマッカーサーに媚びるような発言が多少あったとしても
やむを得なかったと>>1は思う。
池田と重光と共に
サンフランシスコ講和条約というアメリカとの単独講和を成し遂げ、
そして9条を武器にマッカーサーからの再軍備を
のらりくらりと交わした外交センスはさすがである。
個人としてはお坊ちゃん育ちが目立ち、
獄中で幕の内弁当を所望するような世間知らずであった。
嫁の父が牧野伸顕、さらにその父が大久保利通と、
まさに政界のハイブリット政治家である。
なお、麻生太郎閣下の祖父であるのだが、
「バカヤロー」気質は遺伝しているような気がしてならない。
ちなみに「バカヤロー」解散は叫んだわけではなく
ぼそっとつぶやいた言葉をマイクが拾ってしまっただけの話である。
吉田茂というチームの大黒柱
GM兼監督兼不動の4番やね。
ムッソリーニに「お前がこっちにこい!」したエピソードほんとすこ
新潟の貧農に生まれる。
若いころは土建屋として会社を興した実業家でもある。
佐藤の後継として本来はエリートキャリアの福田がなるのが筋であったが、
ニクソンによる電撃的な中国との和解により、中国依りの田中が総理になった。
総理経験者が自ら会社を興したのは、田中角栄と高橋是清のみであり、
両者はその経済政策とキャリアから対比されることもある。
とかく、人の名前を覚えるのが得意であり、
そして部下への気遣いを忘れない人物であった。
担当する省庁の主要人物の顔と経歴をすぐに覚え、
またその結婚記念日までも忘れないその心配りは、部下の心をつかんだ。
また田中角栄と言えば日本列島改造論であり、
今に至る自民党の土建バラマキ大好き気質を作った人物でもある。
1970年前後は日本の高度経済成長の成果をどうするべきなのかを
決めあぐねていた時期であり、
下手をすると平成バブルの「ふるさと創生」のような
訳のわからない無意味なバラマキをしていた可能性すらあったことを考えると、
田中の土建バラマキによるインフラ整備には
大きな成果があったと考えていいだろう。
晩年のロッキード事件はアメリカに嵌められたと言われているが、
岸信介から「角栄は湯気の出ている金に手を付ける」と言われていた通り、
どこかでこの手法には限界が訪れていたのかもしれない。
ノーベル平和賞受賞者である。
そして岸信介の実の弟であり、池田勇人の高校時代の同級生である。
前作で紹介した松岡洋右は妻の親戚である。
さて、明治期に「最も長く総理大臣を続けたのは桂」と>>1は書いたが、
連続で総理大臣を務めた記録としては、実は佐藤のほうが長い。
戦前から鉄道マンとしての実績をあげている。
国鉄は復員兵の再就職先の受け皿の意味合いが非常に強く、
国家としてはお荷物省庁であったと言っていい。
その中で佐藤は国鉄職員の馘首(クビ)を切り、鉄道省の健全化に貢献した。
首相在任中は、日韓基本条約の批准、
公害対策基本法の制定、小笠原諸島・沖縄の返還実現、
日米安全保障条約自動延長、日米繊維摩擦の解決、
内閣総理大臣顕彰制定等を行なった。
また、1967年12月11日、衆議院予算委員会の答弁に際し、
「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」のいわゆる非核三原則を表明した。
この実績からノーベル平和賞を授与するのだが、
死後に密約により日本への核持ち込みが発覚する。
イマイチ煮え切らない印象だが、吉田学校の二番手として
池田の後をよく継いだのは間違いない。
バーコードヘアがチャーミングな元海軍軍人である。
レーガンに媚びて「ロン・ヤス」体制を築き、
「日本はアメリカの不沈空母」というポチ宣言を行う。
韓国歌謡を勉強して全斗煥におもねり、
中国との関係を考慮して靖国参拝を取りやめた。
八方美人の傾向があるとはいえ、
当時の日本の外交が日本の外交史上最も華やかであったことは間違いがない。
外交においては空前絶後の最高の宰相であったと言える。
ただし円切り上げに紐づくバブル経済になんら対策を打ってこなかったことは
明らかな間違いであり、汚点である。
第一次大戦後のバブルを抑え込んだのは原敬の積極財政であったし、
朝鮮戦争バブルを抑え込んだのは池田勇人であった。
日本はバブル景気に対して
本来は強いリーダーシップを取ってきた歴史があったのだが、
このときの中曽根の対応は明らかに無策であったと言える。
外交上の評価と経済上の評価が真っ二つに分かれる総理である。
鈍牛と呼ばれた宰相である。
吉田学校の継承者であり、池田の側近であり、
また田中角栄の影響が強かったことから、複雑な経歴の持ち主でもある。
若いころは大蔵官僚として池田勇人の下で働き、
戦後復興期の官僚として大きな役割を果たした。
活舌が悪く、また「あーうー」とバズワードが目立ち、
あまり有能な印象を与えない。
しかし単にプレゼンテーションが下手なだけ、
話している内容は理路整然としており、現在は評価が高い。
主として外相時代に日米核持ち込み問題において、
当事者としてアメリカとの核密約の取り交わしに関わる
当時はキューバ危機からの第三次世界大戦への流れが本気で懸念されており、
この流れは誰にも責められない。
ただ、原子力潜水艦を含む日本の核容認雰囲気を醸造したのは大平であり、
ここに一つの功罪が見え隠れする。
選挙中に心不全で亡くなっている。
5・15事件以来、病死に限れば加藤高明内閣以来の現職総理の死去であり、
その弔い選挙では自民党が圧勝した。
イマイチ印象の薄い内閣であるが、やることはやっている、
ただし功罪ともに、という印象である。
戦前は悪名高き帝国主義者である。
原亡き後、立憲政友会には出自の怪しい政治家がよく目立った。
鳩山はお坊ちゃん育ちらしく世間知らずで、
協力者のいう事を何ら疑いなく承認し、それを実行に移すタイプである。
戦前は森恪のような帝国主義者に毒されたために統帥権問題で政局を混乱させた。
もちろん本人には大した考えはなく、ブレーンに流されての行動なのだが、
この流される行動原理は戦後も健在である。
しかし、戦後のブレーンは三木武吉(三木武夫とは別人)という
一本筋の通った政治家であったことは鳩山にとっての幸運であったと言える。
吉田茂の天敵である三木武吉の言を入れ、
鳩山は保守合同という大きな仕事を成し遂げる。
また、不完全ながらもソヴィエトとの国交回復を成し遂げており、
シベリアに抑留されていた日本人を早期に開放させた事は外交上の快挙である。
この際のソヴィエトの子供じみた嫌がらせは度を過ぎており
やむなくのこととはいえ
北方領土の本土回復を成し遂げられなかったのは痛かった。
これは鳩山の責任というよりも、
その後の日本の外交後継者の問題ではあるのだが……
ダレスの恫喝にも触れてあげてほしかった。
昭和の妖怪、岸信介である。
戦前は満州で頭角を現し、
「2キ3スケ」として満州国という実験国家の運営を成功させる。
有能な商工省の官僚であり、鉄道省に入った京大出身の弟、
佐藤栄作などよりもエリートである。
ただし戦後はその長所である経済論争を一切封印し、
アメリカとの安保論争という泥沼な議論に終始することとなる。
本人にしてみればやむをえないことだったのだろうが、
もう少し自分の得意分野で勝負してほしかったとも思ってしまう。
さて、戦中は満州国の運営や東条内閣への関与から
戦後A級戦犯指定を受けて公職から追放されてしまう。
後に東京裁判で有罪判決を受けた人物はすべて解放されたわけだが、
岸には終始「A級戦犯」の烙印がのしかかった。
しかし東条内閣を倒したのは事実上この岸信介であり、
その意味においてこの男が軍国主義者だというのは間違いのように思える。
彼はエリート官僚として自らの役割をこなしたにすぎず、
間違っていたことに対しては筋を示せた人物でもある。
安部首相の祖父であるが、このA級戦犯の孫という
レッテルは差別以外の何物でもなく、
逆にそのようなレッテルを貼るような政敵こそ、人格が疑われても仕方ない
「麻生(吉田の孫)を除けた鳩山」として繰り返すのが面白いね。
ついでに言うと「鳩山を除けた岸」という構図が、
「鳩山を除けた安倍(岸の孫)」という構図も同じやね。
石橋湛山?しらんなそんな人。
なおそれ以降あんまりロクな政治家が出てない模様
うどんさんちーす!
ヤジ将軍ほんとすこ。
「ダルマは9年ww」
であの原や加藤高明や浜口まで笑いこけてたのは
ほんまなごむわ
ゼンコー、who?
なんでや!鈴木行革したやろ!(震え声)
三木はクリーンなだけで田中打ち取ってはしゃいでおしまいのイメージ
福田は地球より政治生命のほうが重いんやろな。
佐藤から寵愛されてたもののやはり総理やるには年寄り過ぎたわ。
田中の勝ちやね。
この男、実は白米をめったに食わず、いつも麦を食っていたらしい。
これは父親からのしつけの影響らしいんやが、
そういうの聞くとこの失言も意味が変わってくるような気がするンゴ