それじゃ開始します
王翦者、頻陽東郷人也。少而好兵、事秦始皇。始皇十一年、翦将攻趙閼与、破之、抜九城、十八年、翦将攻趙。歳余、遂抜趙、趙王降、尽定趙地為郡。
王翦は、頻陽郡東郷県の人である。若いころから兵法を好み、秦の始皇に仕えた。始皇の十一年、翦は将として趙の閼与を攻め、これを破り、九城を攻略し、十八年、翦は将として趙を攻めた。一年余りが経ち、ついに趙を攻略し、趙王は降伏し、趙の地をことごとく平定して郡とした。
それ以前の王翦の活躍はないからね
明年、燕使荊軻為賊於秦、秦王使王翦攻燕。燕王喜走遼東、翦遂定燕薊而還。
翌年、燕は荊軻を遣わして秦(の始皇)を害そうとし、秦王は王翦に燕を攻めさせた(荊軻が始皇を暗殺しようとしたのでその報復として)。燕王喜は遼東に逃げ、翦はこうして燕の薊を定めて帰還した。
秦使翦子王賁撃荊、荊兵敗。還撃魏、魏王降、遂定魏地。
秦は翦の子の王賁に荊(すなわち楚のことだが、秦の先王子楚を憚ってこう呼んでいる)を攻撃させ、荊軍は敗れた。帰還して魏を攻撃し、魏王は降伏し、こうして魏の地を平定した。
個人的には李牧を押したい
白起は誰がやっても楽勝モードでキル数が高い
李牧は詰んだ状況で秦に二回勝ってる
それを比べて李牧
まあ判官贔屓と言われればそれまでだが
李牧ガチの有能なのにポケモンマスター扱いされてかわいそう
顔見せのためもあるんだろうけど
負ける戦いに出てきて順当に負けるから強そうに思えないのがちょっとな…
解説中なのにサンキューやでイッチ
日本で言うたら桶狭間2回やったみたいなもんなんやろか
それいい譬えやな
まさにそんな感じでどこもかしこも滅亡させられるなか
唯一秦に黒星つけたのが項燕と李牧なんや
ましてや二回も破ってる李牧はずば抜けてると思うわ
信陵君はどうや?
名声によって連合軍作って秦に勝ったのはすごい
単純な戦闘力を比べれば一か国でそれやった李牧の方が上だろうけど
名将でいうなら名前をあげなければならない人
連合なだけ有利やったな
公正に評価するとそうなるのはしゃーない
信陵君はむしろ地位の低いものにへりくだれる人柄がすきや
戦国四君のなかでも一位だね
秦始皇既滅三晋、走燕王、而数破荊師。秦将李信者、年少壮勇、嘗以兵数千逐燕太子丹至於衍水中、卒破得丹、始皇以為賢勇。
秦の始皇は三晋(旧晋の領土。趙・魏・韓を指す)を滅ぼし、燕王を敗走させ、しばしば荊軍を破った。秦将の李信は、若くして勇壮で、かつて兵数千を率いて燕の太子丹を追って衍水の中まで行き、ついに丹を破って捕らえたので、始皇は賢明かつ勇敢だと考えた。
史記ってこういうもんなのよ
歴史小説と違って単純な記録やから仕方ない
於是始皇問李信:「吾欲攻取荊、於将軍度用幾何人而足?」李信曰:「不過用二十万人。」始皇問王翦、王翦曰:「非六十万人不可。」
そこで始皇は李信に問うた「私は荊を攻め取りたいが、将軍はどれくらいの人を用いれば十分だと考えているのだ?」李信は言った「二十万人以上はいらないでしょう。」始皇が王翦に問うと、王翦は言った「六十万人でなければなりません。」
始皇曰:「王将軍老矣、何怯也!李将軍果勢壮勇、其言是也。」遂使李信及蒙恬将二十万南伐荊。王翦言不用、因謝病、帰老於頻陽。
始皇は言った「王将軍は老いた、何と臆病なことだ!李将軍は果敢で勇壮、その言葉はもっともだ。」こうして李信及び蒙恬に二十万を率いさせて南の荊を討伐させた。王翦は(自分の)意見が用いられなかったので、病と称し、頻陽に帰って老後を過ごした。
李信攻平与、蒙恬攻寝、大破荊軍。信又攻?郢、破之、於是引兵而西、与蒙恬会城父。
李信は平与を攻め、蒙恬は寝を攻め、大いに荊軍を破った。信はまた?郢を攻め、これを破り、そこで兵を率いて西に向かい、蒙恬と城父で会合した。
荊人因随之、三日三夜不頓舍、大破李信軍、入両壁、殺七都尉、秦軍走。
荊人はそのためにこれを追い、三日三晩駐屯せず、大いに李信軍を破り、二つ(李信・蒙恬)の塁壁に突入し、七都尉を殺し、秦軍は敗走した。
始皇聞之、大怒、自馳如頻陽、見謝王翦曰:「寡人以不用将軍計、李信果辱秦軍。今聞荊兵日進而西、将軍雖病、独忍棄寡人乎!」
始皇はそれを聞くと、大いに怒り、自ら頻陽に馳せて、王翦に会って謝った「寡人(王の自称)は将軍の計を用いず、李信は果たして秦軍を辱めた。今荊軍は日に日に進んで西に向かっているというので、将軍は病ではあるが、独り寡人を見捨てるのは忍べまい!」
王翦謝曰:「老臣罷病悖乱、唯大王更択賢将。」始皇謝曰:「已矣、将軍勿復言!」
王翦は謝辞して言った「老臣は疲れと病があり道理にもとりますので、ただ大王には賢将を選んでいただきたく存じます。」始皇は謝って言った「やめてくれ、将軍は(別の将を選ぶことを)ふたたび言わないでくれ!」
王翦曰:「大王必不得已用臣、非六十万人不可。」始皇曰:「為聴将軍計耳。」於是王翦将兵六十万人、始皇自送至?上。
王翦は言った「大王がやむを得ず臣を用いられますなら、六十万人でなければなりません。」始皇は言った「将軍の計を聞くだけだ。」こうして王翦は兵六十万人を率い、始皇は自ら?上まで見送った。
太原王氏も琅邪王氏も栄えててすごい
王翦行、請美田宅園池甚衆。始皇曰:「将軍行矣、何憂貧乎?」
王翦は行くと、美しい田宅や園池を要求することとても多かった。始皇は言った「将軍は行ってくれ、どうして貧困を憂えるのだ?」
王翦曰:「為大王将、有功終不得封侯、故及大王之向臣、臣亦及時以請園池為子孫業耳。」始皇大笑。
王翦は言った「大王の将なれば、功があって最後には封侯を得られませんので、大王が臣にお目をかけてくださっているうちに、臣も園池を求めて子孫のためにしたいのです。」始皇は大いに笑った。
王翦既至関、使使還請善田者五輩。或曰:「将軍之乞貸、亦已甚矣。」
王翦は函谷関に到っても、使者を戻らせて良い田を五回も求めた。ある者が言った「将軍の要求は、度が過ぎておりますぞ。」
王翦既至関、使使還請善田者五輩。或曰:「将軍之乞貸、亦已甚矣。」
王翦は函谷関に到っても、使者を戻らせて良い田を五回も求めた。ある者が言った「将軍の要求は、度が過ぎておりますぞ。」
王翦曰:「不然。夫秦王?而不信人。今空秦国甲士而専委於我、我不多請田宅為子孫業以自堅、顧令秦王坐而疑我邪?」
王翦は言った「それは違う。そもそも秦王は軽率で人を信じない。今秦国の兵士は空となって専ら私に委ねられておるから、私が何度も田や住宅を子孫のために要求して自分(の立場)を堅固にしておかなければ、秦王に座して私を疑わせることになる」
王翦果代李信撃荊。荊聞王翦益軍而来、乃悉国中兵以拒秦。王翦至、堅壁而守之、不肯戦。荊兵数出挑戦、終不出。
王翦は果たして李信に代わって荊を攻撃した。荊は王翦の増援が来たと聞くと、国中の兵をすべて率いて秦を拒んだ。王翦は到着すると、塁壁を堅くして守りを固め、戦おうとしなかった。荊軍はしばしば挑戦しに行ったが、最後まで出なかった。
王翦日休士洗沐、而善飲食撫循之、親与士卒同食。久之、王翦使人問軍中戯乎?対曰:「方投石超距。」於是王翦曰:「士卒可用矣。」
王翦は日々兵士を休息沐浴させ、飲食を十分与えて慰撫し、自ら兵士と食事をともにした。久しくしてから、王翦は人に軍の兵士は遊んでいるのか?と問うた。
(その人は)答えて言った「ちょうど投石や超距(跳躍して距離を比べる遊び)をしております。」そこで王翦は言った「兵士が用いられるぞ。」
地図上から消した田文を除いて
ほぼ時期が被ってるのは凄いわね
歴史の偶然ってすごいわ
子供の頃複姓を知らなかったから
司馬懿は諸葛亮の対として創作されたキャラだと思っていたのは
ここだけの話
平原君お前だよ
平原→ただのクズ
春申→頭はいいが結構クズ
信陵→クズはクズだが趙を助けるため
信陵君っすね
平原君がいなければ趙奢も出てこなかったから
平原君は正直者だけど能力が伴わないポンコツやろうね
ポンコツはまさしくやな
だが能力ある人を隠さず推薦するのはワイも評価したい
みんな高貴な身分だからクズ行為が多くなるのはしょうがないのかな?
荊数挑戦而秦不出、乃引而東。翦因挙兵追之、令壮士撃、大破荊軍。至?南、殺其将軍項燕、荊兵遂敗走。秦因乗勝略定荊地城邑。歳余、虜荊王負芻、竟平荊地為郡県。
荊はしばしば戦いを挑んだが秦は出陣しなかったので、引き上げて東に向かった。翦はそこで兵を挙げて追撃し、壮士に攻撃させ、大いに荊軍を破った。?南まで到ると、その将軍の項燕を殺し、荊軍はついに敗走した。秦は勝ちに乗じて荊地の城邑を攻略し平定した。
因南征百越之君。而王翦子王賁、与李信破定燕、斉地。
一年余りが経ち、荊王の負芻を捕らえ、ついに荊の地を平定して郡県とした。そこで南のかた百越の君を平定した。王翦の子の王賁は、李信と燕、斉の地を破って平定した。
秦始皇二十六年、尽并天下、王氏、蒙氏功為多、名施於後世。
秦の始皇の二十六年、天下はすべて併合されたが、王氏、蒙氏の功績は多く、名を後世に残した。
秦二世之時、王翦及其子賁皆已死、而又滅蒙氏。陳勝之反秦、秦使王翦之孫王離撃趙、囲趙王及張耳鉅鹿城。
秦の二世の時、王翦及び子の賁はみな死んでおり、蒙氏も滅んでいた。陳勝が秦に背くと、秦は王翦の孫の王離に趙を攻撃させ、趙王及び張耳を鉅鹿城に包囲した。
光栄ゲーの後半みたいだ
商君変法から三代に渡って他国にかなり差をつけちゃったからね
或曰:「王離、秦之名将也。今将彊秦之兵、攻新造之趙、挙之必矣。」客曰:「不然。夫為将三世者必敗。必敗者何也?必其所殺伐多矣、其後受其不祥。今王離已三世将矣。」
ある者が言った「王離は、秦の名将だ。今強い秦の兵を率いて、新たに建てられたばかりの趙を攻めるのだから、必ず成功するだろう。」
客は言った「それは違う。そもそも将となって三世になる者は必ず敗北する。必ず敗北するのは何故か?殺した者が多いから、その後裔が不祥を受けるのだ。今王離はすでに三世に渡って将となっている。」
居無何、項羽救趙、撃秦軍、果虜王離、王離軍遂降諸侯。
いくばくもなく、項羽は趙を救援し、秦軍を攻撃し、果たして王離は捕虜となり、王離軍は諸侯に降伏した。
太史公曰:鄙語云「尺有所短、寸有所長」。白起料敵合変、出奇無窮、声震天下、然不能救患於応侯。王翦為秦将、夷六国、当是時、翦為宿将、始皇師之、然不能輔秦建徳、固其根本、?合取容、以至?身。及孫王離為項羽所虜、不亦宜乎!彼各有所短也。
太史公は言う。俗語にいう「尺も短い所があり、寸も長い所がある(良いものも悪いところがあり、悪いものも良いところがある)」と。
白起は敵をはかって変に応じ、奇計を用いること極まりなく、名声は天下を震わせたが、しかし応侯(范雎。白起を自殺に追い込んだ)の患いを逃れることができなかった。
王翦は秦将となり、六国を滅ぼし、当時においては、翦は宿将となり、始皇は彼を師としたが、しかしながら秦を輔佐して徳を樹立し、根本を固めることができず、迎合して受け入れられようとし、亡くなるまでそうであった。
孫の王離が項羽に捕らえられたのも、もっともではないだろうか!彼ら(白起・王翦)はそれぞれ短所があったのである。
ワイは白起を推すで
かなり早い段階で楚の首都を陥落させてるのはやっぱりすごいと思う
早めに終わってもーたんで
別の人物をやろうと思ってるんやけどどうやろか?
翻訳済は
三国志:張飛伝
旧唐書:李靖・秦叔宝・薛仁貴伝
旧五代史:李存孝伝
宋史:楊延昭・狄青・韓世忠・楊再興伝
どの人物がどういう活躍したかまとめてみるので少し待っていてください
旧唐書:李靖 唐の兵法家。奇襲の達人。中国最高の名将と呼ばれる
秦叔宝 唐の猛将。敵陣に乗り込みしばしば活躍。
隋唐系の物語の主人公として有名
薛仁貴 唐の猛将。一騎で戦況を変える勇者。説唐後伝の主役
旧五代史:李存孝伝 後唐の猛将。中国最強ランキング常連
宋史:楊延昭 宋初期に遼と戦った名将。楊家将の主役
狄青 北宋の異民族討伐の達人。能力と人柄の両方を備える
楊再興 宋の猛将。岳飛配下で死に際も派手だから人気が高い。
中国四大百人斬とかいう謎ランキングに載る
中国名将はワイ個人の楽しみとしておくわ
それじゃあ暇があれば
また三国の人物訳してみるので機会があればよろしくお願いします
ほな、また
続けるんなら読ませていただくで