春秋 戦国 遊牧民

春秋戦国時代について その1

7: 名無し 2018/12/13(木) 22:33:23.46 0
春秋戦国時代の中華料理はどんなものだったのか。

17: 名無し 2018/12/14(金) 08:32:42.21 0
>>7
餃子は春秋時代にはあった

11: 名無し 2018/12/13(木) 22:43:14.14 0
>>7
宋ですら和食みたいだとか
古代は生魚を食べない村をおかしいと書いた記録があったり
孔子がナマスは細ければ細いほどいいとか
羊とか牛とか豚の生肉?
君主は行使に子供が生まれた時に鯉を贈ったとか

14: 名無し 2018/12/14(金) 08:07:51.95 0
陸の民なので、川魚ですな

川魚といっても、日本の川とはスケールが異なり
イルカも棲んでるくらいだが

15: 名無し 2018/12/14(金) 08:08:35.33 0
宋の時代に石炭の火力が利用されるようになって、中華料理は激変した

16: 名無し 2018/12/14(金) 08:13:39.94 0
酒池肉林の頃は、
茹で肉を馬鹿食いして燗酒をガブ飲みすればそれで贅沢だったのかな?
殷の青銅器って基本、肉を茹でる容器と酒を燗する容器だよね。

まだ繊細な料理文化がないから量で贅沢さを誇示する路線で。

18: 名無し 2018/12/14(金) 08:53:29.78 0
殷の紂王が、はじめて象牙の箸を作った。
それを知った家臣の箕子が恐れを抱いた。
象牙の箸を何故そこまで恐れるのか分からない周囲の者たちに
箕子が語った。

象牙の箸を使うとなれば、
(今まで用いていた)素焼の器などではなく
玉の器や犀の角の杯を用いたくなるだろう。

象牙の箸に玉の器で食事をするとなれば、
(今まで食していた)豆の葉や藜の汁などではなく
水牛や象や豹の肉が盛られるだろう。

豪華な食器に豪華な食事をするとなれば、
粗末な衣服と粗末な家屋では満足できずに
錦の衣服と豪華な宮殿が欲しくなるだろう。

象牙の箸に釣り合うものを集めていけば、
いずれ国中の財物を集めても足りなくなる。
私が怖いのはその行きつく先だ。
だから象牙の箸を恐れるのだ。

20: 名無し 2018/12/14(金) 12:45:28.43 0
>>18
このエピソードだと王族でも普段の食事は大したこと無かったのかも

19: 名無し 2018/12/14(金) 09:27:34.56 0
趙匡胤も似たような事言ってた気が

21: 名無し 2018/12/14(金) 21:32:18.01 0
このエピソードはどう見ても後世の中国の価値観を反映したものだからなあ
ディテールまでは信用しないほうが

考古資料の裏打ちとかあれば別だが。

22: 名無し 2018/12/14(金) 21:46:45.27 0
>>21
後世といっても韓非子が出典だから戦国時代末期よ

23: 名無し 2018/12/15(土) 05:32:35.90 0
殷周交代は中国文化の一つの画期だからね。君主が天の代理人であり、もしその意志を忠実に執行しないならば罰せられる、という思想は周が持ち込んだものだから。
このエピソードがもろにこういう思想に裏付けられてるのを見ると、どうも起源をあまり遡らせるのは難しいんじゃないか、という気がする。

29: 名無し 2018/12/15(土) 11:05:00.96 0
>>23
エピソード内の料理の記述は当時の反映では?

24: 名無し 2018/12/15(土) 09:34:35.36 0
解決済の質問

春秋戦国時代の中国の食事はどのようなものだったのでしょうか?

25: 名無し 2018/12/15(土) 09:35:17.75 0
ベストアンサーに選ばれた回答

かなりあっさり系の食事です。
羹(スープ系)や膾(肉と野菜をスライスしたのを和えたもの)が中心で今日のような食事になったのは元以降です。中華料理の原型は北宋の時代に完成しました。
また、穀物も北と南で大きく異なります。雨の少ない華北は雨が少なくても育つ麦がメインで、雨の多い江南は米がメインです。
なので酒も麦から作るのと米から作るので別れました。
調味料も今と違い塩と梅のみで
「塩梅」という言葉は春秋戦国時代の味加減の調節から生まれました。
一般的な料理の形態としては「煮る」「焼く」「蒸す」がありますが春秋戦国時代は「煮る」が大半で「焼く」と「蒸す」は殆どありませんでした。
これは漢の時代まで強く火を起こすと家の構造上あっさりと火事になるので低火力の料理が中心にならざるを得ず、自然と「煮る」がメインになりました。
酒の度数も今と比べるとかなり低く、糖のアルコール転嫁の技術が今よりもかなり低かったので度数はかなり低く酒の中に糖質がかなり残っていました。一説には当時は2~3%が一般的だといわれました。

26: 名無し 2018/12/15(土) 09:40:18.98 0
古代(始皇帝の秦の時代、紀元前3世紀ころまでを指す)の主要な料理は、細切れにした肉や野菜を、多めの汁の中で煮た羹(あつもの)であり、王侯も庶民も毎日食べたといわれる。
具の多いスープのようなもので、日本で言えば豚汁などである。
また、肉や野菜を細切れにしたものを酢につける膾(なます)もよく食べられた。
また古代には、野菜や野草は塩漬けかひたしで食べたとされる。
油脂は古代から宋代(10~13世紀)までの料理ではあまり使われず、さっぱりした料理が主流であった。

27: 名無し 2018/12/15(土) 09:43:02.74 0
「羹(あつもの)にこりて膾(なます)をふく」という言葉があるが
この2つこそは、古代中華料理のメインディッシュ

28: 名無し 2018/12/15(土) 09:45:22.48 0
古代中華料理では、調味料としては、塩と梅しかなかった。
「塩梅」という言葉は、ここから生まれた。

もっとも、膾は酢の物だから、酢の味がする。

羮は、肉野菜を煮込むのだから、ダシが出て旨くなる。

30: 名無し 2018/12/15(土) 11:40:22.60 0
これ面白かった
美味求真 周代の八珍
http://bimikyushin.com/chapter_5/05_ref/hatsuchin.html

 ①淳熬(肉醬油澆飯)
 ②淳母(肉醬油澆黄米飯)
 ③炮豚(煨烤炸炖乳猪)
 ④炮羊(煨烤炸炖羔羊)
 ⑤擣珍(燒牛、羊、鹿里脊)
 ⑥漬珍(酒糖牛羊肉)
 ⑦熬珍(類似五香牛肉乾)
 ⑧和肝遼(網油烤狗肝)

① 淳熬じゅんごう
 淳熬という料理は、肉醤(醢)に火を通してご飯の上に乗せ、その上から動物の脂肪を加えて混ぜ合わせた料理である。肉醤というのは肉から作る発酵食品で「醢」という字が当てられている。淳熬は肉と脂をまぜたご飯を想像すると分かりやすいだろう。

31: 名無し 2018/12/15(土) 11:51:51.29 0
これなんか、オーブンがないのでアースオーブン式調理なんだろうな。
石蒸し調理とかにも近い

③ 炮豚
 豚の腹を割き、内臓を取り出して、腹腔内を洗って汚物を取り除き、その中に棗を詰め込んで腹を縫い合わせ、萑すいと呼ばれている茅に似た草で編まれたもので、その豚を丸ごと巻き、その上から粘土に香草を混ぜたもので全体を塗り包み、火で蒸し焼きにする。
 その全体を包んだ粘土が、十分に焦げた時を見計らって、火から取り出し、その土を取り除き、手を水に浸しながら豚の身体を擦って、毛の焦げ付いた上皮をすり落して、
完全に丸むきにして、上皮が綺麗に取れたものに、米の粉をかけて葛かけのようにして、牛の脂を入れてヒタヒタになるまで煎り、これに香物を入れる。
 別に大鍋に熱湯を入れ、先の丸豚を浸した鍋そのままをこの熱湯の中にいれ、小鍋を覆さないように注意しつつ、三日三夜の間、絶え間なくこれを煮る。
そして後、醯と醢で味を調えるものとする。醯と醢などの肉醤の製法は前ですでに述べたとおりである(王の饋食参照)

32: 名無し 2018/12/15(土) 12:09:52.51 0
これも面白い
http://bimikyushin.com/chapter_5/05_01.html#section_ref_05_01

「朝事の籩」に麷とあるのは麦のことである。蕡とは麻の事である。白とは米、黒とは黍の事である。形鹽とは虎の形に作った塩のことである。膴とは生魚の切身、鮑とは燻製魚、
鱐とは干した魚の事である。以上八種を籩に供えて、豆(肉皿)の方には韮のおひたしに、動物の血液と糀と酒で作った肉醤。昌本つまり菖蒲の根の和え物に、麋肉の肉醤、
菁(かぶら菜)のおひたしに鹿の肉醤、茆つまり茅の若芽のおひたしに麋肉の肉醤を添えたもの八品が供えられた。
 「饋食の籩」には棗、栗、桃、乾橑(干し梅)、榛の五種が供えられ、皿には葵のおひたしに蠃(カタツムリやサザエの類)の肉醤、
脾析(牛の脇肉)と蠃の肉醤、蜃(大蛤の類)の和え物に蚳(白蟻)の肉醤、豚拍(豚の肩肉)の和え物に魚の肉醤の八品が供えられた。
 「加籩の實」は菱、芡、栗、脯、菱、芡、栗、脯と同じものを二重に、都合八品を供え、皿には芹のおひたしに兎の肉醤、
蒲の若芽の和え物に血汁の肉醤、箈(シノブ竹の子)のおひたしに、雁の肉醤、筍のおひたしに魚の肉醤を添えて八品が供えられた。
 「羞籩の實」に糗餌、粉栥とあるのはすべて米と黍の粉で作られたものである。捏ねて混ぜた団子を餌と言い、餅にしたものを栥と言う。
これらはいわゆる現在の餅菓子の類のことである。食皿に酏食とあるのは犬の肝と、狼の脂肪と、米で作った一種の炊き込みご飯のようなものである。
八珍の中に肝膋とあるのはこの料理である。糝食さんしょくとあるのは牛羊豚の肉をそれそれ等分にして、細く刻んで米二、肉一の割合で混ぜて煮た雑炊に似たものである。

33: 名無し 2018/12/17(月) 07:31:57.94 0
一般庶民は竪穴式住居に住んでいた

日本でいえば、「弥生時代」のイメージ

34: 名無し 2018/12/17(月) 07:38:59.06 0
日本の一般庶民は平安時代まで竪穴式住居に住んでただろ。

35: 名無し 2018/12/17(月) 10:20:04.62 0
支那の一般庶民は現代になってもニーハオ便所

36: 名無し 2018/12/17(月) 11:17:35.99 0
春秋時代にはもう家屋に住んでたのでは?

37: 名無し 2018/12/17(月) 12:53:35.82 0
>>36
一部ではね

38: 名無し 2018/12/17(月) 12:56:59.74 0
中国といっても広いからな

春秋時代には呉で鉄器文明が始まったが、
華北では漢代になっても青銅器が広く使われていた

それと同じで、家屋もあったけど、漢までは、一般人は基本的に竪穴式住居

45: 名無し 2018/12/17(月) 22:06:27.57 0
>>38
「竪穴式住居」といっても偃師商城の時点ですでに磚(レンガ)の使用が確認されていて
日本人が連想する「竪穴式住居」とは外観が大分ことなっている
また鋳鉄制の農具も春秋時代には華北を中心に広まっていて
日本で普及したのはようやく平安時代になってのことだから
約2000年ぐらいの開きがある

50: 名無し 2018/12/17(月) 23:21:39.75 0
>>45
陝西省あたりのコチコチに固まった黄土は、ほとんど天然の干乾し煉瓦だ

現代でも、穴を掘って地下に住居を作って住んでいる人たちもいる

毛沢東も習近平も、不遇な時期はそこで暮らしていた

83: 名無し 2018/12/19(水) 21:07:20.02 0
>>38
鉄の利用は燕と斉が最も早い、それに次ぐのが楚
鉄器と青銅器わ用途が別、青銅器が農機具に使われた時代なんて無い

住居も北部は土間の平屋木造建築、南部が高床建築
既に陶器が広く使われ土器の利用は終わってる

39: 名無し 2018/12/17(月) 16:09:01.41 0
紀元前というと、中国にはすでに高度な文明があったが、
日本には原始人が住んでいたというイメージが強い。

でも実際のところ、本当はそこまでの違いがないんだな。

しょせん、同じ古代人のレベルだ。
土器や石器、竪穴式住居が広く使われていた。

47: 名無し 2018/12/17(月) 22:27:22.80 0
>>39
ローマだけは別格。街道に上下水道に住居も紀元前に完備
蒸気機関に似たものすら紀元後には表れている
彼らから見ればアジアは土人にしか見えないだろう

84: 名無し 2018/12/19(水) 21:12:36.63 0
>>47>>49
街道も上下水道も春秋期から既にある、抑々街道に技術は不要
大都市の遺跡からわ大抵上水道が見付かってるし下水道の無い都市なんぞ無い
影響を受けたのわ仏教位で他に西方ガラスとマニ教が入って来た程度

48: 名無し 2018/12/17(月) 22:37:56.92 0
ローマとか秦の商鞅の時代の頃は四国の半分程度の面積しかない
しがない都市国家レベル
楚漢戦争の頃でようやく現代日本と同レベルの領土面積
古代帝国の中では後発もいいとこだぞ

51: 名無し 2018/12/17(月) 23:32:40.60 0
>>48
それは言える

古代帝国といったって、ペルシャ帝国やローマ帝国との差は大きい

宋や元あたりになると、
中国のほうが西方より文明度が高いと思うんだが、
古代だと西高東低だねえ

49: 名無し 2018/12/17(月) 23:17:40.77 0
唐がペルシャやインド・中央アジアから受けた文化的な影響の大きさは
日本が唐から受けた影響と大差ないほどのレベル

中国大陸の文化をガラリと変えた

52: 名無し 2018/12/18(火) 00:19:34.35 0
>>49
唐って言うより五胡十六国の北朝政権が正しいんじゃね。
仏教が儒教とフュージョンしたのが典型

53: 名無し 2018/12/18(火) 08:37:19.85 0
>>52
まあ、そうでしょうな

唐の文化には中華風な要素も多いが、北朝は思いっきり西域っぽい

やっぱり、南朝が中国文化を受け継いでいたんだねえ

61: 名無し 2018/12/18(火) 20:50:16.95 0
>>52
唐はその北朝政権の流れを汲んでるから唐も同じだけどね

54: 名無し 2018/12/18(火) 08:39:25.78 0
しかし、その北朝でさえも、
北斉の優美な仏像などを見れば、かなり中国化している

そもそも、仏様の顔つきが、インド風の濃い顔とは違いすぎるというのもあるが

55: 名無し 2018/12/18(火) 08:51:21.39 0
仏像自体がギリシャの影響だ

57: 名無し 2018/12/18(火) 19:28:36.02 0
日本は唐よりも朝鮮半島三国から受けた文化的な影響のほうがよほど大きい
竈や須恵器や字形鋤先や無床犂といった日常生活レベルのものから文字の使用に至るまですべて朝鮮半島を通して伝わった

建築においても7世紀半ばである皇極天皇の治世ですら屋根を精々板で葺いたぐらいで「板葺宮」と名付けて尊んでいたぐらい原始的な段階でとどまっていた倭国に
瓦、土壁、礎石や中国南朝の寺院建築を伝えたのも百済である

まぁ建築学的には日本の伝統建築はあくまで中国建築のマイナーチェンジで「日本建築」というものは厳密に言うと存在しないらしいがな

60: 名無し 2018/12/18(火) 20:49:42.89 0
>>57
百済は、倭の属国だよ

形式的な中国への朝貢とは異なり、実質的な支配を及ぼしていた

65: 名無し 2018/12/18(火) 22:09:41.28 0
>>60
そうその属国よりはるかに文明が劣っていた
だから技術者を連行してくるために支配したわけだ

契丹、女真、モンゴルのように
元々未開人だった部族が自分より武力の劣る文明国を支配して
文明化することは世界的にはよくあること

70: 名無し 2018/12/18(火) 22:25:51.45 0
>>65
契丹は、中央アジアやペルシャの文化とダイレクトにつながっていた

もちろん、
陶磁器や絹織物などの工芸技術で中国にかなうはずもないが
文化的に劣っていたわけではない

62: 名無し 2018/12/18(火) 20:59:54.91 0
倭国と中国南朝は、古来から盛んに直接交流していた

倭は、その通り道である朝鮮半島南部の諸国を支配し、
彼らが反抗の動きを見せたときは軍隊を送りこんで鎮圧した

59: 名無し 2018/12/18(火) 20:46:16.80 0
粟が主食(と呼んでいいかはともかく)だったみたいだけど、
あの小さな粒で腹を膨らませるにはどのぐらい生産量が必要だったんだろう?
ネコジャラシ並に放っておいても勝手に生えてきたんだろうか?

63: 名無し 2018/12/18(火) 21:01:12.28 0
>>59
水分を吸収して、それなりに膨らむ

粥にしたりして食べていた

72: 名無し 2018/12/18(火) 22:32:32.11 0
それはともかく、春秋戦国時代の歴史というのは、どこまで信用できるのか?

「史記」を初めとする、後世の伝聞による記述に依存するところが大きい

74: 名無し 2018/12/18(火) 22:35:39.92 0
司馬遷にとっての管仲は、現代人にとっての足利義満くらい大昔の人

どこまで本当に分かっていたのか

77: 名無し 2018/12/19(水) 01:38:00.40 0
>>72 74
清末民初の擬古派の学者たちもそう考えて「ほとんど後世の作りごと」「孔子も本当はいなかったんじゃね?」と主張し、日本でもそれを受けて「西周なんか無かった」と唱えた学者もいたくらい。
ところが甲骨文の解読が進んで殷の王系が判明すると、それが司馬遷の記録したものとほぼ同じであることがわかって、みんなひっくり返って驚いたわけだ。
司馬遷からみて千年以上前の史実をそれだけ正確に記録し得たのは、口承のみに依拠したのではなくて、何らかの記録や史料が存在して、それを参照したのだと考えられる。六国の史官が編纂した記録も当然あったろうし。

もちろん、たとえばツキジデスの「戦史」の登場人物がしばしば行う大演説みたいな、ディテールを盛った部分までは信用する必要はないけど。古代の歴史家はこういうディテールを盛ることを職業的義務と感じていたようでもあるし。

79: 名無し 2018/12/19(水) 01:56:50.33 0
>>77
逆に司馬遷の間違いや嘘も出土史料から明らかになったりしてるから
全く疑わないわけにもいかないし、
かといって全部嘘ってわけにもいかないのが悩ましいところ

82: 名無し 2018/12/19(水) 12:39:49.25 0
>>77
清代は、客観的な研究が進んだ時代だな

まあ、18世紀や19世紀だから、ほぼ近代国家なわけで

86: 名無し 2018/12/19(水) 21:15:34.50 0
>>82
逆、元よりマシなだけで清は科学の衰退期

87: 名無し 2018/12/19(水) 21:18:26.10 0
>>86
科学じゃなくて、人文系

文献考証の話

89: 名無し 2018/12/19(水) 21:22:52.73 0
戦国時代に入り、紀元前334年の段階で『史記』蘇秦列伝によると「東に朝鮮・遼東、北に林胡・楼煩、西に雲中・九原、南に呼沱・易水がある」といわれており、すでに広大な領域を支配していたことがわかる。
紀元前323年に王(左飛)を名乗るようになった。第2代の王の噲(檜の偏を口に変えた字)は宰相の子之を盲信し、堯舜に倣うと言って禅譲を行い、これにより国内は騒乱状態となった(紀元前315年)。
翌年ここに斉(田斉)が付けこみ、兵を出して侵攻し、全土を併合したため一時的に滅亡状態となった。
紀元前313年、公子職が子之を倒して、斉軍も撤退したので、公子職は即位して昭王となった

90: 名無し 2018/12/19(水) 21:24:01.26 0
昭王は、
一時とはいえ燕を亡国に追い込んだ斉を深く憎み
いつか復讐したいと願っていた。

しかし当時の斉は秦と並んで最強国であり、燕の国力では非常に難しい問題であった。
昭王は人材を集めることを願い、どうしたら人材が来てくれるかを郭隗に尋ねた。

郭隗は「死んだ馬の骨を買う」の故事を喩えとして話し「まず私を優遇してください。さすれば郭隗程度でもあのようにしてくれるのだから、もっと優れた人物はもっと優遇してくれるに違いないと思って人材が集まってきます。」と答えた。

93: 名無し 2018/12/20(木) 10:45:54.65 0
>>90
この時に斉(と楚)の力を削いだ楽毅って秦のスパイなんだろうか?

94: 名無し 2018/12/20(木) 13:36:17.65 0
魏出身の一族で中山に仕えて燕に行くってなると
さすがにどこに国っていう帰属意識すらなさそうだな

95: 名無し 2018/12/21(金) 07:16:53.20 0
秦だって、趙の李牧に敗れたり、簡単にはいかなかったけどな

やはり、辺境に位置していたのが最終的に有利だった

101: 名無し 2018/12/21(金) 16:20:43.95 0
>>95
趙の李牧の子孫は何百年も続き、唐の長安でも屈指の貴族の家柄になった

102: 名無し 2018/12/21(金) 20:08:09.79 0
「キングダム」では、趙の李牧はスーパーマンそのものだ

あれは人間といえるようなものではない

103: 名無し 2018/12/21(金) 20:13:17.19 0
ていうか、趙と魏がなんであんなに強いんだよ?

秦は、あれでよく中華を統一できたな?

104: 名無し 2018/12/21(金) 20:39:34.29 0
キングダムは知らんけど戦国中期までの趙は軍事大国だよ
終盤に入って趙が長平の戦いで戦力を喪失した事で秦の統一をかなり早めたし

105: 名無し 2018/12/22(土) 09:36:17.85 0
騎馬軍団を中華に導入した趙は強かった

106: 名無し 2018/12/22(土) 23:25:40.93 0
魏の有能人材逃し率の高さは異常

107: 名無し 2018/12/22(土) 23:43:03.38 0
>>106
その見方って逆だと思うよ
魏は有能な人を逃がしてるんじゃなくて仕官できない野賢が出る程に
文化程度が高かったり、教育関連の整備が進んでたって見るべき
魏の問題は、そこで生まれる高度な教育を受けた人々のポストが用意できなかった事

でも教育機構未整備でヘッドハンティングでいいやって思ってる田舎の国が
千金出して招聘するのって止められようもないけど
四方に行けるのも痛い

108: 名無し 2018/12/23(日) 00:09:42.31 0
>>107
どの人材もメチャクチャな目に合って魏から追い出されてるけどな

まあ、後世の脚色というか伝説かもしれんけど

114: 名無し 2018/12/23(日) 08:06:39.31 0
>>108
どの人材も、という程じゃないでしょ
酷い目にあった人も居れば、自分が出世できないと思って他国で仕官した人も居たよ

117: 名無し 2018/12/23(日) 08:19:30.51 0
>>107
逆の意味がわからん
酷い目にあって出て行くにしろ仕官は難しいと思って出て行くにしろ
結局逃がしてるという意味では同じだぞ

119: 名無し 2018/12/23(日) 09:15:52.39 0
>>117
考え方が逆

それだけ人材が育ち易い素地があるって話をしてる
人材が育ち易いから逆に育った人材がポスト求めて諸国に出てってしまう
というそういう話

124: 名無し 2018/12/23(日) 17:51:04.74 0
>>119
別に逆じゃないな
人材が育ちやすいからポスト求めて他国に出て行きやすいってのも
人材逃してることに変わりないから

109: 名無し 2018/12/23(日) 03:28:55.03 0
曹操が異民族なのが問題なのかもね

110: 名無し 2018/12/23(日) 04:02:07.59 0
えっ? その魏!?

111: 名無し 2018/12/23(日) 06:23:06.45 0
魏さんが逃したメンバーは
ゴキ、ハンショ、ガクキ、ショウオウ、あとはまあソンピンもか
オールスターすぎる

112: 名無し 2018/12/23(日) 06:26:47.16 0
商鞅が内政を担当し、孫濱が外交と戦争を担当していたら、
魏は途方もなく強い国になっただろうな。

122: 名無し 2018/12/23(日) 15:48:11.58 0
>>112
商鞅の政策が短期間で上手く普及し
その後の秦の覇権に繋がったったの一言で済まされてるけど
何で上手くいったんだろ?
考公がただの傀儡だったから?

123: 名無し 2018/12/23(日) 17:08:12.19 0
>>122
秦の法制度が未熟かつ後進的だったところに
当時最先端の法理論を学んだ商鞅の制度が持ち込まれたのが成功要因の一つ
後進的故に逆に最先端の理論を1から導入出来たのが効いてる
孝公の全面バックアップも効いた
このお陰で一気に制度面で各国を引き離す事に成功した

商鞅処刑後に上手く行った理由はマジ不明
商鞅を嫌って処刑した筈の恵文王なのに商鞅の整備した法体系は維持したから
個人、権臣としての商鞅は粛正対象だったけど、能力は買ってたのかな
とか思うけど想像に過ぎないんだよなぁ

125: 名無し 2018/12/23(日) 17:59:40.69 0
>>123
理由は多分、もうどう変えていいのか分からなくなっていたのと
手形がないと宿屋に泊めないとか法治主義に慣れてきたこと
これを全部元に戻すと混乱するし修正できる人材もいなかったからだと

126: 名無し 2018/12/23(日) 20:00:55.78 0
>>123
革命を起こした中心人物が粛清されたが、
そのあとも革命がさらに進行する・・・というのは、
歴史ではよくあることではないかな。

フランス革命のロベスピエールもそうだし。
織田信長だって、そうだろう。

典型的なのがソビエト連邦の末期に大改革を始めたゴルバチョフ書記長。
大改革を開始したのはゴルバチョフだったが、ソビエト連邦を解体してロシアを独立させようという、もっと急進派の連中から見れば、ゴルバチョフは守旧派そのもの。
いつの間にか、本人が振り落とされてしまった。

113: 名無し 2018/12/23(日) 07:02:39.27 0
戦国末期には秦の一強時代となったが、
その前には、東の斉、西の秦の二強時代もあった。

紀元前288年、斉の湣王が東帝を称し、秦の昭襄王が西帝を称した。

しかし、そんな斉を滅亡寸前まで追い込んだのが、燕の将軍・楽毅だ。
「秦が中華統一できたのは、楽毅のおかげ」とまで言われる。

320: 名無し 2019/01/03(木) 19:05:21.13 0
>>113
斉が燕を属国にしなければ
恨みをかうこともなく7国(最弱)の韓は滅びたかもしれんが
中国は分裂状態のまま現在に至ることはありえたと思う
後世いくら分裂しても統一を目指すのが当然と思われたからな
魏晋南北朝でも五代十国でも

115: 名無し 2018/12/23(日) 08:14:31.29 0
楽毅は
「隗より始めよ」の厚待遇に釣られて燕軍団に入団したフリーエージェント

116: 名無し 2018/12/23(日) 08:15:47.78 0
「隗より始めよ」の故事も、楽毅ほどの大物FAをとれなかったら、
あれほど有名にはならなかったであろう

132: 名無し 2018/12/24(月) 00:15:13.02 0
キングダム読んでる人はいるみたいだけど達人伝はどう?
蒼天航路は面白かったんだけど達人伝はいまいちなんだよなぁ
時代としては後漢三国より戦国の方が好きなんだが

133: 名無し 2018/12/24(月) 00:22:27.32 0
蒼天航路は面白すぎた
キングダムは子供向け
達人伝はつまらん

134: 名無し 2018/12/24(月) 01:02:11.43 0
蒼天航路が一番ガキっぽいじゃん
顔芸ばっかで腐媚び丸出し

135: 名無し 2018/12/24(月) 01:42:13.37 0
蒼天航路は漫画界のエポックメイキングというべき名作だったな
それ以前の歴史マンガは少なくとも主人公陣営は
現代的な道徳観の持ち主として描写するのが普通だったが
この作品が出て以降はその影響を受けて
あえて現代との価値観との断絶を強調する手法が普遍的なものとなった感がある
シグルイ、ヒストリエ、センゴクなんかがそうだな

達人伝はその点かなりマイルドな作風になってるけど
これは作者自身が動乱の時代を描くことに内心まいってたこともあると思う

144: 名無し 2018/12/24(月) 12:19:00.51 0
まさか曾祖父の時代でほぼ覇権確定してて、実の父親とも揶揄されてた豪商の傀儡だったのに野心丸出しの法家二人と宦官に担ぎ出されてその豪商と有能な長男と歴代有能な将軍家皆殺しにして 
各地の従来の制度全てぶっ壊して厳格すぎる法制で賦役と重税と大虐殺行いながらも 
おもねる振りをした連中に毒を飲まされたとも知らず死んだ始皇帝と 
他の将軍に付いていって何度か負けてる記述はあるけど特にこれと言ったエピソードは無いものの、先祖は老子、末裔は李淵や李白に繋がるらしいと言われてるだけの李信を主人公にした漫画が春秋戦国楚漢時代のスタンダードになるとはなあ


146: 名無し 2018/12/24(月) 12:24:47.96 0
>>144 
始皇帝の治世わ賦役も税も重く無いよ、漢代と大差無い、勿論片っ端から処刑の様な事も無い
二世皇帝時期に確認されてる暴政大量処刑を漢朝の儒家が始皇帝にも被せた


147: 名無し 2018/12/24(月) 12:45:36.33 0
秦sageは司馬遷や班固が誇張してる節があるからなぁ。 
万里の長城だって秦時代より武帝のし時代の方が規模大きいのに
「秦が滅んだのは長城の労役が過酷だったから」とかDISってるし


148: 名無し 2018/12/24(月) 13:01:42.60 0
秦の滅亡ってそんなもんじゃなくて勤勉な始皇帝から 
無能で怠惰な二世皇帝になったことで施策そのものが滞ったからだと思うわ


149: 名無し 2018/12/24(月) 13:02:53.47 0
あと無能な皇帝が上に立つと統治機構の構造上の問題が浮き彫りになったな

136: 名無し 2018/12/24(月) 08:16:46.20 0
いままで日本人(歴史マニアを除く一般の)にとっての中国史といったら、
99%が三国志で、それ以外は付け足しといっても過言ではない状況だったが、
最近は春秋戦国時代の認知度も上がってきたのではなかろうか。

隋唐演義なんかも、普及する可能性はあると思う。

まあ、普通の日本人が明清あたりに興味を持つことは、今後もまずないとは思うが

141: 名無し 2018/12/24(月) 11:19:13.59 0
>>136
三国志の後は人種が入れ替わっているからね
だからつまんない
野蛮な北方民族に乗っ取られた

142: 名無し 2018/12/24(月) 11:21:57.53 0
>>141
それはある

実際のところ、春秋戦国時代の中国人と、現代の中国人はあまり関係ない

143: 名無し 2018/12/24(月) 12:07:58.83 0
>>141
三国志以前から漢土に大量に移住してるんですがそれは

150: 名無し 2018/12/24(月) 13:28:38.34 0
>>141
人種が入れ替わったらつまらなくなる根拠は?

151: 名無し 2018/12/24(月) 14:00:46.79 0
文化が衰退した原因が人種の入れ替わりという事でしょ

153: 名無し 2018/12/24(月) 14:15:25.62 0
>>151
三国以前以後で文化衰退したか?

154: 名無し 2018/12/24(月) 14:23:32.15 0
>>153
少なくとも華北ではそうじゃないか

文献記録の激減ぶりからしても、文章を書く人が減ったのは確実だし

157: 名無し 2018/12/24(月) 14:48:15.08 0
>>154
文献記録は後漢魏晋→南北朝隋唐で爆発的に増えてる
史実に反する願望は妄想

160: 名無し 2018/12/24(月) 16:17:58.38 0
>>157
米の生産量が増えたの?
呂后が30歳以上の未婚女性に税金を課す(から家族が嫁ぎ先を用意して子供を産ませて人口増やす)法を作ったってのは、楚漢戦争直後で男が減ってたとはいえそれだけ結婚しない女性が多かったって事なんだろうか?

161: 名無し 2018/12/24(月) 16:20:10.46 0
>>160
江南の生産力と人口増大が大きいんじゃないかね?

166: 名無し 2018/12/24(月) 18:27:16.28 0
>>160
未婚女子を有する父母に贖金を出させる制度は春秋時代の「国語」にも出てくるから
あくまであれは慣習法だろう

そもそも近代戦でも男女比が偏る例は珍しいし
女子にも兵役があった秦代なら猶更男女比の変動は少なかったと思う

169: 名無し 2018/12/24(月) 19:07:34.87 0
>>166
20歳以上の未婚女性なら古い慣習法というかありえそうだなと思うけど
30歳以上の未婚女性って法が前漢時代にあったのが意外と言えば意外
あの時代に戸籍を持つ女性に30歳以上で未婚者が(見逃せない数)いたってのが
未亡人への救済を兼ねた法なのかもしれないが

165: 名無し 2018/12/24(月) 17:57:27.23 0
人種が入れ替わったら衰退したというのなら
隋唐以降もずっと衰退するんじゃねえの

205: 名無し 2018/12/27(木) 22:19:15.96 0
>>165
日本が中国に追い付くのがどれほど大変で時間がかかったかを考えれば、
人口が激減してそこに入った民族が漢以上の文化を築くとかいかに難しいかがわかる

209: 名無し 2018/12/28(金) 08:55:07.69 0
>>205
実際に、何百年もかかった

最終的に、南朝を併合することによって実現した

168: 名無し 2018/12/24(月) 18:53:58.01 0
五胡時代や北魏時代の華北とか洛陽やギョウは人口増えすぎて
羅城部分を増築してることがわかっているからな
人種が入れ替わった論がいかに空論かよくわかる

170: 名無し 2018/12/24(月) 23:09:01.26 0
>>168
「北魏時代に人口が回復した」というのが、人種入れ替わり論の根拠だろ

171: 名無し 2018/12/24(月) 23:30:55.75 0
漢人が絶滅して五胡と入れ替わったのなら五胡十六国以前にあった漢人の都市は一旦廃絶してないとおかしいわな
それが途絶えた痕跡がまったくなく逆に拡張してるのは何故?

172: 名無し 2018/12/25(火) 07:28:53.33 0
>>171
五胡が移住してきたからだ

174: 名無し 2018/12/25(火) 09:34:18.05 0
胡人の移住なんて楚漢戦争の頃からやっとるわw
陳キや韓王信の乱も土着化した胡人の商人が援助してたって記述もあるし

175: 名無し 2018/12/25(火) 10:54:09.20 0
抑々中山が胡人国家だしなというか周初わ未だ華北に点在してたしな胡人

176: 名無し 2018/12/25(火) 11:07:55.27 0
そもそも漢人は
自分から羌胡の領域であった河西走廊に侵略して乗っ取っているというのに
異民族がどーのこーのとか片腹痛いわ

177: 名無し 2018/12/25(火) 12:33:34.25 0
>>176
そりゃ、長い間にはそんな時期もあるだろ

178: 名無し 2018/12/25(火) 13:11:36.00 0
秦王国は巴蜀も征服してるでしょ
彼処らも別の文明圏

179: 名無し 2018/12/25(火) 17:55:32.16 0
原住民族の漢族は「借体形成の術」によって
五胡に肉体ごと乗っ取られてしまった

遺構からは乗っ取りの痕跡がみつからないのはそのためだよ

180: 名無し 2018/12/25(火) 18:48:08.33 0
身体ごと乗っ取って漢語喋って漢字使って漢文明の担い手を自認するって
それもう漢族じゃん

182: 名無し 2018/12/25(火) 22:50:52.17 0
斉の黄金期は2度あった

春秋の覇者・桓公と、戦国の「東帝」こと湣王のときだ

183: 名無し 2018/12/25(火) 22:51:52.26 0
あとは、孟嘗君の時代か

184: 名無し 2018/12/25(火) 22:53:22.95 0
違う、ビン王は孟嘗君を追い出したので有名だが、追い出すまでは協力してたのだな

185: 名無し 2018/12/25(火) 22:58:29.04 0
戦国時代は、
当初は魏が覇権国だったが、
その後、東の斉・西の秦の両雄が並び立ち
ともに「東帝・西帝」を称するまでになった

燕の楽毅により、斉が滅亡寸前まで追い込まれると、秦の一強時代となる

しかし、南の超大国・楚は健在であった

189: 名無し 2018/12/26(水) 14:21:32.49 0
>>185
「超大国」は
「他の国を圧倒する大国、主に覇権国家」って意味の政治用語だけど
楚って春秋中期くらいまでは地域覇権国家だったし、
戦国期だと地域覇権すら危ぶまれる状況もしばしばだったような
まあ越食ってもっかい地域覇権は確保したけどもさ

186: 名無し 2018/12/25(火) 23:36:28.49 0
燕にも、輝いた時期はあった

187: 名無し 2018/12/25(火) 23:37:11.33 0
十分に力をつけた燕は、斉包囲網を形成し、
紀元前285年/紀元前284年に楽毅率いる5ヶ国連合軍50万が斉軍20万を撃破し、
更に楽毅は斉の首都臨淄を陥落させ、莒(きょ)と即墨を除く斉の都市を尽く占領した
(この頃、燕は「朝鮮」を更に討って朝鮮半島北部も領有した。また、南部の「真番」を略属させ、所々に要塞を築き官吏を派遣して治めていた)。

以後約5年間、燕は現在の河北省・遼寧省のみならず
朝鮮半島と山東半島のほとんどを併合していたことになり、
『山海経』の「鉅燕」(巨大なる燕)、『史記』の「全燕」(完全なる燕)とは
この時の燕の状態をさすとの説もある。

188: 名無し 2018/12/25(火) 23:39:01.59 0
燕といえぱ北京の辺境国だが、朝鮮半島と山東半島を領有していた時期はデカかった

楽毅を疑って追い出したりしなければ、歴史はどうなったか分からない

190: 名無し 2018/12/26(水) 14:46:37.48 0
春秋のときは呉越だったのにいきなり楚が成り上がった感じ

191: 名無し 2018/12/26(水) 15:10:24.64 0
>>190
春秋の覇者が生まれて諸侯と同盟組んで誰と対峙してたかと言うと楚だから
成り上がりとは思わないけどな

むしろ呉がいきなり出て来てさらに越が出て来て、
そしてまた楚に食われて消えてった感

192: 名無し 2018/12/26(水) 15:18:30.21 0
>>191
同意

193: 名無し 2018/12/27(木) 00:50:25.32 0
春秋戦国時代って意外と南北朝時代と共通点あるな

北側 遊牧騎馬民の都市化と交雑 変化し易い制度、文化
南側 前代王朝の制度等の残存、比較的少ない交雑

って感じで

194: 名無し 2018/12/27(木) 09:00:58.43 0
中原と楚呉越で文明圏違うけど

195: 名無し 2018/12/27(木) 11:05:31.06 0
>>194
面白い事に楚は北側ではとうに廃れた殷代の官位なんかが
戦国まで保存されてたりする

196: 名無し 2018/12/27(木) 12:12:28.83 0
斉は七十余城の内、二つを除いて全部落とされたのに何で抵抗出来ているんだ?

207: 名無し 2018/12/27(木) 22:26:40.63 0
>>196
当時の城は総構えのように田畑等の生活基盤まで取り込んで構築されるから

198: 名無し 2018/12/27(木) 13:25:32.89 0
でもまあ、臨淄が落ちてるのは一大事ではある
多分あの時代の最大都城だったわけで

210: 名無し 2018/12/28(金) 09:13:33.97 0
半年で?70ぐらいの城を落としているのに
2城に5年かかると確かに怪しいよね

211: 名無し 2018/12/28(金) 09:39:38.15 0
>>210
山東省は広大な華北平原のまっただ中にあるので、
騎馬軍団で攻め込まれたら意外に脆い

でも、即墨などの山東半島は別

ここは、春秋の覇者と言われた大国・斉ですら、
征服するのに何百年もかかったほど難攻不落の地であり、
最後の砦としてここが残っても不思議ではない

214: 名無し 2018/12/28(金) 11:05:11.24 0
>>211
山東半島って後の三国時代でも地雷原と化してて
曹操とか袁紹も直轄化諦めてる土地だしなぁ

212: 名無し 2018/12/28(金) 09:45:34.24 0
「斉の人なのに、山東半島の人と会話ができた」
とわざわざ史書に書かれた人もいるほどの異文化

おそらく、斉と魏の違いより、斉と山東半島のほうが異質だったであろう

217: 名無し 2018/12/28(金) 23:31:38.71 0
>>212
山東半島の先住民族の莱族の言語は、
今のどの言語とも違う語族に属してる?

223: 名無し 2018/12/29(土) 17:27:48.12 0
>>217
さすがに、語族が違うってことはないだろうけどな

225: 名無し 2018/12/29(土) 17:45:26.68 0
>>223
かといって中国語と同系統とも思えない
朝鮮語と同系統だったりして

226: 名無し 2018/12/29(土) 17:52:32.23 0
>>225
朝鮮語や女真語だと、語族違うぞ

213: 名無し 2018/12/28(金) 09:59:15.36 0
東夷って言葉があるくらいだからな

222: 名無し 2018/12/29(土) 17:24:02.31 0
今の中国人は匈奴です

228: 名無し 2018/12/29(土) 18:52:13.03 0
>>222
華北だと晋方言だけ方言扱いだけど匈奴わ漢土に入って無いよ

238: 名無し 2018/12/30(日) 15:17:53.84 0
>>228
山西省は、太行山脈と黄土高原にはさまれた細長い谷間のような地域で、
現代でも独特な方言で知られている

それが晋

243: 名無し 2018/12/30(日) 19:51:04.42 0
>>238
あの辺りの住民は古代には漢民族ではなく東羌だった筈

248: 名無し 2018/12/30(日) 22:02:52.09 0
>>243
晋が在った辺りだよ、牧畜民は居たが後世程多く無い

224: 名無し 2018/12/29(土) 17:33:59.05 0
山東半島と朝鮮半島は、100kmほどしか離れておらず、
古代の船でも渡航は比較的容易だった

倭が新羅と百済の支配にこだわったのも、
ここの海峡ルートを確保するのが主目的だったと言われている

231: 名無し 2018/12/30(日) 09:34:05.11 0
>>224
元の主人を支配下に置きたいってだけじゃないのか

232: 名無し 2018/12/30(日) 12:33:27.52 0
>>231
新羅や百済の方から、倭王を敬仰して朝貢してきたんだが?

233: 名無し 2018/12/30(日) 13:21:09.09 0
>>232
イングランド王がフランスよりも上位になりたいと思うような物でしょ

236: 名無し 2018/12/30(日) 15:01:57.35 0
>>233
いや、それとはまったく異なる
むしろ逆だ

日本は温暖で湿潤な魚米の郷であり、
貧困な風土の朝鮮にとっては憧れの地だった

237: 名無し 2018/12/30(日) 15:07:15.36 0
もっとも、イギリスは極北の地にある島国だけど、山らしい山もない大平原の国で、温暖な北大西洋海流が雨を降らせるおかげで、農耕牧畜に適している

朝鮮とは違って、昔から国力があった

267: 名無し 2018/12/31(月) 18:58:25.68 0
昔みた「唐の太宗・李世民」のドラマでは、大原で挙兵して長安へと行軍する李淵・李世民父子の前に立ちはだかるのが、河東の屈突通だったな。

晋(唐)と秦のちょうど中間に当たるのが、河東。

269: 名無し 2018/12/31(月) 20:16:48.30 0
黄河は、洪水が多くて流路がしょっちゅう変わる上に、
河岸は侵食されて切り立った崖になっている。
このため、黄河の両岸は、人が住むのには適していない。

咸陽は渭水、洛陽は洛水、晋陽は汾水と、みんな黄河本流ではなく、支流にある。
いずれも盆地で、天然の要害だ。

-春秋 戦国 遊牧民
-

© 2021 知識の城 群雄割拠 Powered by AFFINGER5