①越王允常が没して、子の勾践が立つ。
②呉王闔閭はその喪に乗じて越を討つ。
③越の宰相范蠡は三隊の罪人を呉軍の前に進ませて、自ら首を次々と切らせるという奇策を用いて呉軍を混乱させ、すい李でこれを大いに破る。
④闔閭はすい李の戦いで指に傷を負い、それが原因で没する。子の夫差が立つ。
⑤闔閭は死の間際に、夫差に「なんじは会稽の恥を忘れるか」と言い、必ず復讐するよう遺言を残した。 夫差は薪の上に臥して寝て、このことを忘れないようにして復讐の備えをした。
⑥呉が復讐の備えをしていると聞いた勾践は、先に呉を討とうとした。宰相の范レイが諌めたが、聴き入れなかった。
⑦夫差は夫椒山の戦いで越を破り、恥を雪いだ。
⑧勾践は会稽山で呉軍に囲まれ、屈辱的な降伏をした。呉の伍子胥は許すべからずと進言するが、伯ヒがこれを許すように進言したため夫差はこれを許した。
⑨勾践は降伏してから、表向きは呉の属国と称し、従順な態度を見せる一方、苦い胆を嘗めて、会稽の恥を忘れないようにして復讐の準備をした。
⑩越は間者を放って、呉の君臣の仲を裂き、ついに夫差は伍子胥を自殺に追い込んでしまう。
⑪呉は越を討ってから強国となり、中原に進出して覇者たらんとした。
⑫復讐の機会を待っていた越は、呉王が兵を引き連れて都を留守にしたのを見逃さなかった。精兵を繰り出して呉都を討ち、太子を戦死させた。
⑬この知らせを聞いた夫差は会盟をほどほどに切り上げ、帰国した。しかし呉都は蹂躙されていたので、越と講和を結ぼうとした。越もまだ呉を圧倒する力を持っていなかったので、この提案を受け入れた。
⑭その後、越の国力は呉を圧倒するようになり、改めて呉を討った。
⑮三年の戦の後、夫差は姑蘇山に包囲された。夫差は勾践を助けたこともあり、降伏を願い出た。勾践も哀れに感じてこれを許そうとしたが、范レイはそれを許さなかった。
⑯越は夫差を庶民として許そうとしたが、夫差は受け入れず自殺して、呉は滅亡した。
⑰勾践はその勢いを買って中原に進出して、諸侯を会同し覇者となった。
あなたもその二の舞になりたいのか"と言って説得した
クズだな
優しい人を馬鹿と罵ってるだけじゃないか
呉の夫差の父の代
どっちの要素もあるな
相手を殺さずに懐柔したから漢の皇帝になれたって美談にしてるし
結局勝った方が正義で
勝てば官軍で話が作られるだけだよね
裏切られたら馬鹿者
裏切られなければ徳の高い偉人
情けは己を滅ぼす
中国っぽい
親不孝だから滅びたのではないか
戦国の七雄にどっちもいないのは何で
楚の養分になったから
春秋時代の覇者だったが越も楚に滅ぼされたので戦国時代にはなかった
夫差(ふさ) 呉王
伍子胥(ごししょ) 呉の重臣
允常 越王
勾践(こうせん) 越王
エライ人なの?
臥薪嘗胆だしな
腹を膨らませてる蛙に礼拝し部下に理由を聞かれると勇猛だからだと言った
その後部下は争って武功を立てようとした
宮殿に火を放ち火を消した者には賞を逃げた者には罰を与えると言った
賞罰が明らかだったので部下は危険をかえりみず競って火を消した
伍子しょとか菅仲とほうしゅくがの話とか
モンゴル帝国並みの一発屋
その後の歴史を描いた『戦国策』ではしれっと越なんか
なかったことになってる