なんとなくこんなイメージ
孟嘗君・・・
自身にも相当な知恵があり、食客のエピソードも面白いものが多い
信陵君・・・
戦の天才でその活躍ぶりは英雄と言ってもよい、自身が凄すぎるためか食客の活躍の印象はあまりない
平原君・・・
トホホなエピソードばかりだが、自分の過ちはすぐに詫びて改めるいい人そうな感じ
春申君・・・
他の3人と違い王族でないからか序盤では知恵のある忠臣、後半はキレがなくなり女性関係がもつれて哀れな最後
やっぱ平原君のエピソードで一番好きなのは李同の話だな
位の低い李同の進言を素直に聞き入れて財産を投げ打って振舞ったことで
李同が決死隊を率いて秦に特攻してその恩に報いた
ただ、進言を受け入れる前までは平民が子供を交換して飢えを凌いでたのに
いつも通りに贅沢に過ごしてたところが平原君らしい
なんとなくこんなイメージ
孟嘗君・・・
王から見たら傍系の従弟で位も脅かされないので好き勝手にやらせてもらっている。
信陵君・・・
王位には程遠いくせに有能なので、軍事代行者として王に散々使われている。
平原君・・・
王位には近くても侠者気質なので危険視されず。当人の力はさほど高くない。
春申君・・・
王族でないから直情的に専横。権臣の典型。
時期的・内容的に長平後の著作の筈だけど何故か高評価
荀子も趙の出身ですし、同国の王族・著名人として多少贔屓したんでしょうかね
平原君と信陵君は「国君の宝」と称されてますが、孟嘗君は篡臣(簒奪する臣)呼ばわりw
>>165
荀子が知氏の子孫なら趙氏が滅ぼしたわけで、
いくら故郷とはいえ、趙の王族にはいい感情は持ちえない気がする
知氏の他にも、荀氏の本家中行氏も趙氏に滅ぼされてるしね
まぁ200年も前の話だし、著述の内容からも彼はそんな事を気にするとは全く思えないけど
知氏の子孫である自分があえて趙氏を褒める事によって、
自らの主張が客観性を持っているとアピールしているのでは?と変に勘ぐってしまった
>>164
荀首(知荘子)─罃(知武子)―朔(知荘子)―盈(知悼子)―躒(知文子)―□(名不詳・知宣子)―瑶(知襄子)
荀子は晋の荀氏=知氏・智氏の子孫との説もありますね
天下の笑いとなったという智伯の末裔だとしたら、さぞ肩身が狭かったことでしょうね…
『荀子』でも智氏のことには一切触れられていないようですし
人を見る目においても
恵文王は個人的なエピソードがないよな
我を通すイメージがまったくない
君主としては理想的だと思うんだが
でもまぁこの兄弟は仲いいよな
きっと恵文王は信頼して可愛がっていたんだろう
だから平原君も険なく生きられた
信陵君も兄に恵まれればなぁ
>>170
平原君は恵文王の息子孝成王にも信頼されてたから
信頼される何かを持ってる人だったんだろうな
その点信陵君は頭が切れすぎて君主に警戒されてしまった
しかもそういう状況を切り抜ける融通さを持っていないという生真面目さ付き
范雎、蔡沢、李斯、呂不韋がいる頃に離間なんてされた日にゃ、
どこの誰だろうと失脚すると思うが。
確かに錚々たる面子だが、そいつらがすごいと言うより
本当の国難を見抜けない騙される側の王に問題があるだろ
例えば趙の恵文王ならばうかうかと騙されはしないだろうな
長平の戦いも恵文王がまだ生きていればレンパが更迭される事もなかったと思う
そもそも戦いそのものが起きてないような気もするけど
信陵君>孟嘗君>春申君>平原君
食客の能力のイメージ
平原君>信陵君>孟嘗君>春申君
劉邦は信陵君より平原君に近いと思う
劉邦に近いのは兄の恵文王だわ
父・武霊王や廉頗、藺相如、趙奢、平原君らの陰に隠れがちだが
子孫と比較すれば有能な臣下をよく働かせているのが分かるし
親を餓死させるような非情な一面もあったり
伴野朗の『士は己を知る者のために死す』ぐらいか
架空の主人公が食客として四君の所を渡り歩く話だったな
陳舜臣の中国任侠伝もそうじゃなかったか?
人生いつどこで何が役に立つか分からないね
いつか役に立つからと猫八を養うみたいなもんだろ。
食客に使われている印象がする
意見は聞いてくれるし、自分の誤りを認め謝罪するのに相手を選ぶこともない
信稜君や春申君は本人の才気が立ちすぎるし、盲甞君は結構怖そう
平原君は優しそうだから、やっぱり平原君を支えたいな
わかる気がする
悪く言えば世間知らず・苦労知らずゆえに物事の表裏を洞察する力に
欠けてる面もたしかにあるけど、おおらかさというか人としてのつきあいやすさやで
いえば四人の中でも一番だと思うな
信陵君はたしかに貴賤とわずへりくだれる姿勢はわかるけ
ど、いざって時には
覚悟を最も要求されそうで、打算がどうしても透けて見えるんだよな
凄く優秀で尊敬できる人なんだけど、その志の高さについて行くのがしんどそう
兄王と対立した信陵君、陰謀練っちゃった春申君、斉一国に収まらない孟嘗君と比べて
平原君は王との関係が絶妙だったからじゃね
恵文王との逸話が少なくて、主な活躍は甥の孝成王の時
長平の戦い後で内訌なんてやってられない時期ってのもあると思う
恵文王の時分から対秦戦略が王権中枢と合ってない感じ
恵文王、孝成王、悼襄王、どの王とも上手くいってない感がある廉頗は異常
①今、岩波文庫の「史記列伝」を読んでいるんだが、史記の「本紀」とか「世家」とかはやっぱ読んだ方が良いのかな。アマゾンで見ると、ちくま文庫とか徳間文庫の絶版本であれば、文庫で読めるみたいだけど。
②それと、「史記列伝」の次に進むとしたら「春秋左伝」?それとも「戦国策」?
③また、「戦国策」は昔、徳間文庫の抄訳を読んだような気がするのだが、全訳って文庫では出てないのかな?
④史記、春秋左氏、戦国策以外に春秋戦国時代をよく知る上で参考になる本って何かある?
俺が答えられる範囲でしかないけど、
①紀伝体である以上は、やはり列伝だけを読んでもつまみ食いの域を出ない事実は拭えないと思う。ちくまからは訳文のみではあるけど本紀・世家・列伝・書が出てたはず。全てを抑えたければかなりの冊数になるけど明治書院しかないかも
②個人的に時代に逆らわず春秋時代から抑えていくべきとも思えるので、やはり「春秋左氏伝」を勧めたい。こちらは岩波文庫から出ている全3巻のものは訳文のみながら索引をはじめとして初心者にも優しい仕様で読みやすい。平凡社からも訳文のみで全1冊のものが出ていたけど、岩波文庫版には及ばないと思う
全訳は明治書院から出ており、こちらは全訳で全4冊で、揃えるとなると相当の出費は覚悟する必要はあるけど、こと「春秋左氏伝」に限っては全訳で春秋の筆法を知っていくとより学べるものは多い様にも思う。
③「戦国策」の全訳は明治書院から出てる高いし全3冊ながら実にいいもの
④春秋時代は「国語」、戦国時代も含めれば「資治通鑑」や「竹書紀年」は抑えておいてもいいように思う。前者は明治書院から全訳が全2冊、後者の2種類は漢文のみだけど、ネットで閲覧できるので探してみるのもお勧め。他にはやはり当時の風俗や習慣、通念なんかを知るために「礼記」や「大戴礼記」は明治書院からそれぞれ全3冊・全1冊出ている「晏子春秋」の全2冊や「呂氏春秋」なども全3冊で出ているので、時間や余裕があるなら読んでみるのもいいかも。他に「韓非子」や「孫ピン兵法」、「孟子」や「論語」や「荘子」、「荀子」等々、挙げていけばきりがないけど、けして読んで損にはならないかと
いいものを揃えようとするとやたらと出費は覚悟しなきゃならないかも
しれないんで、無理する必要はないと思う
俺は列伝だけとりあえず熟読すればいいと思うな
本紀とかは興味が持てれば読んでけばいいし
列伝が一番面白くて内容が濃いと思う
とりあえず列伝読めば春秋左氏伝は楽しめる
戦国策はちと難しいような気がする
あと、歴史的な事柄を知るということに関しては適してないけど
韓非子とか孫子呉子とかも読むと古代中国人の思想に触れていろいろ面白いよ
特に孫子は単なる戦術書じゃなく
戦争における政治的な意味合いだったり当時の兵隊の微妙な心理なんかもわかる
実践的な部分も多いけどかなり哲学的なものだ
最初に読みやすいものをいくつか読みこんでおけば後々の読書に役立つと思うよ
>>226-227
2人とも有り難うございます。
まさかこの過疎スレで懇切丁寧な即レスを頂けるとは、マジで感動してますw
最近、春秋戦国時代に興味を抱くようになり、岩波文庫の「史記列伝」を読んでいて、今3巻です。学生時代に途中まで読んだような気もする(?)のですが、まるで初めて読んだような新鮮な感動を覚えなら楽しんでますw
①やっぱり、全訳で文庫だとちくま文庫、徳間文庫(いずれも絶版)しかないですね。>>227さんの言うとおり列伝だけでも良い気がするのですが、故事成句事典で見ると、本紀や世家からのエピソードも多いので気になります。アマゾンのレビューとか見ると、ちくま文庫版が良さそうなので、1巻=本紀、3,4巻=世家を古本で買おうと思います(2巻=書・表は不要かな?それと、5~8巻は列伝なので岩波文庫版で十分かと思っています)。
②お勧めの通り、史記列伝が終わったら本紀などを読み、その次は「春秋左伝」に進むようにします。本屋で立ち読みした限り、岩波文庫版は読みやすそうですね。
③「戦国策」は平凡社の東洋文庫版は全訳でしょうか?やはり絶版なのですが、全3巻が2,000円程度で入手出来そうなので、全訳であれば東洋文庫版でもいいかな?とも思いまして。
④「史記」→「春秋左伝」→「戦国策」と読了したら、孫子、韓非子あたりに進もうと思います。実家の本棚に絶版となった徳間文庫「中国の思想」シリーズが揃ってた(忘れてたけど、多分学生時代に買ったもの)がありましたので。
人物の評価は難しいと悟った平原君が一番だろう
3000匹のコバンザメ紹介とか絶対地獄ゾ。。。
中国では、歴史に名を刻んでこそ全てと言う・・・
現代に於て、一朝の有名人に成るには雨後なんとやら
後世の後世(2500年後)に名を残すのは・・・
コバンザメではない、殆ど諜報員だろう
平原君で学者系の食客を書き残されているのは、
上に推挙出来る人物を重視したのだろう
信陵君の交遊関係を下に見てる
賓客クラスを除けば私兵とか壮士とかやくざの類でしょ
金の切れ目が縁の切れ目
ってするか?
手元にあった食客は少い、色々あったかもしれんが
私兵を千人、二千も抱えるのは無理だという事
馮驩の逸話にもある様に、もともと食客は臣下でもなければ日頃の待遇への恩義に応える義務もない
宰相を罷免された孟嘗君の場合は、馮驩を除いて悉く去ったと云われてるくらいなわけで
馮驩が自己紹介する場面や孟嘗君の客で自害する者も居たり
発した言葉に責任は有る
私兵やらで採用されたのは少ないだろう
3:40.16
・私兵を千人、二千人も抱えるのは無理だという事
四君レベルの封建領主なら人数的には可能じゃろう、そもそも最盛期で数千人ならば平均数はずっと少ないし
中国古代史料の数字は相当に盛られてはいるが当代随一の権力者たる四君でも千人雇うのは無理と断言されると文明全体がスケールダウンする
高祖が蕭何に付けた護軍(目付け)も500人か
カモフラージュの様な人材と言う所だろうか
行き届いた訓練と優れた武装を持つ近現代の兵隊とは異なり、古代兵卒の戦闘力は棍棒振り回すおっさんと大差ない
いざとなれば私兵同然の働きが可能なグレーゾーンの客を多数集める人間は上下左右から厄介者扱いされると思うよ
歓迎するのはその人物の派閥に属する人間くらいだろう
人を集める事で名を馳せた(平原君以外の)戦国四君、文信侯、長信侯がいずれもトラブったのは必然
情報戦で主君を上回っているのは面白い
孟嘗君の入魏はパパ以来の諸侯としての活動と実力が寄与したと考えた方がよろしいのでわ?
信陵君は行ったきり戻らなかっただけ、もちろん情報戦が全くなかったというつもりはないが。
復帰が叶った信陵君、事実上復帰できず不安定な独立状態を余儀なくされほどなく滅亡した孟嘗君の薛。
行ったり来たりする貴族は近代主権国家成立前の前近代的体制では洋の東西を問わず普遍的にみられる。
普遍的には疑問が付く
スパイ、二重スパイが危険視されるのは洋の東西を問わず
孟嘗君も鶏鳴狗盗の時は危なかった
日本だろうが欧州だろうがオリエントだろうが鞍替えしまくりの諸侯、経歴に出奔と帰参のある貴族士族なんて珍しくもなし