科学って、そもそもいつから始まったのだろう? 例えば、コペルニクスやガリレオは科学者だったのだろうか? 意外かもしれないが、答えは「否」である。
日本の学校では、ほとんど(まともな)科学史を教わることがない。だから、科学の成り立ちについて大きな誤解をしている人が多い。例えば、コペルニクスやガリレオが宗教側から弾圧されても科学の崇高な使命を貫いた、というようなイメージをお持ちではなかろうか? 大変恐縮だが、そういう発想は都市伝説に近い。
コペルニクスはキリスト教の聖職者だったし、ガリレオは枢機卿や法王と親しく交際していた。彼らの時代に「科学者」という言葉も概念も存在しなかった。彼らは宗教者であったり、(自然)哲学者であったりしたが、科学者ではなかった。実際、化学の父ドルトンの著作には「化学哲学」という名前がついているし、ニュートンの主著は「自然哲学の数学的諸原理」であり、「科学」という言葉は出てこないのだ。
科学の源流は、古代ギリシャの哲学にまで遡(さかのぼ)ることができる。プラトンやアリストテレスが科学の遠いご先祖に当たるわけだ。西ローマ帝国が滅びた後、科学の源流は、東ローマ帝国、さらにはイスラム世界に受け継がれた。アルゴリズムとかアルコールとかアルカリという言葉は、全てイスラム起源なのである(「アル」はアラビア語の冠詞にあたる)。
その後、12世紀にアリストテレスの思想が西ヨーロッパに再輸入され、15世紀になるとプラトンの思想が流入する。アリストテレスの思想はキリスト教とうまく融合した(いわゆるスコラ哲学)。だが、プラトンの思想はキリスト教と相性が悪かった。なぜなら、プラトンの世界観は自然を操作する「魔術」的な性格が強かったからだ。神のみが奇跡を起こすことができるキリスト教の世界観においては、人間が奇跡みたいなことを起こしては都合が悪い。
プラトンの思想(正確には「新プラトン主義」と呼ぶ)には、太陽中心主義があった。だから、コペルニクスやケプラーは地動説を主張したというより、太陽中心説を主張したのである。
では、科学が「反宗教」の戦いを始めたのは、いつのことだろう? 実はフランス革命が大きなヒントなのだ。18世紀のいわゆる「啓蒙(けいもう)主義」の運動では、旧体制(アンシャン・レジーム)の打倒が叫ばれた。そして、キリスト教は旧体制の最たるもの
だったのである。
現代日本に住むわれわれは古代ギリシャのことも忘れ、イスラム世界の勃興も忘れ、コペルニクスが聖職者であったことも忘れている。18世紀ヨーロッパの啓蒙主義の世界観を鵜呑(うの)みにし、コペルニクスやガリレオといった「科学者」たちを、宗教弾圧と戦った英雄としてイメージしている。
よく、海外の映画に「奇妙な日本」が登場して笑うことがあるが、日本人の多くが信じている「通俗科学史」もそれに似ている。現代人がタイムマシンでコペルニクスやガリレオに会いに行って、「宗教と戦ってくれてありがとう。あなたは科学者の鑑です」と言ったら、彼らは狐(きつね)につままれたような顔をするに違いない。
太陽中心説を初めて提唱したアリスタルコスは人気ないの?
あれ?天体観測したんじゃないの?地動説の皆さんは。
誰か教えて下さい。
天体観測結果から帰納的に地動説を導き出したのではなく、まず太陽中心説という結論あり気で、天体観測などで証拠を集めたって>>1の人は言いたいんじゃないの
ほうほう。解説ありがとうございます。わかりやすかったです。
天体観測したところで、地面が動いてるなんて結果は出てこない。
要は天体の計算の仕方の問題で、<太陽を中心に地球が動いている>として計算する方が
簡潔な説明ができただけのこと。
ちなみに現在でも地球を中心に宇宙が動いていると計算することはできる。ただ面倒なだけ。
深いですね。。。こちらもありがとございます。
論文に書いたらアウトだよ
もちろん、人間の直観って便利だから、現場では臨機応変にやるけど
思考実験って知ってるか?
実験データなしで推測だけでも論文として認められるんだが
帰納的じゃない推測ならアウトです
南方曼荼羅は哲学で良いのか
南方は学際的な思想人だから、文系/理系をくべつする議論では扱いにくい
悪魔に精通してないと無理だし科学も無いとダメだ
当然哲学も必要になる
宗教家であり哲学者であり科学者で間違いない
科学者ではなかったというのはただの著者の思い込みだろう。
現在でも神を信じている科学者というのは存在する。
科学というのは自然の法則を記述していく方法であるという視点に立てば、彼らも当然科学者であると言って良い。
ただ、今の科学者の定義から言ったら、彼らは科学者ですよ。
要するに、>>1のソースは詭弁。
そこに科学も含まれてた
振り子の運動や、物体の落下、木星の衛星の運動なんかもそう。
科学的に結論を出しているんだから科学者だろ。
実際、ニュートンは基本的に科学者というより錬金術やオカルト信奉者だった
自覚も概念もなかったろうが
やっていたことは科学的な探求だったのだから
どういう存在であったかは見る方が決めること
本人がどう言おうと関係ない