周囲からの王位への勧めを断り、
最後まで護国卿にとどまったという、
民主主義革命者の先駆け
軍事的才能はすばらしいな
確かに民主主義ではなくて、実質は独裁だけど、
国王、教皇の古き専制体制を否定しようとする、新しい国制を志向したのは間違いない。
プロテスタント独立派ですら護国卿を支持したのも、
その自由主義的な要素によるのでは。
護国の鬼
「護国卿」ではなく「護国主」とか「護民官」とでも訳すべきでは?
死後遺体が暴かれて首斬られて頭は何百年も大逆無道の逆賊として
晒し者にされたって本当?
近代税制国家への嚆矢であった。
クロムウェルはスコットランドには借りがあるから侵攻しなかった。
日の出の勢いで、戦争が滅法強いクロムウェルに対して、アイルランドの行動も随分軽率だったような気がするんだが。
なぜこんな無茶な事をアイルランドはやったのかな?
>クロムウェルはスコットランドには借りがあるから侵攻しなかった。
ダンバーでスコットランド軍を粉砕し、パースまで進軍しとるよ。
人口の差、経済力の差もあるかもしれん
革命期はイングランド陸軍が2万を超えた数少ない時代のひとつだし。
そもそも近代民主主義は封建主義→市民革命を得なくては、なし得ないという説の成否は如何でしょうか
確かに民主主義が根付いている国は、この流れのようですが、これもギリシャ・ローマの古典を引き継ぐ国だけが近代の寵児という考え方は気に食わないです
んな事いったらギリシャ・ローマ古典なんてヨーロッパより、地中海、イスラム圏の方が
より濃厚に引き継いでいるわけで、ヨーロッパ人だけがギリシアローマを引き継いでるって言うのは勝手な思い込みでしかないよ。
ついでに言えばアメリカ大陸の国々は一箇所たりとて封建制は体験していないぞ。
そういう政体進化論みたいなのは妄想の産物みたいなもんだ。
その問題設定は、そもそも近代民主主義が善であるという前提に立っているように感じるけどどうでしょう。
今は「民主主義」が少なくとも名目上は最も進んだ体制と思われているけれども、統治と社会のありかたは色々あっていいわけで、そういう視点に立たないと昔の人を「遅れた蒙昧な人々」みたいなふうに見てしまうんじゃないかと。
ともかくギリシャ・ローマがどうのというのは、ホイッグ史観・トーリ史観ともに見られる傾向で、それだけの伝統を守ってきたのだ、みたいな自国礼賛的説明のしかたではある。まともに取り合うことはないんじゃないかな。
でようやく民主主義と市民革命についてだけど、
両者の関係は、さほど強いものではないと思う。
クロムウェル時代の共和派は過激な危険分子以上のものではなかったし、ジョン・ロックが提唱した「革命権」は当時のホイッグ=革命支持な人たちにも一蹴された。
あえて民主主義の根っこを探すとなれば、消費税導入による大衆課税の反応として、というのはどうでしょう。いささかおおざっぱな議論をすれば「代表なくして課税なし」てなもんで、民衆の政治化によって民主主義へと舵を切っていった、という印象です。
この政治化は長期にわたってぼちぼちと表出してきた傾向だけど、これを短期間に達成しようとしたのが革命なのではないか。
まあこういう解釈をいまのところしてます。
正しいという自信はあんまりありません。
日本ではいまだにピューリタン革命といっている人が多いね。
the British Civil Wars とか、
the Wars of the Three Kingdoms とか、
the Civil Wars in the British Isles だな。
ネーデルラントと、…どこだろ。
フランスだろうか?
チャールズ2世はクロムウェル軍にウースターで敗れた後ノルマンディーに亡命して、フランスのルイ14世に面倒を見てもらっているし、イングランド国王に復帰してからは親フランス姿勢をとってオランダを挟撃しようとした。
「思想」2004年8月あたりで近藤和彦とモリルが書いてて、そこで見たんだと思う。たぶん。
最初チャールズ1世が援助を求めてきたときには、それを断って議会軍の側について、敗北したチャールズを議会軍に引き渡しているが、1649年に国王が処刑されたときにはショックを受けて、大陸に亡命していたチャールズの次男を呼び寄せてスコットランド王に即位させたり・・・
長老派教会維持(≒既得権の維持)ということでだいたい説明出来ると思うけど。
1.ロードの国教会体制押しつけを嫌って国王との間に主教戦争を起こす
2.イングランド議会派で長老派が主導権を握ると、これと提携して王党派を破る
3.イングランド議会派でクロムウェル派(会衆派)が主導権を握ると、国王と結んでこれと対抗
4.負けると取りあえず服従
5.王政復古でチャールズ2世に再び臣従
(3以降の段階では国王は国教会体制のスコットランドへの押しつけを放棄している)
もっともスコットランド人でも、ハミルトンのように、だいたい一貫して国王への忠誠を優先させたのもいるし、モントローズのように2の段階で熱烈な王党派に転向したものもいるし、アーガイル(Covenanntersの頭目)のようにあんまり反復極まりない処世をしたために、5の段階で処刑されたりしたものもいるし。
イングランドの「長老派」と仲が良かったっぽい。